スポック様
幸い手元に昭和36(1961)年10月改正時の東京鉄道管理局の客車運用表があります。
ご指摘の付属編成の運用は下記の通りです。
運用番号:門附3
受持駅:門司
運用順序:門司−619→飯塚−208→門司−36最前→東京−回5036→品川−回5035→東京−35最後→門司
車種:スハフ
両数:1
組数:3
運用開始の619レは門司港発筑豊本線経由原田行きの普通列車です。
東鉄の運用表なので、東鉄管内に来ないこの列車の編成は分かりません。
当時の時刻表で619レの時刻を見ると、鹿児島本線のページと筑豊本線のページで食い違いがありますが、
前者を優先して書くと次の通りです。
門司港14:30→門司14:37/14:44→飯塚16:12/16:17→原田17:00
車種は「スハフ」とだけ指定されています。
当時の門司にはスハフ42と共にスハフ32も配置されていて、
運転管理のルール上はそれでもOKなのですが、
優等列車ですから慣例的にスハフ42が優先使用されたことでしょう。
「ARC資料館」様がスハフ42と書かれている背景にはそういう事情があります。
ちなみに208レ[天草]と36レ[高千穂]の門司着発時刻を見て、大変なことに気付きました。
・208レ[天草]:22:11着/22:24発
・36レ[高千穂]:22:07着/22:18発
なんと22:11から22:18までの僅か7分間で14号車を[天草]から[高千穂]へ「移植」し、
それに関門トンネル用のEF30への機関車交換も絡みますから、
実に忙しい入換作業が毎晩行われていたことになります。
入換の手順がどのようなものだったか興味が湧きますが、
今となっては想像(妄想?)するしかないでしょうか。
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