倶楽部メモ(878)

令和7年5月21日〜5月25日

「高千穂」の14号車について



投 稿 者  スポック

投 稿 日  2025/5/21 10:02

タイトル 「高千穂」の14号車

 

古い時刻表を見ていて気がついたのですが、61年から64年9月にかけての急行「高千穂」ですが、
14号車が東京−門司となっており、上りのみ飯塚−東京です。
上りの飯塚ー門司間は「天草」に連結されてくるのですが、下りの送り込みが不明です。
ちなみに「ARC資料館」様の記事に寄れば当該車両はスハフ42のようです。
(1等寝台と13号車を除き10系客車)
どなたか詳細ご存じでしょうか?




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2025/5/21 22:41

タイトル Re: 「高千穂」の14号車

 

スポック様

幸い手元に昭和36(1961)年10月改正時の東京鉄道管理局の客車運用表があります。
ご指摘の付属編成の運用は下記の通りです。

運用番号:門附3
受持駅:門司
運用順序:門司−619→飯塚−208→門司−36最前→東京−回5036→品川−回5035→東京−35最後→門司
車種:スハフ
両数:1
組数:3

運用開始の619レは門司港発筑豊本線経由原田行きの普通列車です。
東鉄の運用表なので、東鉄管内に来ないこの列車の編成は分かりません。
当時の時刻表で619レの時刻を見ると、鹿児島本線のページと筑豊本線のページで食い違いがありますが、
前者を優先して書くと次の通りです。
門司港14:30→門司14:37/14:44→飯塚16:12/16:17→原田17:00

車種は「スハフ」とだけ指定されています。
当時の門司にはスハフ42と共にスハフ32も配置されていて、
運転管理のルール上はそれでもOKなのですが、
優等列車ですから慣例的にスハフ42が優先使用されたことでしょう。
「ARC資料館」様がスハフ42と書かれている背景にはそういう事情があります。

ちなみに208レ[天草]と36レ[高千穂]の門司着発時刻を見て、大変なことに気付きました。
・208レ[天草]:22:11着/22:24発
・36レ[高千穂]:22:07着/22:18発
なんと22:11から22:18までの僅か7分間で14号車を[天草]から[高千穂]へ「移植」し、
それに関門トンネル用のEF30への機関車交換も絡みますから、
実に忙しい入換作業が毎晩行われていたことになります。
入換の手順がどのようなものだったか興味が湧きますが、
今となっては想像(妄想?)するしかないでしょうか。




投 稿 者  スポック

投 稿 日  2025/5/22 10:38

タイトル Re: 「高千穂」の14号車

 

クモイ103様

詳しい情報有り難うございます。
現在手元で見ている時刻表が、’63、11月なのですが、
これだと619レは門司港14:16、門司14:23/14:26で
飯塚16:18(頃)16:23発になっています。
36レの門司発は22:20なので、こちらは少し(61年)より余裕があるようです。
619に3分で連結できたのですかね。
多分飯塚での切り離しも考えると、最後部へ付けるだけだとは思うのですが。
もしかですが、門司港へ144レで送り込みとかないですかね?
(144レは門司発門司港行13:40/13:50です)




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2025/5/22 18:20

タイトル Re4: 「高千穂」の14号車

 

スポック様

門附3が619レに連結された区間は、少なくとも昭和36年10月改正時には門司からでした。
但し、次に改正のあった37年10月以降のことは分かりません。
門司での停車時間が短くなっているということは、
おっしゃるように門司港からに変更された可能性も考えられますね。
ただ、残念ながら私はそれを判断する材料を持っていません。
鉄道博物館のライブラリーに37-10改正時や38-10改正時の客車運用表があったと思いますので、
それを丹念に調べれば分かるかもしれません。




投 稿 者  スポック

投 稿 日  2025/5/22 20:39

タイトル Re5: 「高千穂」の14号車

 

クモイ103様
有り難うございます。
少なくとも619レで飯塚に下っていた時代があることが確認できただけでも収穫でした。
(要は門司についた車両を飯塚に送り込む運用が存在したということ)
’61年の時刻表では門司−門司港の区間運転は146レしか載っていないのですが、
’63年では144レが増えてます。
146レは折り返し141レに充当かもしれません。(’61年は143レか621レ)




投 稿 者  スポック

投 稿 日  2025/5/24 7:29

タイトル 門司での入れ換えについて

 

一連のやりとりの中で、「天草」から「高千穂」への繋ぎ換えが、時間が短いとの指摘がありましたが、
入れ替えを本務機を使用して行えば、そこまで短くないのでは、と思います。
「天草」の本務機を外し−入れ換え機で14号車を引き上げ
−「高千穂」へ連結−入れ換え機引き上げ−本務機連結の流れを
「天草」から引き上げるところから「高千穂」用本務機で行えば、と思ったのですが・・。
別件ですが、去年の投稿で「さつま」の食堂車の件が投稿されていたのですが、
自分の手持ちの時刻表では、「さつま」に食堂車はありません。
基本編成は3号車から9号車で1・2号車欠車です。
代わりと言ってはあれですが「阿蘇」に増号車の食堂車が4号車と5号車の間に挟まってます。
で、この「阿蘇」の基本編成(名古屋区担当、食堂車を除く)
1号車から9号車が「天草」と共通運用との記事をどこかで見かけたのですが。
この記事の通りであれば京都発着にもかかわらず「天草」は名古屋区担当と言うことなのでしょうか。




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2025/5/24 14:37

タイトル Re: 門司での入れ換えについて

 

スポック様
ご指摘の通り14号車の入換は高千穂のEF30が行うのが自然で、
わざわざ他の入換機を持ってくることはまず無いでしょう。

@208レ[天草]が到着、すぐに牽引機(おそらくC57)が逃げる
AEF30が来て連結
B14号車を切り離して引上げ

C36レ[高千穂](門司までの牽引機は既に逃げている)に連結
Dブレーキ貫通試験

…という一連の作業に対して、7分間はあまり余裕がない気がします。
おそらく何人もの地上係員と乗務員が連携し合って、入換信号機や転轍機の操作と確認、
そして連結器とブレーキホースの接続確認、などを矢継ぎ早にこなしていたと想像すると、
さすが門司駅は運転上の大拠点と感じ入る次第です。
手元に37年11月号(37-10改正時)があるので確認すると、
確かに高千穂の発車時刻が2分繰り下がっていますね。
36-10改正時に実施できると判断して設定したダイヤが、
やってみると現場的にきつくて見直したのではないか…とこれは私の妄想です。

別件のことで、スポック様お手持ちの時刻表というのは何年何月号でしょうか?




投 稿 者  スポック

投 稿 日  2025/5/24 17:00

タイトル Re2: 門司での入れ換えについて

 

クモイ103様

手元にあるのは時刻表63年11月号です。
巻末の方にある編成表で見る限り、「さつま」は

となっています。
61年10月号も手元にありますが、先頭の2・荷と郵の位置が入れ替わってるのと、
12号車までで10−12号車は名古屋−門司という相違ぐらいですね。
61年でも6号車は欠番ですし。




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2025/5/24 21:38

タイトル Re3: 門司での入れ換えについて

 

スポック様
[さつま]に食堂車マシ49が連結されたのは、東海道新幹線が開通に伴う全国白紙改正があった
昭和39(1964)年10月1日から翌年10月改正前までの1年間だけでした。
本掲示板の去年のやりとりでは、その点に言及されていませんでしたね。

名古屋−熊本間急行[阿蘇]と京都−熊本間急行[天草]の基本編成が共通運用されたのは、
[阿蘇]の運転時刻の関係で熊本での折返し時間がとれないためです。
[阿蘇]を単独で運用しようとすると、熊本に到着した編成を当日の上りに充当できず、
一晩寝かせることになり、3組の客車編成が必要になってしまいます。
これを下り[阿蘇]→上り[天草]→下り[天草]→上り[阿蘇]と運用すれば、
熊本でスムーズに折り返せるので、2往復の列車を4組の編成で回すことができます。
従って[天草]の基本編成も当然名古屋の受け持ちで、4日周期で自区に帰ってくる運用となります。
かつていろいろな長距離列車が走っていた時代、
このような共通運用による編成数の節約はあちこちで行われていました。




投 稿 者  スポック

投 稿 日  2025/5/24 22:45

タイトル Re4: 門司での入れ換えについて

 

クモイ103様
有り難うございます。それでも熊本での折り返しは時間的に厳しいのでは?
「天草」から「阿蘇」へは3時間半弱しかなく、
「阿蘇」から「阿蘇」への食堂車の受け渡しが必要ですよね。
食堂車の受け渡しは2時間ほどしかなく、清掃などの準備作業が大変そうです。




投 稿 者  クモイ103

投 稿 日  2025/5/25 7:45

タイトル Re5: 門司での入れ換えについて

 

スポック様
史実として熊本で[阿蘇]と[天草]は入れ違いに折り返していたのですから、
時間は十分とれていた筈です。

食堂車については、熊本でまる1日滞泊し、翌日折返す3組運用でした。
36-10改正時点の名古屋の食堂車配置は、
マシ49 1、2、3
マシ29 101
スシ48 2
の合計5両でした。
[阿蘇]の所定使用車はマシ49ですが、両数がぎりぎりのなので、
検査時は他の2両のいずれかが代走に入ったはずです。
マシ29はマシ49と同じく冷房付きですが、車内設備が一段古いもので
当時の感覚的には若干見劣りしたと思われます。
スシ48はマシ49と同等の車内設備ですが、非冷房です。
このスシ48 2は、37年に電気暖房取付改造を受けてスシ48 2002となり青森へ転属、
37-10改正の高萩電化でEF80牽引となった常磐急行に活躍することになります。
これと入れ替わりにそれまで青森にいたスシ28 104が名古屋へ移ってきますが、
これは非冷房で車内設備も古いですから、実質的には保留車だったろうと私は思っています。

39-10改正で[阿蘇]の食堂車は廃止され、
マシ49の3両は名古屋配置のまま[さつま]の名古屋−門司間に連結されるようになります。
運用組数が2組に減り、マシ49形だけで検査予備もまかなえるようになりました。




投 稿 者  スポック

投 稿 日  2025/5/25 9:28

タイトル Re6: 門司での入れ換えについて

 

クモイ103 様
何度もご教示いただき有り難うございます。
てっきり、食堂車も運用数を減らすため、当日の「阿蘇」で戻しているのかと思いました。




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