倶楽部メモ(720)
平成25年 2月 4日〜 3月 1日




投稿者 だだお
投稿日 2013年 2月 4日(月)20時30分35秒
タイトル 宮原スハフ42
いつも興味深く拝見しています。

さて、以前JR化されてしばらく在籍していました、
宮原区のスハフ42-2254について、Nゲージで再現したいのですが、

・最晩年の車体色
・客用扉・妻面扉の形状

について、どなたかご教示いただけますでしょうか。
Webや手元の資料では判明できませんでした。

車体の色については、青15号の写真が確認できますが、
晩年までそれが維持されていたのか不明です。

よろしくお願いいたします。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2013年 2月 5日(火)21時54分6秒
タイトル RE:宮原スハフ42
ただお様

晩年の情報ではありませんが。
スハフ42 2254は、昭和29年度第2次発注車ですので、新製時の客用扉と妻の扉はプレスがなく、
窓カラスがHゴム支持のタイプのはずです。
(スハ43形の一族 下巻より)



投稿者 だだお
投稿日 2013年 2月 8日(金)14時07分36秒
タイトル Re: 謝辞
竹中@ノーブルジョーカー 様

ご教示いただきありがとうございます。
たしかに、プレスなしのHゴム支持のようです。

塗装も、晩年はぶどう色のようです。

ありがとうございました。



投稿者 ししおり
投稿日 2013年 2月18日(月)18時42分46秒
タイトル よろしくお願いします。
はじめまして。震災で思い出を全て失い
なぜか昭和40年代を回想、確認をしています。
当時、気仙沼〜一ノ関を客車(6両編成)があった
らしいのですが形式と牽引するのはDE10でしょうか? 
それと気仙沼臨港線の貨車はレサ5000と牽引はDD13なのか是非とも教えて下さい。



投稿者 ED76109
投稿日 2013年 2月21日(木)20時31分26秒
タイトル 昭和48年6月の時刻表から
 失礼いたします。「ED76109」であります。


 ししおり様

 初めまして。「ED76109」と申します。
産は東京なのですが、現在「時計台の街」の高校教諭をしております「中年客車鉄ちゃん」であります。
「昭和48年6月のJTB時刻表」では、「下り337レ(一ノ関17:40発・気仙沼19:33着)」、
「下り341レ(一ノ関21:42発・気仙沼23:24着)」及び「上り322レ(気仙沼5:48発・一ノ関7:23着)」
の3本のPCが設定されております。
「6両編成」とあることから、「322レ」が「6両」、
「337レ」「341レ」がそれぞれ「3両」の編成仕立てでありましょうか。
牽引のDL、そして「気仙沼臨港線」に関しては確認できませんでした。
参考までに、「山田線」「釜石線」にもPCレが確認できました。
他の先達の皆様方からの補足いただければ幸いであります。


 失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 仙コリ
投稿日 2013年 2月21日(木)23時44分39秒
タイトル 大船渡線の客車列車
ししおり様、はじめまして。

昭和40年代の気仙沼〜一ノ関(大船渡線)の客車列車についてのご質問ですが、
地方線区の普通列車についての記録はなかなか存在していない事が多いようで
手持ちの資料を探してみたところ、そのものずばりの編成記録等は見つける事
が出来なかったのですが、鉄道ピクトリアル誌の「60系鋼体化客車特集号」に
昭和36年11月の335レ(一ノ関→盛)の編成記録が掲載されており、
1号車から
オハユニ71
オハ61
オハ61
オハフ61
オハ61
オハフ61
といった編成で、すべて一ノ関配置、牽引機はC58だったようです。

昭和40年代においても一ノ関に配置された客車が使用されたと思われるため
当時の配置状況を調べてみたところ、

昭和40年代前半(昭和45年頃まで)
オハ61、オハフ61

昭和40年代後半以降(昭和45年頃から昭和54年頃まで)
スハ32、オハ35、オハ47、オハフ33、オハフ61

といった形式の車両が大半をしめていたようなので、これらの形式の車両で
編成されていたものと思われます。

牽引機については昭和40年頃は蒸気機関車(C58)だったようですが、
大船渡線は昭和43年3月に無煙化され、ディーゼル機関車牽引になったよう
ですが、形式まではわかりませんでした。

(無煙化は昭和42年3月という資料も有:客車列車牽引がいつまでC58
 であったかは不明:ディーゼル機関車はDE10であると思われますが、
 正確なところは不明です。)

以上のような状況までしかわからなかったのですが、参考になりましたら
幸いです。

また、詳細をお知りの方がいらっしゃいましたら、補足していただけますと
助かりますので、よろしくお願いいたします。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 2月23日(土)22時15分49秒
タイトル Re: 大船渡線の客車列車
大船渡線の客車列車の編成について、残念ながら詳細な情報は持ち合わせていませんが、
仙コリ様の情報に便乗して1点だけ補足させていただきます。

鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション(7)国鉄ダイヤ改正1960「43-10の頃」に収録された、
昭和43年3月31日現在の国鉄車両配置表によると、一ノ関管理所[関]の配置は下記の通りです。

【蒸気機関車】(8)
D50 346 (1)
C58 71 103 244 302 306 (5)
8620 38636 38674 (3)

【ディーゼル機関車】(15)
DE10 3 4 5 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 (13)
DD13 647 651 (2)

【気動車】(39)
キハ25 220 222 223 224 (4)
キハ22 143 144 145 146 147 148 150 153 154 158 281 335 (12)
キハ21 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 (10)
キハ20 521 522 (2)
キハ10 45 54 55 (3)
キハユニ26 24 25 26 42 43 44 45 46 (8)

【客車】(14)
オハ61 2557 2558 2688 2822 2823 2870 2875 (7)
オハフ61 83 668 2506 2512 2604 (5)
スエ30 29 (1)
スエ71 32 (1)

仙コリ様の情報と照らし合わせれば無煙化の直後ということになり、
DLの大部分がDE10ですから、おそらく大船渡線の牽引機はこれでしょう。
ちなみに5年後の昭和48年3月31日になると、蒸気機関車は無し、ディーゼル機関車はDE10 1000番代が13両のみになります
(アーカイブスセレクション(8)より)。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 2月25日(月)21時35分13秒
タイトル 美濃太田のスハユ30
門タケ様、クモイ103様、仙コリ様

少し昔になりますが、2004年4月に「高山線のスハユ30・オハニ30」につきましてお教えいただき
ありがとうございました。

高山線はS43年10月と割合に早く無煙化(DL化・DC化)されたことと、
交通の便が良い岐阜口はC58ばかりで人気がなかったことで客車列車の写真は本当に少ないです。
私もその後実家で探した古いアルバムで、やっと数枚の客車列車の写真を見つけました。
ハーフサイズのカメラでピントもあまく、踏切警報機もあり見づらいですが、
お礼の意味であえて掲載させていただきました。

S43.8に上麻生付近で撮影した826レです。
当時、高山線の名タヤにスハユ30の1番・3番・4番・7番がいたようですが、
7番はWルーフで無いため他の車両かと思われます。
当時はC58が狙いでありスハユ30は少ししか写っていなくて残念です。
ちなみに機関車は高山区のC58389です。
ご存知と思いますが、389はこの後に遠江二俣区へ転出し、その後駅前に静態保存されました。
変形デフの200号機とともに、高山線で唯一の戦後形で気になる機関車でした。
スハユ30の4両は、43.10時刻改正でキハユニ26が3両とキユニ16が1両転入し、廃止となったようです。
オハユ61は4番がキユニ17が配備されるまで、名タヤにS43.10時刻改正以降も残っていたようです。




投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 2月26日(火)22時46分31秒
タイトル Re: 美濃太田のスハユ30
スハユ様

お久しぶりです。
SL時代の高山本線の写真、貴重なものを見せていただきありがとうございます。
私など実のところ高山線といえばDC王国のイメージしかないのですが、
ヨンサントオまではC58が多く活躍していたのですね。
昭和54年3月、鵜沼から岐阜まで乗車した普通列車は、急行編成の間合いでキハ58系の長大編成でした。
濃尾平野の地平線に沈もうとする夕日に向かって爆走する迫力に圧倒された思い出があります。
その場面をかつてはC58が演じていたのかと思うと、見てみたかった気がします。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 2月27日(水)14時06分37秒
タイトル Re2:美濃太田のスハユ30
クモイ103様

お久しぶりです、その節はありがとうございました。

昭和54年に高山線のDC長大編成に乗車いただいたようでありがとうございました(笑)
私も昭和41年11月に高校の修学旅行の際、同時刻にキハ17・25など混成の長大編成に乗りました。
見慣れないDC長大編成と、田舎にそぐわないロングシートのキハ35にびっくりした記憶があります。
どちらも岐阜折返しで通勤列車となるため長編成です。

当時の高山線岐阜口の客車列車は、美濃太田(美)と高山(山)のC58がほとんど単機で担当していました。
客車は合造車を除き、高山客貨車区(名タヤ)のオハ61系がほとんどで稀にオハ35が1両入るくらいです。
写真のスハユ30連結の826レには、富山客車区(金トヤ)のオハ34が編成の中ほどに2両連結されていました。
いつも乗る背ずりが板張りオハ61に比べ、窓は小窓2つですが背はモケット貼りで上品な雰囲気のオハ34に乗れる
数少ない休日が楽しみでした。



(写真1)25日と同じ列車です。



(写真2)826レのオハ34です。最後部に飛騨金山からの回送C58が見えます。
     発車と絶気の時に聞こえる本務機と後部機の2つの汽笛に痺れました。



(写真3)DL化された826レです。スハユ30の次にオハニ61がいますが少し前までオハニ30でした。

長々とすみませんでした。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 3月 1日(金)11時12分55秒
タイトル 金トヤのオハ34
スハユ様:
オハ34は特急『富士』用に12両製造された、定員80名のシートピッチが広い車でした。
3413−からは昭和16年に三等寝台廃止でスハネ30系から改造された車です。車端部分の
窓配置が違いました。
金トヤにはオハ3412の『富士』用ラストナンバーが居て、高岡駅で撮影しています。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 3月 1日(金)14時17分7秒
タイトル Re2:金トヤのオハ34
マロネロ38様

はじめまして、オハ34についてのフォローありがとうございます。

私は高山線客車列車について、地元の岐阜新聞社発行の渡利正彦氏の写真集
「戦後を走った車両たち(国鉄編)」「岐阜駅物語」くらいしか知りませんが、
私が知りたい年代の高山線蒸機・客車について多く掲載・解説されており宝物です。
オハ34―11が「岐阜駅物語」P91に1963年5月撮影写真と共に、
戦前の特急「富士」3等車に使用したと紹介されています。
1964年版モア客車配置表を見ると、オハ34は金トヤに2番〜12番がいます。
北陸線優等列車にオハ35・オハフ33と共に運用されたことはあったのでしょうか。
私が乗車したオハ34は上り岐阜行き826列車で、
C58+スハユ30+オハニ30(オハニ61)+オハ34+オハ34+オハフ61+オハ61+オハフ61だったと思います。
乗るのはいつも休日で時間帯も良く混雑しており着席したことは一度もありません。
シートピッチが広く稀に乗れる広窓のオハ35と車内の雰囲気が何か違うと思っていましたが、
当時は「オハ34」であることに気づきませんでした。
客車列車の気動車列車化が進む1965年〜1969年にタイミング良く居合わせたのですが、
高校時代に乗車した客車ナンバーを書いたメモが見つからず必死に探しています。

客車について分からないことが多く、今後ともご教授をお願いします。



               
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