倶楽部メモ(719)
平成25年 1月12日〜 1月22日




投稿者 Uzu
投稿日 2013年 1月12日(土)22時10分12秒
タイトル 近代化された旧客
こんばんは。

以前もこの掲示板でお世話になった者です。その節は本当にありがとうございました。

近代化工事の施工された旧型客車について質問です。

過去にも話題に上がっておりました、近代化されたマロネロ38が存在したらしいのですが、
1966年2月に急行利尻から運用離脱してまもなく廃車になるという短命さだったようです。

このように近代化されて短命に終わった形式というものは他にもあるのでしょうか?

またこれらマロネロ38の廃車年月日もわかりましたらご教示ください。

よろしくお願い致します。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 1月13日(日)08時33分54秒
タイトル Re: 近代化された旧客
Uzu様、お久しぶりです。

久々に骨のある(笑)話題を提供していただきました。というのは、当該のマロネロの廃車年月日に大きな疑問があるからです。

準急「利尻」で最後の活躍をしていたマロネロ38が「内部近代化改造および外部ブルー塗装が施されていた」ことは、
鉄道ファン第58号(1966-4)P.63「localtrain」(読者投稿欄)「Cロネ全廃」の中で述べられています。
その「利尻」の運用は、昭和41年2月1日からオロハネ10に置き換えられたことが、
時刻表同年2月号「てつどうちしき」欄に「消える1等C寝台」として紹介されています。
ところが、札サツ(札幌客貨車区)にいた最後の3両(マロネロ38 5、9、10)の廃車年月日は
どういうわけかそれより前の昭和41年1月21日となっているのです。

鉄道公報第4905号(昭和41年1月21日)総裁達第27号で示された、40年度第6次の用途廃止客車の中にこの3両が含まれており、
このあと10日間は車籍のない状態で運用に就いていた?ということになってしまいます。
当時の鉄道公報では時に後日訂正記事が出ることがありますので、まだ私の見落としがあるのかもわかりませんが、
車両史編さん会の「国鉄鋼製客車史」第3編下巻にまとめられた車歴表でも1月21日となっていますので、
他の方も訂正を目にしていないということなのでしょう。

すっかり忘れていた大きな「謎」を思い出させていただきました(^^;。
次に大宮へ行く際の課題ですね…

なお、近代化されて短命に終わった車両というのは詳しい知識がありませんが、
私の知る範囲で、マロネ41 25、26の2両が昭和39年5月ごろに近代化され、
45-10改正で運用離脱し46年3月30日廃車、7年弱という例があります。



投稿者 Uzu
投稿日 2013年 1月13日(日)22時37分24秒
タイトル マロネロ38の廃車時期
>クモイ103様
詳細かつ興味深いご回答有難うございます。
これは面白いことになりましたね!
本当は1月中に運用を終えてしまったのではないかと考えたくなりますが、
2月に姿を消したとの情報の信憑性は如何程のものなのでしょうかね。
一方であの時代の国鉄ならその程度の事はやってのけたのではとも思ってしまいます(笑)
2月消滅説が時刻表を根拠にしているのなら僕は1月21日までに運用を終えていたと推測します。
この2月は大きなダイヤ改正があったというわけでもなく出版の関係によるタイムラグも十分考えられますし、
ダイヤ改正などの際でも前もって車両運用を変更することはよくありますからね・・・
如何でしょうか!?
1月21日以降にマロネロが運用されている証言や写真があるといいのですが。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 1月14日(月)10時17分1秒
タイトル 廃車時期
これは鉄道ファンなら誰しもが抱く疑問でしょうね。
鉄道省時代から、廃車と発表されていても実際に使用されていたり、公報以前に廃車
されていたりが多かった様です。(事故車は別ですが)
昭和56-3-6オハフ333に福知山線相野→宝塚間(446レ)乗車したときは、もうぼろぼろで
「この車廃車では」??でした。今オハフ33のデーターを持ち合わせないので、公報の時期が解りませんが。



投稿者 ゴボウ
投稿日 2013年 1月14日(月)16時10分6秒
タイトル KATOのNオハフ33一般形を少々
久しぶりに投稿致します。

屋根にスエード調スプレーを吹いてベンチレーターの上面だけ
塗膜を剥がしてみました。

ナンバーは消しゴムで消せましたので、電暖付き2000番台に
してあります。

実は同じのが2輌いますので、1輌は碓氷峠を越えられる「・」付き
にしました。





投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 1月14日(月)22時23分23秒
タイトル さらに廃車時期
Uzu様

> あの時代の国鉄ならその程度の事はやってのけたのでは
…「その程度の事」とは、マロネロ38様の仰るような公報で廃車されても実際には走っている…ということでしょうか?
それとも逆に、時刻表で2月1日と書かれてもそれより前に置換してしまった…ということでしょうか?
文面からはどちらを指しておられるのかわかりません。

> 出版の関係によるタイムラグも十分考えられますし、
> ダイヤ改正などの際でも前もって車両運用を変更することはよくあります
…「電化開業」の前から電車や電気機関車が走り出すことはありましたが、
この場合は「Cロネ」のマロネロ38から料金の異なる「Bロネ」のオロハネ10への置換ですから、
営業上そう簡単に日取りを変更するわけにはいかないでしょう。

マロネロ38様

フォローありがとうございます。
確かに公報の記載は実際の事象より遅れることが多くありましたが、逆に「フライング」もあったのですね。
オハフ33 3の廃車は鉄道ピクトリアル・オハ35系特集号の車歴表によれば1984.2.22となっていますから、
ご乗車になってから3年後ということになります。


国鉄の組織は巨大すぎて、本社と地方組織の意志疎通に、
今の感覚から見れば「昔は大変だったんだなあ」と感じる場面もあります。
車両の用途廃止(廃車)も、地方組織から本社へ上申されて本社が決済するという手続きに、
けっこうな手間と期間を要していたようです。
私も「あの時代の国鉄」に対する勝手なイメージでシナリオを考えますと、
もしかしたら、北海道支社(または札幌鉄道管理局?)は前もって早めに上申したけれど、
それが裏目に出て本社が「ほいきた」とばかりすぐに決済してしまい、
支社(局)は「え?」と目が点状態だったのかもしれませんね。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2013年 1月15日(火)00時56分16秒
タイトル RE2:近代化された旧客
クモイ103さま

>昭和41年2月1日からオロハネ10に置き換えられたことが、時刻表同年2月号「てつどうちしき」欄に
>「消える1等C寝台」として紹介されています。

「2月1日に実施されました」であれば、2月号には間に合いませんよね。「2月1日に実施になります」と
いう意味合いの記述だったのでしょうか。

Uzuさま

>近代化されたマロネロ38が存在したらしいのですが

近代化改造の記録にはマロネロ38は存在しないようです。支社で近代化改造に準じた整備を行ったと解釈
するのが妥当かと思われます。
また、青15号の塗色とする形式にもマロネロ38は含まれていません。千葉に青15号のオハ61が存在したの
と同様に、青15号のマロネロ38は一種のモグリではないかと考えています。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 1月15日(火)22時49分25秒
タイトル Re3: 近代化された旧客
竹中@ノーブルジョーカー様

ご指摘の通り「置き換えられた」ではなく「置き換えられる」ですね。
正確を期すため、原文を引用します。

【時刻表1966年2月号P.606「てつどうちしき」より】
****************
  消える1等C寝台
 準急「利尻」(札幌−稚内)に連結されていた1等C寝台が、2月1日からB寝台に置きかえられることになった。
これで、国鉄最後のC寝台も、いよいよ時刻表から姿を消すことになる。
 優等寝台の種別が、現在のようなABCの制度に変わったのは昭和30年7月1日からで、
それまでの1等寝台を廃止して、旧1等寝台を2等寝台A・B、従来の2等寝台をCとしたものである。
その後、等級制度の変更で、2等は1等に改められ再び1等で現在にいたっている。
 (後略)
****************

なお、営業案内の寝台料金の項目には、この号ではまだ1等寝台C室の料金表示(上段1140円、下段1430円)
が残っていますが、3月号で姿を消しました。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2013年 1月16日(水)22時57分15秒
タイトル RE4:近代化された旧客
クモイ103さま

ありがとうございます。お手数かけました。
置き換えのタイミングがいつだったのか、気になりますねぇ。

鉄道ファン58号によれば、「たるまえ」のオロハネ10をオロネ10に置き換えてオロハネ10を「利尻」に
転用とあります。昭和40年12月10日付けで函館にオロネ10が新製配置されていますので、2月1日を待た
ずに置き換えることは可能だったようです。
また、「利尻」の置き換え日ですが、上下同日ではなく下りが一日先行ですよね。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 1月17日(木)19時56分32秒
タイトル Re5: 近代化された旧客
竹中@ノーブルジョーカー様

> 「利尻」の置き換え日ですが、上下同日ではなく下りが一日先行ですよね。

私もそうだと思います。
鉄道公報で「1等寝台車連結列車の…」云々といった通報があれば明確になると思います。
昭和41年頃はそういう通報は掲載されていたのか、ちょっと心許ないですが、そのうちしっかり調査したいと思います。



投稿者 Uzu
投稿日 2013年 1月20日(日)23時39分23秒
タイトル マロネロ38
>クモイ103様、マロネロ38様、竹中@ノーブルジョーカー様
様々な情報有難うございます。
マロネロ38は正式な近代化工事は施工されていなかったということでしょうか?
外部は旧来のぶどう色でも蛍光灯に取り替えられていたということになりますか。

車両運用は指定券発行の事を考えるとみだりに変更することは許されませんね。
最近では99年のさくら、はやぶさ併結運転移行に伴うソロの佐世保乗り入れ、
05年の富士、はやぶさ併結運転移行に伴うオロネの長崎乗り入れ等が記憶にありますが、
あれは事前に時刻表にも掲載されていた運用だったのでしょうか!?
多少話は逸れますが、富士はやぶさでスハネフ14とスハネフ15はどちらが運用に就くか決まりはなかったようですが、
定員の違う両者の寝台券の発券はどのようになっていたのかふと疑問に思ってしまいます。
調整席としてスハネフ15の増加分の席は扱っていたのでしょうか?

謎が深まりますね・・・



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 1月21日(月)10時47分11秒
タイトル 利尻のマロネロ38
UZU様
蛍光灯取り付けだったそうですが、実物を見ていないので車体の色迄は-----。
マロネロ38→ナロハネ10ならC寝台で定員12人だから問題無いですが、オロハネでは寝台
料金が違いますので、仰せの通りの指定券発行のトラブルも考えられます。
乗客が蒙る被害で一番多いのは「2重発売」ですが、
私は一度上野から「北陸」で(急行時代)なんと(3重発売)の被害に遭いました。
Bセンター(JTB)持ちが3重発売になっていたのですが、私は周遊券で一ヶ月以前申し込み
だったのでセーフでした。ゴタゴタが収まったのが熊谷を発車してからでした。

私は合造車好きで、マロネロ38の寝台に乗車したのは昭和30年に502レ高岡-大阪
でしたが、ナロハネ10の新宿-松本(準急上高地)とか、オロハネになってからは名古屋ー長野
(木曾)に2回乗車しました(ロネx1、ハネx1)。
国鉄はどうも合造車嫌いで早く廃車するみたいですが、路線に拠っては適当な車両ですし、
増結車が必要な場合は覿面に特徴を発揮します。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 1月21日(月)22時17分40秒
タイトル 青いマロネロ
Uzu様

> 外部は旧来のぶどう色でも蛍光灯に取り替えられていたということになりますか。

ご紹介した鉄道ファン投稿欄の記述が正確ならば、外部は青色になっていたことになりますね。

竹中様が言われるのは、本社が正式に行った工事ではなく地方組織が独自に行った工事で、
そのため本社の文書には登場しないということであり、それを「一種のモグリ」と表現されたわけです。
同様に「モグリ」で青色化された例としてはマシ29やオハニ36があり、
いずれも青色主体の急行列車に組み込まれるための措置だったようです。
ただ、そういうことをするのは本社の目の届かない?地方ですね。
本社お膝元の東シナ所属で急行「さぬき」に連結されたスハニ35は、
近代化工事(に準ずる工事?)が行われていたにもかかわらず、塗色規程を律儀に守ってぶどう色で通したようです。
塗色規程で青色化を指示した別表に、スハ44とスハフ43は載っていますが、スハニ35は載っていませんから。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2013年 1月21日(月)23時00分12秒
タイトル マロネロ38と蛍光灯
UZU様

クモイ103様の紹介にあるように、鉄道ファン58号には
「内部近代化改造および外部ブルー塗装が施されていた」と白黒写真とともに目撃情報が掲載されています。
ここでは照明については具体的な表現がありませんが、
「近代化改造」と間違えたぐらいなので蛍光灯であったのだろうと推測していますし、塗色は青15号だったようです。

旧型客車の車内照明ですが、昭和30年代には電車の101系、111系、153系、気動車のキハ58など蛍光灯装備の新車が増え、
白熱灯の旧型客車の改善が課題となりました。
そこで昭和36年度あたりから近代化改造に並行して照明の蛍光灯化が進められました。
この結果、近代化改造の対象から漏れたスハ43系やオハ35系だけでなく、オハ61系にも蛍光灯が付くようになった次第です。

「富士・はやぶさ」のスハネフ15ですが、利用者の減少で廃止になったくらいですから、
余分な寝台を売らずとも全く問題なかったでしょう。
余談ですが、軽量客車のハネで唯一定員が60名だったナハネ10全車をナハネフ10に改造したのは、
ハネの定員を54名に揃えるという目的もあったのだろうと推測しています。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 1月22日(火)13時41分36秒
タイトル 北海道のマロネロ38
1966年版国鉄「車両型式図」にあるマロネロ385,389,3810の内、385,3810は「ケイ光燈」
とあります。これを見ると白熱灯の389が予備車だったみたいです。
図面番号VC0521
以上御参考までに。



               
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