倶楽部メモ(684)
平成23年11月 5日〜11月13日



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年11月 5日(土)13時29分6秒
タイトル 世界の果てまでイッテQ
 そのTVを観ていないので何とも言えませんが、、、

 これは、以前投稿したことのある画像ですが、タイで1日2往復しかない田舎路線の線路です。
トランの近く。廃線ではありません。
 こんなん、日本では廃線の光景と同等でしょうか。ただ、2本の鉄路の間には、草はほとんど生えていません。
草の有無で本当の廃線と微妙な差があるのかなぁ?




投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月 8日(火)17時13分50秒
タイトル 岩手開発鉄道
▼竹中様:
> 大江戸線の建設時に新幹線と東海道線の線路が移設され、

地下鉄建設も影響したとは、初耳でした。残った線路は、東京貨物ターミナル以北が
休止中との事ですが、何れは淘汰されるのでしょうか。この貨物線、汐留(貨)から
塩浜(操)までは1973年の開業との事。という事は、1964年の新幹線開業後も暫くは、
東海道線の旅客線と貨物線が、浜松町か田町の辺りで直接、繋がっていたという事?

▼XD1様:

TVで一瞥した線路は、枕木も雑草がびっしりで、幾らなんでも、営業路線でこれは
ないだろうけれど「微笑の国」は万事、大らかにも見えるしなぁ、などと勝手な事を
考えていたのでした。

============================================================================

昨日のNHK報道英語版で“Limestone train back in service in Iwate”と題した
岩手開発鉄道の運行再開の記事がありました。旅客営業を廃止して、既に20年近くが
経過した貨物鉄道が、外国人向けの報道で紹介される事は珍しいと感じますが、直接
津波の被害を被った区間が復活した事の意義が強調されているのでしょうね。

盛で接続する大船渡線は、先日申し上げた様に去就の狭間に揺れ、南リアス線も運行
再開の目処が立っていない中、孤立無援の運行再開という格好ですが、石橋の鉱山と
赤崎の工場の連絡を主務とする同鉄道にあって、盛での他路線との接続は、然したる
意味は無いのかも知れません。

同鉄道の旅客便は、四半世紀ほど前に、岩泉線とセットで「消化」しました。当時は
確か午前中に、岩手石橋と日頃市まで一往復ずつ、夕方に岩手石橋まで一往復という
内容だったと記憶します。

これ以上は簡便化できない、という作風が好感された キハ202で、午前中の二往復に
試乗しましたが、貨物鉄道の軌道規格ゆえ、乗り心地は意外に良いのが印象的でした。
二往復目の日頃市では、キハが側線で折返しを待つ間、長大な貨物便同士が交換して、
なかなか勇壮な眺めでした。

趣味談義の掲示板には馴染まないかも知れませんが「東日本大震災からこうして避難、
そして大津波」という投稿動画で、下船渡〜大船渡と思われる大船渡線の線路敷地が
完全に津波に呑まれる様子が、克明に映し出されていました。改めて、今回の震災の
凄まじさを思い知らされた処です。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年11月 8日(火)22時41分48秒
タイトル カートレイン点描
 ご無沙汰しております。「ED76109」でございます。

 校務多忙の折、暫く覗くだけでございましたが、また「戯言」で参加させていただきます。
よろしく御願い申し上げます。


 1 「カートレイン」は、「鉄」親父が伯父と一緒に拙宅訪問の際、
平成4年の夏に「浜松町・白石」で利用したことがございます。
しかし、「20系ロネ」が運用されていた「カートレイン九州」と比較すれば、「24系ハネ3両」のシンプルな編成。
しかし、クルマを積み込む時は、近隣の「GS」でガソリンを空にしてから「ワサ」に搬入されるまで、
小一時間の待ちぼうけを食わされたとのことでした。
編成は「きたぐに号火災」の教訓から、ELの次位に「PC」が連結されて、
その後ろに「ワサ」がつながれていたはずであります。
ですから「カートレイン北海道」の場合は、「青森信号所」で「EL」を交換して「五稜郭」まで。
その後、「PC」を「DD51」重連の直後に連結し直して「白石」まで・・という運転スタイルだったようです。


 2 頼りない記憶でしかないのですが、「カートレイン九州」が出発した数時間後に
「浜松町」を「カートレイン北海道」が出発していた時期もありました。
さらに、「雑魚様」仰せのとおり「名古屋(熱田)?」発着の「ユーロライナー」仕立の「カートレイン」もあり、
一時カートレイン華やかなりという時期があったはずであります。
しかし、「バブル」崩壊後の情勢変化で、あっという間に姿を消しました。
事実、「青函隧道」を活用した「シークエンススタイル」の「カートレイン」構想も、
今では「強者どもが夢の跡」といった感。
前述いたしましたように、「貨物線」は残っても「旅客」はバスでいった方向性が濃厚といった状況と化しております。


 3 当地「北海道」でも、平成11年前後に「白石・釧路」に、
「24系ロビーカー」活用の「冬季限定カートレイン」が運転されました。
「日勝峠」の冬季峠越えを回避する「家族連れ」をターゲットにした設定でしたが、
あまり大きな成果は見られなかったようであります。
現に「白石」は「新駅舎」が完成。
「カートレイン」がクルマを搭載していた「1番フォーム」は、姿を消してしまい、
「レイル&パーク」の駐車場と化しております。


 長々と失礼致しました。
以上、「PC日本海」に増結された「モトとれーる」のネーミングに、
思わず「関西商人の心意気」を感じてしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月 9日(水)12時46分53秒
タイトル 仙台臨海鉄道
一昨日に続き 昨日は“Borrowed locomotive arrives at Sendai railway”と題した
記事がありました。仙台臨海鉄道が、今月下旬の運行再開に向け、秋田臨海鉄道から
拝借したDLが、起点の陸前山王で引き渡されたという内容です。従前の最大荷主と
思しき麒麟麦酒も、或いは国内唯一であろう、鉄道による飲料の鉄道輸送を継続する
意向で、震災を契機にトラックへ全面切替、という事にならなかったのは一安心です。

仙台臨海鉄道と云えば、1987年「未来の東北博覧会」で、仙台駅と、港湾地区所在の
会場を結ぶ、C56の牽引による臨時列車を思い出します。12系仕立てと記憶しますが、
改めて検索すると、陸前山王付近の電化区間(架線が数百m続いていますが、電機が
入替で出入りする事があるのでしょうか)で、50系と思われる赤い客車を牽く画像が
検出され「あれ、そうだっけ?」という感じでした。

============================================================================

陸前山王といえば、かつては塩釜埠頭に至る貨物線も分岐していましたね。1887年に
日本鉄道(東北線の前身)が郡山以北に延伸された際の終着駅が、塩釜埠頭(当時は
鹽竈)でしたが、元々は、鉄道敷設の為の資材陸揚の拠点たる性格が強かった様です。

岩切〜品井沼では、1944〜62年に旧「山線」と新「海線」が並存状態にありましたが、
当初は貨物主体だった海線が、客貨両面で主要路となる契機となった、1956年の塩釜、
新松島(現松島)駅設置のバーターとして、塩釜埠頭線の旅客営業が、帰省列車など
一部の例外を除いて廃止されています。旅客扱いが行われた塩釜港駅自体は、小規模
ヤードとして、十数年前まで残っていましたね。

国道45号線は塩釜の市街地に逆Z字型のクランクを擁しますが、その途中、仙石線の
高架橋下が、当該貨物線の踏切となっており、こうした前時代的とも言える雰囲気が、
大いに旅情をそそるのでした。

その後、一帯は、再開発で郊外型の店舗が進出し、すっかりスマートになりましたが、
東日本大震災の際には、三陸地方ほど壊滅的でないにせよ、津波の被害を受けており、
仙石線の高架橋に隣接した「サンデュエル」と思われる建物から、津波到達の様子を
俯瞰した映像が、http://www.youtube.com/watch?v=ZuAhx_ZYcvEで紹介されています。

============================================================================

それにしても、仙石線が1944年に国有化された事を思えば、上記の「海線」における
1956年の新駅設置の際、国鉄線同士、乗換えの便を図る発想があっても良かった、と
今更ながらに感じます。震災で、それどころではなくなったとしても、仙石線快速に
交直流両用型を充当、または仙石線を部分的に交流電化に置換して、松島海岸以南で
東北線に「逃がせば」仙台速達という点で、大きな効果が見込まれたものと感じます。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年11月10日(木)00時30分21秒
タイトル 続・カートレイン
雑魚さま

>1964年の新幹線開業後も暫くは、東海道線の旅客線と貨物線が、浜松町か田町の辺りで直接、
>繋がっていたという事?

この区間は海側から貨物線、新幹線、東海道旅客線の順ですから、新幹線をまたいで旅客線に
繋がったことはありません。新幹線と旅客線が共用している架線柱もここでは現役だったりし
ます。
東京貨物ターミナルに至るルートは、東京機関区の裏あたりから高架に上がって行く部分から
先が新規開業部分ですね。貨物線は、その先で新幹線が高架になったところでくぐり、東海道
線下りの品川駅ホームと新幹線高架の間を抜けて品鶴線へと続くことになります。

>ED76109さま

カートレインに使用したのは「ワサ」ではなくワキ10000ですね。北海道ではバーベキュー
カーに変身して客車に鞍替えしたのには驚かされました。
投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月10日(木)14時52分52秒
タイトル 品鶴線
▼竹中様:

> 貨物線は、その先で新幹線が高架になったところでくぐり、東海道線下りの品川駅
> ホームと新幹線高架の間を抜けて品鶴線へと続くことになります。

………という事は、品川駅北側で地下に潜る横須賀線の導線が、東海道線の下り線と
新幹線に挟まれた状態で、田町CKビルの辺りまで続いていた、という事でしょうか。
御指摘の点から、貨物線が現行経路に移行した1973年から、品鶴線を経由しての汐留
発着は不可能となり、その時点で、1980年「SM分離」を実効ならしめる為の伏線が
張られていた、という構図が想像されますね。

実施直後、事情を知らない知人が、川崎から鎌倉まで移動する際に、待てど暮らせど、
横須賀線の「青い電車」が来なかった、との逸話もある「SM分離」に伴い、従来の
川崎停車の代替として、品鶴線に設置された新川崎駅については、中心市街から離れ、
他線接続も無い事から、京浜東北線で川崎から一駅目の鶴見に代替停車させるという
発想は無かったのかと、長らく感じていました。

かつて東急大井町線沿線に潜伏した身としては、後年、設置された西大井駅にしても、
大井町線下神明駅に隣接する、旧蛇窪信号所に設置されればなぁ、と感じたものです。
武蔵小杉が総合乗換駅として整備された事情もある為、東京を引き払って久しい輩が
あれこれ意見する様な事でもないのですが。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年11月10日(木)17時56分55秒
タイトル 多謝返礼
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 竹中@ノーブルジョーカー様

 ありがとうございます。「ワキ10000」でありましたね。
「自動車積み込み」のために「酸素式(?)消火器」が設置されたとの話を聞いた記憶がございます。
「バーベーキューカー」然り、「カラオケカー」然り、とにかくアイディアの豊富さは注目に値することが、
「JR北海道」には多いようであります。

 失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年11月10日(木)21時49分38秒
タイトル RE:品鶴線
雑魚さま

分離独立した横須賀線と新幹線の間に、汐留にいたる貨物線はありました。貨物列車の主流が新ルートに
移行したあとも、荷物列車は最後まで品川を経由して汐留に出入りしていましたよ。
現在、新幹線と横須賀線ホームの間にある微妙な敷地がこの貨物線の跡地の一部です。EF58の重連が有名
だった荷35レもこのルートでしたね。

昭和51年5月12日  品川 荷36レ EF58 147
後ろの新幹線は、京急の下をくぐり高架に向かって上っていくところです。

投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月11日(金)11時04分46秒
タイトル 鉄道同士の立体交差
▼竹中様:
> 貨物列車の主流が新ルートに移行したあとも、荷物列車は最後まで品川を経由

重ねて御教示頂き、有難うございます。この経路は汐留駅が1986年に廃止されるまで
機能していたのでしょうか。

> 後ろの新幹線は、京急の下をくぐり高架に向かって上っていくところです。

京急線のアンダー・パスと、それに続く短い隧道は、その先で東海道線や山手線との
分岐状況の視認が煙に巻かれる印象もあり、天下の新幹線で西日本方面に向うという
高揚感を、出発早々に撹乱するニクい奴、という印象が、子供の頃からありました。

後発の山陽・東北・上越・北陸新幹線に比べると、高架区間の程度は比較的小さいと
思われる東海道新幹線ですが、それでも、他線を潜るのは、モノレールの類を除けば、
この京急本線のほか、東急池上線(御嶽山)静岡鉄道(古庄〜県総合運動場)そして
東海道線(金谷〜菊川、三河大塚〜三河三谷)程度と、稀少ですね。

それ以外では、小海線(佐久平)と神戸市営地下鉄(名谷〜総合運動公園)の二例が
想起されますが、前者は、規格が低い小海線を高架化した方が工費が安く済むという
発想に基いた措置だそうです。

鉄道同士の立体交差は「乗り鉄」にとっての重要な演出材料であると同時に、地域の
鉄道網の充実振りを見る、大きな指標かと感じます。現在、交差箇所が無いと思しき
山形、山梨、鳥取、島根、徳島、大分、宮崎の各県(長崎県では長崎線現川〜浦上の
隧道区間の上を、市電が通過しています)に人口分布を斟酌すると、多少の相関性が
窺えますね。実は、我が茨城県でも、日立電鉄が廃止された2005年の春から、TXが
開業した同年夏までの数箇月間は、営業路線に限れば、交差箇所が皆無なのでした。

立体交差の状況に、鉄道会社同士の力関係を感じるのが、掲出した日光の様子ですね。
JRで運用されていた 485系や 253系が、頭上の東武鉄道を往来する様子を見上げる
JR日光駅関係者の胸中や如何に(^^)




投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年11月11日(金)20時17分12秒
タイトル RE2:品鶴線
雑魚さま

>この経路は汐留駅が1986年に廃止されるまで機能していたのでしょうか。

いえいえ、汐留駅が廃止され浜松町で行き止まりとなっても強かに存続しました。最後に定期的にここを
走ったのが、先に話題となった「カートレイン九州」と「カートレイン北海道」なのです。
JR九州が運賃の配分に異義を唱えたこともあり「カートレイン北海道」だけになってしまった最末期には、
新幹線の品川駅建設が始まり出入口部分で寸断されて長い歴史に終止符が打たれることとなりました。
この時の「カートレイン北海道」は、東京貨物ターミナルから南武支線で尻手、連絡線で新鶴見、武蔵野
線を経由して東北本線を北上しました。

ところで、少量とはいえガソリンが残る自動車を積載したワキを上下とも後部に連結したのですが、編成
が逆転してしまう五稜郭でワキが後部になるよう入替えしていたのですね。道内の走行写真を見ていて気
づいた次第です。
投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月12日(土)09時47分25秒
タイトル 新八ッ山橋
▼竹中様:

更なる御教示、有難うございました。てっきり「カートレイン」は東京貨物タ経由と
思い込んでいましたが、考えてみれば、札幌行は、品川から山手貨物線に入らないと、
経路上、著しい不具合がありますね。それ以前に、札幌行の車両積載も、浜松町にて
行っていた事自体、考えが及びませんでした(恥)

画像は、京急本線の北品川駅に近い新八ッ山橋から、大井町の方向を眺めた様子です。
上り「富士ぶさ」が目当てでしたが、毎年春と秋には「こだま色」による、日光への
修学旅行集約臨が、近い時間帯に品川でエンド交換する事から、格好の被写体でした。
カートレインも経由したこの線路、通過列車のバリエーションは、今もピカ一ですね。




投稿者 ED76109
投稿日 2011年11月12日(土)22時19分55秒
タイトル 品鶴貨物線の想い出
おばんでございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様及び竹中@ノーブルジョーカー様

 前述しておりますが、小生の「山」お袋が、昭和25〜42年にかけて「国鉄大井工場の被服部(制服の縫製部門)」に勤務していたこと。
また、親類が「下神明(難読駅です)」から徒歩5分の所に在していたことから、「品鶴貨物線」は懐かしき「鉄」の想い出がございます。
いつものように、「戯言」を少々述べさせてください。


 1 小生、「山手線の外回り」に乗って「品川」を発車しますと、車窓の左側に釘付けになっておりました。
「トカホセと京浜東北線の複々線」が「新幹線と品鶴貨物線の立体交差」で「隠されて」見えなくなると、直ぐに左へカーヴしてしまい、
そのまま「大崎」に向って右へ逃げてしまう「103系」・・・。
「あの、左のカーヴの先はどうなっているのだろう」と幼稚園・小学生の頃は、いつも目を皿にして見つめておりました。
「鉄」親父は、「貨物線だから、さすがに乗れないしなぁ」と苦笑したことを覚えております。

 2 小学生の頃、「鉄」仲間たちと「東京」やら「上野」やらに繰り出すことが多かったのですが、
自転車で30分程度で「EF15」などのチョコレート色の「EL」が撮影できるのに、
「貨物じゃないか」とあまり相手にしてもらえなかったように記憶しております。
しかし、貨物レも贔屓だった小生にしてみれば興味津々。
「町の風景」である「西大井」の辺りや畑も多少見えた「池上」の辺りに、よく繰り出したものです。
貨物レが殆どでしたが、時たま「回送レ」だった「PC」が「EF58」に牽引されたりと、結構印象的な風景もありました。

 3 「西大井」の辺りは、「新幹線」が高架で走っており、「貨物レ」との取り合わせも小生の「鉄」心を擽りました。
しかし、小生の「念願」が叶って、昭和55年に「SM分離」のおかげで初制覇。
「蛇窪信号所」を通過しながら、「ここの奥が『大井工場』か。」と目を凝らしたものであります。
さて現在、「北の大地」に在していると、「新札幌」から「白石」に向っての高架線の風景が「交流線架線柱」とマッチしており、
いにしえの「品鶴貨物線」のように感じられてなりません。

 古くは、「PCはと・つばめ」の「三角線」としての役割も重要であった「品鶴貨物線」。
今は「湘南新宿ライン」として、首都圏の重要通勤線の地位を確立しているようでありますね。

 長々と失礼致しました。
以上、今度の修学旅行では「城東貨物線」を走る「おおさか東線」の制覇を目指す「中年客車鉄ちゃん」でありました。



               
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから