倶楽部メモ(683)
平成23年10月28日〜11月 5日

『日本海』あれこれ ・ モトとレール・カートレイン


投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年10月28日(金)00時34分53秒
タイトル 「マレー鉄道の謎」有栖川有栖
 トラン駅近くのホテルで一泊し、バスで帰宅しました。
この経緯は本掲示板には関係無いジャンルなので、省略します。

 プーの街でバスを降りてから、表題の古本を買いました。少数ながら日本の文庫本も手に入るので。
推理小説で、最初にマレー鉄道で事故が起きる所から始まります。
しかし、その後の展開は鉄道から遠く離れたマレーの高原地帯。題名に偽りあり。
 鉄道の本ではありません。
一般的な推理小説として暇つぶしに読むにはそれなりですが、他の方に推薦するほどでもないような。

 表紙の絵について少しお書きしたいのですが、
自分でスキャンした画像をここに貼っても良いものかどうか分からないので、アマゾンのサイトを。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%
AE%E8%AC%8E-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%89%
E6%A0%96%E5%B7%9D-%E6%9C%89%E6%A0%96/dp/4062750775/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1319728952&sr=8-1


 あと、タグを付けてアマゾンサイトの画像を引っ張って来てみます。


(つづく)

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雑魚さま

 私のタイの自宅は南部で海に近い事もあり、洪水は来ていません。
 北部でタイ国鉄が運休になったようですが、映像でご確認されたように、ディーゼルです。
報道が言葉を間違ったのだと思います。

http://www.newsclip.be/news/20111026_032546.html
タイ国鉄、北部線の一部運行再開

と言うニュースもあり、既に水が通り過ぎた北の一部地域にて、可能な区間のみの運行が再開さているようです。
首都のバンコクへ水が到達するのは、これからです。地下鉄が心配。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年10月28日(金)12時25分25秒
タイトル 十和田観光電鉄が廃止へ
▼ED76 109様:
> 道は バス路線への転換を沿線自治体に提案することが 26日、分かった。

採算性も考慮すると、やはり、そうならざるを得ないのでしょうね。地元高校が来春
閉校予定とは意外でしたが、函館志向の通勤・通学需要は、上磯で大きく一段落して、
木古内までは、あまり及んでいない、という構図かと想像します。

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長野電鉄屋代線に続き、十和田観光電鉄も来年三月末限りの廃止を正式発表しました。
新幹線と交差しながら、接続駅を持たない侭に廃止が取り沙汰される辺り、くりはら
田園鉄道に通じるものを感じます。

元々の敷設動機が、東北線と三本木(十和田市の旧称)延いては、十和田湖畔を結ぶ
発想である事から、路線距離が短く済む三沢起点を採用した節が窺えますが、人口が、
十和田より少ない三沢自体は、鉄道の起点としては、やや心許ない印象が否めません。
新幹線の経路から外れた事にも鑑みれば、一大拠点都市である八戸への直通がやはり
重要だったかと感じます。

例えば、下田から東北線に乗り入れる様な形態なら、六戸町の中心も網羅できますが、
旧国鉄が、東北線の様な主要路線で、ローカル私鉄との直通運転を認めたかどうかは
懐疑的ではありますし、八戸駅自体、中心街(八戸線の本八戸駅界隈)とは馬渕川を
隔てた「微妙な」位置関係にあるのは、少々悩ましいですね。

かつて八戸と五戸を結んでいた南部鉄道は、1968年の十勝沖地震による被災を契機に
廃止されました。今回の廃止決定と、東日本大震災との間には、直接的な因果関係は
無さそうですが、大地震の翌年という符合性に、因縁めいたものを感じます。

画像は、三沢駅に近い古牧温泉での撮影で、上段は宿泊部屋からの俯瞰です。構内で、
電鉄線と国鉄連絡貨物線が錯綜する「トワイライト・ゾ〜ン」状態は「鉄」な方々の
宿泊動機に、少なからず与していた事と存じます。この温泉旅館の創業者が、十和田
観光電鉄ゆかりの方という事もあり、廃止後も旅館構内だけは、モニュメントとして
これらの線路や架線柱を保全して頂きたい処です。




投稿者 青雷鳥
投稿日 2011年10月28日(金)22時08分55秒
タイトル 『日本海』あれこれ
皆様こんばんは。大変ご無沙汰しております。
『日本海』及び宮原所24系25形の話題、私も大変興味があります。
先日の赤まんと様の書き込みの中に思い当たる事がありましたので、自分の過去の乗車記録を調べてみました。
1997.9.7大阪発
4001レ『日本海』1号 EF81 106
(4)オハネ25 76
福井→木古内間乗車。確かこの車両も当時既に銀テープ帯化されていたような気がします。
1999.5.3函館発
4004レ『日本海』4号 牽引機不明
(?)オハネ25 45
大館→福井間乗車。
2000.5.5函館発
4004レ『日本海』4号
牽引機不明
(?)オハネ25 158
秋田→福井間乗車。
2001.4.29函館発
4004レ『日本海』4号 EF81 102
(5)オハネ25 191
大館→福井間乗車。『思い出の583系はつかり』号に乗りに行った帰りでした。
2001.5.4函館発
4004レ『日本海』4号
EF81 48
(2)オハネ25 251!!
秋田→福井間乗車。当時は何も思いませんでしたが、かなりレアな事だったのですね!!。
2002.11.29大阪発
4001レ『日本海』1号
EF81 104
(7)オハネ25 66
福井→青森間乗車。この後『さよならはつかり583系』号に乗車しました。
以上、長文失礼致しました。



投稿者 きむたお
投稿日 2011年10月28日(金)23時51分47秒
タイトル ミハ日本海末期の頃の編成記録
みなさまこんばんは。

青雷鳥様は福井が最寄なのでしょうか?
私は富山が最寄です(でした?)ので「日本海」は「北陸」とともに馴染みの寝台列車です。
今回も富山の妻に電話して記録を引っ張り出しました(^^;)

2006/2/12、4004レ、日本海4号
EF81 45(青森から)
カニ24 104
オロネ25 305
 オハネ25 45
 オハネ25 79
 オハネフ25 136

 ED79 13(函館→青森)
 オハネ25 75
 オハネ25 164
 オハネ25 64
 オハネフ25 40


*オハネ25 75〜オハネフ25 40は青森にて連結。

当日は、念願のオロネ25 300に乗車を果たしました! が、同日は東北地方の大雪のため、青森駅で長時間の抑止となり、
夜明け頃にはまだ秋田県内を走っていました。
一方、富山は快晴、雪の立山連峰が姿を現し、富山市あたりを14時頃に通過した同列車は
常願寺川の橋梁で格好の被写体となりました。
私は事前に富山の友人に知らせることができましたが、多くのカメラマンがこの列車を撮影していました。
私も撮りたかった、という思いもありましたが、何よりオロネ25に20時間近く乗れたことで良い思い出になっています。
もちろん、特急券の払い戻しは受けずに、切符は記念に残しました。

なお、列車は金沢で打ち切りとなり、サンダーバードでの振り替えになったと記憶しています。
また、前日の函館発の同列車も大雪で運転されておらず、私は2/10富山発の4001レで函館に向かったわけですが、
同じ編成で往復したことになります。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年10月29日(土)00時06分12秒
タイトル 「マレー鉄道の謎」の表紙
 前回の画像は、
  img src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/51F34XJ88TL._SS500_.jpg"
の前後にタグである < と > を付与したものです。

 それはさておきこの表紙の絵、上側はマレーシアの国旗。下側は機関車です。
機関車は黄色ですし、明らかにタイのものです。しかし、3色の帯が入っています。
この帯はタイには無く、マレー固有であるような。つまり、現実には存在しない塗装の組み合わせではないのかと。

 もしそうだったとしても、つまり表紙作画者のミスであったとしても、問題ではありません。
微妙な塗装の違いがキーポイントとなる小説/映画もありますが、この本ではそんなことありませんし。
ちょっと感じただけです。
(確かに自分はこの表紙の塗装パターンを見たことはありませんが、万一実在するようであれば、お許しください)

 下の画像、前にも出したものがありますが、上の1枚がタイ、下の2枚がマレーシア。

 今回はここまでです。機会がありましたらまた。




投稿者 青雷鳥
投稿日 2011年10月29日(土)08時50分34秒
タイトル 『日本海』あれこれ(その2)
皆様おはようございます。
>きむたお様
レスどうもです。
もしかしたら、2008年の夏に某掲示板主催で開催された、富山地鉄のイベントでお会いした事があるかもしれません。
仰る通り私は福井駅が最寄り駅で、『日本海』が馴染みのブルトレです。
『北陸』にも乗った事がありますが、『つるぎ』は深夜帯の通過だったので、
自分の部屋から窓を開けて遠くを走り去る姿を見るのがやっとでした。
2000.10.6大阪発
4003レ『日本海』3号
EF81 45
(?)オハネ25 213
福井→秋田間乗車。
実はこの時に羽越線内で、対向列車が事故に遭った影響により下浜駅で20〜30分程抑止した経験があります。
秋田到着目前にして、乗り継ぎがうまくいくかどうかヒヤヒヤでした。
最後に、1ヶ月前に4002レに乗車する機会がありましたので、その時の編成を書かせて頂きます。
2011.9.28青森発
4002レ『日本海』
EF81 107(敦賀から先の牽引機は不明)
(1) オハネフ25 202
(2) オハネ24 20
(3) オハネ25 215
(4) オハネフ24 15
(5) オハネ24 3
(6) オハネ24 7
(9) オハネフ24 19
(10)オロネ24 4(青森→福井間乗車)
カニ24 102
以上、長文失礼致しました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年10月29日(土)21時55分41秒
タイトル 「日本海」の編成記録は、私には貴重です
東京で育ち、現在埼玉で暮らす私には、「日本海」編成記録は非常に貴重なものです。
友人が大阪に居り、仕事の途中に都合がつくと編成記録を送ってくれるのですが、
最近はかなり忙しいようで、先月2日以来、ぱたりと途絶えました。
来月にかけ増結計画が立て続けにあるのですが。
青雷鳥さまが乗車した編成は、ひと月近い間にかなり差し替えが進んだ様子がわかり、興味深いです。
友人が送ってくれた9月2日の編成を参考までに記しておきます。

Lot No.555 9/2 4002レ「日本海」

 EF81 106(17-12金沢総)
オハネフ24 21(22-5秋田総合車セ)
オハネ24 20(21-3秋田総合車セ・白文字)
オハネ25 215(21-9秋田総合車セ・金帯)
オハネフ24 8(21-6秋田総合車セ・白文字)
オハネ24 3(20-6秋田総合車セ・金帯・引戸)
オハネ24 7(20-11秋田総合車セ)
オハネフ25 117(20-11秋田総合車セ・金帯)
オロネ24 4(22-7秋田総合車セ・銀テープ文字)
カニ24 109(20-9秋田総合車セ・金帯)

定時に大阪着とのことでした。

なお、青雷鳥さまの乗車記録の中で、1997年9月7日、オハネ25 76、銀テープ帯の記憶ありとのことでしたが、
件の大阪の友人からの記録を洗ってみました。
9-7鷹取工とあり、オハネフ25 43より2ヶ月早く検査を受けています。
友人は車番と全検表記を記録するだけで手一杯(検査表記まで記録する時点で凄いのですが)で、
一部車両の帯がテープ処理になったことは、後になるまで気づいていませんでした。
今回の青雷鳥さまの情報提供で新たな事実が判り、大変ありがたく思います。

ちなみに私は3年まえに引っ越すまで、目の前が尾久客車区(いまは車両センターですね)という環境で育ちました。
いまも宇都宮線に乗れば35分、車で50分程度で帰れる場所に居り、
「あけぼの」編成記録を押さえにドライブを兼ねて出向くことがしばしばです。
したがって、東西「日本海」と共通運用(実際は結構運用が分かれていますが)の「銀河」「あけぼの」については、
かなり記録を取りためています。
「北陸」はやはりEF64のイメージが強いです。

余談ながら、今日は会社帰りに大宮で「北斗星」編成記録を押さえることができました。



投稿者 青雷鳥
投稿日 2011年10月30日(日)01時01分57秒
タイトル >赤まんと様
ご返事を頂き、大変光栄です。
オハネ25 76に関してですが、<新事実>とまで仰られると、嬉しいようで自分の記憶が確かだったか正直不安です。
写真があれば良かったのですが、この時は電源車込みの13両編成で函館迄運転されており、
函館駅で撮った折り返し4004レの写真でも、残念ながら当該車両は切れてしまっていました。
もし、記憶違いだったらどうか御許し願います。
只、鮮明に覚えているのは、外観がとても綺麗だった事。
それに比べて、青いシートモケットに原型のままの読書灯・洗面所等、
内装が全くと言っていい程手が加えられていなかった事でした。
もう1つ、今年の9/28に乗った時の事ですが、
9号車オハネフ24 19の貫通扉のマークが何と『あけぼの』になっていました。
因みに4号車オハネフ24 15のマークは白幕でした。
以上、長文失礼致しました。



投稿者 コスモス
投稿日 2011年10月30日(日)10時15分29秒
タイトル モトとレール
きむたお 様

青春時代(何時のことだ?)にはトレールバイク愛好者だった私には、なつかしいものでした。
利用したいという思いはありましたが、残念ながら叶わないうちに、
1998年夏(平成元年)で運行は終わってしまいました。
上野発では「MOTOトレイン」という名称で、急行列車「八甲田」にマニ50改造車を増結して、
またバイクライダーはオハネ14に乗車するものでした。
運行開始が1986年(昭和61年)ですので、
青函トンネル開通以前は青森から函館まではマニ50は連絡船で航送されました。
運行当時上野駅でバイクを載せるために、ライダーがバイクを押している様子を見た記憶があります。
当時「八甲田」は地平13番線発でした。
他に短期間ですが、大阪発長野行き「バイクトレインちくま」(急行ちくまに併結)があって、
こちらはマニ44形が使われてそうです。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年10月30日(日)21時00分49秒
タイトル オハネフ24 19について
ここ最近は「日本海」運用に就くことが多いようですが、
一時は「あけぼの」ゴロンとシート指定が続いたり、4号車に組み込まれたりしていました。
最終全検は昨年8月で、まだまだピカピカですね。
銀テープ文字に替えられており、車番表記位置も他のオハネフ24とは違う、知られざる異端車です。
「あけぼの」のサインが出ているのは、たまたま「日本海」に変え忘れているのでしょうが、
中間車だからまあ、良かろう、といったところでしょうか。

コスモスさまが「MOTOトレイン」について触れていますが、
学生時代、私には比較的押さえやすい時間だったため、編成記録が手許にあります。
マニ50含め12両の長編成で、見応え充分でした。ただ当時、青森の14系は結構くたびれてきており、
上野駅に出向くと、検査期限切れが近い車両も多く、退色していました。
1998年8月6日下りはなんと、EF65 1118レインボー機が牽いています。
冬季の臨時「八甲田」はB寝台3両に座席車9両という、これまた堂々たる編成でした。



投稿者 浪速原人
投稿日 2011年11月 1日(火)05時54分23秒
タイトル 雑談
皆様こんばんは
赤まんと様、ここの掲示板あるいは他所の掲示板で
貴殿のご記録に舌を巻き続けている者です
自分は乗り鉄ですし仕事で愛用した「銀河」などで
利用毎に携帯電話へ編成記録しておりましたが
電話やPCが壊れてしまい救出不能で涙を呑んだ情報が多々あります
最近は最終的に紙に書き写して情報を保存するようにしています
さて10月27日(木)21時の記事で
「0番台のように車掌室下あたりで帯をカットした車両」ですが
「オハネフ25 131」が正当ではと存じます



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年11月 1日(火)20時50分15秒
タイトル 失礼しました
浪速原人さま初めまして。
ご指摘いただきありがとうございます。
たしかに、車掌室下で帯をカットしたオハネフ25 100番台、正しくは、オハネフ25 131ですね。
このように、書き込みに対し即座に反応や指摘があるのは、
近年車両そのものへの関心が高まってきている表れであることがわかり、大変嬉しく、心強く感じます。
浪速原人さまは最近、記録を紙に書き写して対応しているとのことですが、
手間がかかっても一番確実な方法であると考えています。
私は2007年5月までは手書きで対応していましたが、パソコンを買ってからは、その便利さに流されてしまいました。
ただし、USBメモリーへの保存も行い、万一に備えています。
安いものでも、プリンターを買い、プリントアウトしてファイルすることも考えてはいるのですが、
元々機械に弱いと勝手に決めつけてかかり、未だに実行していません。
自身で調査した編成記録は現在4939本。友人からの協力分が555本。
合計5494本という膨大なデータ量になり、その管理が喫緊の課題になっているのですが。

最後に。
他所の掲示板もチェックされているとは正直驚きました。
乱文、お恥ずかしい限りですが、多少でもお役に立てるのであれば、望外の喜びです。
育った土地柄、東京口、上野口ブルトレの1996年以降の編成記録は結構取りためています。
もしかしたら、お役に立てることがあるかもしれません。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月 3日(木)11時22分2秒
タイトル カートレイン
▼コスモス様:
>「MOTOトレイン」という名称で、急行列車「八甲田」にマニ50改造車を増結

海峡線の開業後は、青森以遠を臨時「海峡」扱いとする事で、函館に直通する便宜を
図ったそうですが、函館と道央の位置関係、そして当時の高規格道路の事情を思うと、
後発の「カートレイン北海道」よろしく、白石直通でなければ、実効性が今ひとつの
観は否めませんでした。

青函隧道と云えば、アニメ版では確か、総武貨物線(小名木川駅)での描写もあった
漫画「逮捕しちゃうぞ」の作中、違法な公道レースを追尾する主人公の婦警コンビが
ミニパト(ホンダ/トゥデイ)で青函隧道を強行通過する場面がありましたっけ。

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西日本方面では、東京・名古屋〜広島・北九州に「カートレイン」の設定があったと
聞きますが、この内、名古屋発着便に充てられた「ユーロ・ライナー」は、飽くまで
ジョイフル・トレインであり、寝台車ではない為、仕様上の不具合もあるとの記事を
何処かで一瞥した記憶があります。

掲出画像は、田町から東京に向う「富士/はやぶさ」回送便を、浜松町の「世界貿易
センタービル」から俯瞰した様子です。右側上方に、かつて築地市場や汐留操車場を
起点としていた貨物線の、撮影当時の終端部(現在は更に淘汰?)が一瞥できますが、
新幹線と東京モノレールに挟まれた空き地が、当時の「カートレイン」の乗降箇所に
供されていたのでしょうか?

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以下、全くの余談です。先週末、放映の「世界の果てまでイッテQ」で、出川哲朗が
空気砲で射出したマシュマロを、数十m先で、口でダイレクト・キャッチすると云う、
凄いのか、どうでも良いのか、良く判らない、トライアル企画がありました。実験が
行われたのは、タイの何処ぞの村(詳細不詳。洪水に関する言及が全く無かったので、
あるいは南部かも知れません)で、実験協力者を募集すべく、同行の女の子が、車で
移動しながら、拡声器にて協力参加を呼び掛ける場面があり、その時に一瞬、線路を
横切っていました。

かなり草生した雰囲気で、日本なら間違いなく廃線跡の趣ですが、XD1様が今まで
掲出された画像の傾向から考えれば、現役路線だとしても不思議は無く、番組内容は
そっちのけで、あれこれ気になったのでした。




投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年11月 5日(土)09時17分4秒
雑魚さま

>新幹線と東京モノレールに挟まれた空き地が、当時の「カートレイン」の乗降箇所に
>供されていたのでしょうか?

そうですね。浜松町駅前の道路から新橋方は売却されましたが、品川方は残されて一時
カートレインの発着に使われました。
大江戸線の建設時に新幹線と東海道線の線路が移設され、構内のレールは剥がされてし
まいましたが、それ以外は今もレールが残されています。

平成4年8月12日  カヤ21 20  浜松町駅 8024レ カートレイン九州


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