倶楽部メモ(567)
平成21年12月 3日〜12月 6日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月 3日(木)16時04分3秒
タイトル 網走支庁
▼ED76 109様:
> さすがに「4時前後」では身体がもたないですね…

片道二時間通学の級友は、部活絡みで「05時発、23時着」を永らく実践していました。
勤務先の合弁相手である「ナントカ公司」に出向していた関係上、時々「軟座車」で
轍音を子守唄に、居眠りする機会があったそうです(^^)

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私は80年代、初渡道の際、既述の「キハ40単行」による急行「大雪 1号」で移動した
遠軽にて一泊しています。ホエ7030様が掲出された、山を背に機関区を擁する独特の
雰囲気には、私も多々印象を深めた記憶があります。

件の急行が、遠軽から普通列車扱いで名寄線を興部まで直通する仕様だった事もあり、
遠軽のスイッチ・バックは、石北線の導線が、先ず湧別・紋別への到達ありき、との
発想の産物かと、当時は勘違いしていましたが、そもそも、道央から北見・網走への
主要導線が、まず池北線経由、次いで名寄線経由だった歴史的経緯の産物なのですね。

池北線(網走本線)時代に比べれば改善されたとは云え、名寄経由も相当の迂回路で、
当時、道央から見た北見・網走界隈が「地の果て」と目されたであろう状況は容易に
想像できます。せめて、湧別〜網走は当初から勇網線の経路とすれば良いのに、とも
感じましたが、網走以上に、北見(野付牛)への到達性が重要だった訳ですね。

かかる歴史的な要衝性や、地域随一の人口規模を擁するにもかかわらず(函館発着の
長距離特急「おおとり」にしても、網走を目前にした北見で増解結を行っていました)
自治体人口で半分以下の網走市が支庁所在地である理由が、永らく判らないのですが、
終戦直後、北見を中心とした「北見支庁」案が検討された事があるそうですね。なお、
網走支庁は来年四月「オホーツク総合振興局」に改組される予定との事。

以上「網走」と聞くと「マ○ンガーZ」の作者を連想する雑魚でした(^^)



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月 3日(木)16時49分6秒
タイトル きたぐに
▼赤まんと様:
> 本命の営業運転は、予想に違わず、凄まじい人出で、

迂闊にも、赤まんと様の投稿を拝見するまで、当該運転それ自体、存じませんでした。
大阪駅では、殊更に酷い混乱だった様で、改めて、一部「マニア」のマナーの悪さが
弩顰蹙を買っていた様です。その一方、まだ「日本海」が健在ながら、かくも人気を
博すものかと、感慨を覚えますね。

この「つるぎ」廃止が決定した時、補完的存在である「きたぐに」との関係において、
ブルトレよりも「ネザ」混合便の存続を優先するものかと、意外に思った次第ですが、
結局「きたぐに」存続は、畿内対新潟に加えて、上越新幹線を介した首都圏対北陸の
深夜・早朝需要も輻輳しているがゆえの産物かも知れませんね。

ならば、米原経由も同様の措置を意識したものかと思えば、東海道新幹線のダイヤは
明らかに対応していません。こちらは、畿内から湖東・湖北地方への最終列車という
近距離需要を考慮した為と見受けられます。

高速運転の電車が高頻度で雁行する京阪神地区の東海道線で、ダイヤ干渉をなるべく
抑える為に、延命工事を施された老雄 583系が、駆動部位の唸りも高らかに疾駆する
様子には、感慨を覚えますが、新車を投入しないのは、北陸新幹線が金沢に到達する
2014年より以降の動向が不透明である為だそうです。だとするなら、同様に北陸線を
経由する「日本海」「トワイライト〜」も推して知るべしで、新幹線代替の可能性が
極めて高い「北陸」「能登」の動向と相まって、当面、北陸線から目が離せませんね。

とりあえず、今度の三月改正では、何がどう変わるものやら?



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年12月 3日(木)20時34分39秒
タイトル 丹那トンネル
ED76109先生
EF55が丹那トンネルを出てくる表紙の絵本があったと------
私が丹那トンネルを始めてくぐったのは昭和15年8月の家族で東京見物の時でした。
神戸から1032レ特急「鴎」それに乗車した「増8」号車が後年マイネロフ37(戦後の
マロネフ38)の「ロ」なる珍車だったと知りました(北海道の「イネ廃止」で本州へ
転属して改造された)。
「鴎」に展望車が無い時代に最後部に連結されていたそうですが-----
EF53??だったかが沼津から連結されて、電気機関車牽引列車が初めてで、クラリオン
汽笛の「ポイーン」が珍しく、トンネルでも窓が開けられるので「電気機関車とは良い
物だな」と思いました。
それに沼津で下り線にEF55が入ってきたのを見た時に興奮した遠い記憶があります。

「遠軽」と言えば例のインチキ準急で予想外のスイッチバックに驚いた事がありまし
たが、そう言えば「十和田南」,「会津若松」、以前の「塩尻」もそうでした。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年12月 3日(木)21時18分12秒
タイトル 「鉄」雑感再び・・・
 度々お邪魔しております。「ED76109」でございます。

 ホエ7030様及び雑魚様

 「遠軽」に係る様々なお話ありがとうございます。
 先達の皆様方には釈迦に説法でしょうが、「遠軽」は「石北、常紋、天北」の3峠の要衝として
「9600、D51」が配備されていた「鉄」町であります。
当初は「名寄」からの「名寄本線」の開通を受け、開設されたことから「旭川」からの「石北本線」は
逆方向からの進入経路を取ることとなり、それが現在の「スイッチバック」として残存しているものです。
 さて、「ちほく高原鉄道」の時代に「DCオホーツク」を「帯広、足寄経由」で運転、
「軌道強化」のもとに「札幌・北見4時間運転」を模索したプランがありました。
しかし、「遠軽及び留辺蘂町」が「鉄路存続」を前提とした協議に固執した結果(実際の高速化の経費等を含め)、
この話はいつか立ち消えとなったのでした・・・。
 また、「マロネロ38様」が昭和20年代にお乗りになった「準急石北の前身列車」が、
「遠軽」で「C58」から「D51」に牽引機が変わったと述懐されておられますが、
「C58」は「北見機関区所属」でありましたことを付記させていただきます。

 マロネロ38様

 「鴎」の想ひ出話ありがとうございます。
  旧客列車で「丹那隧道」を通過したお話は、小生が強い憧憬を感じるものであります。
「鉄親父」も「件の集金出張」で何度と無く「通過」した話を聞かされ、
いつも「腕時計」を眺めながら「何分で通過するか」夢中になったものであります。
 「笹子隧道」、「清水隧道」と併せて「関東中年鉄」には、これらの「3隧道」には思い入れがございます。
いつかまたご披露させていただきます。

 長々と失礼致します。
以上、オホーツクブルーの寒空の下に広がる「遠軽」の想い出が懐かしい「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月 4日(金)17時05分56秒
タイトル 善知鳥峠
マロネロ38様が言及された十和田南・会津若松両駅の仕様は、市街地との位置関係の
産物ですね。ただし前者は、毛馬内地区の市街とは大湯川を隔て、少し離れています。
引上線が比較的長目に取ってあるのは、機回しの都合か、あるいは延伸の意図ゆえか、
良く判りませんが、小坂鉄道(廃止)の終着駅とは、平坦地が連続する中、数kmしか
離れておらず、同駅の引上線が、十和田南駅の方向に暫く伸びている事から、両者が
繋がったらな〜などと、感じたものでした。

旧塩尻の場合は、国防の観点上、内陸経由で東海道線を補完する経路として、東京と
名古屋を結ぶという中央線の敷設当時の趣旨から、中央東西線をスルー化する必要が
あったものと考えます。現在の形状に改まったのは1982年で、塩嶺峠のバイパス区間
開通とは、一年ほどズレがあるのですね。

当該バイパス線の開通に伴い、旧線の辰野〜塩尻は、飯田線の運転体系も勘案すると、
信濃川島・小野両駅の乗降客の為だけに存在している印象で、旧客のイベント運転に
供されているものの、今後の動向が気になる区間ではあります。

同区間の魅力は、善知鳥(うとう)峠ですが、信濃川水系に市街を擁する塩尻市域は、
峠を越えて、天竜川水系に属する小野駅の近所に及んでいるのですね。中央分水界の
稜線にあって海鳥「善知鳥」とはこれ如何に、と思えば、浜辺で雛を奪われた親鳥が、
捕獲した漁師を追って「ウトウ、ウトウ」と鳴きながら、遥々この地に及んだという
哀しい伝承があるそうです。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年12月 4日(金)20時01分37秒
タイトル 繋がらなかった線
雑魚様
旧篠山線の終点福住から山陰本線園部まで連絡する計画があったですが----
この間あんまり離れていませんが、結局国鉄バス園篠線になってしまいました。
小坂と十和田南程近くではないみたいですが----

ED76109先生
昨日京都へ雨天でしたが家内の希望で京都国立美術館は行かされました。JR京都駅前
から100系統銀閣寺行バスに乗車したら、半分ぐらいが修学旅行のグループ観光生徒
で清水寺に近い停留所でごっそり降りました。10名ぐらい残って居ましたが多分
銀閣寺行きでしょう。
それから鉄道友の会会報に毎号「旧客優等列車の特定日の編成イラスト」が出ています。
まだ未加入なればまた事務局へ行って求めてください。12月号はDF90の「北上」です
(昭和35年8月6日の下り)



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月 5日(土)13時39分47秒
タイトル 篠山線
▼マロネロ38様:
> 旧篠山線の終点福住から山陰本線園部まで連絡する計画があったですが

改正鉄道敷設法別表78「京都府園部ヨリ兵庫縣篠山附近ニ至ル鐡道」ですね。同法が
制定された1922年当時の状況を考えると、旅客導線や地形的制約はさておき、一先ず
計画線を策定して置こう、という意向が窺える事例が少なくありません。

篠山線の敷設動機は、有事の際に山陽線の代替路を確保するという、軍事的な理由に
拠りますが(経路踏襲の有無は不明ながら、篠山口と中心街を結んでいた篠山鉄道が
湖西線と江若鉄道との関係よろしく、篠山線開業の際 バーターで廃止されています)
途中に天引峠という府県境の難所があり、ここを挟んで、京都府と兵庫県を往来する
旅客需要がどの程度のものかを考えると、未成に終わったのは当然かも知れませんね。
なお、十和田南〜小坂は共に、花輪盆地に属する為、地形的な障害はありません。

1972年の廃止当時の動画映像が「ウィキペディア/篠山線」のリンク先にありますが、
これを見ると、福住駅は延伸開業時の交換駅仕様を想定していた関係か、側線があり、
留置されたトラの傍らで、貨物ホームに積まれた採石らしきを、作業員が手押し車で
運ぶ様子が映っていました。こうした貨物車両は、キハが牽引していた様です。

篠山線の存在意義を、篠山口駅(1999年まで、旧篠山町ではなく、丹南町に所在)と
篠山市街の連絡にあると永らく勘違いしていましたが、園部への延伸を優先するべく
駅用地確保が困難な市街を敬遠した為、篠山駅も市街からは少し離れていたのですね。

余談ながら、篠山線と上記小坂鉄道は、共に沿線に「鳳鳴」を冠する公立老舗高校を
擁しており、両者は姉妹校(旧制中学系なので「兄弟校」と称すべきでしょうか)の
提携関係にあるそうです。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月 5日(土)15時16分15秒
タイトル 帯広経由 「オホーツク」
▼ED76 109様:
>「遠軽」は「石北、常紋、天北」の 3峠の要衝として「9600、D51」が配備

天北峠も含まれるのですか。てっきり名寄の管轄と思っていました。タコ部屋労働の
凄惨な歴史が伴う常紋峠が隔てるのは湧別川と常呂川の水系ですが、石北線の場合は、
更に網走川水系に移る為、緋牛内〜美幌で(常紋峠ほどの峻険さは全くありませんが)
もう「一山」越えていますね。線形に反映される、こうした地形の克服を、地図上で
概観するだけでも、道東への鉄道延伸事業での御苦労振りが良く判り、襟を正します。

名寄駅といえば、かつては樺太西線にも存在したのですね。宗谷線の駅と区別する為、
旧国名よろしく「樺太」を冠していたそうです。

>「ちほく高原鉄道」の時代に「DCオホーツク」を「帯広、足寄経由」で運転、

初耳です。70km近く迂回となる上に、人口で道内第二の旭川を度外視したこの構想は、
余りに斬新ですが、軌道強化してまで「オホーツク」経路変更が取り沙汰されたとは、
帯広あるいは高原鉄道沿線に、何かしら潜在要因が認められたのでしょうか。特急に
接続するダイヤで、帯広〜北見〜網走に快速を設定するなら、現実味もあるのですが。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年12月 5日(土)19時54分14秒
タイトル 「はくつる」の御先祖様ですね
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様
 >DF90の「北上」

  関係資料等の精査の結果を(毎度の「釈迦に説法」ですが・・・)。
 「北上」は昭和27年9月に「上野・青森」の「トホホセ急行」として登場しております。
 その後、同36年10月から一年間「スロフ53」が「上野・仙台」に増結されて、
 増加する乗客の補完に努めていたようであります。
 そして、同38年10月からは「常磐線経由」に改められるとともに、
 同39年10月改正で「東北初の寝台特急はくつる」へと転身した名門急行でございます。
 件のイラストは、どの辺りでありましょうか。
 「越河越え」や「金谷川辺り」等、「トカホセ」は「浜通り」と異なる「風景」が楽しめました・・・。

 長々と失礼致しました。
以上、「先生、金閣寺は金色一色で趣味悪い」と勝手な感想を話した生徒に
唖然呆然の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年12月 5日(土)20時18分44秒
タイトル 「第三セクター」の活性化の試みだったようです
 連投失礼申し上げます。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >軌道強化してまで「オホーツク」経路変更(中略)に、何かしら潜在要因が認められたのでしょうか。

    「ふるさと銀河線」の活性化策としてであります。
 平成5、6年ごろに「ほぼ平坦な路線構造」であることに着目し、
 「沿線活性化(本別及び足寄)」を目的として「池田・北見」間を1時間20分程度で走行することで、
 「札幌・北見」を4時間程度(現在4時間30分)で結ぶ構想が注目を浴び、
 「道新オホーツク版」でも特集記事が組まれたのであります。
 しかし、この構想が実現した折には、「北見・上川」間が将来的に廃止される方向になることを恐れ、
 「遠軽・留辺蘂」等の自治体が「今一つ積極的」でなかったことで、話は「砂上の楼閣」で頓挫。
 結果的には「ちほく高原鉄道」の廃止へと進んでしまうことになったのでありました。
 しかし、現実には沿線人口の減少等を考察すれば、構想自体に無理があったように思われます。

 長々と失礼致しました。以上「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年12月 5日(土)21時00分19秒
タイトル 車両番号ぐらいは許されるでしょう。
ED76109先生
鉄道友の会会報のイラストはCGフル活用みたいですが、大変正確に車両の細部が描かれ
ています。車両番号だけなら著作権侵害にならないでしょうから---
昭和35年8月6日下り203レ「北上」
DF901+スハフ422193+スハ432293+ナハフ1118+ナハ1111++1121+スハネ302101+
302017+スロ432008+オロ612005+スロネ302006(以上ヲク)+スロ5312(ナコ)+
マニ602407(ヲク)

増結は名ナコのスロ5312の事でしょう-借入車ですね。食堂車は36年10月1日改正で連結。
スロネ30は4人部屋が8室の区分室型のCロネですが、寝台幅が600mmで「ロ」にしては
狭い詰め込み。喫煙室もなくプロトタイプのマロネ39がまだ喫煙場所のシートがありました。
(「霧島」に連結されていた)
今の解放型ハネをスロネ30の如き4人区分室にしたら少しはマシになるのですが。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年12月 5日(土)23時54分13秒
タイトル またまた不穏な情報が・・・
先週友人から聞かされたものの、「情報が急すぎる、もしかしたら11年3月の間違いかもしれん」などということでしたが、
どうも現実のようで。
「北陸」2010年3月で廃止とか?
まだ乗ったことがありません。是非乗っておきたいところですが、果たして・・・。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月 6日(日)09時55分1秒
タイトル 「北陸」 「能登」 の異変
▼赤まんと様:
>「北陸」2010年 3月で廃止とか?

この時期に そのテの詮索は早過ぎるのでは………と思うも、一昨日付けの「YOMIURI
ON LINE 関西発」で「能登」引退と「北陸」不定期化の見込が、報じられていました。
額面通りに取れば「北陸」は「辛うじて」残る事になりますね。なお「ウィキ」では
両者とも「三月改正で定期運転終了」とあります。

情報源)http://osaka.yomiuri.co.jp/teppan/tr91204a.htm

14系ハザが残っている内に「はまなす」風の組成で「北陸」「能登」を集約する様な
事にならないだろうかと、呑気に考えていましたが、北陸新幹線の金沢延伸を待たず、
風雲急を告げる印象ですね。

以前にも掲出した気がしますが、画像は直江津駅で後追いした「北陸」「能登」です。
長野出張で、無理矢理「能登」を利用した時の様子ですが(^^)たまたま「北陸」が
遅延した為に撮れました。日が長い初夏ならではの、かかる構図も見納めでしょうか。





 
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