倶楽部メモ(568)
平成21年12月 6日〜12月11日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月 6日(日)13時32分34秒
タイトル きたかみ
▼ED76 109様:
> 同39年10月改正で「東北初の寝台特急はくつる」へと転身した名門急行

私は「北上/きたかみ」と聞くと、仙台〜北上線〜秋田の気動車急行を連想しますね。
今でこそ、広軌化された田沢湖線が対秋田の主要路となっていますが、在来線時代は、
田沢湖線経由より 40km以上短くなる北上線こそが、仙台〜秋田の主要路で「つばさ」
間合の「あおば」も運転された名門路線でした。平成改元直前の正月、同経路を辿る
臨時快速が「エレガンス・アッキー」で設定され、私も試乗する機会がありましたが、
G車の快適性もあり、実に素晴らしい旅でした。

>「ふるさと銀河線」の活性化策としてであります。

限られた需要を、旭川経由と帯広経由で取り合う構図であるなら、高原鉄道の沿線の
人口密度に鑑みても、確かに無理がありますね。況して、途中駅廃止で一駅間距離が
30kmを越えた石北峠の前後は「優等列車の為だけに存在する」と言っても、過言では
ありませんしね。

ちなみに、旭川と帯広、それぞれ以西の特急停車駅を擁する自治体の人口を調べた処、
複線電化区間にもかかわらず、滝川市が四万人台、深川市が二万人台、支庁中心地の
岩見沢市が九万人台と、空知支庁域の人口減に、改めて驚かされます。道内第二位の
主要都市の周辺域にもかかわらず、深川〜旭川の普通列車本数が、かなり少ないのは、
地形上の一大隘路でもある支庁境界・神居古潭の存在ばかりではなさそうですね。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年12月 6日(日)20時33分42秒
タイトル きたかみ2
ED76109様
 「関連資料を精査」とのお話しにケチをつけるようですが、
「北上」は昭和27年9月1日改正で登場した当初から常磐線経由ですよ。
 時刻表復刻版および「新・名列車列伝シリーズ5 東北線の名列車II」に三宅俊彦氏が執筆された記事から確認できます。
列車番号も常磐線列車を表す200番台でした。
 少なくとも戦後、東北本線経由の上野−青森間優等列車は、「青葉」の付属編成が「みちのく」併結で直通したのを除けば、
36−10白紙改正で登場した急行「八甲田」まで待たねばなりません。
その時には常磐線経由の青森急行が6往復も走っていて、その補完的な位置づけだったのでしょう。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2009年12月 6日(日)23時14分42秒
タイトル 篠山線の記憶
>雑魚様 >マロネロ38様

 ご無沙汰いたしてります。

 先週、「篠山線」についての話題がでておりましたので、投稿させて
いただきました。
 確か1970年頃、両親に連れられ、秋の「マツタケ狩り」に黒井駅
(春日の局の故郷)に向かう際、子供ながらに気動車=ツートンカラー
のキハ17(その頃・キハ17とキハ20は区別がつかず)が篠山口駅
で切り離し作業をしていたのが鮮明な記憶にあり、当時はまだキハ26
が入線前でした。

 大阪発の気動車列車(一日5本?だった記憶)のうち2本は篠山口で
切り離し、列車番号を変え、時刻表上は篠山口始発として4往復の列車
の設定だった記憶がございます。

 今、振り返れば、ボーイスカウトでも丹波地方は「マツタケ狩り」の
名所で、DF50牽引客車列車にボーイスカウトの少年少女が満員大勢
乗って、収穫のマツタケの大きさの自慢をし合っておったのが、今は、
うそのような光景であります。

 小生の両親の青春時代の昭和30年代までは、中山山地もマツタケ山
で、宝塚は「マツタケ」「たけのこ」は名産物であったそうです。

 山の荒廃がマツタケの生育を阻害しており、最近ではツキノワ熊の出
没が話題になれど、マツタケ発見の報は聞きません。

<旧線時代の生瀬ー武田尾間・キハ26>
<朝の中山寺駅・キハ26・キハ17混合編成>



投稿者 ホエ7030
投稿日 2009年12月 7日(月)12時50分47秒
タイトル 北上の思い出
我が常磐線の急行「北上」は頻繁に見ていた列車で、一定期間はDF90が指定運用されたこともある列車ですが、
衝撃的な思い出があります。
 昭和32年5月17日、一路青森を目指して驀進していた夜汽車203レ「北上」が、
大野〜長塚(現・双葉)間の築堤上で脱線し、C6219(尾)と続く客車4両が転落しました。
 原因は、築堤の途中に架かっている橋梁の下を通ったトラックの積荷があたって橋桁がズレたためと言われています。
 このころ、私は日立〜水戸間を通学していましたが、
偶然にも事故の当日は、水戸発17:30分ころの原ノ町行きの列車に乗って日立で下車し、
数時間後に起きる恐ろしい出来事などは予想するはずも無く、
すぐ後から追って来た「北上」を見送ってから改札を出たのでした。
 翌日には、当該列車後部のマロネ29+スロ51が228レに連結されて回送されるのを目撃しました。
 それから約2カ月後、父が買ってきた「サンデー毎日」の7月21日号(通巻1999号)に、
「高価なる実証」と言うタイトルで、車輌の引き上げ作業に関するグラビア記事が掲載されましたが、
この記事を見て間もなくの7月20日には、放課後に水戸駅の構内が良く見える位置に新しく出来た「てんおんビル」
の屋上に初めて上ってみたところ、機関区に正体不明の車輌のようなものがものが留置されているのを発見し、
初めは「保線用の機械かな」などと思って観察していたところ、どうもあのC62らしいと思われて来たので、
近くに行って見ると、デフやキャブの上部、蒸気溜部分のドームなどが無く、
全体がボコボコで無残な姿になったC6219でした。
 しかしながらその後、皆様ご承知のように、C6219は新製ボイラに載せかえられて見事に復活し、
ふたたび我が常磐線に帰ってきました。
 最後に、この少し後の「北上」の編成記録を一つ。 S32.9.9 203レ

C6221(尾)・スハフ4246・スハフ4255・ナハ10104・ナハ10105・ナハ1063・ナハネ107
・オロ364・スロ5144・マロネ29120・マニ3116(全て東オク)
 *このC6221は、後に東海駅で転覆(S36.12.29・18レ)して廃車。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2009年12月 7日(月)23時42分40秒
タイトル きたかみ3
>>クモイ103様
戦後の上野青森間東北本線経由の急行について調べてみました。
1945年11月に急101・102レが上野青森間に登場しましたが
わずか1カ月で運休となり、4ヶ月後の1946年4月に上野仙台間のみ
復活した急1101・1102レが1946年5月から急101・102レ
として青森まで復活しました。
しかし1946年11月に再び急109・110レと改番のうえ仙台止めとなり
1947年1月に急行列車全廃を迎えます。
東北急行復活の6月以降東北急行は仙台止め、青森行は常磐経由となりました。
終戦直後は本当に不安定な運行状況だったようですね。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年12月 8日(火)07時26分39秒
タイトル きたかみ4
ヒゲ無し雷鳥様
 終戦直後の急行列車全廃までの間には、東北経由のものが存在したのですね。
これは全く不勉強でした。ご教示ありがとうございます。
 よく見れば、「東北線の名列車II」でも急行101・102列車の存在が言及されているのを見落としていました。
三宅氏の記述によれば、この101・102レは石炭不足で
登場1ヶ月後の昭和20年12月から昭和21年2月まで運休したとされています。
そして同年11月に仙台止めの急行109・110列車に短縮されたという点は同じです。
 そういうわけで、ED76109様へのレスには一部誤りがありました。申し訳ありませんm(_ _)m。



投稿者 天津甘栗
投稿日 2009年12月 8日(火)12時53分21秒
タイトル ブルートレイン定検車内整備
はじめまして。
天津甘栗と申します。
みなさまのお話の中に割って入るようで恐縮ですが、質問させていただきたいことがあります。

先日、古本屋にて、鉄道ピクトリアルNo.792 2007年8月号【特集】14・24系寝台客車(U)を購入して読んでいたところ、
気になる記事を見つけました。

車歴表が載っている67ページに ○ブルートレイン定検車内整備 の項目で2002年9月から2003年の3月にかけて、
熊本に配置されている「オハネ25−2,5,6」が小倉工場で整備を受けたようになっているのですが、
車歴を辿ってみたところ、この3両、1両(オハネ25−2)は88年にオロハネ25に改造され、
後の2両も80年の青森転属以降は2003年に廃車されるまで、一貫して青森に配置されており、
九州の小倉工場とは、縁もゆかりもないように思えます。

気になって、当時の鉄道誌などを調べてみたのですが、そのような記事は発見できません。
詳細を知っている方がおられましたら、詳しく教えていただけませんか。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年12月 8日(火)20時58分58秒
タイトル オロネの間違い、ではないかと思われます。
天津甘栗さま初めまして。
ブルトレ編成記録が専門分野の赤まんとと申します。
ご質問の件ですが、ご指摘の通りオハネ25 2は早々に「北斗星」個室のタネ車になっており、
5,6は青森で「はくつる」と運命を共にしました。
熊本に2002〜2003年にかけて在籍した2,5,6は「オロネ」25しか該当しません。
よって、誤植とみるのが妥当と言えそうです。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年12月 8日(火)21時42分15秒
タイトル ご迷惑をかけました
 失礼致します。「ED76109」であります。

 クモイ103 様

 いつも小生のつまらないミスをフォローいただきありがとうございます。
御指摘に慌ててサイト等を再確認したのですが、
文脈を読み返せば「設定当初から常磐線経由」ということが十分に読み取れましたので・・・。失礼致しました。
また、小生の「鉄勉強」になりありがとうございました。

  失礼致します。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 天津甘栗
投稿日 2009年12月 9日(水)14時54分49秒
タイトル ありがとうございます
赤まんと様、「ブルートレイン定検車内整備」の件、ご教示ありがとうございます。

「オハネ」ではなく「オロネ」でしたか。確かにオロネ25ー2,5,6はJR九州の所属でしたね。

私はオロネ25の時代は乗車経験はありませんが、14系に改造編入された後は2,3度ほど(すべて上り列車で)乗車しました。
30年以上も前から使用されていた客車なので、「高くて狭い」と酷評されることの多かった車両で、
初めて乗るときは若干躊躇したのですが、いざ利用してみるとA個室だけあって頭上はB個室ソロに比べると格段に広く、
問題視されることの多かった洗面所兼テーブルも気にならない程度で、約17時間の旅も快適に過ごすことができました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年12月 9日(水)17時24分36秒
タイトル 東北本線経由青森行急行
昭和21年7月のJTB時刻表(原稿ガリ版?)がありますが:
臨時急行1101レ上野9.00‐郡山13.56‐福島14.57‐仙台16.48‐青森21.00*??
臨時急行1102レ青森03.20-仙台13.05‐福島15.10-郡山16.00‐上野21.08

1101レの青森21.00は誤植みたいで尻内20.14ですから青森まで46分では走れません。
多分23.00?ではと-----??

この時刻表ローマ字駅名がついていますが(進駐軍対策)?傑作なのは「長万部」が”
Chomanbe"となっている事です。
進駐軍用ならCTSかRTOが作成した英文の立派な時刻表がありましたが(勿論軍臨の
時刻付き)--------なんと軍臨一本が「舞子」停車で、今の舞子ビラが接収されて
居た時の進駐軍軍人用でしょう。これが行方不明なのが惜しいですが。

ED76109先生
この昭和21年7月時刻表では、函館‐旭川間に急行1-2レ(小樽経由)がありますが,
稚内急行を旭川でぶった切った??のでしょうね?
1レ函館8.00‐札幌15.42‐旭川17.55(札幌14.42か??)
2レ旭川11.50‐札幌15.10-函館21.55(上りも所要時間がおかしい)
(これは西日本中心販ですが,校正無茶苦茶で当時の混乱状況から抜けきって居ない
のが解ります)



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月10日(木)13時54分18秒
タイトル 直江津駅
先述「北陸」「能登」不定期化の端緒と言える北陸新幹線の動向について、新潟県が
上越駅(仮称)全便停車を求め、JRがこれを拒否するなど、話が錯綜気味の様です。

上越新幹線が県都や長岡を網羅する新潟県域にあって、対首都圏の導線のみ見た場合、
上越駅(仮称)の需要圏は柏崎まで及ばないと思われ、人口40万台の富山・金沢への
速達を主務とする新幹線特急が、人口規模で半分程度の上越に総て停車する必然性は、
これ如何に……と感じる一方、負担金を巡る経緯もあり、取扱いが難しい問題ですね。

脇野田あらため上越駅(仮称)にしても、旧国名の合成命名による「上越新幹線」と
無関係なので、誤乗防止対策に一苦労ありそうで(特例市の玄関駅になる訳ですから
自治体名「上越」は何らかの形で冠すると予想します)こうした諸問題の、抜本的な
解決を図る観点から、我が「脳内鉄道路線図」に従い、白馬経由で北アルプスを貫き、
富山平野に短絡する経路を採れば、新潟県の負担問題も回避出来ますね(^^)

妄想はさて置くも、かつては、客車列車の一大拠点にして、夜間は寝台列車の発着が
相次いだ要衝・直江津駅は、普通列車以外は、上越(仮称)〜長岡〜新潟の連絡特急
または快速の途中停車駅でしかなくなる訳で、側線が広がる広大な構内も、再開発で
縮小されるのでしょうか。国内標準軌間では屈指の、高速運転に対応した施設を誇る
北越急行では、肝心の特急が廃止される公算が強く、こちらの動向も気になりますね。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年12月11日(金)00時13分1秒
タイトル 古い話で恐縮です
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様
 >この昭和21年7月時刻表では、函館‐旭川間に急行1-2レ(小樽経由)がありますが,
稚内急行を旭川でぶった切った??のでしょうね

  様々な資料に当たってみましたが・・・。う〜ん、・・・。とりあえず、以下のとおりであります。

  戦前から「稚泊航路」の接続のため、「1・2レ」が「函館・稚内桟橋」に運転されていたことは、
先達の皆様方のご承知の部分でありましょう。
昭和17年11月当時のダイヤですと「1レ 函館13:20〜札幌19:05〜稚内桟橋6:06
 2レ 稚内桟橋18:50〜札幌5:55〜函館11:23」となっております。
この「スジ」に沿ったダイヤでしょうから、「旭川」は「1レ」では「21:30頃(?)」、「2レ」で「3:20頃(?)」。
時間が少々合いません・・・。
 さらに、「昭和48年JTB時刻表6月号」を見ますと、
「122レ(旭川・函館)」が「旭川6:16〜札幌9:51〜函館20:02」、
「121レ(函館・旭川)」が「函館6:06〜札幌15:46〜旭川19:53」で
約14時間弱で運転されていることを考えますと、「う〜ん・・・。」といったところでありましょうか?

長々と失礼致しました。
以上、「札沼線電化計画(平成24年度完成予定)」のニュースを愚娘に話したところ、
「親父、大学をあと2年留年すれってかい。」と呆れられてしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月11日(金)15時02分10秒
タイトル 札沼線
▼ED76 109様:
>「札沼線電化計画 (平成24年度完成予定)」のニュースを愚娘に話したところ、

どうやら、御嬢様は職能において、そちらと同じ道を 歩まれつつある様ですね(^^)
それにしても、運行頻度が大きく一段落する北海道医療大学駅で電化を区切る措置に、
電化の際に七尾線から分離された、のと鉄道の趨勢を感じてしまいます。

電車との総括制御が可能な キハ201系を擁するJR北海道にあって、あえて電化する
辺りに、札幌都市圏の伸張振りが窺えますね(必ずしも、札沼線の導線に馴染まない
石狩市花川地区で、一大住宅街が形成されているのは、少し意外でした)どうせなら、
地下鉄南北線を、北側にもう少し延長して、直通体制とすれば………と妄想した処で、
軌道仕様の大きな違いを失念していた事に気付いた、間抜けな雑魚でした(^^)

1935年に一旦全通しつつも、1943〜1956年は、戦時中の鉄材供出の為に部分休止され、
完全復活後、僅か16年で部分廃止と、激動の昭和史を反映したかの様な経緯を思えば、
部分電化後「先細り」がより顕在化しても「札沼線」の名は、永らえて欲しいですね。

川向こうに滝川駅を擁する立地にあって、札幌志向の利用動機が、どの程度あるのか
良く判らない新十津川駅は、一面一線構造ですね。という事は、1972年の廃止時点で、
列車は総て気動車化されていたと見るべきでしょうか。函館線ですら、客レが永らく
稼動していた状況を考えると、片上鉄道の吉ヶ原駅や倉吉線の関金駅と同様、機回し
可能な駅まで、客レ便が区間便設定される様な事は無かったかと、ふと思うのでした。

札沼線と言えば、やはり石狩川の橋梁が名物ですが、私の記憶違いで無ければ、最近、
国鉄色に戻した キハ183系が入線した様ですから、同鉄橋では、萌え萌えな「絵」が
見られた事と拝察します。来年予定されている東北新幹線新青森延伸の際、同駅での
新在連絡を徹底する事で、車両運用面に異変は無いだろうかと案じる「はまなす」も、
現行編成が健在な内に、一度、この鉄橋で拝みたいものですね。


 
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