倶楽部メモ(566)
平成21年11月29日〜12月 3日



投稿者 ED76109
投稿日 2009年11月29日(日)23時03分22秒
タイトル 小林桂樹さんですね・・・
 失礼いたします。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >「父ちゃんのポーが聞こえる」

  確か、主役の機関士役を「小林桂樹」さんが、そして白血病(?)で不治の病である娘役を
「吉沢京子」さんが演じていたのではありませんでしょうか。
小学3年生の時に、「映画鑑賞会」で学校の体育館で見た記憶が・・・。
「マロネロ38様」の仰るように、「吉沢」さん演じる少女が息を引き取ると同時に、
「小林」さん運転の「C11」が汽笛を鳴らして通過していったシーンが記憶に残っております。
観賞した後で、感想をクラス全員で発表した時、小生は「あの汽車に乗って、遠くに行きたい。」
と場違いなことを言って、担任の先生に呆れられたのでありました。

 長々と失礼致しました。
以上、「小学3年生」の頃から一端の「鉄」を気取り、
生意気極まりない「ガキ」であった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 のり
投稿日 2009年11月30日(月)09時28分6秒
タイトル ありがとうございます
Yokoyama様、仙コリ様、皆様おはようございます。
Yokoyama様ブログ拝見しました、珍しい画像探していただきありがとうございます。
まさによく撮っていてくださいました、という画像ですね。
思わず模型ででも再現したくなるような衝動にかられます(笑)



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年11月30日(月)14時16分15秒
タイトル 準急時代の「つるぎ」
大阪‐富山間でしたが(大阪‐高岡間準急、高岡‐富山間普通?)夜行なので出張や
親戚訪問に度々スハネ30に乗車しました。
面白い事に運用が503-504レ「立山」のロを外して、スロ50(宮原区の501-502レと共
通)を連結していました。「ハ」(43系)だけが、「昼は鈍足急行,夜は準急」で大阪‐
富山間を廻していたのを知りました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年11月30日(月)16時20分33秒
タイトル 山越え通学
▼ED76 109様:
>「北見市内」から「オホーツク 2号」で通学していた生徒が数名おりました

北見市と遠軽町の人口から思うに、入学後に家族が転居したのでしょうか。その辺の
事情はさて置き、幹線のL特急ならともかく「オホーツク」の運転頻度を考えるなら、
石北線自体の閑散振りに鑑み、例外的に特急券と通学定期の併用を認める様な措置は、
少し考え難く、下宿との比較において高額な交通費を甘受したのでは、とも感じます。

北見と言えば、1980年代後半、北見駅前泊明けで網走に移動する際、14系「大雪」を
使用したのですが、意外に多かった北見乗車組に交じり、学生さんらしきも乗り込み、
特急と違い、急行は比較的、融通が効くのだろうか、などと感じた事を思い出します。

この時は、転換前の池北線で北見入りしたのですが、池田駅の側線群に、ハザばかり
14系が留置されており「まりも」回送にしては場所が不自然と首を捻ったものでした。
旅行仲間の間では「雰囲気が地味」と、評判が今ひとつ芳しからざる池北線でしたが、
かなりの区間で「ハエタタキ」が健在という理由だけで、結構 楽しめましたね(^^)

池北線あらため、ちほく高原鉄道が廃止される直前、十勝支庁域の陸別から、最寄の
街となる網走支庁域の北見まで釧北峠を越え通学する高校生(越境特例枠?)の追跡
レポートをTVで一瞥しました。立木の凍裂で有名な酷寒の分水界を越える通学例に、
畏敬の念すら覚えましたね。鉄道の廃止後は、北見に下宿する見込み、との事でした。

山越えの鉄道といえば、奥羽線板谷峠の場合、板谷駅界隈は、阿武隈川支流の松川の
渓谷に位置しつつも山形県に属するという地勢なので、スイッチ・バックが連続する
50系客車に揺られつつ、米沢の街に通学するという事例は、実在したかと思われます。
それにしても、ED78が、50系僅か二両を牽引する、広軌化直前の陣容に「出力上の
無駄」を感じたのは、私だけでしょうか(^^)

なお、同形式は仙山線でも活躍しましたが、仙台・山形の両都市は、今や、山形道を
10〜20分間隔で続行する山形道のバスにより、双方向の通勤通学圏に収まっています。
急行「仙山」の時代には考えられなかった事ですね。



投稿者 長リハ
投稿日 2009年11月30日(月)22時10分16秒
タイトル 父ちゃんのポーが聞こえる
マロネロ38様
ED76109様

準主役の蒸気機関車目当てにTV放送を見たところ泣けてしまい、
再び放送されたときに今度は泣くまいと構えていてもこらえ切れず、
ビデオが発売になった途端に当時の自分にとっての大枚をはたいてしまった長リハです。
著作権のことがありましょうからあらすじを語るでなく、
おふたりのご記憶違いを直す形での紹介になります失礼をお許しください。

>城端線のC11の機関士の娘が不治の病で、家の近くを走るとき父親が汽笛を鳴らすのを楽しみにしていた

七尾線のC56の機関士(小林桂樹さん)の娘(吉沢京子さん)がハンチントン舞踏病で、
療養所のふもとを走るとき父親が汽笛を鳴らすのを楽しみにしていたのですが、

>娘が臨終の直後に,知らないで通過した父親が汽笛を鳴らす
>少女が息を引き取ると同時に、「小林」さん運転の「C11」が汽笛を鳴らして通過していった

娘さんが臨終のさいに父親は踏切事故で入院中で、
それまで知らんぷりを決め込んでた藤岡琢也さん演じる機関助手が代わりの機関士に汽笛を鳴らさせ、
娘さんはその、父親が鳴らしたのではない汽笛を「父ちゃんのポー」だと思いながら亡くなります。

そして父親の小林桂樹さんは退院して機関士に復帰、いつも汽笛を鳴らした場所へさしかかると、
そうとは知らないと思っていた機関助手の藤岡琢也さんが思いっきり汽笛を鳴らすので顔を見合わせます。
代わりに汽笛を鳴らすシーン、それを本当と思って亡くなるシーン、
そして何よりそれらを父親が知るシーンは耐えられません。

当時のことですから実際に七尾線で撮影が行なわれ、
父親の運転するC56123がダンプカーに衝突していく踏切事故の場面は合成でしたが、
その後実際に踏切事故に遭遇してしまったとのエピソードもあると聞きます。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年11月30日(月)23時30分14秒
タイトル 多謝返礼であります
 しつこくお邪魔して失礼しております。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >下宿との比較において高額な交通費を甘受したのでは

  まさしくその通りです。
北見市内には「北斗(旧野付牛中)」・「柏陽」・「緑陽」の普通科高校が3校ありますが、ほぼ倍率が「1・2〜3倍」程度。
不合格となってしまうと、進学させたいと考える保護者は「遠軽高」まで子弟を通学させていたのです。
逆に「遠軽町」から「北見北斗高校」へ「ラグビーがしたい」との理由で
朝一番の「キハ402連の網走行」に揺られていく生徒たちも居りました。

 >網走支庁域の北見まで釧北峠を越え通学する高校生

  前述のとおり、「陸別町」にも「全日制普通科高校」が不在であることから、特例として通学が認められておりました。
「陸別高校」に「遠軽時代の同僚」がおりますが、
「銀河線廃止後」は「北見・訓子府方面からの生徒は激減してしまった」とのことでした。
地方の交通インフラ廃止の悪しき凡例でありましょう。小生も「小利別・置戸の釧北峠越え」は印象的な風景でありました。

 長リハ様

 初めまして。「ED76109」であります。
小生の「父ちゃんのポーが聞こえる」の記憶違いを正していただき、心からお礼申し上げます。
「C56」でありましたか・・・。
小生の記憶では、「吉沢」さんが息絶えるかいなかという場面で、
「ポー」という汽笛とともに遠景で「SL」が遠ざかる・・・ようなシーンがあったと思っております。
歳を取った涙線が緩い「中年親父」には、「小林」さんと「藤岡」さんが見合わせるシーンでは・・・、
きっと号泣してしまうでしょう。
是非とも、37年ぶりに近くの「レンタルDVD屋」から借りて観賞したくなりました。
小生の「鉄勉強」となったことと併せて、ありがとうございました。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年12月 1日(火)08時42分9秒
タイトル 「大雪」 で通学?
▼ED76 109様:
> 逆に「遠軽町」から「北見北斗高校」へ「ラグビーがしたい」との理由で

同校は、網走支庁域随一の進学校でもありますから(以前、ここの卒業生と飲んだ際、
御互いの出身校が似た様な名物行事を擁しているという事で、妙に盛り上がりました)
スポーツに限らず、広域から有意層を集めている可能性を感じます。

………とは申せ、遠軽の発着時刻を考えると「大雪」や夜行「オホーツク」を通学に
供するのは少々無理だった様ですね(^^)吐く息も白い詰襟やセーラー服の高校生が、
未明の遠軽駅にて、鞄片手に14系に乗り込む様子を想像すると、何やら「鉄道員」に
通じる情景をも感じるのですが。

> 小生も「小利別・置戸の釧北峠越え」は印象的な風景でありました。

閑散路線にあって、特に導線が脆弱となる山越え区間というと、道内では、釧網線の
川湯温泉〜緑も気になりますが、さすがに、この区間での通学導線は皆無でしょうね。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年12月 1日(火)10時50分42秒
タイトル 七尾線でしたか。
「父ちゃんのポーが聞こえる」は城端線とばかり思っていましたが七尾線でしたか。
あれ本当にあった話しを映画化した物だと聞きましたが、実話の方が城端線の機関士
の事だと勘違い?
長リハさん有難う御座いました。



投稿者 黒磯運転所
投稿日 2009年12月 1日(火)17時54分52秒
タイトル おもいでのつるぎ号
割り込み失礼します。
赤まんと様。
つるぎにはまったく縁がありませんが、ヘッドマークは実際に見たかったですね。
客車のテールサインはシールだったそうです。
方向幕が入ってないかったとしても無理ないと思います。
オハネ25−220が変則字体なのは初めて知りました。
青森車はおもしろいですね。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年12月 1日(火)22時07分10秒
タイトル 「つるぎ」テールマークについて
磯運転所様
「おもいでのつるぎ号」テールマークですが、送り込み回送の際は確かにオハネフ24 10はシール対応でした。
しかし営業運転のときは普通のテールマークのように見えました。
カニ24 116は間違いなくオリジナルでしたよ。
カニだけ白帯が惜しかったですが、状態のよい車両ばかりで、臨時列車だからとおざなりなところがなく、清々しく感じました。
オハネ25 220とオハネフ25 129は11月まで「あけぼの」運用に就いていた車です。
オハネ25 148は3年10ヶ月で全検出場を果たしました。
このことからオハネフ24 15やオハネ25 38の全検も間近と思われます。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年12月 2日(水)09時52分55秒
タイトル 沙流軌道→沙流鉄道
ED76109先生
鉄道友の会の会報12月号に「沙流鉄道」が出ています。型式図は客車のハ2(苫小牧
軽便のハ2→鉄道省ヶホハ430),貨車ヶワフ1,ケチ31が掲載されています。蒸気機関
車は出て居ません。木材運搬が主流のSemi-common carrier的鉄道だったので,圧倒的
にチ→ムが多いですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年12月 2日(水)21時12分6秒
タイトル 北の大地から「鉄」雑感
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >未明の遠軽駅にて、鞄片手に14系に乗り込む様子

  さすがに「4時前後」では身体がもたないですね・・・。
 小生も所用等で、「4時過ぎのオホーツクのロザ」で未明の「遠軽」に帰町、その日の授業をしたことがありますが、
 30代前半だったから出来たのでしょうね。
 なお、蛇足ですがオホーツクは「スレンダー美人」が多いので、
 件の光景は映画の1シーンのようになったと小生は思いますが・・・。
 (カーリングのチーム青森の美人プレーヤーは、因みに「常呂町」のご出身です)

 また、前回の投稿に係り「陸別高校」の記述は「置戸高校」の誤りであります。お詫びして訂正いたします。

  マロネロ38様
  >「沙流鉄道」

  「沙流鉄道」は元来、大正13年8月に「沙流軌道」として開通した「ナロー」であります。
 その後、昭和19年8月に「沙流鉄道」に改称されております。現在の国道沿いに鉄路があったようで・・・。
 しかし、平成18年に出張した折に少々注意しておりましたが「線路跡」等は認められませんでした。
 なお、沿線は、以前「マロネロ38様」がご堪能された「ニシパの恋人」の産地であります。

 そういえば、昨日は「丹那隧道開通」の記念日であったのですね。
関係の資料等を眺めたのですが、一番列車は「神戸行の急行列車」であり、
大幅な乗客増が予想されたことから「3両増結の15両編成」だったとのこと。
さらに、「当時のNHKラジオ」も生中継で開通の喜びを伝えたようです・・・。

 長々と失礼いたしました。
以上、「丹那隧道」を通過する列車に乗ることを至上の喜びとしていた幼少時代を思い返す
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 bell
投稿日 2009年12月 3日(木)00時13分35秒
タイトル テールマーク
赤まんと様、ご無沙汰しております。
先週末の大阪駅、大混雑の中での編成チェックお疲れ様でした。
さて、『おもいでのつるぎ号』ですが、オハネフ24は営業運転時は従来と同じテールマークだと思います。
そして、青森への返却回送のときはシールのようでした。
9005レの敦賀での記録です。




投稿者 ホエ7030
投稿日 2009年12月 3日(木)12時10分37秒
タイトル 懐かしい遠軽
皆様、こんにちは。このところ「遠軽」という地名がたびたび出てきましたので、遠い昔の思い出を一つ。
 私は、昭和38年の初渡道の際に一度だけ遠軽を訪れたことがあります。
前日、旭川で多様な形式の写真を撮って一泊し、
翌朝、素晴らしい晴天の中を大雪山系の山並みを眺めながら遠軽を目指しました。
車輌撮影が主目的の旅でしたから、駅前の風景を一回り眺めただけで、町の様子はほとんどわかりませんでしたが、
こじんまりとした、穏やかな町だったような印象を受け、何となく好感を持っていましたので、
その後、テレビその他で遠軽の話題が取り上げられるたびに注目して見て来ました。
 画像は、その時に撮ったものです。山をバックに大きく「遠軽機関区」の名称が掲げられた扇形庫が印象的でした。
 S38.7.12  キハ07210(旭エン)、ナエ17224(旭エン)





 
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