倶楽部メモ(726)
平成25年 4月24日〜 4月28日




投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月24日(水)00時28分2秒
タイトル 旧型客車の尾灯円板について2
少し前にスハネ30生様に旧型客車の尾灯円板についてご教示いただきました。

その後、興味が増して鉄道ピクトリアル誌で調べる内に色々分かりましたので書込みさせていただきます。
旧型客車の尾灯円板が廃止される頃の写真が少ないので他の車両も追加しました。

(撮影年月)(車両形式)(列車名) (円板色) (円板の折畳方向) (掲載号年月)
1961.1.8  カニ21 特急あさかぜ  赤    折畳無・折畳無  835号(2010.7)P48
1961.7.16  キハ58  準急房総    赤    折畳無・折畳無  132号(1962.6)表紙
1961.9.1  マニ32 松山駅構内   赤      下・下    アーカイブス10(2006.3)
1962.3.10  キハ28 準急羽越   クリーム    下・下    132号(1962.6)P9
1962.4.12  キハ58  準急阿佐   クリーム  折畳無・折畳無  132号(1962.6)P85
1962.4.12  キハ58 準急南風   クリーム    上・下    132号(1962.6)P85
1962.10.1  キハ58 急行ひかり   赤    折畳無・折畳無  478号(1987.4)P65
1964.2.26  オハフ61?蟹田構内   赤    折畳無・下    844号(2011.2)P14
1964.5.9    カニ22 特急さくら   赤      左・左    871号(2013.1)P60
1965.7.18   オハフ61夏臨かもめ1  赤      下・下    702号(2001.6)P28
1965.11.5   キハ27 準急     クリーム    下・下    478号(1987.4)P45
1966.4.10   スハニ32梅小路構内   赤      下・下    748号(2004.7)P57
1966.5.6    キハ28 急行     クリーム    下・下    478号(1987.4)P45
1966.12.30  EF62 中軽井沢構内 ぶどう(車体色)下・下    718号(2002.6)表紙
1967.1.27   マユ32 大宮構内     赤      下・下    777号(2006.7)P50


・準急南風先頭車の折畳方向が左右で異なる理由は分かりません。
・蟹田構内の最後部車両オハフ61?の表示は、『停車場間が1閉塞区間である場合は1個以上表示すれば良い』
 との技術基準の解釈によると思われます。
・特急さくらの折畳方向が上下でなくて、2個ともカニ22に向かって左方向に折畳んであるのは不思議です。
 折畳線が一般的な横方向ではなくて縦になるように取付けてあります。
・詳細を調べていませんが尾灯円板は概ね1966年末には廃止されたようですね。

どなたかフォローいただけませんでしょうか、お願いします。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 4月25日(木)08時30分51秒
タイトル 「ひかり」の尾灯円盤
スポット的になりますが、準急時代のキハ55型の「ひかり」のは上下式でした。昭和33年
8月5日にすれ違った時にスハニ32の窓から撮影しています。
(中津辺り?だったか)



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月25日(木)13時47分20秒
タイトル Re:「ひかり」の尾灯円板
マロネロ38様フォローありがとうございます。

客車は分かりやすいですが、気動車の写真に考えていたよりも最後部車両のものが多くて惑わされました。
私は「気動車写真は先頭車から撮影するのが一般的」と勝手に判断し実行していましたので。
モノクロ写真が多く尾灯の点灯状況が確認しにくいこともありました。

色々考え合わせると気動車の先頭車は『上下式』で、
最後部車は『2個とも折畳無し』か『折畳と上下式の組み合わせ』表示だったようですね。
上下に折り曲げた場合の色は『車体色』を、折畳まない場合は『赤色』を表示していたのですね。

マロネロ38様が昭和33年に撮影された『準急ひかり』は先頭車のため上下表示であり、
ピクトリアル誌478号に掲載されている奈良崎博保氏が昭和37年に撮影された
『急行ひかり』の折畳無しの表示は最後部車だからですね。

ちなみにご存知と思いますが、ピクトリアル誌478号によると『ひかり』は
昭和33年4月25日に博多〜別府間の臨時急行として誕生。
急行料金が準急料金よりも割高のため利用客が低迷し数ヶ月後の8月1日に博多・門司港〜熊本間『準急』に格下げ、
昭和37年に運転区間を見直し『急行』に帰り咲いた列車・・とあります。
マロネロ38様が撮影された『ひかり』は準急に格下げ直後だったようです。



写真は中央西線中津川〜塩尻間の電化開業(昭和48年7月10日)も近いある日、
落合川駅付近で偶然出会った電化開業試験列車です。
DD51+EF64+関係職員がたくさん乗っている無蓋貨車+建築限界測定車の編成です。
初めて撮影できてうれしかったですが、DD51ではなくてD51に牽引して欲しかったですね。




投稿者 在京神鉄ファン
投稿日 2013年 4月26日(金)16時17分30秒
タイトル 下関のEF66の運用
東海道最後のブルトレとなった「富士・はやぶさ」の廃止から4年、「なは・あかつき」の廃止から5年が経ちました。
これらの列車には下関のEF66が充当されましたが、改めて当時の写真を見ると、53号機はもっぱら「富士ぶさ」用。
「なはつき」の運用に入る頻度は極めて低かった印象を受けます。
逆に47号機あたりは「なはつき」に入ることが多かったように思います。
下関のロクロクの中で、実際にどのカマをどの列車に振り分けるかという棲み分けがあったのでしょうか?
事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、お願いいたします。



投稿者 スハネ30生
投稿日 2013年 4月27日(土)12時08分20秒
タイトル 尾灯円板について
尾灯円板は国鉄では1965年以降使用されなくなりましたが、
一部の私鉄では後年まで残っていた例を写真で紹介します。

@東武鉄道の貨車:車掌車ヨ101形式です。東武の場合、円板はいつも開いた状態でした。

1981年東武野田線野田市駅にて:ヨ134


A南海電鉄の気動車:キハ5550形式です。
紀勢本線乗り入れ用でとして国鉄キハ55を両運転台形にしたタイプで、
窓の保護棒、ドア横の手摺り等のパーツが異なります。
尾灯円板は国鉄線内で1965年まで使用されていましたが、
その後も撤去されることなく(折り畳んだ状態で)最後まで残っていました。

1983年紀勢本線新宮駅にて:キハ5551



投稿者 ED76109
投稿日 2013年 4月27日(土)13時54分41秒
タイトル 懐かしき想い出
 失礼いたします。「ED76109」であります。

 久しぶりに自宅に戻って拝見させていただくと、昔「鉄」親父と尋ねた「中央西線のD51」がございましたので、
昭和45年春の想い出を少々・・・。


 1 前日の夜を「銀河51号のハザ」で明かし、早暁の名古屋のフォームに降り立ったのは午前4時すぎ。
  そのまま、「長野行の旧客」が停留されていたフォームへ・・・。
  しかし、まだ「EF64」は連結されておらず、車内は薄暗く暖房もまだ効いていませんでしたね。
  向かい側のフォームには始発らしき「亀山行の旧客」が止められており、同様に薄暗い無人の状況でした。
  最後尾の背ずりが木製の「名ナコのスハフ」にバックを置いて、「鉄」親父と肌寒い車内でただぼーとしていました。


 2 程なく「EF64」が連結されて、スチームの大合唱が始まり車内の白熱灯にも灯が入りました。
  6時前に「名古屋」を出発。古ぼけた「スハフ」が脱線するのではと心配になるほどの轟音を立てながら、
  8時前(?)に「中津川」に到着。
  駅弁を購入した後、最前部で「EL」から「D51」への交換儀式を見学しました。
  「いよいよ、木曽路だな」とつぶやく「鉄」親父のそばで白いスチームを上げていた「D51」が、
  小生の脳裏に今でも残っております。
  「落合川」「坂下」・・・と発車するたびに、「ボー」という汽笛とはっきりと記憶に残る「ハイケンスの響き」。
  雨上がりの山並みに木霊する汽笛に、小生すっかり汽車旅の虜になっておりました。


 3 「D51」が牽引したのは「塩尻」まで。
  逆編成となって小生らが乗っていた最後尾に「DD51」が連結されて、
  小生は少々落胆しながら「長野」へと向かいました。
  しかし、「姨捨」のスイッチバックで待機していると、
  「篠ノ井」から上ってきた「名古屋行の旧客鈍行」が小雪舞う側線に・・・。
  幼心に「鉄」をしっかり意識した想い出であります。


 久しぶりに長々と失礼いたしました。以上、「旧客鈍行の鬼であった中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月27日(土)18時11分54秒
タイトル 尾灯円板について:お礼
スハネ30生様 貴重なご教示ありがとうございます。

@東武の車掌車ヨ134・・・・車掌室が国鉄型ヨの半分くらいで窮屈そうですが、
               手すりがはりめぐされ安全が図られていますね。HO模型で作りたいです。
A南海の気動車キハ5551・・国鉄型と大分違いますね。車体側面に社紋と『南海?』の文字が見えます。
               運転席窓下に『愛称名板?』入れと、助手席側面にタブレットキャッチャー取付痕も見えます。

私はどちらも実車を見たことがなく大変興味深く拝見しました。
東武のヨが国鉄本線を走行したかどうか知りませんが、南海のキハ55は国鉄が尾灯表示しなくなっても
20年近く遅くまで国鉄線上を尾灯表示して運転していたのですか。
規定・規則による全国一斉実施に厳格な国鉄が許可(認可?)していたとは驚きです。
大変参考になります。ありがとうございました。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月27日(土)19時27分26秒
タイトル Re:懐かしき想い出
ED76109様 はじめまして、スハユと申します。


2「EF64」〜について。

私は昭和44年3月に弟と中央西線中津川へ初めてD51撮影に行きました。

多治見9時23分発の下り827列車(名古屋〜松本)を待っている間に、
反対ホームへ上り822列車(木曽福島〜名古屋)をEF6412が暖房車マヌ34を次位に連結して入線してきました。
暖房車との出会いを楽しみにしていた私たちの乗る827列車には暖房車が連結されていなくてがっかりでした。
電気暖房だったのです。

なぜ蒸気暖房列車と電気暖房列車があったのか分かりませんが、
中津川機関区の矩形車庫の外に暖房車が数両留置してありました。
休車か否かは確認できませんでしたが。

私たちがもっぱら利用する高山線客車列車ではC58やDD51の蒸気暖房を使用しており、
てっきりEF64も蒸気暖房を搭載していると思い込んでいました。
電気暖房は初めての体験でしたが、湯気が出ないので暖かく感じませんでした。


写真はその時の反対列車 上り822列車です。




投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 4月27日(土)20時23分27秒
タイトル 尾灯円板 ちょっと補足
スハネ30様、スハユ様、反応が遅くなりましたが尾灯円板についての話題、興味深く拝読しております。
私も「だいたい昭和40年頃まで使用された」程度の知見しか持ち合わせていませんでしたので、
以前の書き込みの昭和40年というスハネ30様のお言葉にはほっと安心しております。

さてスハユ様の書き込みで、

> 東武のヨが国鉄本線を走行したかどうか知りませんが、南海のキハ55は国鉄が尾灯表示しなくなっても
> 20年近く遅くまで国鉄線上を尾灯表示して運転していたのですか。
> 規定・規則による全国一斉実施に厳格な国鉄が許可(認可?)していたとは驚きです。

東武のヨは私も幼少時に実見していますが、おそらく自社線内専用だった様に思います。
それと、国鉄の規程類で装備が定められたものが付いていなければ乗り入れは許可されなかったでしょうけれど、
余計なものがついていても明らかな規程違反や運転上の支障にならない限りお咎めにはならなかったろうと思います。
だいたい車体の付属品で使用しなくなったものがそのまま付けっぱなしになっている事例は、国鉄自身もいろいろやっていますから。
また規則の全国一斉実施に厳格とは言っても、この掲示板で過去に話題になったように塗色規程は違反者続出(!)ですし、
車両称号規程ですら厳密には完全に徹底されたわけではないなど、意外とユルい面もあるのが巨大組織国鉄の面白さかと思います。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 4月27日(土)20時39分31秒
タイトル 【追記】 尾灯円板 ちょっと補足
一つ書き忘れました。
スハユ様の挙げられたピクトリアル誌の掲載写真一覧の最後の行:
1967.1.27   マユ32 大宮構内     赤      下・下    777号(2006.7)P50
ですが、円板が左右とも下に折り畳まれていることから、色はおそらく赤でなく車体色ではないでしょうか。
撮影時期が昭和42年ですから、これを見ても40年頃には使用されなくなったことの状況証拠と言えそうですね。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月27日(土)21時45分7秒
タイトル Re:尾灯円板 ちょっと補足
クモイ103様 スハユです。
フォローありがとうございました。

以前私が勤めた会社では規定類・事務処理要領などで細かく規定され、それに基づく処理を求められました。
そのため細かく規定された国鉄の規定類を見ても『同じだな』と何の疑問も持ちませんでした。

ですが今回のようなユルいケースが多々あったとは!!
15秒単位で列車を、10秒単位で電車を正確に運行していた同じ国鉄とは信じられませんね。

ありがとうございました。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月27日(土)22時27分18秒
タイトル 『追記』尾灯円板ちょっと補足:お礼と訂正
クモイ103様ありがとうございます。

マロネロ38様へ気動車準急『ひかり』の尾灯円板について書き込みしましたように、
小さなモノクロ写真が多く車体色か赤色か判別が難しいです。
客車は特に分かりにくいので、比較的分かりやすい気動車も調べました。

マユ32はご教示のとおり「車体色の可能性が高い」と私も思い、
書き込みでは尾灯表示を最後に確認できた「1966年末」には使用しなくなったのではないか・・としております。
マユ32の項は削除するつもりで忘れました。

ご覧いただいた皆様すみません。



投稿者 ED76109
投稿日 2013年 4月28日(日)07時16分13秒
タイトル 宜しくお願い致します
 再び失礼致します。「ED76109」でございます。


 スハユ様

 初めまして。「ED76109」と申します。
産は「東京」なのですが、縁ありまして今年から「北海道檜山管内の高校」に勤務しております「中年の旧客ファン」
でございます。
「中央本線」は小生にとっては、「常磐線」「山線」「山陰本線」などと同様の「乗り鉄重要線区」であり、
「西イイ」所属の旧客に「ヌ」が増結されて「EF13」に牽引されていた頃から親しんでおりました。
しかし、自由に出かけられるようになった頃は、「西イイ」は閉鎖寸前。
「425レ騒動」を冷めた目で眺めておりました・・・。
「高山線」はDCの独壇場のイメージしかない小生にとってみれば、「スハユ」様のお写真は驚きと憧憬の一言でございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。


 長々と失礼致しました。以上、「やっと冬眠から覚め出した道民球団」に胸躍り始めた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



               
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