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        倶楽部メモ(722)
        
          
            | 平成25年 3月13日〜 4月 8日 |  オハニ30・スハユ30について
 
 
 
 
        
          
            | 投稿者 | スハユ |  
            | 投稿日 | 2013年 3月13日(水)21時08分41秒 |  
            | タイトル | 高山線下り831列車の中川辺退避 |  
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            | こんにちは、スハユと申します。 
 下り831列車とは高山線岐阜を12時33分に発車し、高山へ17時19分到着していた昭和40年頃の普通列車です
 (交通公社時刻表1964.11月号)。
 私は土曜日の午後、高校の帰りに美濃太田(13時41分発)から利用しましたが、この列車は少し変わった列車でした。
 
 1.この列車には、岐阜の問屋さんで色々な商品を仕入れた帰りの業者さん専用と化した、
 古く小型の「オハニ30」を連結していました。クロスシートが少しだけありました。
 
 2.美濃太田駅の次々駅である「中川辺」で、後続の気動車準急に追越しされました。
 機関区もある美濃太田駅でなくて、中川辺で追越す理由が当時は分かりませんでした。
 今考えればいくら美濃太田に4線あっても、その時間は満線だったんでしょうね。
 
 一般的に追越しは、本線以外の退避用に設けた副本線へ先行列車が退避し、後続列車は本線走行し追越すかと思います。
 しかしこの駅は上りと下りの本線のみで副本線はありません。
 そのため下り列車ですが、下り副本線に指定された上り本線へ進入します。
 
 当時の高山線は通票閉塞であり信号機は腕木式で、ガチャンという大きな音ともに作動しました。
 この下り列車は、下り遠方信号機⇒下り場内信号機(主本線と副本線の2本建っていました)のうち
 下り副本線の進行を確認し、上りホームへと進入しました。
 
 停車時間は15分くらいあり、牽引機C58の機関士さん達は、夏はホーム端の木陰に避難したりしていました。
 機関士さん達がC58に戻る頃に、キハ55系編成の705D下り準急「ひだ2号」が軽くタイホンを鳴らして下りホームに
 接近して来ます。
 ホームの通票受器へ古井から持参した通票を返し、授器から次の下麻生までの通票を受取り通過しました。
 通票閉塞のため「ひだ2号」が次駅の下麻生を通過してくれるまで5分ほど831列車は発車できません。
 下り副本線の腕木式出発信号機がガタリと下がるのが待ち遠しい列車でした。
 
 交通公社時刻表1966.4月号を見ると、時刻改正により追越し駅が白川口に又、列車番号が833列車と変っています。
 この列車も利用したのですが、内容は記憶しておりません。
 
 
 以上、昭和40年頃の高山線客車列車についてアレコレ記憶のままに述べさせていただきました。
 管理人様ありがとうございました。
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            | 投稿者 | マロネロ38 |  
            | 投稿日 | 2013年 3月17日(日)09時50分57秒 |  
            | タイトル | オハニ30 |  
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            | オハ二30型は17m車で、定員36名でしたが、トイレだけで洗面所無しでした。台車がTR11, 魚腹台枠。
 高山線では富山−高山間乗車の経験がありますが、夏だったので暑いのとトイレの臭気が
 ------。
 3等荷物合造車では、スハニ35とオハ二36が一番良かったです。
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            | 投稿者 | スハユ |  
            | 投稿日 | 2013年 3月17日(日)22時23分10秒 |  
            | タイトル | Re:オハニ30 |  
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            | マロネロ38様 
 オハニ30型についてありがとうございました。
 
 
 おっしゃるとおりオハニ30は客室内が狭いためトイレが近くにあり、建付けも悪く臭気が気になりました。
 又、業者の方が時々ダンボール箱に入れたヒヨコをたくさん仕入れた時は、列車が停まるとピヨピヨと鳴き声がうるさく
 糞の臭気も強かったかったことを思い出しました。
 
 オハニ30が満席の場合は後ろに連結されたスハユ30に乗りました。
 オハニ30に比べ座席数も多くたいてい座れましたし、車内も明るい車両でした。
 このスハユ30(Wルーフタイプの1番3番4番のどれかと思いますが)の背もたれがオハ61で見慣れた垂直の板では無く、
 アイボリー色の合板が斜めに張ってありました。
 オハ35みたいなクッションはありませんが、優等列車に乗ったような気分がして好きな車両でした。
 
 
 写真は昭和43年10月1日から高山線のオハニ30・オハニ61・スハユ30に変えて投入された
 キユニ17形気動車です。
 それまで連結していた合造客車2両を、この郵便荷物気動車1両に置き換えたのですから大きな効果があったでしょうね。
 
 
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            | 投稿者 | マロネロ38 |  
            | 投稿日 | 2013年 3月19日(火)11時14分53秒 |  
            | タイトル | スハユ30 |  
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            | スハ32、スハニ31のW屋根と同系列ですから、魚腹台枠、TR23台車ですね。 1966年には301,303,304,307が在籍していた様です。
 これもトイレ付きで洗面所無しですが、座席の背摺りは斜めのベニヤ板張りで、色は茶色
 だった筈です。(昭和30年代に入ると車内仕様が客車区別に変化が出てきたので)
 
 1953-55年頃に一両金タカかトヤに居たはずですが-----。、人物の背景に写っていた写真
 が現在行方不明なので。
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            | 投稿者 | スハユ |  
            | 投稿日 | 2013年 3月19日(火)20時09分57秒 |  
            | タイトル | Re:スハユ30 |  
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            | マロネロ38様 
 貴重なお話ありがとうございます。
 
 TR23台車を履いた客車に高山線で乗ったのはオハ35とスハユ30くらいですが、
 オハ61系のTR11に比べて軽快な乗り心地とジョイント音を覚えています。
 
 洗面所が無いとのお話ですが古いオハニ30はともかく、わりあい新しいスハユ30に無かったのは不思議です。
 蒸気機関車けん引客車に長時間乗ると、衣服も顔や手も煤で汚れたと思いますが乗客はどうしたのでしょうか。
 いつも利用するオハ61系には洗面台がしっかりありました。
 
 座席の斜めの背摺は茶色だったのですか。
 私が覚えているアイボリー色(正確にはホワイトに若干ピンクが混じった感じでした)は修繕時に補修したのでしょうか。
 それとも下塗り色が出てきたのでしょうか。不思議です。
 
 補修と言えば更新が済んだばかりのオハ61に乗ったことがありました。
 車体が茶色に輝き、車内は木部に塗られたニスの臭いがプンプンし、座席のクッションがキレイだったのを思いだしました。
 座席の色は当時、緑と青の2色でしたが緑色が好きでした。
 
 時々、下り列車の最前部に連結され高山客貨車区?へ回送される更新修繕を終えたオハ61系を見かけましたが、
 全ての窓に降ろしたブラインドが異様な感じでした。
 名古屋客車区から回送されたのでしょうか。
 
 写真は昭和42年頃の美濃太田へ到着の下り833列車です。ここでDD51は交代します。
 旧型客車の車体の落ち着いた輝き好きです。
 
 
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            | 投稿者 | クモイ103 |  
            | 投稿日 | 2013年 3月31日(日)19時49分6秒 |  
            | タイトル | Re2: スハユ30 |  
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            | 遅レス・横レスで失礼します。 
 スハユ様:
 >  洗面所が無いとのお話ですが古いオハニ30はともかく、わりあい新しいスハユ30に無かったのは不思議です。
 
 スハユ30は確かにオハニ30よりは新しいですが、「わりあい新しい」と言うよりは
 むしろ「オハニ30の次に古い」と言った方が正確でしょう。
 いわゆるスハ32系では、合造車のスハユ30・スハニ31には洗面所が設けられず、
 これはひとつ前の世代のいわゆるオハ31系に属するオハニ30の構造を踏襲したものですね。
 それに対して、次の世代のいわゆるオハ35系に属するスハユ31・スハニ32では、
 この種の合造車で初めて洗面所が設けられます。
 この時点で車内設備の設計思想に進歩があったわけで、
 ご指摘のスハユ30はそれ以前の世代という意味ではオハニ30と同類ということになります。
 
 > いつも利用するオハ61系には洗面台がしっかりありました。
 
 これはいわゆるオハ61系に属する合造車オハニ61などのことを指しているのでしょうか?
 こちらは洗面所がありますね。
 いわゆるオハ61系は戦後派で、昭和ヒトケタのスハユ30などとは約20年の開きがあります。
 こちらの方がずっと新しいですよ。
 なお全室座席車はずっと昔から洗面所付きですから、オハ61系でもオハやオハフはスハユと比較しても意味がありません。
 
 重箱の隅で失礼しました。m(_ _)m
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            | 投稿者 | スハユ |  
            | 投稿日 | 2013年 4月 1日(月)10時12分24秒 |  
            | タイトル | Re2Re1:スハユ30 |  
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            | クモイ103様おはようございます。 
 ご指摘ありがとうございます。
 
 ・スハユ30は「わりあい新しい」よりも「オハニ30の次に古い」が正確でしょう。
 乗車した際の印象を「煤にまみれ暗い客室のオハニ30」に比べ
 「車体がキレイで明るい客室のスハユ30」を感覚的に述べたものです。
 スハユ30は製造開始が12年ほど遅いのでキレイだったかも分かりません。
 言葉足らずですみません。
 おっしゃるとおりスハユ30はオハニ30の次の世代であり新しくはありませんね。
 
 ・洗面所
 トイレがあるのは知っていましたが、洗面所が無いことはマロネロ38様に教えていただき初めて知り驚きました。
 ありがたいです。
 
 
 昭和40年代の高山線列車について知りたくて、知識が無く内容も幼稚ですが投稿させていただきました。
 高校通学の時の記憶をもとにしており、データ的に正確ではありませんのでご指摘とご教授をお願いします。
 今後ともよろしくお願いいたします。
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            | 投稿者 | 仙コリ(管理人) |  
            | 投稿日 | 2013年 4月 3日(水)00時06分17秒 |  
            | タイトル | 客車各形式の製造年度一覧表を追加掲載 |  
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            | 皆様、いつも書き込みありがとうございます。 
 このところ、スハユ30やオハニ30の製造時期が話題の中に出てきていましたので、
 「客車資料館」のなかに、新たに「客車形式別製造年度一覧表」を作成してみました。
 
 まずは先行して、今回話題になっているオハニ30などの座席・郵便・荷物の合造車、
 すなわち ハニ・ハユ・ハユニ といった車両についての一覧表を公開しました。
 
 今回の話題の内容から、形式番号順に製造年度のほかに系列(スハ32系列など)も
 掲載してみましたが、掲載内容について皆様のご意見をいただければ幸いです。
 
 皆様のご意見を集約させていただき、掲載内容が固まりましたら、他の形式についても
 順次作成していきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
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            | 投稿者 | スハユ |  
            | 投稿日 | 2013年 4月 3日(水)20時12分10秒 |  
            | タイトル | Re2Re1訂正:スハユ30 |  
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            | クモイ103様 
 一部思い違いがありました。訂正します。
 
 >スハユ30は製造開始が12年ほど遅いのでキレイだったかも分かりません。
 
 この製造開始がオハニ30に比べ12年ほど遅かったスハユ30は7番だけで、
 他の1・3・4番は2年くらい遅いだけでした。
 記憶が不確かですみません。
 
 >いつも利用するオハ61系には洗面台がありました。
 
 全室座席車はずっと昔から洗面所付きだったのですか。
 昔の客車は洗面所は無いと思っていました。たまたま乗った車両が古すぎる合造車だったから無かったということですか。
 全室座席車と合造車は比較しても無意味とのことですが・・
 私はそんなことも知らないレベルですのでご面倒ですがお願いします。
 
 
 ・この投稿をご覧いただいた皆様、当時の客車配置状況(モア版)です。
 1964.4.1現在の高山本線高山客貨車区(名タヤ)
 
 オハ31・・・・( 2両)315・316
 オハ60・・・・( 7両)73・212・213・215・216・263・264
 オハ61・・・・(17両)62〜64・120〜122・132・161〜169・502
 オハフ61・・・(11両)1〜4・285〜289・567・568
 スハユ30・・・( 4両)1・3・4・7
 オハユ61・・・( 1両)4
 オハユニ61・・( 1両)129
 オハニ30・・・( 5両)7・8・20・33・46
 
 ・写真は1969.5.29高山線で初めて撮影したお召列車です(DD51554(美)+DD51(美))。
 良い場所で待機していましたが、通過直前にお巡りさんの指導で最悪のポジションで撮影することになりました。
 
 
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            | 投稿者 | クモイ103 |  
            | 投稿日 | 2013年 4月 7日(日)15時13分9秒 |  
            | タイトル | 客車各形式の製造年度 |  
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            | 仙コリ(管理人)様 
 早速の企画化ありがとうございます。
 こういうまとめ方の資料は今まで無かった?と思われ、とても分かり易く実用的ですね。
 今回の座席・郵便・荷物合造車だけでも結構なボリュームの表になってしまうのですね。
 他の車種も期待してしまいますが、大変な作業でしょうからご無理をなさらずぼちぼちお願いします。
 
 さてこれらの中に「戦時改造」と「軍用改造」がありますが、
 これらはいずれも特殊な時代背景のもとに登場し、短期間で復元などにより消滅しています。
 そう考えると、高望みですが、各形式の消滅時期もあると良いかな…と思いました。
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            | 投稿者 | クモイ103 |  
            | 投稿日 | 2013年 4月 7日(日)15時21分31秒 |  
            | タイトル | スハユ30 7など |  
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            | スハユ様 
 スハユ30 7〜9はスハニからの改造編入ですね。改造は昭和15年ですが、スハニとしての製造時期は昭和13年でした。
 
 全室座席車では、手元にある資料では少なくとも大正9年製のナハ22000・ナハフ24000に洗面所がついていることが
 確認できます。
 おそらくそれ以前からついていたものと思いますが、確認はしていません。
 
 高山本線に運転されたお召し列車の画像は貴重ですね。お巡りさんの指導で…はありがちです。
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            | 投稿者 | スハユ |  
            | 投稿日 | 2013年 4月 8日(月)07時14分51秒 |  
            | タイトル | Re:スハユ30 7など |  
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            | クモイ103様 
 ありがとうございます。
 
 高山線は岐阜口から「高山線」として大正9年から順次開通、
 富山口からは「飛越線」として昭和2年から順次開通し昭和9年10月25日に全通しました。
 
 スハユ30 1・3・4は昭和5年7月の落製であり、年代的には「高山線」全通前から配置があったかに思われますが
 落成配置が不明で確認できません。
 スハユ30 7は増備でしょうか。
 
 今回教えていただいたナハ22000ですが、それを鋼体化したオハ60の高山客貨車区への落成配置が
 昭和25年2月の212番から始まっており、昭和24年生まれの私にとって兄弟のような懐かしさを覚えました。
 
 各形式の消滅時期について、私も管理人さまへ掲載をお願いしました。
 
 写真は高山線飛水峡信号場付近で撮影した富山行き臨時列車です(昭和46年5月1日)。
 
 
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            | 投稿者 | 仙コリ(管理人) |  
            | 投稿日 | 2013年 4月 8日(月)19時47分2秒 |  
            | タイトル | 客車各形式の製造年度年表を一部訂正 |  
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            | クモイ103様、スハユ様 
 客車各形式の製造年度年表についてご意見ありがとうございます。
 ちょっと変わった切り口が持ち味?なもので…
 
 各形式の消滅時期についてですが、誕生は同時期でも、その後の変遷は各車両さまざまなので
 掲載する事は考えていなかったのですが、確かに同時に掲載したほうが全体像がわかりやすい
 とも思いますので、追加掲載してみました。
 同時に「ハニ」「ハユ」「ハユニ」「ロニ」と別々の表でしたが、「ハニ」「ハユ」「ロニ」
 については、それぞれの間での改造もあるので、一つの表にしてみました。
 
 また、各形式の盛衰の状況については、昭和16年以降だけですが「客車形式別両数変遷」
 を参考にしていただければと思います。
 
 今回の手直しについて、再度皆様からのご意見をいただければ幸いです。
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            | 投稿者 | スハユ |  
            | 投稿日 | 2013年 4月 8日(月)23時47分7秒 |  
            | タイトル | Re:客車各形式の〜一部訂正 |  
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            | 管理人様 
 早速ありがとうございました。
 
 各形式別に落成時期から廃車時期まで一目で年代が分かるようになり、
 初心者の私にとってあちこち資料を探さなくても済み助かります。
 
 膨大なデータをまとめることは大変とは思いますが、全形式の追加を
 お願いできると「目で見る客車の盛衰」として使いやすく分かりやすい
 貴重な資料となると思います。
 急がずボチボチでもお願いできるとうれしいなと勝手に思っています。
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