倶楽部メモ(686)
平成23年11月21日〜11月27日

「日本海」 雑感 ・ 日本海縦貫線の代替性


投稿者 ED76109
投稿日 2011年11月21日(月)23時29分57秒
タイトル 「乗って残そう」ブルトレ再びです
 おばんでございます。「ED76109」であります。


 雑魚様

 >同じ青地に白帯の12系や14系ハザは「ブルトレ」とは呼ばないでしょうね

 残念ながら(?!)、当地の昭和61〜62年ころは「北のブルートレインたち」として、
「国鉄北海道総局」及び「JR北海道」は『宗谷』・『天北』・『利尻』・『ニセコ』・『大雪』・『まりも』を
道内時刻表で紹介しておりました。今ではすべて「鬼籍入り」しております(滂沱)。


マロネロ38様

 >オハ14を電気廻り改造の上、車端を売店室に改造

 ご無沙汰しております。
小生も同様のことを考えておりましたが、修学旅行生の溜まり場になってしまうことを危惧して、
複雑な思いで「反対」しておりました。
以前にも記させていただきましたが、昭和52〜53年頃は「日本海」と「あかつき」は共通運用。
「門ハイ」所属であり、車内のハンガーには「九鉄」のマークが・・・。懐かしき想い出であります。


 ゴロー様

 >トワイライトは札幌発は何十回か乗ってるんですが

 小生、かなりの「強兵」と見ました(驚愕)。
平成11〜15年にかけて、「広島」に本社がある「教科書会社」のアドバイサーを引き受けており、
毎年1〜2回程度「トワイライト」と「山陽新幹線」で「広島」行をしておりました。
帰路は、その日のうちの「はやぶさ・さくら」と「東北新幹線」で「0泊3日」。
懐かしき想い出でありますが、「ゴロー様」には及びません(驚嘆再び)・・・。

 長々と失礼致しました。
以上、「乗って残そうブルートレイン」と叫んではみたものの、
とりあえず先立つ「お足」がない「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月22日(火)09時51分28秒
タイトル 「日本海」 雑感
▼ゴロー様:
> かなりの需要があったにもかかわらず(中略)ほとんど、てこ入れされなかった

関西や東北にて「日本海」を利用し得る立場にあった知人からの話や、航空業界での
マイレージの伸張、そして有効時間帯との整合性(特に、京阪神区間でラッシュ時に
雁行する新快速・快速との並行ダイヤが確保できる速度性)を考えれば、少なくとも
285系 交直流版を投入し、手頃な価格で提供できる程度の事が出来なければ、鉄道に
然したる思入れが無い実務層を含めた、需要の広範な取り込みは、どのみち困難では
ないかというのが、正直な印象です。

物見遊山ならともかく、出張目的の移動であれば、前夜は、ホテル泊で、スタミナを
確保したい、というのは、壮年世代の切実な欲求であり、以前、業界団体で西日本に
研修で赴いた際、幹事として提案したブルトレ利用案は真っ先に「没」でしたしねぇ。

> 本当に函館直通の廃止は失敗だと思います。

青森→函館の移動で「日本海」を待っていた処、ガラガラの状態にて到着した列車が、
青森からの乗客でかなり混雑し、只でさえ、座席車としての融通が効かない構造の為、
急遽、後続の「海峡」に切り替えた事があります。個人的に「日本海」の函館延長は、
特定の繁忙期を除けば「海峡」を補完する位置づけに於いて、運転区間を付け足した
言わば「国鉄型運用」という印象が否めませなん。なお、後続「海峡」はガラガラの
14系ハザと、至極快適でした。

============================================================================

改めて思い起こせば「日本海」は、私が初めて利用した寝台列車でした。学生時代に
乗り潰し目的で何度か東北を訪れていますが、この時はまず「あがの」で磐越西線を
消化した後「いなほ」で、新潟以北の日本海縦貫線を初体験。確か青森行の便なので、
翌日、田沢湖線を消化する手前、本来なら秋田に投宿すべきでしたが、翌朝「日本海
3号」での「昼寝」も重要な目的だった為、あえて 酒田に投宿した経緯がございます。

通路が車端に偏った車両は、東海道・山陽新幹線で食堂車を利用した時以来でしたが、
とにかく、独特の感慨が印象的でしたね。この時は「あがの」が郡山始発だった事や
田沢湖線を 485系「たざわ」で移動した事、盛岡→仙台の東北線移動は、一関を境に
以北が50系、以南が 寝台車改造の715系だった事などを含め、隔世の念も一入ですね。

なお、初めての寝台利用は、翌年に広島→東京で利用した「あさかぜ」です。大学の
仲間と山陰ワイド周遊券で歩き回り、紙屋町(広島市の繁華街)の御好み焼屋さんで
打ち上げた後、学生には高額な寝台を利用する事で「人民の敵」との罵声を浴びつつ、
私用で帰京を急ぐべく、一行と別れたのでした(^^)



投稿者 ゴロー
投稿日 2011年11月22日(火)20時37分23秒
みなさん、結構、日本海を利用されたことがあるようでなんとなく嬉しい限りです。
特に、マロネロ38さんは20系時代から利用されてるとのことですごいですね。
ぼくは最初に乗った時の車両が、確かオハネ251でした。あの時に比べるとびっくりするほど乗客は減りました。
しかし、九州行きの夜行の乗車率がかなり落ちても日本海は満席とまではいかなくても結構な乗りだったように思います。
ぼくは11月、12月以外の月はほぼ毎月乗った経験がありますが、
ビジネスで利用されている人とも同じ寝台になっていろいろお話したこともあります。
航空機が発達したとはいえやはり関西ー東北、北陸ー東北は直通列車が日本海以外になく不便です。
ぼくは鉄道の旅が好きなので郷愁論が入っているかも知れないけど唯一の北行きの定期列車だけに残念でたまりません。
移動手段が昔に比べたら多種多様なので日本海は時代遅れになっているといえばそれまでなのですが…。
トワイライトもいつまで走るのでしょうね。
この間乗った時、内装もリニューアルされていましたが、B寝台の壁あたりは木目の模様のシールというかテープというか
そんなので雑に貼ってごまかしていました。カシオペアみたいなのは検討したりしているのでしょうか?
ED76109さん、かなり強行な広島往復ですね。
日本海と東海道、山陽のブルートレインで往復するなんてなかなかできないですよ。
ぼくは東京からの九州行きは一度も乗ったことないです。
子供の頃からのあこがれだったけど夢はかないませんでした。
ぼくは、北海道の留辺蘂まで年に4,5回、日本海、北斗、オホーツクの乗り継ぎで26時間かけて行ってました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年11月23日(水)21時27分7秒
タイトル 最初で最後になりそうです
知合いに関係者がいるため、「日本海」廃止の話は今月初めに聞かされており、
覚悟していたとはいえ、大きなショックでした。
大阪読売新聞はじめ数社が18日に伝えたうえ、20日の「サンデーモーニング」でも触れられ、
来月末といわれる西日本のプレス発表を待たずに、にわかにざわめいてきました。

さて、東京育ちの私には縁の薄い「日本海」ですが、いつ無くなってもおかしくないと思い、3年前の夏に乗りました。
以下が当日の編成記録です。

No.3774 2008/8/26青森発 4002レ「日本海」

 EF81 106(17-12金沢総)
オハネフ25 129(16-8秋田総合車セ・金帯)
オハネ24 51(18-5秋田総合車セ・銀テープ文字)
オハネ24 44(20-6秋田総合車セ・金帯・引戸)
オハネフ24 8(17-11秋田総合車セ・白文字)
オハネ25 215(17-10秋田総合車セ・金帯・乗車車両)
オハネ25 38(18-1秋田総合車セ・白文字)
オハネフ25 202(17-5秋田総合車セ・金帯)
オロネ24 2(18-12秋田総合車セ・銀テープ文字)
カニ24 511(17-4秋田総合車セ・金帯)

敦賀からはEF81 45(19-6金沢総)が先頭に立ちました。全行程ローズピンク機です。
当日は18:59に青森入線。定員254に対し141人の乗車。55.5%という成績でした。
以前出張で使ったことがあるという友人の話は本当で、
乗り心地はお世辞にも良いといえませんでしたが、大変満足しました。
編成は見事に金帯、白帯マダラに組まれていて、これもある意味珍しいかもしれません。
当日乗ったオハネ25 215は元、品川配置。
国鉄時代は「富士」「はやぶさ」博多「あさかぜ」浜田行き「出雲」に使われ、
国鉄最後のダイヤ改正以後も引き続き博多「あさかぜ」浜田行き「出雲」で長距離列車の勤めを果たした車両です。
「j-train Vol.35」によれば、2009年6月時点で約820万キロを刻んでいます。
皆様ご存知のように、ニューブルートレインといわれた14系、24系も40年という車齢を数えます。
過去、40年に渡り定期長距離列車に使われた客車というのも、あまり例がないのではないかと思います。
加えて本線での高速運転。潮風や豪雪など過酷な気象条件。最前挙げた気の遠くなるような走行距離。
私は編成記録をライフワークにしており、上野や大宮で間近に車両を見る機会が多く、
外板の細かな凹凸や、雨どいの腐食など、写真では一見気づきにくい箇所にも目がいきがちです。
冒頭、廃止を覚悟と書いたのは、「日本海」に限った話ではなく、
「あけぼの」「北斗星」「トワイライトエクスプレス」についても、
車両老朽化がもはや限界にまできていると実際に目で見て感じているからに他なりません。
無論、過去の10系客車も含め客車好きですから、夜行列車が無くなることは残念でなりません。
こんなことを書くとお叱りを受けそうですが、
こんな厳しい条件下、今日も1000キロを超える長距離を1分1秒の狂いもなくやってくる青い車体を見るにつけ、
「40年近く、よく働いたよ」と、もうこれ以上酷使するのもどうなのかと、切なくもなるのです。
近年、海外に無償譲渡されていますが、個人的には「さらにコキ使う気か」と感じています。
私も24系25形と同年に生まれ、だいぶ体力も精神力も落ちましたが、
できうる限り編成記録を取りためていくつもりでいます。
本当は実際に乗るのが一番で、その機会作りにも努めたいところです。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月24日(木)09時30分25秒
タイトル 「日本海」 雑感之弐
▼ED76 109様:
> 昭和61〜62年頃は「北のブルートレインたち」として(中略)道内時刻表で紹介

一部編成が寝台車を連結していた事から、かかる解釈も成立しそうですが、その当時
利用した「ニセコ」は「八甲田」や「津軽」と同様、14系座席車のみの編成でしたね。
上り便の森→大沼が渡島砂原経由で、当時「乗り潰し」にこだわっていた身としては、
都合の良い内容でもありました。

▼赤まんと様:
> 来月末といわれる西日本のプレス発表を待たずに、にわかにざわめいてきました。

このタイミングで、こうした報道が出る辺り「富士/はやぶさ」の時と同様、混乱を
徒に惹起しない様に緩衝期間を設けるという、政治的思惑らしきが窺えますね。

>「40年近く、よく働いたよ」と、もうこれ以上酷使するのもどうなのかと、

私も、その一言に尽きるのではないかと感じます。交通事情が、大きく変化する中で、
永きに及んだ社会的使命を全うしての勇退と、襟を正す処ですね。ところで、読売の
関西版では、臨時便として存続の可能性に言及していますが、JR北海道方式に則り、
例えば 485系が、中間車に寝台車を仕込む事で対応する、と云った方策は、技術的に
アリでしょうか?

廃止の報道を受けて、新大阪〜大阪の淀川橋梁は、三脚組が急激に増えた事でしょう。
かつて、読売ジャイアンツの練習場が、田園調布に近い多摩川河川敷から移転した際、
練習試合等の観覧者を当て込んだ「出店」の去就が報じられた様に記憶していますが、
淀川の河川敷でも、寒冷期を踏まえた温かい飲食物や、デジカメ用SDカード、更に
充電済みバッテリーなどを扱う屋台を出せば、結構、儲かったりして(^^)

その「淀川詣で」も、牽引機が「トワ釜」より「ローピン」の方が、盛況でしょうが、
そもそも「トワ釜」の運用頻度は、どの程度なのでしょうか?

> 近年、海外に無償譲渡されていますが、個人的には「さらにコキ使う気か」

ブルトレの転出先であるタイで、空港閉鎖を伴う政治的混乱や、洪水の報道に接して、
正直、わざわざ七難八苦を求めて海を渡った様で、少し気の毒な感じすらありますが、
後者の問題については複数の知人が間接的に影響を受けつつあり、円楽師匠、もとい
インラック首相の、復興に向けた適切なる采配を祈るばかりです




投稿者 赤まんと
投稿日 2011年11月24日(木)21時55分4秒
タイトル お叱りや非難を受けそうですが
「日本海」廃止が決まり、季節臨格下げとも言われています。
同じ青森受け持ちの「あけぼの」はひとまず存続すること。
天理臨や集約臨など依然、細々と用途があることから、恐らくすぐに大量淘汰はされないように思います。
今年から来年にかけ、平成20〜21年全検車が順次検査期限を迎えます。
ここ10年ほど検査周期を見てきましたが、中でもオロネ24 5は早ければちょうど列車廃止の頃に検査期限を迎えそうですし、
カニ24 102、109、112が来年夏から秋にかけ全検のタイミングに当たります。
112は機関更新車ですから最後まで残りそうですが、検査期限や老朽化の問題から、
「あけぼの」にも重大な決断が下るのではないかと、悲観的な考えが巡ります。
「日本海」は24形と25形の混成のため、日々総定員に若干の上下があるものの、
満席で走ったとしても往復約500人という需要です。
たとえ技術的に可能だとしても、485系に混成させる改造を施すことはしないと思います。
また、夜行列車廃止が伝えられるたびに話題に上る、「尾久の余剰車を充ててはどうか」という策ももはや非現実的で、
車両そのものがほとんど淘汰されましたし、そもそも老朽化が廃止理由に挙がっています。
転用云々という次元の話でもなくなっています。

自らを客車好きと言っておきながら、面白みのないことばかり書き連ねましたが、
好きだからこそ、現実は現実として受け止め、後悔のないよう、
出来得る限り記録や体験を残しておきたいと考えています。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月26日(土)10時16分40秒
タイトル 「日本海」 雑感之参
▼赤まんと様:
> 天理臨や集約臨など依然、細々と用途があることから、

宗教関係では、臨時便用のホームを擁する山陽線の金光に発着する団体便が、今なお
健在の様ですが、客レ運用は無くなり、電車便に一本化された様ですね。

> 検査期限や老朽化の問題から「あけぼの」にも重大な決断が下るのではないか

昨年七月の「東奥日報」紙における報道では「当面の間、存続」という、含みのある
表現であり「日本海」の撤退に伴い、青森車セでの寝台客車の保守整備作業が、益々
非効率的になる事から「あけぼの」去就は徒なる悲観論で片付けられないと感じます。

> たとえ技術的に可能だとしても、485系に混成させる改造を施すことはしない

やはり、上記の「金光臨」にも運用される「きたぐに」用 583系が現実的でしょうか。
もっとも「きたぐに」自体、上り便の東海道線区間において、快速線の高速ダイヤを
確保するべく、電車運用が求められる事情から、車歴に鑑みて、本来なら引退しても
不思議ではない 583系が、延命工事を重ねている様ですね。

その一方で、新幹線が金沢に達する2014年以降、経営分離される北陸線での夜行便が
淘汰される事を見越し「きたぐに」では新型車両の投入を控えている、と見る向きも
あるそうです。これらの事情を勘案するなら「日本海」のスジが、臨時便で残っても、
継続期間は限定的なものに留まるかも知れませんね。

>「尾久の余剰車を充ててはどうか」という策ももはや非現実的で、

上京する度、暇を見ては尾久を訪ねていますが、その度に、寝台車の留置数は確実に
減っている様に見受けられますね。田町の基地機能を受け入れる為の「整理整頓」が
進捗しつつある、という印象を受けます。

> そもそも老朽化が廃止理由に挙がっています。

意地悪な見方かも知れませんが、老朽化に伴い、事故を含む運行上の不具合が一たび
発生すれば、惜別の情緒論は一転、管理不備を問う批判論調が大勢を占めるでしょう。
ダイヤの正確性と併せて、安全性が、日本の鉄道の長らくの売りであるなら、これも
時代の必然ですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年11月27日(日)07時57分35秒
タイトル 暴論は覚悟の上で・・・
 おはようございます。「ED76109」であります。


 先達の皆様方のご見解を承っておりますと、「日本海縦貫夜行レ」の命運は決定されたかの如しであります(嘆息)。
そのような状況を受けまして、今回は「戯言」よりは「小生の希望的暴論(?!)」を述べさせていただきます。

1 「日本海」の廃止決定で、「トワイライトEXP」及び「あけぼの」の命運はほぼ尽きたと、小生は考えております。
ましてや「平成26年度以降」に「北陸本線の経営分離」とあっては、「ECきたぐに」も廃止が確定的となります。
「非現実的な悪あがき」とのお叱りもございますでしょうが、「関西〜長岡・新潟」の夜行便存続の模索案として、
小生は「中央西線・篠ノ井線・信越線経由」の運転を考えました。
事実、既設ルートで「ECしなの」が「大阪・長野」で運転されています。
「松本〜直江津の山岳線区」がネックとなるでありましょうが、「きたぐに」は485系にシフトチェンジを施す。
そして、「トワイライトEXP」は「大阪〜直江津」に「EF64」を充当する。
「トワイライトEXP」の売りである「夕焼け」は「直江津・柿崎」のみとなってしまいますが、
「木曽の山並」を代替の眺め(?!)として、新たな魅力が発掘できないでありましょうか。


2 「JR西日本」は「トワイライトEXP」の価値が下がると反対されるかもしれませんが、
「上りトワイライト」は「青森」での「客扱い」を真剣に検討してはと、小生考えます。
通年停車は無理であっても、例えば「ねぶた祭」や「GW」等の連休時の利用が想定できる時期にであります。
但し、「帰省客」を嫌うのであれば、敢えて「盆暮」の時期は「無停車」でも良いと思います。
「関西・北海道を結ぶクルージングトレイン」としての存在意味は、
小生「鉄道」の「最後の長距離レの存在理由」であると考えております。
しかし、そうなっても、何とか「トワイライトEXP」は残したい!!
「トワイライトEXP」が廃止される時は、小生の「鉄」としての最期(?!)になる時と覚悟しております。


3 既報しておりますように、「五稜郭・木古内」は「第3セクター化」されるのか、「バス転換」されるのか、
混迷を深めるばかりであります。
しかし、「貨物輸送の重要性」から「JR貨物」によって運行が継続される公算が濃厚であります。
小生は「新幹線」が並行する「北陸本線」等でも、同様の状況が推測されます。
であれば、「北斗星」「カシオペア」及び「トワイライトEXP」等(「ECサンライズ」も含め)の
夜行レの運行存続を前提として、「JR貨物」に「必要部門」を開設して、
「夜行レの運行全般の移管」を図っては如何でありましょうか。
車両の老朽化以外で、夜行レ運行の妨げになるのは「JR間の温度差」であります。
その問題点をクリアする意味で、この考えはと小生考えました。

 何とか、「夜行レ」を存続させたいという長々とした「暴論」、失礼致しました。
以上、「鉄道の将来性」は「新幹線」のみという考え方に、
「諦め」の1文字が脳裏を過ぎる「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年11月27日(日)13時15分50秒
タイトル 日本海縦貫線の代替性
▼ED76 109様:
> 事実、既設ルートで「ECしなの」が「大阪・長野」で運転されています。

直通便が残る程に、畿内〜信州の直通需要が根強いかどうか、詳しくは存じませんが、
二、三度ほど、実際に大阪から乗車した感覚では、名古屋からの利用者が殆どでした。
ちなみに「いなほ」の青森直通が廃止された為、新幹線を除く昼行特急で走行距離が
400kmを越える便は、これと「にちりん シーガイア」くらいのものとなりました。

>「松本〜直江津の山岳線区」がネックとなるでありましょうが、

北陸新幹線の全通時には、長野〜直江津も経営分離されるとの事ですから、管轄上の
問題を回避して存続を図るのであれば、結局、東海道線から武蔵野線を経由する様な
形態にならざるを得ないのでは、と感じます。

しかし「きたぐに」は「はくたか」が網羅しない早朝・深夜に、長岡で上越新幹線と
接続する事で、首都圏と北陸各都市を結ぶ導線にも与していますから、畿内〜新潟の
都市間連絡のみで存在意義が保てるか、という疑問が残りますし「トワイライト」を
首都圏まで東進させるなら、そのまま東北線を北上させた方が、徒に、所要時間増を
招来せずに済むかも知れません。

数年前に利用した「あけぼの」が、上越線内の踏切事故で遅延を招来し、単線区間が
マダラに残る羽越・奥羽線での、ダイヤ回復の難しさを目の当たりにした身としては、
尚更、その様に感じます。

ちなみに、新幹線は長野の先、飯山を経由した後、長大隧道で直接、上越に抜ける為、
観光拠点である妙高高原は完全に蚊帳の外となります。にもかかわらず、当該区間が
経営分離されるのは、腑に落ちないのですが、高田平野を除く山越え区間の定期便が、
新幹線接続の性格が強い「妙高」を含め、各駅停車で固められている状況を考えれば、
止むを得ない事かも知れません。

>「トワイライトExp.」の売りである「夕焼け」は「直江津・柿崎」のみ

直江津〜柿崎は、微妙に海岸から離れており、むしろ柿崎〜鯨波ではないでしょうか。
中越沖地震で隧道開口部の土砂が崩壊した青海川駅も、この区間ですね。この辺りは、
高崎・両毛線沿線から「マリン・ブルー」が運転されるほど、人気の海水浴地ですが、
太平洋岸にも、改めて目を向けて頂く為の、大きな一助となる筈だった、北関東道の
全線開通が、大震災発生の直後(一般開放以前から、緊急車両が通行)となったのは、
何とも残念な限りでした。

>「木曽の山並」を代替の眺め(?!)として、

う〜ん、伊那谷(飯田線)ならともかく、木曽谷は深く且つ狭いので、夜明けは遅く、
日暮れは早い地勢事情があり、車窓風景としての融通はあまり効かないと予想します。

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画像は「トワイライト〜」のイメージで、新潟市西蒲区角田浜での眺めです。沖合に
見えるのは勿論「草木靡島」です。




投稿者 ゴロー
投稿日 2011年11月27日(日)14時58分3秒
タイトル 直通列車
みなさん、日本海も入れて夜行列車に思いを寄せられているのがしみじみとわかります。
ゆくゆくは、というかここ数年かで定期の夜行列車、客車列車はほぼ全廃になると思います。
ED76109さんのトワイライトの中央、篠ノ井線経由のお話はぼくも考えただけでわくわくしますが、
やっぱり夢でしょうね。
せめて昔の全国統一された国鉄ならできたかも知れないけどこの経路だとJR東海も入ってきますし。
一日だけのイベント列車でも大変でしょう。

飛行機時代になったとはいえ、この数少なくなった夜行列車を使って北海道まで渡るお客さんもまだまだいるんだから
最低でも現在残っている北斗星、あけぼの、日本海、トワイライトぐらいはJRも赤字覚悟で残してほしいです。
乗りたくても時間がないために乗れない方がたくさんおられるはずです。
現に大阪駅などで新快速や快速の列車待ちしている時にトワイライトがたまたま入線してくると何人かは
「あれで北海道へ行ってみたいな」って言ってるのを何回か聞いたことあります。
これからどんどん高齢化社会になっていけば結構、
札幌まで一本で行けるトワイライトや北斗星は残っていけるような気がするのですが…。



 
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