倶楽部メモ(655)
平成23年 5月17日〜 5月20日



投稿者 コスモス
投稿日 2011年 5月17日(火)21時38分0秒
タイトル 富士急のスハネフ
富士急行の下吉田駅で展示されているスハネフ14形ですが、ネット上で探ったところ
スハネフ14 20だそうです。スハネフ14 20は1972年3月3日に新潟鉄工所で製造され、
初期配置が品川で1984年2月改正で「紀伊」が廃止された際に尾久へ移籍し、「さくら」・「みずほ」
そして「北陸」で活躍した履歴があるそうです。「さくら」・「みずほ」で運用されていたときでも
形式的な配置区は「オク」になっていたのでしょうかね。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年 5月18日(水)00時14分39秒
タイトル RE:富士急のスハネフ
>コスモスさま

14系寝台車の第一陣は昭和47年3月の新幹線岡山開業のダイヤ改正時に落成し品川客車区に配置されています。
使用列車は「さくら」「みずほ」「あさかぜ」でした。その後、「あさかぜ」廃止時に一往復分が「紀伊」・
「いなば」に転じ、「紀伊」廃止時に「いなば」は「出雲」に名称を変更しています。
東海道時代は一貫して南シナ、JR化後に東シナになっています。品川の廃止で尾久の籍になったのは、もう
少し後のことになります。
私の編成記録にもスハネフ14 20がありますのでご笑覧いただければ幸いです。
投稿者のホームページ



投稿者 仙コリ
投稿日 2011年 5月18日(水)22時23分4秒
タイトル 震災後初の鉄活動
昨日から只見線の「SL会津只見10周年号」の試運転がはじまったので、あの大震災後初の
鉄活動として撮影に行ってまいりました。
本日はあえて有名撮影地は避けたのですが、人出は少なく感じまして、私自身も震災後では
初めての休暇&鉄活動で、まだまだそれどころではない方も多いのかとも思われます。
本日の現地の天候は晴天で、それゆえに光線の具合が難しかったのですが、何枚か撮影して
きました。
今週末には「北斗星」「カシオペア」も運転再開との事なので、その様子も撮影できればと
考えております。





投稿者 のり
投稿日 2011年 5月19日(木)10時35分10秒
タイトル 通勤型客車の内装
過去こちらでも何度か話題になっている通勤型客車についてです。
書籍等で内装の写真を見ると、電車と比較してもまぁ遜色ない程度に丁寧な改造をされているのもあるようですが、
背ずりもなければ蹴込み板も無く角材で脚を組んだような恐ろしい車も沢山あったようで…
天下の国鉄がもう少しマトモな改造をしてもよかったんじゃないかとも思うのですが。
あの仕上げで工場や客貨車区の職人魂というかプライドは我慢ならなくなかったのかなと
素人考えで思ったりしてしまいます。
当時の国鉄本社の改造指示はどんなものだったのでしょう?
ラッシュ時のみの運用で長期間使うつもりもないので最低限の改造で良い、て感じだったんですかね?



投稿者 コスモス
投稿日 2011年 5月19日(木)13時08分23秒
タイトル 富士急のスハネフ
竹中@ノーブルジョーカー  様

ご教示いただきありがとうございます。
ご案内いただいたホームページを拝見させていただきました。
昭和50年5月20日の1レさくらの編成記録に、この車両が8号車に充当されていたことを知りました。
品川運転所(客車区から名称変更)はウィキペディアによりますと、平成6年12月にホキを除いて
車両配置がなくなったとのことで、以後は東海道筋のブルートレインも「東オク」になったのでしょうね。
上野ー東京間の回送線が断たれていますので、オクへの回送は山手貨物線経由だったのでしょうか。

P.S.竹中様が客車ファンになった経緯には笑ってしまいました。(失礼)



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 5月19日(木)21時20分27秒
タイトル Re: 通勤型客車の内装
のり様

過去にこちらで話題となった通勤型客車とは、旧形の「ロ」やその格下げ車を改造して
昭和40年から登場したロングシート車オハ41とその仲間を指しているのでしょうか?
これらの車内の様子については、確かにここではあまり話題になっていないと思います。
ただその中に
> 背ずりもなければ蹴込み板も無く角材で脚を組んだような恐ろしい車
が存在したとの話は、寡聞にして存じません。
その写真の掲載された書籍を、ぜひ具体的にご紹介いただきたく、お願いします。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年 5月19日(木)22時10分57秒
タイトル RE2:富士急のスハネフ
>コスモスさま

東京〜上野間の連絡線が途絶えてからは、品川から山手貨物線経由で東大宮、折り返して尾久ですね。
品川の最後は「出雲」の25形、「さくら」「みずほ」の附属編成の14系が担当でしたが、尾久への統合時
には「出雲」だけになってしまいました。

現役時代のスハネフ14 20
昭和51年1月24日  東京駅 6レ「みずほ」


投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 5月19日(木)22時31分5秒
タイトル Re: 通勤型客車の内装2
 失礼申し上げます。しつこい風邪に悩まされていた「ED76109」であります。

 横から失礼申し上げます。
また、小生得意(!?)の当てずっぽうかもしれませんが、
ひょっとすると、「和田岬線のスハ64」のことではないかと思いました。
直接、当該旧客に乗車したわけではないのですが、写真等では短時間乗車のために
一部のみロングシートが設えられている程度の「通勤型車両」と化していたはずであります。
小生が乗り潰したのは「電化直前のキハ35」であり、日が暮れておりましたが片側のみのドアが印象的。
往復とも閑古鳥の鳴く旅路でありました。現在は「ブルーの103系」が地味に活躍しているようでありますが、
噂では周辺の再開発に伴う「平成24年度廃止」とする選択肢があるとの話を聞いております。
事の真偽は如何でございましょうか。

 失礼致しました。以上、明日からの「北斗星」復活に復興の思いも新たな「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 のり
投稿日 2011年 5月19日(木)22時52分18秒
タイトル 通勤型客車の内装
>クモイ103様
車両史編さん会の「国鉄鋼製客車史第4編 オハ35形の一族 下巻」のP218〜P219に掲載されている
オハ41 52、オハ41 204、オハ41 255、オハ41 2110等です。
特にオハ41 52は解説にも「腰掛脚は簡単に木製で製作…」とあるのですが…



投稿者 米芋
投稿日 2011年 5月19日(木)23時15分54秒
タイトル いなばの改称
はじめまして。と言うくらい久々ですが、いきなり横レスすみません。
「紀伊」廃止時に「出雲」に変更とありますが、「紀伊」廃止はS59.2で、
「いなば」はS53.10の出雲市延長時に「出雲」に統合された記憶します。
いかがでしょうか。



投稿者 仙コリ
投稿日 2011年 5月19日(木)23時19分2秒
タイトル Re: 通勤型客車の内装
のり様

> 背ずりもなければ蹴込み板も無く角材で脚を組んだような恐ろしい車
という事ですので、当初はオハ41等の通勤型客車ではなく戦災復旧車のいわゆる70系客車の事か
とも思ったのですが、オハ41の事のようですね。

お示しの資料は持っていないのですが、通勤型客車の車内写真が数点掲載されている鉄道ピクトリアルの
今年の2月号(No844)を見ても恐ろしいかどうかは別として、確かにモケットの背ずりや蹴込み板
がなく、角材で脚を組んだような状況ではありますね。

ただ、ここで一番問題になってくるのが時代背景でして、確かに現代のサービスレベルから考えると
とんでもなく簡易で恐ろしい状態といえなくもないですが、当時存在した60系鋼体化客車などは
背ずりが板張りの車両はたくさんありましたし、学校の椅子などは座面も含めて角材製があたりまえ
という時代でしたので、このような状態が決して恐ろしく簡素な状態とは言えなかったと思います。

もちろん、ご推察の通り「ラッシュ時のみの運用で長期間使うつもりもないので最低限の改造で良い」
という考えで、比較的簡素な改造にとどめたというのはあったかとは思います。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年 5月20日(金)00時13分35秒
タイトル RE:いなばの改称
>米芋さま

ご指摘の通りですね。
「紀伊」・「いなば」のあと「紀伊」・「出雲」の時期がありました。
確認をとらずに記憶違いのまま書いてしまいました。
失礼しました。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 5月20日(金)00時15分12秒
タイトル Re5: 通勤型客車の内装
のり様

「国鉄鋼製客車史第4編 オハ35形の一族 下巻」、確認しました。
大枚はたいて買い込んで、ろくに見てないのがバレバレですね…失礼しました。

確かに背ずり無し、蹴込み板無し、脚は角材という車が存在したのですね。
ただ、最初ののり様の文章を読んであたかも戦災復旧客車のようなのを想像したのですが、
座面はちゃんと種車の布団を再用し、化粧版も当然貼られていて、別に問題のある内装という印象は受けません。
むしろ限られた予算の中でしっかり実用に耐える車両を送り出した工場の努力に感じ入ったところです。

オハ41が誕生した昭和40年代初頭といえば、東海道新幹線への巨額の投資もあって国鉄の財政が赤字に転落した時期です。
一方日本経済は高度成長のまっただ中で輸送量は年々うなぎ登り、
新幹線電車から貨車まであらゆる車種が、作っても作っても足りない時代でした(SLは除く(爆))。
そんな中、時代にそぐわなくなって普通ならスクラップになる旧式の優等車をも無駄にせず、
決して花形でないローカル輸送の改善にまで取り組む精一杯の姿勢が、これらの写真から読みとれませんか?

昔の事象を語るには、仙コリ様も言われる通り、時代背景を踏まえなければ意味のある議論になりません。
この掲示板でも過去にその点で問題のある発言が散見されますが、
少なくとも「当時の状況はどうだったのか?」という問いを発することなく、
そこで最善を尽くした先人の努力をいたずらに非難・揶揄するような態度は、厳に慎みたいものです。

【追伸】ED76109様
「和田岬線のスハ64」→オハ64ですね。



投稿者 ?バンブー
投稿日 2011年 5月20日(金)09時22分47秒
タイトル 尾久移管後の「出雲」の車両
話題に出ている尾久移管後の「出雲」の車両についてですが、尾久移管後も
他の東海道ブルトレ(JR九州車・JR西日本車)と同様に、折り返し整備や
昼間の留置は品川運転所(→H11年以降は田町運転区)だったと記憶して
いますが、尾久車両センターには形式的な配置だけだったのでしょうか?
運用車両は品川・予備車は尾久で組み換え時のみ回送といったような状況
だったのでしょうか?



               
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