倶楽部メモ(654)
平成23年 5月10日〜 5月14日

郵便受けがあった郵便車 ・ 10系急行「銀河・紀伊」の編成


投稿者 ED76109
投稿日 2011年 5月10日(火)22時18分7秒
タイトル レトロな汽車旅
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様を始めとする先達の皆様方

 小生もさすがに「赤帽」氏の世話になったことはありませんし、駅頭でも数度見かけたのみで記憶の中には・・・。
しかし、様々と気になることやら興味あることが。少々、「戯言」させてください。

 1 「山陰本線」や「奥羽本線」など、ローカル幹線の主要駅のフォームには
「洗面台」が幅を利かせていた記憶が、小生にはございます。
「鉄」親父にしてみれば、至極当然なのでしょうが、小生がよく連れられて「乗り鉄」していた折には、
「山手線のフォーム」では見ることができない大きな洗面台がフォームにあること自体が、
不思議に思えてなりませんでした。
昭和46年盛夏の「肥薩越えの混合レ」で到着した「吉松」のフォームで、
「鉄」親父の言うがままに「洗面台」で顔を洗いました。
水が冷たかったのですが、D51の煤煙で汚れた顔には爽やかな冷たさ。
「昔はこんなふうに顔を洗いながら、旅したものさ」の一言を聞きながら、小生一端の旅人を決め込んでいました
(生意気なガキでしたね)。

 2 前述したように、「鉄」親父は全国に集金旅行を重ねる仕事をしておりました。
ですから、集金が完了した段階で「会社」に電報を打って報告していたらしいのですが、
列車の時間等のために、帰京する「上りレ」の車中から電報を打つことが少なくなかったようであります。
その時は、カレチ氏から「依頼紙」を受け取って文面を熟考。
短い文章で安い料金であげることに注意して、カレチ氏に依頼して電報を打ってもらっていたとのことでした。
しかし、その時は必ずカレチ氏が文面を読み上げて確認するのが規則だったようで、
仕事上のものであれば何も気にしなかったようですが、
プライベート(特に「山」お袋あて)の文面は、カレチ氏がにやにやしながら確認することが間々あって、
その度に閉口していたとの話を聞いたことがございます。

 3 小生の鈍行紀行の道すがら、「ハフ」に好んで乗っていたものでしたので、
よく「ニ・ユ」が後ろに「1、2両」連結されていることがありました。
そんな時、駅員氏が配置されていた駅では、殆どと言っても過言ではないほどに、
リヤカー等を傍らにした駅員氏や郵便局員が待機しており、
「小荷物」や「郵便物」をニレチ氏から手交していた記憶がございます。
「荷扱駅」というそうでありますが、「スニ」や「マニ」から降ろした荷物をリヤカーに載せて
駅事務室まで運搬する駅員氏の姿が印象に残っています。
しかし、今では遠い過去のお話となってしまいました・・・。


 長々と失礼致しました。以上、30年以上も昔の「昭和の鉄旅」を憧憬する「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 5月11日(水)10時25分39秒
タイトル 郵便受けがあった郵便車
ユに郵便受けがあって、急ぎの郵便物を駅へ持ち込んでホームで直接投函した事が
度々でした。
専ら社用でしたが、残業しての帰途に大阪駅を横切って私鉄駅に向かう私が何時も
それをやらされて居ました。
大阪→青森間の513レが多かった?、北陸の下請け企業先への急ぎの書類が度々で。
時刻表に郵便車連結列車の表示がありましたので、時々トカホセの
上り夜行急行列車の後部とか---。ついでに編成を見て歩くのが余得?

到着時刻を知らせる電報をカレチから頼信紙をもらって書いて頼んだりも
しましたが、公衆電話がダイヤル制になってからはそれもしなくなりました。

洗面所ではなかったですが、肥薩線大畑駅ホームの大きな水鉢から溢れる山の清水が
冷たくて美味しくて------大畑駅と鉄道ではないが戸隠奥社の水が最高の美味?でした。



投稿者 ど素人
投稿日 2011年 5月11日(水)11時09分12秒
タイトル ハノイ駅直前(2)
きむたお さま、
コメントありがとうございます。
私の初海外は上海でした(22年くらい前)。
で、旧上海駅から杭州を鉄道で往復しました。
行きは、団体だったので、定期列車の最後尾に増結された軟座車に乗車しましたが、
帰りは、中国の人々に混じっての軟座車体験でした。
上海に、朝3:00頃に到着するというスジでしたが、上海駅は喧騒につつまれていて、
おどろいたものです。


拙い写真ですが、昨日の続きです。
3枚目の写真は、撮影した地点からほんの少しハノイ駅に近づいたあたりです。
バイクが走っている道路は、しばらく線路に沿っていて、商店は線路に沿って建って
います(ガードレールの向こう側が線路。




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 5月12日(木)12時02分32秒
タイトル ベトナムの客車列車
 20年くらい前ですけど、乗ったんです。北のハノイから中部のダナン、ダナンで一泊、それからサイゴンへ。
画像は、ハノイ〜ダナン間の切符です。ちゃんとした写真は無いし、かなり記憶もおぼろげですけど。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 5月13日(金)13時35分40秒
タイトル アオザイ 萌え
▼ど素人様:
> 私の初海外は上海でした(22年くらい前)

いわゆる「上海列車事故」が発生した頃ですね。当時の報道映像から、広大な平原を
直進する非電化路線の趣だったと記憶します。事故の直接原因は、単線区間における
交換待ちの不具合でしたが、一連の「きむたお様レポート」を拝見しますと、現在の
状況とは、電化・複線化などの施設面で、大きく異なっているのか、と拝察します。

御掲出のハノイの画像からは「刷新(ドイモイ)政策」以降の経済発展を反映してか、
首都らしい雰囲気も垣間見えますが、以前言及した「統一(トンニャット)鉄道」の
紀行サイトでは、ハノイ駅到着直前に、昔ながらの住宅地の軒先スレスレを通過する
様子も紹介されていました。その一方「ウィキペディア/サイゴン駅」の項(駅名に
関しては旧称「サイゴン」は健在ですね)の画像を見ると、線路の草生し具合と云い、
線路際にある建物の作風と云い「ベトナム、斯くありき」と云う雰囲気ですね。

ベトナムといえば、中国との国境に近い事もあり、デュアル・ゲージ区間が存在する
ハノイ北方の製鉄所専用線で活躍していた、日本製のC12は現在、どうしているやら。

以上、XD1様が 統一鉄道を試乗されたと思しき時期に観た映画「グッドモーニング・
ベトナム」の作中、アオザイ姿で登場したチンタラー・スカパット嬢(御本人は実は
タイの方だとか)に、理性を失いかけた雑魚でした(^^)



投稿者 ど素人
投稿日 2011年 5月13日(金)23時32分28秒
タイトル 上海列車事故
雑魚 さま、

私は事故の少し前に上海に行き、
じつは、事故に遭った高校生たちが宿泊していたホテルにも泊まっていたのです。

↓画像は、ハノイ〜ロンビエン だと思いますが、
ホーチミン方面〜ハノイも「ハノイ駅直前(2)」の3枚目の写真の先は、
同じような雰囲気になると想像されます。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 5月14日(土)11時37分41秒
タイトル 輓曳競馬
▼ど素人様:
> 事故に遭った高校生たちが宿泊していたホテルにも泊まっていたのです。

旧態依然とした鉄道インフラが、改革開放政策に伴う旅客需要増に、全く追い着いて
いなかった当時の状況は、やはり多数の修学旅行生が犠牲となった、1956年の「六軒
事故」をも彷彿とさせ、少なくとも修学旅行先としては、時期尚早だったと感じます。
当時、同校の修学旅行は、東北or中国の選択制だそうで、修学旅行自体が存在しない
学校を卒業した立場としては、東北を訪ねるだけで充分ではないかと、半ば僻みつつ
感じますが、東日本大震災を経た現在となっては、件の選択動機は逆転しそうですね。

なお、札幌の中学校では、当初予定していた東北の修学旅行先で、受入態勢の確保が
覚束ない事から、帯広に唯一残った「輓曳競馬」の見学に切り替える例が、相次いで
いると聞きます。射幸性を伴うイベントが、社会見学の対象になるとは、意外ですが、
果たして、帯広競技場には「トワイライトゾ〜ン・マニュアル 4」で紹介された様な、
橇の回送に供される軌道があったかなと、気になるのでした。

> 画像は、ハノイ〜ロンビエン だと思いますが、

エキゾチック(^^)な画像を、有難うございます。同様の画像が「ウィキペディア/
ベトナムの鉄道」でも見られますね。日本の感覚では、車両限界など、安全性確保の
有無が良く判りませんが、線路自体は国内最大の幹線に相応しい重厚規格で、かかる
ミスマッチが、最近の報道で「エマージング・エコノミー」と評される同国の状況を
象徴している様に感じます。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 5月14日(土)13時17分35秒
タイトル 北斗星・カシオペア運転再開決定!!
 失礼致します。連休中にひいた風邪に今だに苦しんでいる「ED76109」であります。

 いよいよ、「北斗星」及び「カシオペア」の運転再開日が決定致しました。当地発「5月20日」からであります。
約2ヶ月ぶりの運転再開。小生、正直ほっといたしました。
聞くところによれば、最大のネックとなったのは「トホホセに点在する徐行区間」だったとのことであり、
極言してしまえば「やっと運転するに影響しないまでの徐行区間にまで解消できた」ということであります。
ぜひとも、今夏は「北の大地」へ!!

  雑魚様
 >札幌の中学校では、当初予定していた東北の修学旅行先で、受入態勢の確保が覚束ない事から、
帯広に唯一残った「輓曳競馬」の見学に切り替える例が、相次いでいる

 「道東」や「道南」の温泉地が、一発逆転とばかり
「修学旅行生」の受け入れに躍起となっていることが、道新を賑わしております。
しかし、「ばんえい競馬」が見学先になっているとは、初耳であります。
ただ、「ばんえい競馬」は「北海道遺産」としての側面(開拓時の輓馬)がありますので、
単純な「ギャンブル」とは多少異なるものではありましょうか。
小生のような「馬ファン」から言わせていただければ、「競馬」とは別物と考えております。

 長々と失礼致しました。以上、「宝塚記念」に向けて「鉄旅費用」獲得に、
まずは一歩が踏み出せた「JRAフリーク」の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 クハ164-7
投稿日 2011年 5月14日(土)13時25分19秒
タイトル 10系急行 銀河・紀伊 について
はじめまして。 客車初心者ですが、よろしくお願いします。
Nゲージで10系時代の急行銀河・紀伊の併結列車を組もうと思っています。 
銀河・紀伊編成の両端にはオハネフ12を配置していて全部で4両組み込まれています。
分割併合を前提としたこの列車の場合、オハネフ12の車掌室の方向はどちらを向いていたのでしょうか? 
初歩的な質問でお恥ずかしい限りですが、お知らせいただければ助かります。



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 5月14日(土)20時39分10秒
タイトル Re: 10系急行 銀河・紀伊 について
クハ164-7様、はじめまして。

国鉄内規の上ではデッキを東京寄りに向けるのが正しいことになっていますが、
実際は必ずしもそうでないケースがあったようです。
私の勝手な印象ですが、「銀河・紀伊」のような片デッキの寝台車オンリーの場合、
各車のデッキは原則として東海道本線における下り方、
但し各編成東京方のオハネフのみは上り方デッキにするとそれらしい(といっても実際はどちら向きもアリ)と思います。

****************

本掲示板の過去ログ集「倶楽部メモ(273)」に収録された 平成17年5月20日(金) の「まろねふ」氏の投稿で、
昭和41年の規程が紹介されています。
それによると、B寝台緩急車は車掌室の無い側を基準寄り(東海道本線では神戸寄り)に向ける
(但し特急用車両は逆)ことになっています。つまりオハネフ12のデッキは東京寄りということになります。
なお、緩急車でないA寝台車およびB寝台車は、それとは逆で出入り台のある側が基準寄り(特急用は逆)です。

ただ、本掲示板でも過去に議論されてきたことですが、客車の向きについては一応規程はあるものの、
必ずしもその通りでないケースが多く存在しました。
鉄道ファン第181号(1976年5月号)P.28に1972年3月の上り「銀河1号・紀伊」の写真が載っていますが、
ゴハチの次位のオハネフがいきなり規程破りの後ろ(下り方)デッキで、
続く2両目以下が規程通りに後ろ(下り方)デッキなので、同じ向きに揃っています。

なお、編成中間に並ぶ緩急車でない片デッキ寝台車についてはだいたい規程が守られており、
東海道本線で言えば下り方デッキで揃っていた様です。



投稿者 みず51号
投稿日 2011年 5月14日(土)20時55分52秒
タイトル Re:スハニ35、旧型客車特急での荷物扱い
みなさま、こんにちは。
スハニの手周り荷物の受け渡しについての御投稿を拝見致しました。

テルファーという設備の名前は初めて聞きました。(ホーム間の荷物台車専用のエレベーターは記憶にあります。)
赤帽さんの制服は文字通り、赤い色が入った詰め襟だったように思います。
扱いは幹線の特急(つばめ、はと、かもめ、はつかり)だけだったのですね。

有り難う御座いました。



投稿者 コスモス
投稿日 2011年 5月14日(土)20時55分56秒
タイトル スハネフ14富士急下吉田駅で展示
時事通信の時事ドットコムによりますと、
「富士急行は4月29日、同社大月線の下吉田駅にオープンした「ブルートレインテラス」を報道関係者に公開した。
駅の構内に設けられたテラスには、ブルートレインの寝台車が1両展示されている。
1972年に製造されたこの車両は、2010年3月12日に引退したブルートレイン「北陸」の2段式寝台客車。
かつて寝台特急「富士」として活躍していた車両と同型の「スハネフ14形式」だ。
富士急行は、富士山にちなんだ展示物を下吉田駅に、と考え、JRより「北陸」の寝台車を入手。
テールマークや行き先プレートを付け替え、「富士」を再現した。
ボディや台車、車内はピカピカに仕上げられ、室内灯や発電用エンジンなども機能するという手の込みようになっている。
 入場料は100円(ただし、電車利用者は無料)。
開放時間は、午前10時から午後4時まで。毎月、第1月曜日は休み。」という情報がありました。
機会があれば見てみたいものです。



投稿者 クハ164-7
投稿日 2011年 5月14日(土)21時29分8秒
タイトル Re: 10系急行 銀河・紀伊 について
クモイ103 さま。丁寧にご解説いただき、ありがとうございました。

>各車のデッキは原則として東海道本線における下り方、
但し各編成東京方のオハネフのみは上り方デッキにするとそれらしい

模型のテールライト点灯が無改造ですみますので、教えていただいた方向で編成を組む事にいたします。 
ありがとうございました。



投稿者 きむたお
投稿日 2011年 5月14日(土)21時59分8秒
タイトル 赤帽の話
赤帽の話題が出ておりますが、少し参加させていただきます。

当方、実際に現物は見たことは無いのですが、
ちょっと前の時刻表に「赤帽のいる駅」という記号があったのを覚えています。

さて、先週末、南京まで出張に行ってきました。
往復ともに高速動車(新幹線)で特に面白くは無かったのですが、
上海虹橋駅、南京駅ともにその「赤帽」がいるのに気付きました。
中国語表記では「紅帽子」となるようで、台車で荷物を運んでくれるようです。
上海虹橋駅では実際に赤色の帽子をかぶった女性が何人か台車の置いてある付近のベンチで待機していました。
南京駅には料金の案内の看板があり、10kg以下:5元(≒63円)、10kg以上、
60cm×30cm×30cmを超えるサイズ:10元(≒125円)とありました。
いずれの駅でも実際に赤帽が活躍している場面には出会えませんでしたが、
中国の旅行者は大きな荷物を持っている人が多いのでまだまだ需要はあるのでしょう。

写真は、
1.5/12、上海虹橋駅における紅帽子の台車と職員。
2.5/13、南京駅における赤帽子の受付。
3.5/13、南京駅ホームの様子。長編成の客車列車とたくさんの客で活気にあふれていました。




 
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