倶楽部メモ(599)
平成22年 5月18日〜 5月20日



投稿者 コスモス
投稿日 2010年 5月18日(火)21時41分21秒
タイトル 大船の平面交差
大船の平面交差ですが、補足させていただくと、東海道旅客線と平面交差しているのは、横須賀線電車列車の線ではなくて、
東海道貨物線(旅客線の山側)から横須賀線方面(逆も)への貨物列車が通る線です。
ですから、雑魚様が懸念されたほどの隘路にはなっていなかったようです。
東海道旅客線と横須賀線の分岐は戦前(少なくとも1935年には)から立体交差になっていました。
旅客下り本線では、駅ホームを出て横須賀線上り本線の立体交差の下を潜ってでると直ぐにこの平面交差がありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 5月18日(火)22時23分24秒
タイトル 昭和61年あたりで「2段化」されたと記憶します
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様

 「なぎさ」及び「みさき」は4本であり、「新宿発」が「2本ずつ」。
「新宿発なぎさ」は「2本とも両国行」、「新宿発みさき」は「新宿行・両国行」1本ずつ。
因みに「新宿発着の急行」は「両国通過」であります。
なお、小生の「乗り鉄」の記憶では「157系(165系?)」仕立てで「千マリ」所属であったと思います。
3月中の春休みであったことから、小学6年生として、
「東京山手線内(五反田・外房線経由)→安房鴨川の小児乗車券・急行券」を購入し、
「安房鴨川」で「千葉車掌区のカレチさん」から「安房鴨川→東京山手線内の小児乗車券・急行券」を購入しました。
(回答になっていません。恐縮です)

 Uzu様
 >道内夜行の二段化の時期詳細

 関係資料等で確認できませんでした。申し訳ありません。
ただ、小生の記憶では「昭和60年の夏ごろ」から「まりも(狩勝?)」の「ハネ二段化」が開始されて、
「大雪」や「利尻」も並行して実施。
「同61年11月」までには、「完全二段化」されたはずであります。
これは、資料等での確認したデータでありませんので、先達の皆様方の御教示を御願い致します。

 長々と失礼致しました。
以上、「交流戦の好調さ」に「メイク・レジェンド」の夢広がる「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 5月18日(火)22時35分9秒
タイトル コスモス様ありがとうございます
 またまた、連投失礼致します。「ED76109」であります。

 コスモス様

 「大船の平面交差」に係るご教示ありがとうございます。
このことを再び思い出すきっかけとなりましたのは、
とある先達の方の「トカホセの旧客紀行サイト」をたまたま拝見しておりました折、
件の「大クロス」を通過している写真を見させていただいたからでありました。
幼少の頃、「ガタガタガタ」という独特な通過音を聞いた記憶の欠片が・・・。

 ありがとうございました。以上、「ED76109」でありました。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 5月18日(火)23時26分50秒
タイトル ユーラシアの客レ
 こんばんは。

<ED76109様>

ゆっくりとフォームを離れていく・・・。本当にこの味わいは、
「中国」や「ロシア」でしか堪能・・・・・・

 旧型客車と青春時代の想い出は、目頭が熱くなるのは、遍くの
心情と拝察いたします。

 ところでユーラシア客レの動画を、YOU−TUBEで見つけ
ましたので、ご案内申し上げます。

 「Google」で立ち上げ、TEP70−0139を入力にて
動画検索で、北ヨーロッパ・ノブゴロドの夜のとばりが下りつつ
ある景色で、TEP70型・ディーゼル機牽引20連・客車列車
の光景が拝見できます。針葉樹林は、北海道を彷彿させます。

 同じく「Google」で、trackside 136を、
動画検索では、北ヨーロッパの田舎駅を「ゆっくり発車」して
ゆくローカル客車列車を拝見できます。
 スローな感覚は、旧客と同じです。

 ぜひ話題に、ご覧ください。

 旧型客車のスローな感覚が忘れられない「ユーラシア鉄道」
でした。

 失礼いたします。



投稿者 黒磯運転所
投稿日 2010年 5月19日(水)01時07分31秒
タイトル ハネ2段化改造について
Uzu様、初めまして。
平成生まれでブルトレ大好き人間の黒磯運転所と申します。

鉄道ピクトリアル2007年7月号に2段化改造した(し終わった?)時期が記されており、
確かに1985年から1986年に2段化されているみたいですが、
オハネ14-512〜オハネ14-517は記載がないことから、3段のままだったようで、
これら3段寝台車(と思われる車両)はすべて1989年に北斗星用車両に改造されています。
何故未施工かは全くわかりません。

諸先輩に遠く及びませんが、何かお役に立てたのであればこれに勝る喜びはありません。

駄文失礼しました。



投稿者 Uzu
投稿日 2010年 5月19日(水)11時53分55秒
タイトル 道内二段化ハネ
>黒磯運転所様
初めまして!実は私も平成生まれですので、よろしくお願いいたします。

二段化の情報ありがとうございます。三段ハネもしぶとく生き残っていたのですね。
ちなみに一部G席改造が施工されたオハネ14 501〜503の二段化時期が資料に記載されていましたらご教示願えませんか?
私もリサーチしてみたのですがG席廃止時期が86年8月説と11月説があり判然としません。
如何せんG席の存在は時刻表に載らなかったもので…(汗)



投稿者 Uzu
投稿日 2010年 5月19日(水)12時06分11秒
タイトル 連投失礼いたします
>ED76109様
リサーチいただきありがとうございます。
一年以上にかけて二段化改造がなされている上にG席の廃止時期も重なり問題が複雑になってきました…
しかし、両数の割に改造期間が長いですね。
この時期は二段ハネと三段ハネの混結もしくは寝台減車措置が見られたのでしょうかね。



投稿者 黒磯運転所
投稿日 2010年 5月19日(水)14時30分14秒
タイトル オハネ14-501〜503の寝台2段化の時期
Uzu様、同じ平成生まれでしたか!
こちらこそ宜しくお願いします。
では、早速要望にお答えします。

オハネ14-501 1986年9月1日
オハネ14-502 1986年9月25日 オハネ14-503 1986年10月3日
いずれも五稜郭で施工。
以上です。また何かあれば出来る範囲で疑問にお答えします。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月19日(水)16時01分10秒
タイトル 「北斗星」 黄金時代
▼コスモス様:
> 平面交差しているのは(略)東海道貨物線から横須賀線方面への貨物列車が通る線

その様な事情でしたか。以前、画像を掲出した、新札幌付近における函館・千歳線の
分岐態様に通じるものを感じますね。1980年の「SM分離」後も、戸塚に同一ホーム
乗換機能(方向別複々線)を確保した点は、評価に値しますが、345M 改め 375Mが
急行「東海」と共通運用を組む 165系運用だった頃、この辺りは、横須賀線電車との
デッド・ヒートが名物でしたね。

▼ED76 109様:
>「新宿発」が「2本ずつ」「新宿発なぎさ」は「2本とも両国行」

全体として、新宿と両国、双方の折返運用を等数化する事で均衡を図る感覚ですかね。
それにしても、当時の新宿駅に房総方面列車を捌く余裕があったのか、とも感じます。

▼黒磯運転所様:
> 3段寝台車(と思われる車両)はすべて 1989年に北斗星用車両に改造されています。

同年三月の改正時、それまで臨時扱いだったモノクラス「3・4号」が、個室車を加え
定期化されていますが、その為の充当分でしょうか。この時に確立された、定期便の
一晩三往復体制は、1999年の「カシオペア」充当で崩れますが、それまでの十年間は、
道内区間での「昼寝開放」と併せて、言わば「北斗星」の黄金期と言えるでしょうか。

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その「カシオペア」に供されるE26系は、現在でも一編成のみの存在と、中途半端な
印象がありますが、新幹線の道内延伸計画に伴って、在来線の存続問題が顕在化した
今般の状況を踏まえた所産の様にも思えます。

DJ誌の最新号では、この時期ならではの早朝撮影が効く 津軽線における「北斗星」
および「はまなす」ネタが紹介されていますが、新幹線の新青森延伸を年末に控えた
タイミングでのかかる記事掲出に、あれこれ勘ぐるのは、気を回し過ぎでしょうか?



投稿者 コスモス
投稿日 2010年 5月19日(水)19時21分28秒
タイトル 現役時代の大船クロス写真
ED76 109 様

>とある先達の方の「トカホセの旧客紀行サイト」

とあるのは、「むーさんの鉄道風景」でしょうか 。幹線では客車が主流だったころの
写真が堪能できます。
こちらの一般展示室に「1960年3月東海道・東京〜袋井・各駅停車の旅」
として、大阪行き123レの車中からとった写真が載せられています。
最後部デッキから撮ったと思われる大船の平面クロスの写真もありました。
このクロスですが、1973年(昭和48年)の根岸線大船開業にともない、東海道貨物線と
根岸線とを連絡する立体交差の線が作られ、東海道貨物線大船→本郷台→根岸線大船→横須賀線というように
本郷台で折り返す手間がかかりますが、東海道旅客線との平面交差しないルートが確保され、撤去された模様です。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 5月19日(水)22時43分19秒
タイトル 憧憬の思いで眺めております
 度々失礼致しております。「ED76109」でございます。

 コスモス様
 >「むーさんの鉄道風景」でしょうか

 御意。昨年の晩秋に「トカホセ、鈍行旧客」とクリックしたところ、件の「サイト」にヒットいたしまして・・・。
小生好みの「最後尾からの旧客レの眺め」が載せられていたことから、昭和30年代中盤の風景と相まって、眺めております。
「80系」や「151系こだま」、「EH10牽引の貨物レ」と、レトロの風景が盛りだくさん。
「鉄」親父から聞かされた「鉄風景」に夢中になっております。
「鉄」親父の話では、同25年〜30年代に以前勤めていた「某商店の集金旅行」のため、
「123レ」で「浜松〜豊橋辺り」の債権先に赴き、上りの「京都始発の124レ」で帰京することが多々あったとのこと。
「九州・山陽」へは「111レ」、「関西」へは「129レ」で集金に赴いたようでありました。

 >大船の平面クロスの写真

 「大船」を発車し単線の線路をクロスして、いきなり「ガタガタガタ」と独特の通過音聞いて西下していくことが、
小生の「鉄」想ひ出となっております。
「昭和48年」の段階でも、クロスの部分は残されていて、しばらくは「通過音」が楽しめたように記憶しております。

 長々と失礼致しました。以上、完全な「昭和の鉄」の「オールド・ボーイ」状態の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 Uzu
投稿日 2010年 5月20日(木)21時02分18秒
タイトル G席原型復帰と二段ハネ化
>黒磯運転所様
調べていただきありがとうございます。
おそらく、改造時期から考えるとG席原型復帰と二段ハネ化は同時と見るのが自然でしょうね。

皆様ご協力いただきありがとうございました。



投稿者 黒磯運転所
投稿日 2010年 5月20日(木)21時11分10秒
タイトル 先行き不安な北斗星とカシオペア
雑魚様、確かにその頃が北斗星の黄金時代だと思います。
新青森開業を控えた今、北斗星・カシオペアはどうなるか心配です。
特に北斗星は客車の経年が相当なものですから、動向を注視していきたいところです。



投稿者 コスモス
投稿日 2010年 5月20日(木)22時06分31秒
タイトル SM分離と混雑
雑魚 様:

>  1980年の「SM分離」後も

「いやーん、もっとぶって」などというフレーズを妄想してしまった私はいけないおぢさんでしょうか。(殴)

もとい、大船のクロスは貨物側から見れば、東海道旅客上り線、同下り線、大船電車区への出入区線と
3線連続横断になっていました。クロスの通過音も聞きものでしたでしょうね。
SM分離後は横須賀線方面からの東京方面行客が、方向別ホームの戸塚駅でやや遠回りのS電から
到達所要時間の少し短いM電に乗り換えることが多く、M電の混雑が増したというようなこともあったようです。
それもその後の湘南新宿ラインの開業などにより変化したようですね。



 
 
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