倶楽部メモ(596)
平成22年 5月 6日〜 5月10日




投稿者 ED76109
投稿日 2010年 5月 6日(木)20時49分24秒
タイトル 気質の違いでありますね
 失礼申し上げます。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >勤務地志向は、北海道でも同様の傾向と聞いていましたが

 確かに「ユーラシア大陸」様の投稿のとおりであり、「しょっぱい川」を渡るに相当の覚悟(?!)を決めてという
学生・生徒が多いように・・・。
大抵は、「道内(札幌市内出身者はほぼ100%)」に残りたいと考えるようで、「北電」や「六花亭」等が人気であります。
しかし、小生の愚妻の姪は今年当地の大学院を卒業して、東京に本社のある食品会社
(当地では「うまいべぇ。のイカシューマイ」というCМで有名)に就職。
2年間「大洗」の研究所で研修中とのこと。「水戸からJRで1時間ちょっとの東京」に行くのが楽しみとか・・・。
姪は「スーパーひたち」が御用達のようであります。

 マロネロ38様

 元「江戸っ子」の意識でお話させていただきます(どうか無礼はお許しのほど)。
元「大阪車掌区のカレチ氏」である「坂本衛」氏のエッセイに、「関東人と関西人」の意識の違いを説明される凡例として
「昭和50年代の『上り銀河51号』の乗務」を取り上げておられます。

 始発の「大阪」や「京都」から乗車してくる「帰宅のサラリーマン客」は、
「大津」や「米原」辺りまで「ちょっとやから、ええやんか。」と、
まず「素直には急行券や乗車券を買おう」とはせずに「食い下がってきた」とのこと。
しかし、最後は「しゃあないなぁ。」と渋々料金を払ったそうであります。
そして、日付が変わり「小田原」や「大船」からの「早朝出勤のサラリーマン客」は、
ほとんど「東京までいくらですか。」と自分から声をかけてくるか、「乗車券と急行券を買って乗ってくる」のには、
驚きを超えて「関西人として呆れかえった」そうであります。

 短絡的かもしれませんが、「まず、規則に従って〜」と考える「関東人」、
「まず、状況の中で最良の手段は〜」と考える「関西人」という感ではないでしょうか。
以前から小生が記させていただいているように、「大阪車掌区のカレチ氏」の臨機応変の対応には、感心しきりであります。
逆に言えば、「JR東日本の○○車掌区」の「杓子定規」的な対応に、
正直「何、しみったれたこと言ってやんでぇ。」と小生、どれほどぼやいたかしれません。

 長々と失礼致しました。
以上、「並ぶことが不得手な道産子」の行動には、
未だに納得できずにいる「元江戸っ子の中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 5月 7日(金)03時10分4秒
タイトル 福知山線・快速列車
 深夜に失礼いたします。

 このゴールデンWに帰省し確認しましたところ、朝晩に113系(更新車)
4連が、残っていることに歓喜いたしました。

 2525M・福知山行き(旧出雲市行・721レのスジ)
 2711M・ 同   (旧423Dのスジ)
  565M・新三田行き

 湘南色でないのが残念ですが(とある1編成のみ、中間モハ2両のみ湘南色
で両端クハが西日本色)113系特有のコンプレッサー音などは、昔のままで
懐かしい限りでした。

 昼間時の「丹波路快速221系」は最近まで「4連」のままで、ほぼ全列車
常時満員状態で、三田以降・尼崎まで、昼間でも通勤列車状態で、307系の
の普通電車(新三田止)および東西線直通307系快速(宝塚発着)はガラ隙
なのとは対照的でした。

 内心、これでは宝塚からの阪急の乗客の争奪戦(良い意味での市場競争)に
はならないな?と思っておりました。
 かつ丹波路快速ダイヤも、30分ヘッドなのです。
(東海道本線・旧本社線<外側線>の過密ダイヤで、福知山線の増枠がない)

 よって阪急が宝塚線・特急を廃止した理由はこれらを見据えた措置???
と推察いたします。

 小生も電化直後の103系以外、113系・ほぼ全列車「2連」のトラウマ
(異常な混雑に辟易)が続いておりましたが、この3月以降、順次「6連」に
なりつつあるのが、嬉しかった(座れる)限りです。

 でも混雑の証は、まだまだ鉄道利用が健全なる証左であり、CO2問題と絡
め、慶ぶべき事象と捉えたいと思っております。

<DD51餘部鉄橋>添付します。

 失礼致します。




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月 7日(金)11時06分53秒
タイトル 山陰線の印象
▼ED76 109様:
>「水戸からJRで 1時間ちょっとの東京」に行くのが楽しみとか

北海道の方の感覚からすると、我々は「東京近郊人」と自負して良いものでしょうか。
現実には、田植えが終わった自宅脇の田圃では、夜な夜な 蛙が喧しいのですが(^^)

>「昭和50年代の『上り銀河51号』の乗務」を取り上げておられます。

14系ハザによる臨時「銀河」は、昭和50年代末期に、何度か利用した事がありますが、
全般に空いており、寂寞感が漂う中「回転ボックス」で寝られた事もありましたっけ。

▼ユーラシア鉄道様:
> とある1編成のみ、中間モハ2両のみ湘南色で両端クハが西日本色

昨年、一昨年と、湖西線を撮る機会がありましたが、一昨年は結構見掛けた「オール
湘南色」編成が、昨年は一転して、御指摘の「両端西日本色」でしたね。この配色は、
関東では高崎の 115系で健在で、先日「こだま色」編成の「足利藤まつり」目当てに
訪れた両毛線でも、かなりの頻度で撮れたのが嬉しかったですね。

> <DD51餘部鉄橋> 添付します。

かかる旧客列車が消えて久しいですが「出雲」にしても、廃止から四年経つのですね。
多数来訪する三脚組の為に「御立ち台」が設営されたと聞きますが、現行橋梁も今年
七月中旬限りで、当該区間を通る唯一の定期の優等列車である「はまかぜ」にしても、
来年度には新型に置換と聞きますから、三脚組の「餘部参詣」も廃れるのでしょうか。

それにしても、城崎温泉〜鳥取は本当に寂しくなりましたね。当該区間を城崎側から
乗ると、頭上から架線が消えた事による寂寞感を覚え、その一方、反対側から乗ると、
鳥取駅から延々と続く高架区間が終わる頃、気がつけば周囲の風景が急に寂しくなる、
そんな移ろいが、私なりの山陰線に対する印象を形成していました。




投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 5月 8日(土)03時06分17秒
タイトル わびさびの海岸列車
 こんばんは。

<雑魚様>
 山陰本線へのご感想、誠に有難うございます。

 小生も、毎年冬の「蟹」の季節は、必ず浜坂へ「かにフルコース」を
食しに参ります。

 ちなみに浜坂港は、松葉かに水揚高日本一とのことです。

 宮本輝の小説「海岸列車」の情景の通り、「わびさびが心に滲みる」
と表現したくなるのが、山陰本線・鳥取〜城崎間です。

 現・高崎客車区の「オハニ36−11」は、高崎区に転属するまでは
この「海岸列車」の浜坂始発・福知山行きの「トロ箱・行商列車」専用
車両(行商のおばさんが占領していた為)でありました。

 また白山から済州島までの、白山火山帯(西日本火山帯)に位置し、
城崎に始まり、玄武洞(柱状節理)、神鍋火山、湯村温泉(夢千代日記)
、浜坂温泉(浜坂町内はほぼ全戸温泉給湯)七釜温泉(お湯が淡緑色)と
わびさびたる温泉地帯です。

 「海岸列車」で登場する「鎧」駅はかつての平家の落人伝説でもあり
無人駅ながら、記帳ノートには、小説の主人公に近づけた喜びの言葉で
埋っておりました。

 また夏季は一変して、透明度高い海水浴場として、賑わいます。

 雑魚様も、ぜひもう一度「日本の原風景のわびさび」に浸りに、山陰
本線をお訪ねなられませんことを、お勧め申し上げます。

 では失礼いたします。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 5月 8日(土)15時06分59秒
タイトル 久々のトワイライトを見ました
 失礼致します。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >我々は「東京近郊人」と自負して良いものでしょうか

 小生の「鉄」親父の従兄が「友部」の郊外に在しており(「宍戸」から徒歩20分?)、
遠く「筑波」を望む風景は印象に残っております。
「鉄」親父は戦争中に疎開した経験からか、正直「良いイメージ」はないようですが、
「水戸」までは「東京近郊区間」だと思っているようです。
小生の偏見かもしれませんが、「水戸・宇都宮・高崎・大月・小田原」までは「東京圏」だと思います。

 >全般に空いており、寂寞感が漂う中「回転ボックス」

 小生は少々異なる見解ですね。
確かに「閑古鳥」が鳴いていることもありましたが、大抵は7割方座席が埋まっていたように記憶しております。
昭和45年の春以来、6度利用しましたが、昭和57年の盛夏に利用した「銀河51号」は完全に「満席」。
しかも、隣席は巨漢の御仁・・・。
翌日の「高校野球観戦」は「35℃の灼熱」にもかかわらず、甲子園の外野スタンドの壁に寄り掛かって、
3時間「熟睡」した記憶がございます・・・。

 ユーラシア鉄道様
 >DD51餘部鉄橋

 「京都」始発の「浜田行」の「833レ」、「大阪」始発の「出雲市行」の「721レ」、
そして「豊岡」始発の「門司行」の「831レ」等々・・・、
「最後尾のオハフ」から眺めた「透き通るような日本海」と「深緑の山々」。
もし、一つだけ我儘が許されるのであれば、もう一度「旧客レ」でこの眺めを・・・と思います。
素晴らしきグットショットありがとうございます。

 さて、本日所用で休みにもかかわらず、「道庁」に行って参りました。
その際、「札幌」で「グリーンにイエローラインのブルートレイン」に遭遇。
そうです。「トワイライトEXP」に久しぶりに「生」で触れて参りました。
「エンブレム」の辺りや最後尾の「テールマーク」の辺りには、記念写真を撮る人たちの姿が。
そして、自宅に戻る際には「北斗星」に出会い、これまた記念写真を撮る旅人たちの姿が目立ちました。
当地は昨日「桜花」が開花して、春本番(しかし、本日は「10℃」の花冷えです)。
いよいよ、観光シーズンの到来です。「北国のブルトレ」で「北の大地」へ。先達の皆様の御来道をお待ちしております。

 長々と失礼致しました。
以上、「回1レ」、「回8001レ」に「手稲」までで良いから乗せてほしいと、
切に願う「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 青列車
投稿日 2010年 5月 9日(日)19時06分20秒
タイトル 【客レ】DLやまぐち号PART1
ご無沙汰しております。
さて、御馴染山口線のSLやまぐち号、今年はC571の検査の都合で春季はC56160が代役を務めていますが、
去る5月3日、C56160にブレーキ系の故障
(コンプレッサーが動かず圧縮空気が作れなくなりブレーキが効かなくなった)が発生、
4日と5日は止むなくDD51844の単機牽引になるとのことで、主要駅にはお詫びの張り紙が掲示され、
構内放送でも払い戻しの案内がなされていました。

蒸機目当ての遠来の観光客(連休の終盤ですから)の皆様や撮り鉄諸氏には何ともお気の毒な話ではありますが、
いつもはC56160の黒子・影武者として裏方に徹する844の久々主役登板と言う事で、
おっとり刀ならぬおっとりカメラ(?)で出掛けてしまいました。

沿線は何時もは「堅気の衆」も大勢集まり蒸機牽引列車を見送るのですが
この日はそういう人々の姿は殆ど見られず、「其の筋」諸氏も少なめでした。
何処で撮ろうか迷いましたが、結局以前にも行った場所が中心の撮影行となりました。
まずは津和野行き9521レの姿を少々…

1枚目は三谷〜名草間、踏切沿いで撮影しました。ここは撮影後直ちに次の撮影ポイントへの移動が比較的容易です。

2枚目は地福〜鍋倉間、並行する国道沿いから撮影しました。
蒸機牽引なら発車直後で盛んに煙を吐きますが12系5両180トンはDD51には荷物にゃなりません(^^);
紫煙は吐くもののものの数ではなく、DML61Zエンジンの咆哮もも穏やかに走り去って行きました。

3枚目は船平山〜津和野間、津和野太鼓谷稲荷神社の駐車場(山腹)より撮影しました。
蒸機だと終着駅目前の下り勾配ですから絶気運転で煙も殆ど吐かず物足りないカットになりがちですが、
近代動力車は煙も風向きも気にしなくてよいのが有難いところです。





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投稿者 高速貨A
投稿日 2010年 5月 9日(日)19時14分53秒
タイトル 餘部鉄橋
 平成18年1月〜3月末日、冬期間勤務で関西地方に単身赴任した際、18きっぷ使用により餘部鉄橋を訪れました。
餘部鉄橋掛替が話題になり始めた頃だったと思います。
餘部駅停車の普通列車は満員状態で、駅周辺や鉄橋の下に観光バスの団体さんもいたような気がします。
 餘部鉄橋を含む山陰本線乗車は、この時が初めてでしたので、当然ながら定期客車列車はなく残念でした。
吉永小百合主演のNHKドラマ「夢千代日記」の冒頭に登場するのですが、ディーゼル機関車
(DD51かDF50、DD54のいずれかでしょうが忘れてしまいました)に牽引された客車列車(当然ながら旧客編成)
が餘部鉄橋を走行するシーン。あれが私にとっての餘部鉄橋です。
ユーラシア鉄道様投稿の写真がそれに当たるのですが、その昔は防風柵がなかったと思います。
ドラマ冒頭では、デッキか窓から下界を見下ろすアングルがあったような気がするのですが、
デッキ乗車を何度か実施した私でも「餘部鉄橋でのデッキ乗車は怖くて無理」と感じていました。
 そんな餘部鉄橋も今年の7月にコンクリート橋が完成すると、お役ご免で解体でしょう。
建設物としての歴史的価値を考慮して保存してほしいところですが
(歴史的価値はともかく中央本線、信濃境〜富士見の旧鉄橋のように解体を免れている例もある)、
鉄橋下に民家があるので、やはり解体されるのでしょう。
 最後になりますが、切替当日は多数の見物客が訪れると思います。
ただ、廃止間近になると必ず大騒ぎになる傾向が見られますので、マナーを守ってもらいたいものです。



投稿者 青列車
投稿日 2010年 5月 9日(日)19時19分8秒
タイトル 【客レ】DLやまぐち号PART2
さて、9521レ撮影後津和野のお稲荷様に参拝、津和野以北で撮り鉄後、折返しの9522レの撮影に向かいます。
何処で撮ろうか迷いましたが、普段蒸機撮影時には煙が殆どないことを理由に撮影していないポイントで撮ろうと決め、
地福〜名草間に向かいました。
線路沿いの道路が広くなって駐車できるスペースのある辺りふと見ると反対側の斜面に道がありました。
少し登ってみると?お誂え向きにS字カーブが眼下に見えました。ここで撮影することに決め、列車を待ちます。
やがて踏切の警報機が鳴動し始め、木立の向こうに2条のヘッドライトが見えました。
田園風景の中ゆったりと走る9522レ。
12系700番台のカラーリングはぶどう色2号に良く似ていて、
何だかかつて全国に当たり前に見られたDD51牽引のローカル客レを彷彿とさせてくれます。
その昔山陰本線で乗った50系や在来型客車の鈍行を懐かしく思い出しました。





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投稿者 青列車
投稿日 2010年 5月 9日(日)19時32分19秒
タイトル 【客レ】DLやまぐち号PART3
撮影後再び移動します。
この後は仁保〜宮野間辺りででも撮れれば良いと思って国道9号線に入って小郡
(駅名は変わりましたが地名は山口市小郡として残っています)方面に向かいます。
長門峡駅の前まで来るとおや?まだ9522レは発車していない様子。
急遽その先、山口線との並行区間で撮影を行いました。
ここに紹介する1枚目と2枚目はその時のものです。
生憎駐車できるスペースが車線の反対側にしか取れなかったので、
1枚目のカットでは脇道から合流するクルマが被ってしまいました(^^);
3枚目に紹介するのは仁保〜宮野間で撮影したカットです。
短いトンネルを抜け出て来ました
(踏切で遮断機の外側からズームレンズの望遠側で撮影しておりますので念のため申し添えます)。
ここも蒸機牽引では下り坂になるので煙はあまり吐きません。

その昔現役蒸機晩年の頃、所定蒸機牽引の列車が何かの都合でDD51などに変更されてしまうと、
沿線で待っていた諸先輩方から非難ごうごう一大ブーイングが起こった由。
動力近代化の立役者だったDD51やDE10は其々「赤ブタ」、「赤鬼」などと呼ばれまるで「ヒール」でしたが、
今や蒸機に代わってDD51が走ることを理由に追っかける「鉄」(って誰のことだよ!他人様のこと言えた義理か?)(^^);
がいるのですから、時代は変わったものです。
誰より一番面食らっているのは当のDD51でしょうね(^^);

連続投稿失礼しましたm(_ _)m






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投稿者 きむたお
投稿日 2010年 5月 9日(日)22時16分23秒
タイトル 異動先にて見た客車
こんばんは。
異動して2週間が経過しました。
異動先にて目撃した列車を紹介します。(携帯電話による撮影です)

いずれも紹興站にて。
客車が18両編成で、前半のほとんどが硬臥車、1両の軟臥車、餐車、そして後半は硬座車という陣容でした。
列車番号や形式などはわかりませんが、充実した客車編成に心躍りました。

写真は空調用の電源車を最後尾にした列車とその中に組み込まれた餐車と硬臥車です。
餐車はTR53っぽい台車とそのスタイルからオシ17を思い起こすに十分な外観です。

当地にはこのような客車列車が当たり前に走っておりますので、
まずは言語をよく勉強して1人で乗りにいける力を身につけたいと思います(^^;)

*ここまで書けばどこに異動になったかは言うまでもありませんね・・・。








投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 5月10日(月)00時40分56秒
タイトル 餘部鉄橋
 こんばんは。

<高速貨A様>
 餘部鉄橋へのご感想、有難うございます。
 おっしゃるとおり、夢千代日記や、題名は忘れましたが三原順子主演の
ドラマでもたびたび出てきた当該鉄橋ですが、山側の歩道柵は40年以上
前から付いておりましたが、海側の転落防止柵は、旧客時代、親子喧嘩で
父親が、子供をデッキから突き落とした尊属殺人事件(多分1985年頃
雅・お座敷客車転落事故の以前)以降から設置されたようです。

 小生も、旧客時代何度もデッキでの通過経験を持っておりますが、餘部
駅での平均20〜30km・hの加速・減速区間で、思いのほか怖くは、
ございませんでした。

 どちらかといえば既述の東海道本線・大阪〜尼崎間の淀川鉄橋の100
km・hでのフル加速時や、宝塚〜生瀬間の武庫川鉄橋のほうが、かなり
の恐怖・スリリングでした。

 ありがとうございました。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 5月10日(月)01時12分29秒
タイトル 中国も客車天国
 再度の投稿、失礼致します。

<きむたお様>

 中国の客車列車、本当に「見事」一言に尽きます。

 小生は観光で、1986年・文化大革命終結間もない頃から、
6回ばかり訪れておりますが、当時は、旧ソ連・ロシアと同じく
モスグリーンの客車(22系)主体で、外国人観光客用に24系
と称して、ソ連・ロシア国鉄と同じ東独・ゲルリッツ客車工廠製
の車両(外見では、ロシア客車と同一)が活躍しており、小生も
中国大陸でシベリア鉄道と同じ客車に出会えて、嬉しかった記憶
がございます。

 小職の24系乗車経験(当時中国も外国人と中国人との接触を
させぬよう、我々は24系以外の一般座席車にはのせてくれなか
った為)は、
 上海ー蘇州、上海ー杭州、洛陽ー西安、北京ー洛陽です。

 今のような「改革開放」がまだ未成熟な時代で、24系に
乗れるのは、西側外国人観光客(ハンガリー等・東側観光客
は22系に乗ってました)と、高級軍幹のみが利用していま
した。

 お写真から拝察すると、北京から瀋陽もしくはハルピンなどの
東北3省方面行きではないでしょうか?

 そして「オシ17」の右前位の車両こそが、モスグリーンにア
イボリーのストライプであった24系です。
 1985年〜1995年頃にかけて、東独より輸入されたもの
です。

 ちなみに24系は、軟座車・軟臥車・餐車があり、軟座車は、
もともと寝台仕様のものに、座席を入れているので、デッキから
客室の入口が、片方の窓側(通路側)仕様であったのが印象的で
した。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月10日(月)15時12分26秒
タイトル 到中国的踊躍
▼きむたお様:

工作調勤到了人民的国家。是出色事情。対客車愛好、来説是天国。期待今後的鉄報告。

………とまあ、胡散臭い中国語はさて置き(対不起)きむたお様も、いよいよ世界に
勇躍されたのですね。日本ではすっかり貴重となった客レが、日常的に往来する様に、
御感慨も一入の事と拝察します。

掲出画像を拝見すると、ユーラシア鉄道様が示された「共産圏色」とは異なる配色に、
時代の変遷らしきが窺えますが、それ以前に、これも日本では珍しくなった架線用の
鋼吊線が、鷹揚なる大陸事情を象徴している様でもありますね。

同じ中国でも「美麗島」は、地形的な特質上、他地域との直通運転を考慮する必要が
無い事から、日本と同様、動力分散型が相当普及し、客レは稀少化の一途と聞きます。
やはり、大陸ならではのダイナミズムは魅力ですね。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月10日(月)15時49分18秒
タイトル DL やまぐち号
▼青列車様:
> 今や蒸機に代わってDD51が走ることを理由に追っかける「鉄」

実は私も「DL・EL>SL」派で、自宅から真岡鉄道まで、車で一時間以内ながら、
更に30分以上遠くなる東北線と比べて、それほど足繁く通っている訳ではないのです。

御掲出の画像では、やはり名草〜地福を好感します。300mm 望遠を愛用する立場から、
撮影構図に、ある程度の平坦性を求める事が多い私としては、山口線で撮影するなら、
沿線人家の分布頻度も勘案して、旧阿東町が望ましいと、以前から考えていましたが、
図らずも、青列車様の投稿から、見込みの是非が証明された感じですね。

贅沢を言えば、どうせ木製柱を残すなら「ハエタタキ」を復元して欲しい気もします。



               
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