倶楽部メモ(579)
平成22年 2月11日〜 2月14日



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 2月11日(木)09時36分25秒
タイトル 惜別乗車企画
家族も同僚も行楽に出掛けてしまったが故の徒然なる侭に、三連投を御赦し下さい。

明日はいよいよ、最終日「北陸」「能登」の寝台・指定券の発売開始日ですね。多分、
10時になった途端に即、完売でしょう。北陸を訪ねる金も暇も甲斐性も無い私ですが、
自室の机の引出しの奥にはなぜか、長野新幹線開業直前の「能登」横川→小杉という、
結構レアな指定券があったりします(^^)

ニュース検索によると、日本旅行では「北陸」「能登」に加え、JR東海の区間から
撤退する 500系の「のぞみ」についても「惜別乗車ツアー」を販売していたのですね。
どうせなら「北陸」または「能登」と「のぞみ」を環状で繋ぎ、今改正で大幅に淘汰、
来年度には全廃される予定の 485系「雷鳥」でリレーする、という豪華版があっても
良さそうなものですね。

以上「能登」どころか、間合運用の「HL鴻巣」乗車も覚束ないであろう雑魚でした。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 2月11日(木)10時31分22秒
タイトル 新旧混結
定期列車でも在りました。501-502レ「日本海」が12系になった時、青森行ロがスロ62で
新潟解結のハネとロネ(オロネ10)が旧客でしたので,冬は暖房系統が違いました。
大阪‐田村は蒸気暖房でしたが、12系に蒸気暖房引通し管があったので用が足りて、田村-
以北は電気暖房でしたが、これまた12系に引き通し回路があったので-----
夏の冷房はスロ62、オロネ10、スハネ12や16には発電機があたのでややこしい混結も無事
だった様です。

昭和50年か51年の冬にスロ62の車軸発電機ベルトが凍結してしまい、新潟でウヤになり、
秋田出張の同僚が難儀した事がありました。日本海沿岸を走るなら北海道と同じ車軸直結
発電機じゃないと駄目だなと想いました。



投稿者 黒磯運転所
投稿日 2010年 2月11日(木)14時24分6秒
タイトル 北斗星編成調査
本日、北斗星の編成調査を行いました。
そこで、ブログにも掲載したのですが、ここにも掲載させていただきます。
上野方から

EF81−95
カニ24−508
オハネフ25−214
オロハネ24−553
オロハネ25−502
オロネ24−501
スシ24−507
スハネ25−503
オハネ25−551
オハネ25−566
オハネ25−563
オハネ25−561
オハネフ25−8

オハネ25‐560の奇数番の組み合わせが崩れていました。
ツインDXはオロネ24‐501、またオハネフ25‐214が入っていました。
オハネフ25‐200番台が北斗星に組み込まれているのを見たのは初めてです。
投稿者のホームページ



投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2010年 2月11日(木)20時33分47秒
タイトル Re:埼玉県下での 「北斗星」
雑魚様
> 「A1・A2」が「北斗星」の運用でしょうか。
仰る通り、「A1」が下り、「A2」が上り北斗星です。
なお、他のサイトにも運用表は存在しますので、そちらも参照すると情報の精度がより高まるかと思います。

当方の写真についてお言葉をいただき、ありがとうございます。
栗橋〜東鷲宮は撮影の自由度が高いのですが、ネット等で見かける写真は、機関車重視の編成写真が多く、
このような構図で撮影されている方はあまり多くはないようにも感じます。
東鷲宮駅の上り高架で撮ったことはないですが、この区間は配線がちょっと変わっているので(下り線地平、上り線高架)、
ちょっと面白い感じで撮れるかもしれませんね。
また、当方のブログもご覧いただいたとのことで、ありがとうございます。
『一両ごとの側面撮り』は、編成写真のついでに試しに撮ってみたというわりにはうまくいったので、
今度はそちらを主体に狙ってみてもいいような気がしました(笑)

余談ですが、当方がヒサシ付のEF81 133の北斗星を重点的に狙う理由は、精悍な形態で好ましいという他に、
非貫通・ヒサシ付という点が、晩年のEF80の面影が感じられるということもあります。
EF80の現役の姿には残念ながら接したことはなかったのですが、以前は常磐線沿線に在住だったこともあり、
この形式への思い入れや憧れは大変強かったものでして…(笑)
投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 2月11日(木)23時22分41秒
タイトル 「鉄」雑感あれこれ
 おばんでごさいます。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >桑園、琴似、手稲しか駅が設置されていなかった札幌市域の変容振り

  旧客全盛期のころは想像もつかなかったでしょう。
 現在は、「ほしみ」から「発寒」にかけての辺りは「普通科高校3校」が昭和58年前後に開設された上、
 宅地化が進んで完全に「ベットタウン駅」の様相。
 通勤時間帯は、「721系」や「731系」の6連が忙しく走り回っております。

 >小樽駅より塩谷側は、電化された側線が、非電化の本線に暫く並行する構図

  御意。駅構内から伸びる側線が、左にカーヴして「300m程度」でしょうか。
 たまに、折り返しの「721系」等が電留されているようであります。
 しかし、「小樽」は変わりましたねぇ・・・。
 小生がイメージする「小樽」は、「ED76」から「DD51」へと牽引機が交代する駅。
 「102レ」、「122レ」や「42レ」等で「山線」へと辿る列車は、
 「塩谷」への急勾配に挑むために、独特の緊張感が感じられたように記憶しております。
 そういえば、「小樽築港」も駅前の「SC」の苦戦が深刻であり、消えた「築港機関区」の欠片もありません。
 昭和の面影は今何処・・・(滂沱)。

  マロネロ38様
 >大阪‐田村は蒸気暖房でしたが、12系に蒸気暖房引通し管があったので

  元「大阪車掌区」のカレチ氏である「坂本衛」氏のエッセイで読んだ記憶がございます。
 「きたぐに」は「多種雑多の混結編成」であったため、「大ミハ」に早めに出勤して
 冬季は暖房の調整に時間を割いていたという逸話が・・・。
 さらに、「田村」での「交流機」への交換に備えて、「電気暖房」を強くしていると
 「ハネ」の乗客から「背中が焼けてまうやろ!!」との苦情が耐えなかったという記述がございました。
 おまけは、「上りきたぐに」は、日本海からの寒風のために「蒸気暖房」が凍結していまい、
 「冷蔵庫」状態で「トカホセ」の最終コースを走り抜き、
 「大阪」で乗客の苦情から逃げるが如くに車掌区まで疾走したとのエピソードも・・・。
 しかし、「PCきたぐに」も遠い過去のお話であります。

 長々と失礼致しました。
 以上、小学2年生の早春、「銀河51号のスハフ」で「冷蔵庫」から「蒸し風呂」へと、
 激しい温度変化を経験した「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 2月12日(金)09時32分50秒
タイトル 小樽界隈
▼高速貨A様:
> この区間は配線がちょっと変わっているので(下り線地平、上り線高架)

同じ東北線の松川〜金谷川、小川原〜上北町、そして三セクに移行した滝沢〜渋民と
同様に、上下線の段差が独特の抑揚を醸し出している様子が、個人的には萌えですね。
内原〜赤塚の常磐線を、買い物序でに、沿線SCの上階駐車場から俯瞰撮影する事が
多い手前、東鷲宮駅にしても、東口のSC上階にて足場が確保出来ないものか、とも
勘繰ってしまいます(^^)

▼ED76 109様:
> 宅地化が進んで完全に「ベットタウン駅」の様相。

千歳方面や江別方面と比べ、平坦地の展開性が大きく、特急の輻輳に伴うダイヤ上の
制約も無い事から、手稲区界隈は特に発展著しい様に感じますね。定期特急の設定が
無いのは、少し勿体無い様な(^^)

> たまに、折り返しの「721系」等が電留されているようであります。

一応、現役に供されていたのですね。少し安心しました。電化区間が車両基地側線に
偏って頭上が急に寂しくなる、新旭川〜永山や西出雲〜出雲神西(1993〜99年、バス・
タクシーの接続も覚束ないのに、観光振興の観点から「出雲大社口」を名乗った為に、
当時の総務庁から改善要望が出された異色の経緯があります)の場合、塩谷に向けた
緊張感はないものの「寂寞感」を覚えます。

> 駅前の「SC」の苦戦が深刻であり、消えた「築港機関区」の欠片もありません。

現在でも残る側線が分岐した先には、貨物駅がありますが「オフレール」の様ですね。
小樽の側線といえば、私はやはり、南小樽から分岐していた手宮線跡を連想しますが、
前回の訪問時、旧手宮機関庫を継承した「小樽市総合博物館」の存在を失念したとは、
仮にも「鉄」にあるまじき「末代までの恥」ですね(滂沱)








投稿者 雑魚
投稿日 2010年 2月12日(金)17時01分6秒
タイトル 案の定ではありますが
富山新聞によると、本日10時に「解禁」された「北陸」「能登」の寝台券・指定券は、
案の定「能登」G車が 4分、その他は10秒と、速攻で売り切れたそうです。ちなみに、
残り一箇月のうち、平日の「能登」ハザには、まだ若干の余裕があるとか。

ちなみに、JRのプレス・リリースによると、改正以降は週末や行楽期に「能登」の
名称の侭、485系(塗装は国鉄色? 新潟色?)で運転されるそうですね。その一方で、
今冬は運転されていない週末快速「フェアーウェイ」に関する記述が一切見当たらず、
少々気になっています。

以上、下り「能登」の大宮乗車(0:01発)や「北陸」の高崎乗車(0:31発)などなど、
日付が13日になっての利用という事で、明日の10時発売を狙っていたら………という
落とし穴に陥った手合いはあるだろうか、と、余計な心配をする雑魚でした。せめて、
惜別需要の為に「HL古河」「HL鴻巣」の回送運用を一般開放して頂ければ、拍手
喝采なのですが………



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 2月13日(土)23時37分56秒
タイトル 「PC能登」の姿を意外なドラマで・・・
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 「能登」や「北陸」のファイナル・ランが近づいているようで、複雑な思いでありますね。
「はやぶさ・富士」から、もうすぐ1年です・・・。
そういえば、今週末は「寒さ」厳しき「北の大地」でありますが、気候は安定しております。
本日の「上り北斗星・カシオベア」及び「上りトワイライトEXP」は、
定時で冬空の下を旅人の夢を乗せて南下中であります。
車番確認や撮影等、明日は「チャンス」ではないでしょうか・・・?
  さて、本日はそんな懐かしき「PC能登」の姿を見かけましたので、「戯言」いたします。
実は、「雪だるま」様も御用達とのお話の「当地のTSUTAYA」で、「愚娘」たちと「DVD」を借りてまいりました。
「サスペンス物」ばかりなのですが、「TBS」が昭和58年に作成した「ゼロの焦点」がそれであります。
 主人公の「禎子」演じる「星野知子」さんが、「金沢」へと旅立つ際に「上野」から乗車したのは、
「14系」で運転されていた「急行能登」であります。
あの往年の「地上フォーム」の賑わい、バックを片手にした旅人たちの群れ、そして「EF64」のホイッスルの響き。
「清張ドラマの名作」とともに、懐かしい「夜汽車」の旅立ちを久しぶりに堪能することができました。
おまけと言っては失礼ですが、「ECはくたか(白山?)」や「七尾線のDC」、さらには「北陸鉄道の旧電」も登場しており、
「鉄」的にも興味ある一品でありました。

 長々と失礼致しました。
以上、薄幸な女を演じていた「若き日の竹下景子さん」に「夜汽車旅」での淡い一夜の憧憬を抱いた
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 2月14日(日)10時53分59秒
タイトル ゲゲゲの カシガマ
▼ED76 109様:
> 車番確認や撮影等、明日は「チャンス」ではないでしょうか…?

三月改正で「北斗星」が一律 EF510の牽引に切り替るなら(来週、再来週の予定に
鑑みても)雪の日光連山を背景に、EF81の牽引編成が撮れる最後の機会かも知れず、
しかし昨日の降雪で、茨城・栃木県境付近の道路は「カッチカチやぞ!!」と予想され、
さりとて、我が愛車のタイヤはノーマルの侭………悔しいです!!

………などと悶えつつ、昨夜就寝前に、くらやみのまろ様に御教示を頂いた、田端の
EF81運用一覧を確認したら「カシガマ」の当番でした。嫌いではないけれど、態々
早起きして路面凍結の危険を冒す程でもないかと、今朝も安眠モードです(^^)

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昨夜、NHK連続TV小説「ゲゲゲの女房」予告編を一瞥しました。水木しげる氏と
結婚した主人公が、米子駅の設定と思しき電化路線の駅から、東京に向けてであろう、
旧客列車にて旅立つ場面があり、大井川鉄道辺りでのロケか、あるいは合成か、気に
なりますね。そもそも御結婚の1961年当時、鳥取県内は法勝寺電鉄(1967年廃止)が
電化されていた程度で、山陽線ですら、電化区間は三原以東に留まっていましたしね。

以上、菓子らしきを携えた嫁さんが、何処ぞに出掛ける中、セガレがGFから貰った
手作りクッキーを、嫉妬に狂う余り、少し失敬した、小市民な雑魚でした(^^)



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 2月14日(日)20時08分29秒
タイトル 法勝寺線
ターミナルが米子駅から少し離れていましたね。最初に写したのが昭和32年でしたが、
ビユーゲル集電になっていましたが、カテナリーはポール時代の1本のままでした。
途中から支線があったみたいでしたが‐‐‐‐‐‐早くに廃線になったそうで。
大学時代の鉄友と京都から下関行夜行で、ロを張り込んだらオロフ32という値打ち物でした。



投稿者 すいせい
投稿日 2010年 2月14日(日)22時00分33秒
タイトル さくら 特殊編成
仙コリ(管理人)様 クモイ103様 竹中@ノーブルジョーカー様 ED76109様

いろいろな情報をありがとうございました。
結局茶色だったんですね。
それから「旧客」の暖房は「暖房用蒸気」を蒸気管によって機関車から供給する構造のため
上りと下りの編成が入れ替わるという面白い編成でしたので、模型でそろえてみようと思います。
ありがとうございました。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 2月14日(日)22時49分47秒
タイトル 急行きたぐに
 こんばんは。
 SG・EGと暖房方式の話題に加わらせて頂きます。

 小生、秋田県在住の友人を訪ねるべく「急行きたぐに」の1985年頃当時、青森行きで参りました。
 編成はマニ+スロフ62+12系6両+10系B寝台4両+10系A寝台1両の堂々たる13両編成が、
米原〜田村間のDE10牽引含め、4回のカマ交換(米原・田村・直江津新潟)、
そして新潟での10系寝台車5両の切り離しのあとほぼ無人状態の12系+スロフ+マニの8両が、
「軽々と」青森へ疾走していました。

 夏季休暇での利用なので、冷房はスロフ62は自車電源、
12系はスハフ電源と分離されてるのが、スロフの床下ディーゼル音でわかりました。

 大阪駅での乗客の反応は、12系以外の旧客が手動扉であるのを知らない方々(女性など)は、列車到着後もドアが、
自動で開くものと思い(大阪では福知山線利用者以外、旧客を知らない方が殆ど)じっと立ったままで、
後方の主に男性から、「ノブをもって手で押し開けてごらん」と言われてた光景を思い出します。

 また帰路の大阪到着時、駅のアナウンスで印象的なのが、「列車がよく止まるまでお待ち下さい。
危険ですからデッキから飛び降りないで下さい。列車がよく止まるまでお待ち下さい。」と繰り返しておりました。

 なお、福知山線列車の到着時はこのようなアナウンスは、ありませんでした。

 眠っていても旧客の夢を見る「ユーラシア鉄道」の青春時代の想い出です。

 添付にアルバム整理で出てきたキハ81・ボンネットと小生の大好きな、
ED60(大糸線ではED62)牽引の12系臨時急行「きのくに51号」の、
竜華客車区からの関西本線〜阪和線・客車列車送り上げ線(現在は撤去)の到着写真です。
前方にはキハ58系急行きのくにの電留線待機。<天王寺駅・阪和線ホームより>



 
 
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