倶楽部メモ(520)
平成21年 5月 6日〜 5月11日



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 5月 6日(水)22時09分21秒
タイトル まことに、タイムリーでした。
きむたお様のように連休を利用し、「日本海」増結編成記録をおさめられた方がいらっしゃらないかと、
この場で情報提供を乞おうかと考えていた矢先、非常にタイムリーな投稿でありがたく思います。
わかる範囲で補足をさせていただきます。
まず「日本海」4/29大阪発ですが、友人から5/1大阪発の記録が送られてきました。
7号車にオハネ24 19(17-5秋田総合車セ)、
8号車に「北斗星」お下がりのオハネ24 44(20-6秋田総合車セ」が増結されています。
カニ24 25も23も先月まで「あけぼの」運用に就いていました。
5/1青森発1号車オハネフ24は白帯、白文字と記載の通りで、オハネフ24 10は誤り、正しくはオハネフ24 7と思います。
増結前の編成をやはり友人が送ってくれました。
おなじ白帯白文字でオハネフ24 8がいますが、こいつは17-11秋田総合車セ、「日本海」運用主体であること、
ひと月違いで検査を受けたオロネ24 5が21-1秋田総合車セであること(この全検時期も今回収穫でした。
オロネ24 4を差し替えたようです)から、入場中と踏んでいます。
5/1青森発オハネフ24 7(19-3秋田総合車セ)、オハネフ24 15(18-1秋田総合車セ)、
オハネフ25 117(20-11秋田総合車セ)です。
つづいて「北斗星」ですが、
オロハネ25 503(19-8大宮総合車セ)、オロハネ24 551(19-11大宮総合車セ)、
オハネフ25 13(20-10大宮総合車セ)、カニ24 508(17-3大宮総合車セ)です。
16-6大宮総合車セだったカニ24 506が20-10大宮総合車セですから、カニ24 508、507、505も
今年中に相次いで全検を迎えるものとおもいます。すべて17-2〜17-5表記です。
余談ながらオロハネ24 501も17-5大宮総合で、1年以上塩漬けですから、検査切れで廃車ではないかと危惧します。
EF81 88→16-4秋田総合車セです。参考までに。
長くなりますので、機会を改め「あけぼの」「北陸」全検に触れます。どれも手入れされ、きれいです。



投稿者 蜂屋
投稿日 2009年 5月 6日(水)22時34分39秒
タイトル 銚子電鉄の客車
皆様こんばんは。
今春の旧客第4段「いいやま菜の花まつり号」へ出掛けました。
旧客編成は今週、来週の「ナイトビュー更級号」ですので組成変更が無ければ、
昨年秋の運行時と同じオハ二36が長野方になります。
古いネガを少しスキャンしたので私鉄ですが一枚。
1977.1 笠上黒生にてタブレット交換。
ハフ2+デハ501 2軸車のせいか線路のせいか非常に素晴らしい乗り心地でした。




投稿者 太田拓也
投稿日 2009年 5月 8日(金)08時39分17秒
タイトル 大昔の投稿
去年末に出た「鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション16 国鉄の客車1950〜60」を読み返していて
ふと気づいたことがあります。

質問コーナーへの投稿者になんと「宇田賢吉」の名前が見つかりました。
福山市ですからおそらくあの運転士本人と思われます。
確か当時国鉄に入っていたんじゃないかと思いますが、内部の人間でも質問してよかったんでしょうか?

ちなみに質問内容は「つばめ」「はと」の電車化で余剰になったスハ44をなぜ「かもめ」に使わないかというもの。
もともと「かもめ」は方向転換が嫌でナハ11にしたのと気動車化が控えていたのでそのままにしたとの回答でした。
投稿者のホームページ



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月 9日(土)10時16分22秒
タイトル 「かもめ」(戦後)
内部の人間が「ピクトリアル」に質問するのは変ですが、「いけない」規定は
無かったでしょう。ご本人の常識の問題でもあり、一方「内部から言い難いので
刊行物で公にして欲しかった」かもしれません。今となっては余り厳格に追求
するのも如何かと想います。
「かもめ」のナハ11には閉口でした。何しろ非電化区間の「シンダーの飛び込み」が
酷くて、夏など網戸が前部閉まっていても、駅弁の胡麻が増えてきて??食べると
「ガリ」!首筋,頭がシンダーだらけの洗面所通いで、カレチに「オハ46の方が
マシ」と言ったら、「1号車」(オハ二36)に替わっても良いですよ-----でした。
本当にオハ46だった方が良かったと想います。宇田氏もその辺を含んでの発言??
その後「かもめ」には乗車機会が無かったのですが。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 5月 9日(土)21時28分43秒
タイトル 長距離鈍行・近畿編
 おばんでごさいます。「ED76109」であります。

 件の「旧客長距離鈍行」ですが、色々とありますね。
やはり、昭和50年代前期と40年代後期とでは、微妙に違っている部分があります。
読めば読むほど「味」があります。それでは、関西編を辿らせていただきます。
先達の皆様方の話題の欠片にしていただければ、眼福の限りであります。

  (関西本線)
   「921レ 名古屋・和歌山市」「923レ 名古屋・天王寺(後の「はやたま」)」
  「924レ 天王寺・名古屋(後の「はやたま」)」 ※「ハネ」は「新宮・天王寺」

  (紀勢本線)
  「123レ・133レ 新宮・和歌山市」「125レ 紀伊長島・紀伊田辺」
  「131レ・137レ 亀山・新宮」「135レ 亀山・和歌山市」
 「921レ 名古屋・和歌山市」「923レ 名古屋・天王寺(後の「はやたま」)」
  「128レ・130レ 和歌山市・亀山」「126レ 紀伊田辺・亀山」
  「132レ 紀伊田辺・松坂」「138レ 紀伊田辺・紀伊長島」
  「924レ 天王寺・名古屋(後の「はやたま」)」
   ※「923レ・924レ ハネ」は「新宮・天王寺」

  (福知山線)
   「721レ 大阪・出雲市」「723レ 大阪・米子」「735レ 大阪・鳥取」
  「722レ・724レ 鳥取・大阪」「740レ 香住・大阪」
  「726レ 浜田・大阪」

  (舞鶴線)
  「921レ 京都・敦賀」「922レ 敦賀・京都」

 「山陰本線」は中国・四国編で。
これら以外では、「和歌山線」「参宮線」「草津線」「播但線」といったところに加え、
「和田岬線」や「尼崎港・川西池田(通称ドテカン線?)」で「旧客鈍行」が運行されております。
「関西本線」や「紀勢本線」では「DF50」、「播但線」では「C57」が牽引していたのでありましょうか・・・。
意外と「紀勢本線」が充実していたように、小生は思いました。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 尼港線
投稿日 2009年 5月10日(日)01時02分4秒
タイトル Re: 旧播丹鉄道の「ジハ」(蒸気動車)
> マロネロ38様
亀レスどころか、カタツムリの如き遅レスで大変恐縮です。尼港線でございます。
貴重な写真、ありがとうございます。
ご下問がありながら、この3週間ばかり仕事が超多忙を極め、
まったくタイトルのことを調べられず、恐縮いたしております。
おそらく、参考資料としてはRM LIBRARYに入っている湯口徹氏の「日本の蒸気動車上・下」が最良と思われますので、
数日のうちに入手して、情報を整理し、こちらに書き込ませていただきます。



投稿者 尼港線
投稿日 2009年 5月10日(日)01時44分32秒
タイトル Re: 雑誌・資料等からの転記について
> 管理人様、クモイ103様
こちらも、超亀レスで恐縮ですが、やや曖昧にお考えの点があるように感じましたので、
私が職業上、理解しているところを整理して記させていただきます。
私、実は文筆を業としておりまして、もし本名を名乗れば、皆様の中には、
ひょっとしてご記憶の片隅にある方もおられるかもしれない…という者でございます。

まず、著作権法で保護される対象は「著作物」である、という点をご理解くださいませ。
著作物とは、同法で以下のように定められています。

第二条  著作物 「思想」又は「感情」を「創作的に表現したもの」であつて、
文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。(「」は筆者)

同法では、著作物の例示もありますが、あくまで例示にすぎず、「創作的に表現したもの」かどうかの判断は、
最終的には裁判に委ねなければならないものです。
しかしながら、慣習的には、個人の「思想」「感情」が関わって作られたものだけが著作物と認識されています。
従って、単に事実を記録したものである「編成記録」は、著作物とはおそらく認められないでしょう。
誰が記録しても、そこには感情が介入する余地はなく、正確である限り、同じものが出来上がります。年表などと同じです。
以下のような条文もあります。

第十条の2 事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第一号(=著作物の例示)に掲げる著作物に該当しない。

ただ、中身を書き写すのは問題ありませんが、例えば「鉄道ファン」誌などに掲載されている編成記録の記事を
スキャナーで取り込み、ここへアップしたらどうなるか?
おそらく、それは著作権法に反することになるでしょう。
編成記録を誌面上に表現するために、「どのような形で誌面に載せようか?」と考えた編集者の感情が入っているからです。


補足ですが雑誌記事などの引用については、以下の条文が適用されます。

第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。
この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上
正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

「公正な慣行」が引っかかりますが、一般的には、引用元を明示し、
常識的な範囲内(丸写ししたりしない)であれば可でしょう。

以上、ご参考になれば幸いです。



投稿者 太田拓也
投稿日 2009年 5月10日(日)07時20分32秒
タイトル Re:「かもめ」(戦後)
マロネロ38様>
「軽量客車はフレームが歪んで隙間風が・・・」とは聞いたことがありますが、
新製5年以内でそんなにひどかったんですか? てっきり昭和40年代の話かと。
見た目のボロい(当時既に不評だった)オハニ36も意外な存在価値があったのですね。

ちなみに宇田氏は運転士にしては客室にうるさく、117系電車をセミクロス化した時は
「扉間はクロスのまま残して、車端部をロング化すればいいじゃないか(京阪8000系はそうする予定)」
最近ですと「500系こだまはなぜ全車2&2にしない」などと発言しています。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 5月10日(日)09時00分20秒
タイトル Re3: 雑誌・資料等からの転記について
>尼港線様

ご教示ありがとうございます。

著作権法の保護対象は「著作物」であり、「著作物」の定義を踏まえるべしとのご指摘、ご尤もであります。
小生の生業は工業系で同法には普段あまり縁がありませんが、およそあらゆる法規を読み解く際、
何かにつけ「用語の定義」が前提となることは理解いたします。
「(本法律において○○とは)…であつて、〜ものをいう」というフレーズは、
だいたいどんな法律でも最初の方に出てくる決まり文句のようです。

> 「公正な慣行」が引っかかりますが、一般的には、引用元を明示し、常識的な範囲内(丸写ししたりしない)であれば可でしょう。
…とのお言葉、まさに先日の私の発言で踏み込みの足りなかったところであります。
「公正な慣行」とはたぶんそういう事なんだろうなと思いつつ今ひとつ自信の無かった点を補強していただき、ありがとうございます。


編成記録の転載の可否については、管理人様のご見解を伺ってもなお正直もやもやしており、この点へのコメントは避けていました。
情報そのものは「著作物」にあたらないから転載は出来るとのご見解、
日ごろ著作権に関わった仕事をしておられる方から伺うと心強いです。

一方、これまた仰る通り
> 例えば「鉄道ファン」誌などに掲載されている編成記録の記事をスキャナーで取り込み、ここへアップ
…は全く別問題です。情報自体は「著作物」でなくとも、それを加工して誌面を構成することは、正に編集者の存在意義の一部であり、
その著作行為に他なりません。
ミニコミ誌の編集にちょっと関わったことがありますので、その苦労の一端は…
例えば本HPの「客車資料館」にアップされている各種資料の画面構成は仙コリ(管理人)様の著作物であり、
内容を引用するのは良いけれど、画面を勝手によそへコピペするのは違法行為ですね。

つまるところ、何につけても情報を引用するときには「引用元を明示し、“常識的な”範囲内で」ということにつきますね。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月10日(日)09時45分2秒
タイトル 鈍行近畿
ED76109先生:
川西池田−尼崎港はC11.貨物は主に8620.
播但線はC51→C54→C55→C57→DD54→DD51
姫路−寺前間チョン行はC11→DE10
戦時中昭和17年8月の姫路→和田山間往復は8620でした。
ご参考迄に。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 5月10日(日)11時14分33秒
タイトル Re4: 雑誌・資料等からの転記について
尼港線様

著作権法に関する詳しいご解説ありがとうございます。

以前も書いたとおり正直法律には疎いので
(サイトの運営をしている以上、本当はそんなことは言っていられないのでしょうが…)
先の私の見解も希望的見解である部分もあったのですが、「事実の伝達は著作物に該当しない」(中略)
といった条文があるという事で、大筋では正しかったようで安堵しております。

一方、私の言葉足らずでありましたが、紙面・画像等のスキャナー等での丸写し転載は論外で、
いわゆる「盗作」にあたるでしょうから絶対にしてはいけない事だと思います。
言葉足らずの書き込みを陳謝するとともに、書き込みいただいている皆様にも、
厳にお気をつけいただきますようお願いいたします。

「客車」そのものが過去の物となりつつある現在、書き込みにおいても資料作成等においても、
各種資料・書籍にたよる事が大部分でありますので、引用に関しましては「常識的な範囲」「適度」「適切」
であることに気をつけなければいけないとあらためて認識させていただきました。

今回は法律に基づいた細かいご解説、本当にありがとうございました。



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 5月10日(日)21時05分52秒
タイトル 昔の「北斗星」編成
こんばんは。

早速ですが、お詫びです。
▼ 赤まんと様
ご指摘ありがとうございます。
確かに5/1の4002の先頭はオハネフ24 7でございます。
メモ帳にはしっかり書いてありました(汗
先に書いた編成をコピペしていじったのが問題の発端のようです。以後気をつけますm(__)m

また、各車の詳細ですが、やはり地元にターミナルや基地があると強いですね。羨ましいです。
当方の最寄り駅は今や夜行列車にとっては一途中駅ということで長くて2分の停車でみんな去っていきます・・・。


さてさて、連休中に部屋の片づけをしていると1枚のメモが出てきました。

1994/4/6 3レ 上野にて
EF81 96↑
カニ24 503
オハネフ24 501
オロハネ25 551
オロハネ25 557
オロネ25 503
スシ24 508
オハ25 551
オハネフ24 502
オハネ24 503
オハネ24 501
オハネ24 504
オハネフ25 7

学生時代に行った関東方面への工場見学旅行でのフリータイムに上野駅で眺めたものですが、
まだ編成の半分くらいが開放寝台車で組まれたなつかしい時代です。

今の編成は列車単独で見たときに個室が多く組まれ華やかですが、私の本心では廃止された列車・編成から
「良いとこ取り」したような編成で走っていているようでなんとなく寂しさを感じます。
「あかつき」「なは」や「はやぶさ」「富士」の末期についても同じような思いを抱いておりましたが、
皆様いかがでしょうか?
たとえ13両編成に個室寝台が1台しかつないでいなくても、「なは」、「彗星」をはじめ
臨時の「なは81・82号」、「霧島」、「雲仙」と一緒になって走っていた「あかつき」のほうが
カッコ良かったと思います・・・。

*暗い方向に話が行ってしまいすみません。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月11日(月)17時48分2秒
タイトル 塚口−尼崎港のジハ(戦後)
尼港線様:
お調べくださるそうであり難く存じます。結果をお待ちしています。
敗戦前後に走っていたと「郷土史家」の方主張されているので-----戦時中は
存じませんが、戦後は昭和22年秋に近くへ転居してから見ていません。播丹鉄道
のジハも、故亀井一男さんが「姫路−飾磨港」に使用していた----と仰って
いましたので、亀井さんは「山陽電鉄」の方でしたから、現実に見ている可能性
があります。1両常総筑波へ行って客車に改造された(W屋根)は知っていますが
----------いずれにせよ宜しく。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 5月11日(月)21時25分40秒
タイトル 「播但線」は「103系」でした
  毎度様でございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 補足ありがとうございます。小生、「播但線」と「和田岬線」は、平成13年の夏に「制覇」しております。
「姫路・寺前」は「103系」が奮闘しており、何か古い友人に出会ったような懐かしさ。
「和田岬線」は、既に旧客列車はなく、ドアが進行方向の右側(?)だけの「キハ35系」がガラガラで走っておりました。
小生、「八高線」で世話になって以来の再会に、懐かしさ一杯でありました。
 「播但線」は、最近発行されております「国鉄時代のリバイバル写真集」で、
「C57」牽引の旧客列車や貨物列車を見て、その頃「制覇」したかった思いが沸々と・・・。

 長々と失礼致しました。以上、久しぶりに「直流のEC」に乗りたくなった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
 
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