倶楽部メモ(519)
平成21年 5月 3日〜 5月 6日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 5月 3日(日)22時08分48秒
タイトル 生活導線としての客レ
▼クモイ 103様:
>「特急・ブルトレはガキが追うもの」と歯牙にもかけず、

こうした傾向は、私の出身大学でも同様でした。周囲がそれほど裕福でなかった事の
裏返しかも知れませんが、周遊券旅行の際「八甲田」「津軽」「大垣夜行」ではなく、
寝台特急なぞ使おうものなら、自己批判の始末書モノでしたね。

大学進学で上京する直前まで、旧客を通学手段として日常的に利用した立場としては、
混雑時のアコモの融通性を思えば、電車や気動車の方が快適でしたから、80年代半ば、
水戸界隈における客レの一斉廃止は、時代の必然なので仕方無い、という印象でした。

> 長距離鈍行が残っているのは「荷物輸送」のためであると言われていました

この点は不勉強でした。20年ほど前のRJ誌別冊における14系時代「大雪」同乗記で、
厳重に梱包した「血液」を輸送する記述がありましたから、かかる事情も頷けますね。

>「ひとむかし」「ふたむかし」と時代を遡ってゆけば、

分散動力方式が主流となって以降は、それこそ十年単位で、普通客レ自体のあり方が
変遷しつつあった、と捉えるべき趣旨と理解します。

> 掲示板を「客車大図書館」として整備

データ・ベースとしての編集の意向から「一書き込み一話題」を励行すべし、という
趣旨でしょうか。私の様に、周辺事象の広範な詮索を鉄道趣味の一環と考え、その癖、
当掲示板で第一義とされるであろう車両形式等の談義に疎い立場としては、どの様な
作風が望ましいか、少し悩ましい処です。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 5月 4日(月)01時00分15秒
タイトル 上記注意事項について
雑魚様
いつも書き込みありがとうございます。

上記注意事項の

☆過去ログ管理の都合上、本文の内容が把握できるようなタイトルをお付けいただけると助かります。
 また、異なる話題に入る場合は個別の書き込みにしていただければ幸いです。(お礼と次の質問等)

という部分へのご質問なので、管理人である私のほうから回答させていただきます。

お察しの通り、サイト「客車列車の旅」の中で、この「客車倶楽部」の過去ログを整備させていただいて
おりますので、そちらをごらんいただければ理解していただけるものと思いますが、過去ログとして
2種類用意させていただいていまして、基本的に全ての書き込みをそのまま掲載している通常の過去ログ
(ごくまれに訂正した上での掲載・非掲載といった場合もあります)と、ある程度以上の書き込みがあり
盛り上がったりした話題を含む書き込みを抽出して項目分けし「主な話題」として整備した過去ログを
掲載させていただいております。

ひとつの書き込みの中で複数の話題について書かれていますと、この「主な話題」の掲載時に多少不便が
生じてしまう場合がありますので(抽出時に他の話題が入り込むと、そちらの話題は途切れてしまう等)
出来れば上記の通り「個別の書き込みにしていただければ幸いです」とお願いしている次第です。

ただ、この「主な話題」は「客車倶楽部」本来の設置目的である「客車」「客車列車」の話題等に限定
させていただいている事などもあり全ての書き込みを掲載しているわけではない事や、話の流れの中で
次の話題になってしまう場合などもあるでしょうから、絶対にこうして下さいといっているわけでは
無いのですが、可能な範囲でご協力いただけると大変助かりますといった趣旨で記載しておりますので
ご理解いただければ幸いです。
投稿者のホームページ



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月 4日(月)15時13分13秒
タイトル 客車の痰壷
旧高砂工場車体担当のOBの方に伺つて見ました。
何と「垂れ流し」だそうです。但し運用の途中、毎日(入庫,滞留)?で掃除
していたとの事でした。
長編成の場合担当者は大変だったと想います。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 5月 5日(火)08時27分26秒
タイトル Re:Re:緩急車の命名法則の謎
>JIN様
ご無沙汰しております。

> 製造年が古い順に30から順番に付番

…という点、勉強不足でありました。ご教示ありがとうございます。
展望車の附番は知っていた筈なのに見落としておりました。
また、スハ32〜オハ35の間もよく見れば5桁番号の順になっていませんね。お恥ずかしい限りです。
というわけで、5月 2日(土)21時35分0秒の拙稿中、

> 新しい番号は、5桁の旧形式番号の並び順に30から機械的に割り振られました。

…というくだりは誤りでした。
管理人様、お手数ですが修正をお願いしますm(_ _)m
(できれば取消し線を付けて「後日訂正」とでも付記して頂ければと思いますが…)。



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 5月 5日(火)09時20分47秒
タイトル 連休中の「日本海」・「北陸」編成
連休中に記録した編成を報告しておきます。
まずは地元の「日本海」と「北陸」です。

'09/4/29(大阪発)、4001、下り「日本海」
EF81 101↑
カニ24 25
オロネ24 2
 オハネフ25 125
 オハネ24 20
 オハネ25 216
 オハネフ24 2
 オハネ24 51
 オハネ25 148
 オハネフ24 10


*EF81の「↓」は抵抗器カバーのある向き。


'09/4/29(金沢発)、3002〜3012、上り「北陸」
EF81 141↓
・スハネフ14 28
・オハネ14 91
 ・スハネ14 759
 ・スハネフ14 20
 ・スハネ14 756
 ・オロネ14 703
 ・スハネ14 701(富山→上野:乗車)
 ・スハネフ14 32

 EF64 1053

*EF81の「↓」は抵抗器カバーのある向き。
*700番台の客車は金帯。それ以外は白帯。


'09/5/1(青森発)、4002、上り「日本海」
EF81 48↓
(1)オハネフ24 10(白帯,白文字,折戸)
(2)オハネ25 32(金帯,SUS文字,引戸,17-11AT,青森→富山:乗車)
 (3)オハネ25 147(金帯,SUS文字,折戸,20-8AT)
 (4)オハネフ24 15(白帯,SUS文字,折戸)
 (5)オハネ25 211(金帯,SUS文字,折戸,19-5AT)
 (6)オハネ24 7(白帯,SUS文字,折戸,20-11AT)
 (7)オハネ25 38(白帯,白文字,折戸,18-1AT)
 (8)オハネ25 151(金帯,SUS文字,折戸,19-12AT)
 (11)オハネフ25 117(金帯,SUS文字,折戸)
 (12)オロネ24 5(白帯,SUS文字,折戸,21-1AT)
 カニ24 23(白帯,SUS文字,18-9AT)


*EF81の「↓」は抵抗器カバーのある向き。
*赤まんと様初め皆さんに習って拾える分だけ検査標記をメモしてみました。
 (不完全で申し訳ありません・・・)


'09/5/2(金沢着)、3001、上り(北陸線内)「北陸」
EF81 151↑
・スハネフ14 27
・スハネ14 702
 ・オロネ14 701
 ・スハネ14 758
 ・スハネフ14 29
 ・スハネ14 755
 ・オハネ14 82
 ・スハネフ14 35


*EF81の「↓」は抵抗器カバーのある向き。
*700番台の客車は金帯。それ以外は白帯。


▼ 赤まんと様、かじ様
スハネフのおでこのアンテナの件、ご教示ありがとうございましたm(__)m
確かにスハフ32にも付いておりました。
昔、例えば、低屋根800番台の電車でないと中央線に入れない、
などと云ったわかりやすい理由で運行制限を受けるクルマはありましたが、
今では普通の客車でも走行路線の制約を受ける時代なんですね・・・。



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 5月 5日(火)10時06分12秒
タイトル 4月30日上野着発夜行列車および5月1日SL列車編成
引き続き、北海道関連を報告いたします。

'09/4/30(上野着)、2022、上り「あけぼの」
EF64 1032
オハネフ24 25
オハネ24 3
 オハネ25 152
 オハネフ25 121
 オハネ24 554
 オハネ24 553
 オロネ24 553
 オハネフ24 12
 カニ24 109


*オハネフ24 25のみ白帯、それ以外は金帯。
*EF64牽引となった「あけぼの」を初見!
★生まれた時から富山に住んでいる私は青い機関車に憧れを持っています(^^)


'09/4/30(上野発)、1、下り「北斗星」
EF81 88↑ED79 4
オハネフ25 15(20-7NH)
オハネ25 562(20-2GK)
 オハネ25 564(21-3GK)
 オハネ25 566(20-6NH)
 オハネ25 552(19-11GK)
 スハネ25 503(20-11NH)
 スシ24 505(20-11OM)
 オロネ25 504(18-11OM)
 オロハネ25 503(上野→森:ハネ乗車)
 オロハネ24 551
 オハネフ25 13
 カニ24 508
 DD51 1140
 DD51 1143


*EF81の「↓」は抵抗器カバーのある向き。
*客車は全車金帯。
★「北斗星」初乗り!そして、これにて1993年3月改正以降運転していた定期客車列車全愛称に乗車記録を残せました!(^^)
*こちらも検査標記を記録していましたが、下車したときにメモしようと思っていたオロハネ〜カニを記録し忘れorz


'09/5/1、9989、下り「SL函館大沼」
↑C11 171↑
(4)スハフ14 505↓(16-5GK)
 (3)スハシ44 1↑(20-7NH,五稜郭→森:乗車)
 (2)オハ14 526↓(16-11GK)
 (1)オハ14 519↓(16-10GK)

 ヨ4647↓(19-6NH)
 DE10 1692↓

*C11の「↑」は煙突のある側。
*客車の「↓」は洗面所あるいは元洗面所側。
*ヨ3500の「↓」は手ブレーキハンドルのある側。
*DE10の「↓」は機関のある側。
★無性に旧型客車に乗りたくなったのが今回の渡道の理由(^^;)


'09/5/1、9990、上り「SL函館大沼」
↑C11 171↓
函ヨ4647↑
(1)オハ14 519↑
 (2)オハ14 526↑(森→函館:乗車)
 (3)スハシ44 1↓
 (4)スハフ14 519↑

 DE10 1692↑

*客貨車の所属は旭アサ。
*スハシの窓枠は外枠はアルミ、内枠は木製で、外側は青15号、内側は内装の薄茶色。
*14系客車の貫通扉(外側)はスハフの車掌室側とオハ14 519の洗面所側のみブドウ色、他は薄茶色。


その他
五稜郭にオハ50 5003が留置。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 5月 5日(火)13時18分48秒
タイトル 水戸駅にて
▼ED76 109様:
>「昭和48年JTB時刻表 6月号」を参考に「東北方面」の「長距離鈍行」

御指摘の列車のどの筋が該当するか判りませんが、昭和50年代、通学先を早退する度、
15時頃でしたか、水戸駅にて、仙台行に邂逅した事を思い出します。下校ラッシュの
時間帯ではない為、駅構内は比較的静かで、牽引機の汽笛と共に、連結器の衝撃音が
長大編成に次々と伝播する情景は、正に客レならでは。仙台直通の普通列車がこれら
客レ数本に限られていた事もあり、何やら荘厳性すら感じたものでした。

通学先の終業が15時半頃で、日立方面から通う生徒は少し急げば、15時40分過ぎ発の
高萩行に間に合ったのですが、更にその先、北茨城市域から通っていた若干の生徒は、
16時半頃発の便まで待たねばならず「どうせなら、駅前で少し遊んで行がねげ?」と
誘うと「そん次の五時半ちゃ 客車だべ? 混んでっと、居心地良ぐねぇし」との答え。
我々「客鉄」と異なり、世間一般の客レに対する感覚とは、その様なものでした。

余談ながら、その友人は都内の大学を経て大手商社に入社したのですが、広東方面の
ナントカ公司に出向中は、客レ移動(軟座でしょうね)の機会が多々あった模様です。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 5月 5日(火)23時47分5秒
タイトル 長距離鈍行・関東甲信越編
 黄金週間もあと1日となり、「きむたお」様の「SL函館大沼号」ご乗車にただ溜息の出ました、
「ED76109」であります。

 雑魚様
 >御指摘の列車のどの筋

  若干、「雑魚」様のご通学時期とは、ずれが生じるかもしれませんが、次のとおりではないでしょうか。

  「223レ 上野発仙台行 水戸14時56分着/15時17分発」→仙台行に邂逅
  (「743M 小山発勝田行 〃 15時36分着/15時39分発」)
    「471M 上野発高萩行 〃 15時43分着/15時51分発」→高萩行
  「441M 水戸発大津港行〃         16時45分発」→16時半頃発の便
  「425レ 上野発平行  〃 17時45分着/17時56分発」→そん次の五時半

  この間には、「ECときわ6号及び7号」と「ECみちのく」が発着しておりました。
 「雑魚」様の想い出は、如何でございましょう・・・。

 それでは、標題に係る「長距離鈍行第3弾」を辿らせていただきます。
 先達の皆様方の話題や想い出の欠片にしていただければ、幸甚の限りであります。

 (昭和48年JTB刊6月号時刻表から)

  (総武本線)
「321レ・323レ・325レ・327レ・329レ 千葉・銚子」
「322レ・324レ・326レ・328レ 銚子・千葉」

 (成田線)
「421レ 佐倉・銚子」「423レ・425レ 千葉・銚子」「422レ 銚子・成田」
「424レ・426レ・428レ 銚子・成田」「825レ・829レ 上野・成田」
「822レ・824レ 成田・上野(担ぎ屋列車)」
「826レ・828レ・830レ 成田・我孫子」

 (水戸線)
「2721レ 小山・勝田」「2723レ・2725レ・2727レ 小山・水戸」
「2728レ 勝田・小山」「2722レ・2724レ・2726レ 水戸・小山」

 (水郡線)
「2521レ 水戸・常陸太田」「2522レ 常陸太田・水戸」
「2341レ 水戸・常陸大子」「2342レ 常陸大子・水戸」

 (高崎・信越本線)
「321レ〜323レ 上野・新潟」「2325レ〜325レ 上野・直江津」
「322レ 直江津・上野」「324レ〜326レ 新潟・上野」

 (北陸本線)
「521レ 富山・長岡」「243レ 福井・直江津」「247レ 米原・直江津」
「523レ 米原・長岡」「1233レ 福井・泊」「227レ 米原・富山」
「224レ・230レ 金沢・米原」「226レ 富山・米原」「522レ 長岡・金沢」
「244レ 直江津・福井」「238レ 東富山・米原」「524レ 長岡・金沢」

 (中央東線)
「421レ・425レ(夜行便) 新宿・長野」「423レ 新宿・松本」「527レ 甲府・長野」
「441レ・443レ 甲府・松本」「525レ 小淵沢・岡谷」
「422レ 岡谷・新宿」「442レ・448レ 長野・甲府」
「524レ 長野・小淵沢」「424レ・426レ(夜行便) 長野・新宿」

 (中央西線)
「825レ・829レ 名古屋・長野」「831レ・833レ 名古屋・塩尻」
「835レ 名古屋・木曽福島」「821レ 上松・松本」
「824レ・826レ 松本・名古屋」「828レ・830レ 長野・名古屋」

 この他、「氷見線」や「北陸本線一部(米原・福井等)」で「旧客鈍行」が運行されておりました。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月 6日(水)09時58分19秒
タイトル 北海道庁振興部殖民軌道
ED76109先生:
こんな名称でしたか?折角北海道に勤務されているのですから、もう消え去って
しまった、これらの軌道の話を聞かせてください。鶴居や幌延中央には「客車」も
あったらしいですね?
先日NHKに「東藻琴」の農場風景が出てきましたが、釧網線の藻琴から軌道があった
のでは無いですか?昭和27年夏にチラリとDCか客車?を見ましたが、乗っていた
網走行の客車の停車位置と離れていたので、はっきり解りませんでした。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 5月 6日(水)13時29分22秒
タイトル 東藻琴村営軌道
▼マロネロ38様:

表題の軌道に関する詳述が、以下の頁にありますので、御参照下さい。これによると、
旅客・貨物の両面で、かなりの輸送規模を誇った時期がある様で、子供の頃、何かの
鉄道路線図(時刻表巻頭?)で、当該路線の記載を一瞥した記憶がある点からしても、
殖民軌道の中でも別格の扱いだった可能性があります。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8284/local/mokoto.html

1953年から同軌道の運営元となった東藻琴村は、網走市藻琴地区(藻琴駅界隈)への
従属的な命名感覚が窺えますが「字>自治体名」というのは、珍しい事例と感じます。
現行では、愛知県「西枇杷島町」所在の「枇杷島駅」が類例と言えるでしょうか。

かくいう私は、80年代、釧網線沿線をドライブ中、標茶にて「それらしき軌道跡」を
一瞥した事がある程度です。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 5月 6日(水)14時08分11秒
タイトル 水戸駅にて ・其之弐
▼ED76 109様:

更なる御指摘から、曖昧だった記憶が少しはっきりしました。そう言えば「そん次の
五時半」の前に、四ッ倉行の電車便があり、当時、平以北は、朝夕の仙台近郊または
急行崩れを除けば、殆どが客車便だった事から、妙に稀少性を感じた記憶があります。
そして「そん次の五時半」の後でしたか、確か草野行の電車便があった様な。

>「雑魚」様の想い出は、如何でございましょう…

当該時間帯における 453系「ときわ」の印象はあまり無いのですが、水戸 16:11発と
記憶する青森行「みちのく」は、常陸大子行の客レと、ほぼ同時入線で、中線一本を
挟んだ「並び状態」でしたから、強烈な印象でした。当時の私の関心は「青森直通の
優等列車 >>>> 旧客便」という序列でしたけどね(^^)

上り「みちのく」は 水戸着 12時半頃で、自家製のり弁を食べながら(全日制のみの
公立なので、供食事情は貧弱)教室の窓から眺めたものです。学校近所の線路際にて
詳しく観察したくもありましたが、一応「エスケープ・キラー」が要所々々に配され、
結局挫折。その話を「鉄親父」にすると「俺達の頃は、校庭下の茨交水浜線の線路が
格好の脱出路だったがな〜」と前置きした上で、非電化当時の常磐線のSLについて、
滔々と語るのでした(^^)

既述ネタですが、その当時、水郡線唯一の上り旧客便は 水戸着 7:31。これに対して、
上野行「ときわ 2号」が 7:30発、水戸線経由の上野行「つくばね」が 7:32発という
不条理ダイヤで、遠くは常陸大子から通学していた水郡線利用の友人達は「中舟生や
野上原も通過すんのに、ジーゼルより遅いっちゃ、あんめぇよ?」と、嘆き節でした。



投稿者 オハシ30
投稿日 2009年 5月 6日(水)15時50分32秒
タイトル 銀河のパーツ
先日銀河モデルのパーツ、オハ35、スハ43の乗客扉サッシタイプを買いました。
鋼板サッシ2段開閉窓(軽量客車によく見られた物)ですが、
様々な写真、文献を調べてもオハ35、スハ43でこのタイプのドアを使った車両が見つかりません。
何かご存知の方、お教え下さい。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 5月 6日(水)17時42分35秒
タイトル 開拓の歴史の証しであります
 連休最終日も・・・。言わずもがなの「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >北海道庁振興部殖民軌道

 御指摘の標題の「殖民軌道」でありますが、次のとおりであります。

 大正末期から昭和初期にかけて、「北海道庁」が入植地の交通手段の確保を図る必要から、
拓殖計画に基づいて建設したのであります。総延長は約600km強。
「内務省」による予算執行に基づき建設され、動力は「馬」が中心となり、
ガソリン機関車等が導入された軌道もございました。
「軌道」と称されておりましたが、「道路」としての位置づけであったことから、
「地方鉄道法」や「軌道法」に制約されない形での敷設が多かったようであります。
その理由として、春から夏にかけて「泥炭地」などによる泥濘で通行困難な地帯が多かったことなどが、理由であります。
ですから、「駅」以外の地点でも、地域住民が合図や運転士に声をかけるなどすれば、
停車することも珍しいことでは無かったとの記述も、一部に散見されます。
 大部分の「拓殖軌道」には定期的な運行ダイヤはほとんど存在せず、
交換が必要な場合は、荷物の軽い方が軌道を外れて譲り合ったという逸話があるほど、長閑な「鉄道」であり、
戦前の「全国時間表」にはほとんど掲載された記録はございません。
戦後、残存した「拓殖軌道」は地域の町村への運営委託後、「DL」や「DC」の導入、
「北海道開発局」による改良工事が実施され、「浜中町営軌道」や「別海村営軌道」等、
時刻表に掲載された路線も登場しております。
 しかし、昭和40年代以降、道路整備や住民の自動車への意識変化、国からの補助金休止が実施されたことから、
「拓殖軌道」は同47年までに廃止されており、現存する路線はありません。
なお、「雑魚様」御指摘の「東藻琴村営軌道」は、「拓殖軌道」として地方鉄道の免許を取得していた
珍しい凡例として特筆されるものであります。
 なお、以下に記録として記述された「拓殖軌道」を提示いたします。
「マロネロ38」様の想い出にある「北見鉄道(仮止別・小清水)」は、
同5年開通・同14年廃止された「私鉄」(?)のようであります。

  (道北)
    歌登町営軌道(昭和45年廃止)  歌登線(枝幸線)、幌別線、本幌別線
  幌延町営軌道(昭和46年廃止)   問寒別線
  美深町営軌道(昭和37年廃止)  仁宇布線

 (道東)
  標茶町営軌道(昭和46年廃止)  標茶線、沼幌支線
  鶴居村営軌道(昭和42年廃止)   雪裡線、幌呂線
  浜中町営軌道(昭和47年廃止)   茶内線、若松線、円朱別線
  東藻琴村営軌道(昭和40年廃止) 藻琴線、東洋沢支線
  別海村営軌道(昭和46年廃止)  風蓮線

 (道央)
  当別町営軌道(昭和33年廃止)


  資料 「簡易軌道見聞録」(プレスアイゼンバーン、昭和54年編)湯口 徹著
     「日本鉄道旅行地図帳 北海道」(新潮社、平成20年編)  今尾恵介監修

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 5月 6日(水)20時11分11秒
タイトル 殖民軌道
ED76109先生,雑魚様
色々ご親切なご教示ありがたく御礼申しあげます。
「別海」は最後まで「馬車軌道」だったと湯口徹さんの写真に故吉川文夫さん(私の
鉄道ファンの師匠)の解説文を読んでおります。雑貨店+食堂+喫茶店をバックに
馬車が写っています。屋根が円い幌で映画「駅馬車」を思い出す様な風景です。



 
 
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