倶楽部メモ(462)
平成20年10月10日〜10月13日



投稿者 急行音戸
投稿日 2008年10月10日(金)10時26分48秒
タイトル 20系客車
管理人様、皆さま
こんにちわ、急行音戸です。
懐かしい写真が出てまいりましたので、カキコさせていただきます。
乗務員をしていた父が撮影したもので、すでにカヤ(当時はマヤ?)も写っているところから、昭和49年ごろだと思います。
今の世相なら、職員が撮影し、ネットにて公表するなどもってのほか!なのでしょうが、
何分、34年も前、もう時効でしょうかね(笑)
向日町にて

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投稿者 ED76109
投稿日 2008年10月10日(金)17時25分41秒
タイトル 20系は永遠ですね・・・
 また、御邪魔致します。「ED76109」でございます。
先達の皆様方の「20系」の写真を拝見していますと、
晩年は臨時列車等での運用が多かったのだなと改めて感じております。
小生は幼い頃であっても、定期運用で「はやぶさ」や「銀河」に乗車できたことで、
恵まれた「鉄」人生であるなと思っております。
 さて、今回は「乗り鉄」の「戯言」をまた記させていただきます。
いつものように、先達の皆様方の話題にしていただければ幸いであります。

 1 昭和46年の夏、「鉄」親父と「出水」の親類宅から帰路に乗車したのは、京都行583系「きりしま」。
本来であれば、「桜島のハザ」で帰京する予定だったのですが、叔母が急遽「名古屋」の従兄弟宅まで同行する事になり、
出水駅の助役であった叔父の尽力で「きりしま」を確保。
しかし、当時の「きりしま」は「出水」を22時過ぎに発車して、「熊本」で日付が変わるダイヤで運転し、
「博多」や「小倉」無視の特徴ある寝台特急。
翌日の「三原」付近で目覚めましたが、「110p幅の下段」は心地よい眠りだったことを、小生記憶しています。

 2 昭和56年の9月の連休、「飯田線」に「乗り鉄」に出かけました。
「豊橋」まで「大垣夜行」を利用し、豊橋始発の「辰野行」の最後尾「クハユニ56」のボックスを占領。
「天竜峡」までは渓谷をぬうように、そして後半の「辰野」まではアルプスを眺めながら、伊那谷の風景を満喫しました。
その時、もう一つ印象に残っているのは、「新宿行」の鈍行の待ち時間を利用して入った「辰野」の駅前食堂。
生まれて初めて、卵でとじていない「カツ丼(ソースカツ丼)」を堪能。おいしかったですね。

 3 平成8年の盛夏、「白鳥」の自由席に「青森」から「大阪」まで乗車。
「上沼垂色」に少々違和感を感じつつも、快晴の日本海と象潟等の名勝、鳥海や黒部などの山岳風景、
そして「新疋田のループ線」や3度の「デッドセクション通過」と、
まさに「現代の北前船」に相応しい素晴らしい「乗り鉄」体験でした。
最も印象的だったのは「新潟の6分停車」。下車客の全員がホームに降りるのに「3分」。
そして、ホームの乗客が乗り切り、乗客の座席転換が終了するのに「3分」。
車両も最前部から最後尾に向きを変えて、全く別な「白鳥」に「変身」したかのような鮮やかさでしたね。

 長々と失礼しました。しかし、「20系」も「白鳥」もつい先日まで現役だったのに・・・。
少々感傷的になっている「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月10日(金)20時42分53秒
タイトル 20系700番台
▼ 仙コリ(管理人)様

早速の写真館への採用、誠にありがとうございます。
20系生誕50周年もさることながら、さよなら運転から10年以上も経ったことに時の流れの速さを実感しております・・・。

さて、表題の件ですが、700番台「ホリデーパル」は冬季のスキー臨、初夏の団臨「加賀路EXP」などで
時折富山に姿を見せていました。
ところが、私は意外にナハネフ側を撮影する機会に恵まれず、
リバーサルで撮ったのはおそらく、この1枚だけだと思います。

平成6年3月3日、富山→呉羽にて、回9524列車、ナハネフ22 701ほか。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月10日(金)21時33分55秒
タイトル カヤ21ラストナンバー
引き続き、ホリデーパルのカヤ側です。

ところで、ホリデーパルは白系統に塗装変更初期の窓周りは水色ですが、晩年は薄紫色に変わっていました。
この写真ではオハ14 701が初期の水色であるのがわかります。

平成6年2月5日、呉羽→富山にて、回9521列車、カヤ21 123ほか。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月12日(日)10時59分43秒
タイトル シュプール白馬・栂池号
連投失礼いたします。
北陸路の20系の活躍と云えば、多客臨「あおもり」と「シュプール号」を忘れるわけにはいかないので
これらについても投稿いたします。

写真は客車側でなくて恐縮ですが、呉羽−富山で離合するシュプール白馬・栂池編成の回送です。
(当時、同列車の編成は金沢運転所まで整備のためか、毎回回送されていました)

平成6年2月5日、左:回9528列車、右:回9527列車(EF81 105牽引)です。

なお、左に見えるナハネ20ですが、水タンクの形状から102号か105号と推定できます。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月12日(日)11時58分25秒
タイトル 急行あおもり
「あおもり」は、先の「雲仙」、「霧島」や「玄海」と同時に
それまでの「日本海」81・82号の格下げと云った形で誕生しました。
当時の宮原の20系は7連×6本を組むと予備車0となり、
年末年始や盆などは「雲仙」・「霧島」・「あおもり」で宮原車総動員で走っていたのを思い出します。
ところが、東北地区の秋の修学旅行シーズンには九州方面への多客臨が無く、また青森方面の需要が多いため、
青森の20系と宮原の20系(更に下関車借り入れを見た記録もあります)が9〜11連の長編成を組んで運転されていました。

写真は新大阪→大阪を行く平成5年10月9日の9510列車、「あおもり」です。
当時学生だった私ですが、10月7日の晩、青森へ向かう宮原車11連の「あおもり」号を目撃、
これは走行シーンを撮りたい!と思い、夏休みのバイト代の貯金を下ろし、「きたぐに」で大阪へ駆けつけました。
もちろん、すぐに学割証を発行してもらえるわけでもなく、初めての「大人料金」での旅行でありました(^^;)

なお、編成は10月7日晩(富山駅10月8日)の記録より、以下の通りとなります。

EF81 67
カヤ21 15
ナハネ20 361
 ナハネ20 142
 ナハネ20 362
 ナハネ20 229
 ナハネ20 305
 ナハネ20 312
 ナハネ20 360
 ナハネ20 241
 ナハネ20 230
 ナハネフ22 25


先頭のボロボロになった長岡区(酒田常駐)EF81が哀れですが、
普段は秋田地区で当時既に風前の灯であった50系客車を牽引していた機関車です。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月12日(日)13時16分20秒
タイトル カヤ21あおもり
引き続き、失礼します。
客車側から撮影の「あおもり」です。
バルブ撮影でテールマークが飛んでおり見苦しいのですが・・・。

平成5年11月3日、新津にて、9511列車。
EF81 107
ナハネフ22 17
ナハネ20 105
 ナハネ20 228
 ナハネ20 362
 ナハネ20 227
 ナハネ20 102
 ナハネ20 332
 カヤ21 16


#マイクロスカートなしカヤ21(「だいせん」運用に際しての荷物車・郵便車併結用でしたよね)は
イマイチな顔つきですねぇ・・・。




投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2008年10月13日(月)11時33分2秒
タイトル 20系「富士」
古いネガをひっくり返して20系の画像を探してみました。
友人と富士山をバックに撮れる定番の函南に向ったのですが、
富士山が見えるどころか生憎の雨でした。

昭和48年4月1日 函南 8レ「富士」

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投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2008年10月13日(月)11時35分27秒
タイトル 20系「富士」その2
振り返りの後追いです。

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投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2008年10月13日(月)15時37分33秒
タイトル 20系「日本海」
続いて「日本海」です。

昭和46年7月23日 二ツ井 「日本海」

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投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月13日(月)16時42分9秒
タイトル シュプール白馬・栂池
▼ 竹中@ノーブルジョーカー様

20系日本海、良いですね!!
デーデー重連の後ろに見えるナハネフ20がいい感じです!

それでは、私もデーデー牽引の20系を貼り付けます。
平成5年1月23日、水橋→東富山を行く「シュプール白馬・栂池」の回送、回9528列車です。
当時は車番等は控えることを覚えていませんが、20系は宮原、DD51は亀山の所属です。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月13日(月)16時48分17秒
タイトル シュプール白馬・栂池、客車側から
こちらはカヤ21バックの回9527列車です。
先と同様、平成5年1月23日、東富山→水橋にて。
マイクロスカートなし・燃料タンク保護板つきということで、手許の写真と後年の編成メモから車番が特定できそうです。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月13日(月)17時24分12秒
タイトル シュプール白馬・栂池、絵入りマーク
本日も連投失礼しました。
こちらは、スキーを担いだ「ゆきまる君」が描かれた絵入りマークを掲げる
ナハネフ22バックのシュプール白馬・栂池です。
平成5年3月9日、回9528列車、富山→呉羽にて。

なお、この「シュプール白馬・栂池」ですが、以上の2種のテールマークのほかに無地の白い板が表示された
(蛍光灯むき出しではありません)例もありました。
また、ナハネフ23が充当された例もありましたが、この場合は毎回、無地白板表示でした。




投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2008年10月13日(月)23時50分28秒
タイトル 東京駅の20系
「はやぶさ」と並んだ「あさかぜ51号」です。

昭和49年1月5日 東京駅

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