倶楽部メモ(377)
平成19年 8月20日〜 8月25日


投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 8月20日(月)12時41分2秒
タイトル 「ひたち」の485系
皆さま、こんにちは。今日も暑い一日になりそうですね。

 さて、「ひたち」の485系の運用が話題になっていますが、
485系の「ひたち」が走り始めたころの思い出を少し記してみたいと思います。
 485系の「ひたち」が登場したのは、多分、まだキハ81の11D・12Dが運転されていた
昭和47年の夏の臨時「ひたち」が最初であると記憶しています。
「ひたち」51〜の名称で、上野〜平間を1日に2往復か3往復くらい運転されましたが、
このとき充当されたのは、両端がクロ481−103とクハ481−19の仙センの9連でした。
 その後、同年10.2のダイヤ改正でキハ81が「くろしお」に転用されることになったのに伴い、
9月末(多分27日)から11D・12Dが暫定的にEC化され、
9011M.9012Mとして盛アオの485系12連に置き換えられましたが、
このときの481−209,210を先頭とする編成のヘッドマークは、手書きの紙を貼り付けたものでした。
 この改正から、「ひたち」は仙センの受持ちで5往復体制となり、区間も原の町、仙台へと伸びました。
この時点では、「あいづ」は未設定でしたので共通運用はあり得ませんが、
運転区間から見れば仙セン受持ちも納得できます。
 「ひたち」の受持ちが水カツに変更されたのは、昭和60.3.14の改正からで、
この時、ご承知のように鹿カコや門ミフなどから赤スカートやヒゲ無しのクハ481などが大量に転入して来ました。
訓練車編成の赤スカートクハ481−17も、この時はるばる門ミフからやって来た一員です。

>日野実験線様

 お久し振りですが、お元気でご活躍のことと存じます。
相当昔になりますが、平からオハユニ61やオハニ36が入っている磐越東線の列車でご一緒し、
福島客貨車区や福島機関区、オヤ33が居た松川などへ行ったことを思い出します。
 添付されているノーシル・ノーヘッダのオハ35の所属は高タカでしょうか?



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月20日(月)13時48分25秒
タイトル 水戸駅四方山話
▼クモイ103様:
> 構内入れ換えの活況を、偲ぶよすがは何か残っているでしょうか…

かかる入替が行われたであろう側線群自体が、昨年、内原駅に新設された電留線への
機能移転を受けて、かなり縮小されましたからね。以前は、水郡線関連の車両基地が
機関区の脇にあった為、出入区の際は常磐線を横切る形になり、これだけでもかなり
見応えのある光景でしたが、信号管制上の安全対策ゆえか、現在は、上野寄りにある
貨物駅の一部を充てており、こちらも「大人しい」印象となりました。

▼ホエ7030様:
>「ひたち」の受持ちが水カツに変更されたのは、昭和60.3.14の改正から
> 鹿カコや門ミフなどから赤スカートやヒゲ無しのクハ481などが大量に転入

それまでは、極めて特別な存在だった「ひたち」が「外様車両」多数を動員してまで、
大所帯になった事から、元々は、急行あってこその「特別急行」を意味する筈だった
特急の意義とは何か、特急が身近になって嬉しい反面、ちと複雑な印象でした。

当時、上野〜水戸を「ひたち」で往来する事が多かったのですが、特に多用したのが、
上り 4号(7:47発/水戸始発)でした。先発の 2号(7:30頃発/平始発)が、当日は
指定券も売り切れる程の人気列車であるのに対し、こちらはかなり余裕があり、確か
土浦までは空席もかなり目立っていた記憶があります。

> 訓練車編成の赤スカートクハ481-17

「赤スカート」仕様ではありませんが、埼玉県で「再会」できる日まで残り二箇月を
切りましたね。うまくすれば十月頃 さいたま新都心に出張がありそうです(ニヤリ)




投稿者 日野実験線@台湾
投稿日 2007年 8月20日(月)19時56分41秒
タイトル 高崎線普通列車
>ホエ7030様
大変ご無沙汰しております。ここ暫く海外駐在の身分で、中々趣味活動もままなりません。
ご高察の通り、この車はオハ352422で当時は高崎の所属でした。弘前の車(P誌のオハ35系
特集号をご参照下さい。)と共に東日本に最後まで残っていたノーシルノーヘッダー車でし
たが、残念ながら高崎線上野口の客車普通列車の廃止と共に廃車になってしまいましたね。
高崎の車は上野高架ホームに着くので邪魔物が多く、中々良い写真が取れませんでした。



投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 8月21日(火)17時10分0秒
タイトル 懐かしい構内風景
 画像のスキャンや添付をやったことが無いので、思い切って試して見ます。
手札版より少し小さめのプリントをEPSONのプリンタでスキャンしたままの状態で、
大き過ぎるのか小さ過ぎるのか、ご迷惑をおかけするかも知れませんがご容赦ください。

>管理人様

 もし失敗でしたら、お手数ですが削除してください。

 画像は、S35.12.31の水戸駅下り方。
架線柱が建ち始める直前の風景で、去り行く列車は、改造落成後間もないC6029(水)牽引の
3201レ・臨時みちのく(盛岡行)で、はつかりの気動車化で余剰となったスハ44系を主とする編成です。
(つばめ・はとの電車化による淡緑色のスハ44も入っています。)
右側に居るのはWルーフのスハ32です。夢のような素晴らしい時代でした。




投稿者 クモイ103
投稿日 2007年 8月21日(火)21時52分45秒
タイトル Re:懐かしい構内風景
ホエ7030様

 半世紀近く前の水戸駅、そして列車もだいぶ以前に話題にさせて戴いた「臨時みちのく」と、
貴重な写真をご披露下さり、ありがとうございます。
 青大将スハが2両入っていますが、「つばめ」「はと」引退後に「はつかり」へ転じていた車両がいたとのお話しで、
これはその流れなのですね。
 列車は盛岡行きで、デルタ線がありませんから、上りは2等全席が後ろ向きで上野へ帰ってきたのでしょうね。

# 「半世紀近く前」と自分で書いておいて、
その翌年が私の生まれ年ということにショックをを受けたのはナイショです_| ̄|○|||



投稿者 てりてり
投稿日 2007年 8月21日(火)23時03分21秒
タイトル 常磐線特急の思い出
ご無沙汰しております。暫く干物状態でした。
常磐線の特急列車と言えば今では『ひたち』シリーズですが、国鉄時代に戻れば『みちのく』を思い出します。
確か583系を使用していたはずで、幼い頃の私には青い列車は何と無く特別な思いがありました。
もっともその頃と言えば、急行『ときわ』を多く使っていました。
上野駅10番線に停車している姿を見ると何と無くワクワクしたものです。
 殆どが電車ですが、稀に?気動車もありました。確か水郡線の直通も連結していたと記憶しております。
1985年の時刻改正で急行も廃止になってしまい、ひたちの天下?となりました。
 下り列車が水戸駅に近づいたな、と感じるのは今も昔も偕楽園そばのロータリーである事
を思い出します。大体この辺りで降り支度をしたものです。
その水戸駅舎も1985年開催のつくば万博の前に近代的な建物に変わりましたね。
ほぼその頃に鹿島臨海鉄道が開業。とするともう22年前。
当時ニキビを気にしていた中学生は今や抜け毛を気にするショボクレおじさんです。
 一番最後に水戸を訪れたのは7年前です。
駅周辺や車内で此処にお集いの方々とすれ違ったのかも知れない…と思ってしまいました。
 つらつらと書いてきた事をお許し下さい。  
 現水戸芸術館の近くが私の出生地であります。それでは



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月22日(水)09時18分3秒
タイトル 水戸駅 今昔物語
▼ホエ7030様:
> 画像は、S 35.12.31の水戸駅下り方。架線柱が建ち始める直前の風景

貴重な画像を、有難うございます。盛岡行の昼行列車とは、幼少時に何度か利用した
電車急行「もりおか」を彷彿とさせますが、東北線を補完する機能を、ほぼ喪失した
現在の常磐線にあって、こうした設定は隔世の感もひとしおですね。

奥に見える陸橋が、路面電車の延長線である茨城交通水浜線です。その当時、列車の
最後尾付近に森らしきが見える高台の学校に在籍した親父達悪童が「エスケープ」に
活用していた線路ですが、これに水郡線や貨物線を絡めた周辺一帯の「錯綜振り」は、
以前、申し上げた様に、正に「鉄の聖地」でした(^^)

親父はこの高台から日々、蒸気列車の往来を俯瞰しつつ「鉄魂」を涵養した訳ですが、
四半世紀後、私は 同じ高台から 485系ボンネット「ひたち」583系「みちのく」更に
旧客など眺めていた訳です。チンプンカンプンの授業について行けず、教室内に響く
タイフォンに、どれだけ慰められた事か(^^)

掲出画像は、ほぼ同じ地点から今年の春先に撮影したものです。左側に分岐するのが
水郡線で、奥の水浜線跡は国道51号線バイパスに化けています。この 415系鋼製車も、
過去帳入りしましたね。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月22日(水)09時50分39秒
タイトル 1985年改正
▼てりてり様:
> 国鉄時代に戻れば『みちのく』を思い出します。確か583系を使用していたはずで、

水戸の発車時刻は、下りが16:11、上りが12:37と記憶します。下り便は、下校の際に
水戸駅で毎日の様に眺めていましたが、到着時に 勝田側から水郡線の旧客(16:37発
常陸大子行)が推進運転でほぼ同時に入線していたのも印象的な光景でした。当時は
583系が 雲の上の存在に感じられ(水戸〜仙台の停車駅も、日立・湯本・平・原ノ町・
相馬と「ひたち」とは別格でした)いずれ、是非乗りたいと思っている内、敢え無く
廃止されたのでした。

> 確か水郡線の直通も連結していたと記憶しております。

急行「奥久慈」併結の「ときわ」が二往復設定されていましたね。1983年に水郡線が
CTC化された際「奥久慈」は水郡線内が普通列車となる一往復体制となりましたが、
相方の「ときわ」は、間合運用の為、気動車枠が二往復残りました。

> 1985年の時刻改正で急行も廃止になってしまい、ひたちの天下?となりました。

その後も、科学博が開催されていた半年間は「奥久慈」相当スジが、臨時快速として
確か佐貫か我孫子の折り返しで残っていましたけどね。

> 下り列車が水戸駅に近づいたな、と感じるのは今も昔も偕楽園そばのロータリー

往年の「みちのく」の印象をからめつつ、御指摘の一帯でのひとコマをどうぞ。なお、
これは今年撮影した「水戸観梅」です。歩道橋における限られた「規制外」の区間に、
同業者がひしめき合う事、約二時間。疲れました………(^^)

> 現水戸芸術館の近くが私の出生地であります。

京成百貨店の近所ですね。当時はまだ「島津百貨店」と称していた頃かな?




投稿者 日野実験線@台湾
投稿日 2007年 8月22日(水)13時33分34秒
タイトル Re:懐かしい構内風景
>ホエ7030様

貴重な画像有難うございます。
水戸客貨車区は私が学生時代の最後に履歴票調査をした区として記憶に残っています。
当時200両近くの配置があり、2日間掛けて調査を終わり、検修の皆さんと雑談して
いた所、廃車になった車の履歴票が大量に保管されていることが分かり、慌てて調査を
始めましたが帰りの時間に間に合わなくなり、頼み込んで履歴票の貸出をして貰ったの
も今となっては良い思い出です。(時効ですよね・・・笑)

私はオロ11で青大将塗色から一般色(或いははつかり塗色)への変更を調査致しましたが、
スハ44については手付かずになっています。オロ11については、つばめ・はとの電車化後
殆ど九州(鹿児島)に転属したので、九州に転属する際に工場に臨時入場して塗色を一般色
に変更しています。
スハ44はどの様な形で塗色変更したのか解明が待たれるところです。


>クモイ103様

> # 「半世紀近く前」と自分で書いておいて、その翌年が私の生まれ年ということに
> ショックをを受けたのはナイショです_| ̄|○|||

同年代ですね。私はホエ7030様がこの画像を撮影された年生まれです。
私たちの世代は、客車の黄金時代には間に合いませんでしたが、自分で実際に客車を経験
し、記録することが出来た世代です。一世代下の方とお話しすると客車に乗った事がない
という方もいて、思わず _| ̄|○ の状態になります。(苦笑)



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 2007年 8月22日(水)15時01分19秒
タイトル 1列車の後継者
 管理人様、皆様、酷暑お見舞申し上げます。
 「みちのく」の話題に引き寄せられてしまいました・・・
 東北特急一番走者「はつかり」の補完便として設定された「みちのく」は元々「特殊列車」で、
青森で青函連絡船1・2便スイッチの「指定便」でしたね・・・
 昭和47年3月から57年11月14日まで上野発14時48分を貫いたのですが、
それもその筈で常磐線のスジ入れはこの「11M・12M」から・・・
当該列車自体が「はつかり補完」と言うより「元祖はつかり」の格だった訳であります。
 何時だったか忘れましたが常磐が乱れた時に4000番特急「ひたち」を土浦辺りに「差し置いて」
疾走して来た12Mもありました(笑)
 雑魚様の仰る通り、日中の常磐線でエメグリ103やら小豆色401・415に混ざって
荒川鉄橋を駆けてゆく583の堂々13Bは異色でした!
 これにすっかり魅了されて国鉄へ行く気になったと言っても・・・
 最後の11月14日11Mは小生泣いて地平第三ホーム(16・17番線)放送席に居りました。

 青列車様、昨年はありがとうございました。
 防長・・・遠くへお帰りになられたのですね・・・こちらへお出での節は是非御一報を!

 ED12様、御参考になられて小生も嬉しい限りです。
 スロの座席にカバーの白を差したり、スシのテーブルや調理室壁に薄緑を差したりするだけでも
Nとは言え印象が変わりますものね。
 個人的には在来型一般車の車内を外から見た時の印象は「薄暗い」もので、
出来れば灰色プラでは無くこちらは青15号か湘南緑で塗ってしまいたいのですが・・・
 レイアウト制作に並行してフリーランスに走っております安房守でございました。
投稿者のホームページ



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2007年 8月23日(木)10時53分51秒
タイトル 特急みちのく
小中と駅のカメラ小僧でした。その中でも583系は好きでしたね(^^)
<はつかり><ひばり>にも使われていていつの日かこれで旅してみたいと思っていました。
<はくつる>の寝台に乗ったことはあったのですが昼行は未経験。
あの日の念願叶えたのが今年の<水戸観梅>なのであります(^^)
急行みちのくは親父が乗車したらしいです。
はつかりに乗らなかったのと聞くとみちのくの方が北海道へ行くには便利だったと言うのです。
ちなみに目的地は釧路で話を聞くとやっとこさ山越えを。たぶん狩勝峠じゃないかな。



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 8月24日(金)10時35分9秒
タイトル 元鉄道小僧日記(東京編6)
ここ数日、暑い日が続いていますが皆様いかがお過ごしでしょうか?
今朝は少し涼しくて夏の終わりを予感させるような天候ですが、気象庁の3ヶ月予報によると残暑は厳しいとの事。
郊外で写真撮影なさる方は巣分かれの時期になりますので蜂などくれぐれも気をつけてください。
5月に行なった会社の健康診断にひっかかり、二次検査の為に滝野川の本社に向かう途中、
飛鳥山公園に久しぶりに立ち寄ったのですが、D51が鎮座しております。
今までは気にも留めなかったのですが、本郷通りから水平距離で100m強、高低差にして+10m程度。
果たしてどのようにして公園の高台に載せたのか不思議です。
公園東側の湘南新宿ラインの線路からも水平距離は同じ位ですし、高低差ともなれば更に条件は悪化します。
ご存知の方がいらしたらエピソードなど教えていただけたら幸いです。




投稿者 オハネフ12-2018”山陰”
投稿日 2007年 8月24日(金)22時34分5秒
タイトル 旅路引退
管理人様、皆様ご無沙汰しております。久しぶりの書き込みが、寂しいニュースとなりました。
JRWより"旅路"のさよなら運転の発表がありました。

http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173230_799.html

JT車とはいえ、またひとつ客車が姿を消す事となり寂しい限りです。
何度か乗車する機会がありましたが、座席車とは違った雰囲気が味わう事ができました。
一時期ハリウッドEXPとして臨時快速の夜行で運行していましたが、週末でも乗車率は
低くガラガラの状態で乗車した記憶があります。
最近では滅多に無い長時間停車(糸崎、三原、姫路)にて時間調整をしており乗客は、
停車中は揺れが無く結構眠れたのではないかと思います。

引退まであと少しの期間ですが、出来る限り記録を残したいと思います。

画像:EF58-150+旅路(2004.10)




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月25日(土)11時45分17秒
タイトル やはり気になる 「ゆとり」
▼オハネフ 12-2018“山陰”様:
> JRWより"旅路"のさよなら運転の発表がありました。

先日、旧保津峡駅様より御教示のあった「きのくに・シーサイド」に続く引退ですね。
客車仕様「ジョイフル・トレイン」が多いJR西日本にあっても、その牙城の一端が
綻びつつある印象ですが、JR東日本の地元としては、ますます「ゆとり」の動向が
気になります。何しろ水郡線にも入線するなど、茨城県としては大特意先ですからね。
画像は、今年三月末に東北線を黒磯まで往復した時の様子(再録)です。

重厚なゴハチと組み合わせても遜色が無い、落ち着いた外観は魅力ですね。こうした
視点から、1994年のリニューアルの際に、現在の塗装に改められた「YOU YOU サロン
岡山」については、元の塗装に戻らないかと、密かに思うのでした。皆様はどの様に
御感じでしょうか?




               
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