倶楽部メモ(376)
平成19年 8月16日〜 8月20日



投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 8月16日(木)13時12分44秒
タイトル 夏季臨撮影の思い出
皆様、猛暑お見舞い申し上げます。
 私は、お盆の時期になると、旧形客車健在の昭和50年の夏、
初めて東北線の夏季臨時列車の撮影に出かけたことを思い出します。
拙宅から2時間半くらいで氏家〜黒磯あたりへ行けるのですが、当時の愛車ブルーバードは非冷房。
今年ほどの猛暑ではなかったものの、例の「三角窓」を反転させて風を目一杯入れながら走っても、
下車するたびに汗まみれになったものです。
 当時は、お盆の時期や年末年始には旧形客車による臨時列車が多数運転されていましたが、
この夏の1回目の撮影行は8月13日の蒲須坂〜西那須野間で、この日撮ることができた臨時客車列車は、
8001レ・つばさ51(EF651046)、8102レ・まつしま52(EF5810)、
8402レ・ざおう51(EF5814)、8403レ・ざおう52(EF5889)、
8404レ・ざおう53(EF579)、8408レ・津軽51(EF58102)で、
8001レの14系11連以外はすべて旧形客車。
もちろん、定期の6M・はくつるや1D・2D・つばさ、1004レ・あけぼの2、102レ・八甲田、
121,122,123レや荷38レ、荷41レ、荷46レ、その他485系、583系の特急、
165系、455系の急行、EF15やEF81の貨物など盛り沢山の内容でしたが、
ラッキーだったのは、8月15日の戦没者慰霊祭のために、那須でご静養中の天皇皇后両陛下が東京にお帰りになる日
だったため、クロ157を含む157系5連の下り回送と上りお召し列車を撮ることができたことです。
 2回目は、8月17日の古河〜小金井間で、8001レ(EF651001)を初め、
8101レ・出羽51(EF5873)、8102レ・ざおう52(EF58114)、
8402レ・ばんだい51・みはる(EF5889)、8403レ・ざおう52(EF58102)、
8404レ・ざおう53・ばんだい52(EF5873)、8408レ・津軽51(EF5814)、
9408レ・男鹿52(EF579)の他、定期の404レ・津軽2や普通列車、荷物列車、
荷42M(クモユニ74×3)、その他181系DC,485系、583系、165系などを撮りました。
 EF57も健在で、58に至っては食傷気味になるほど次々とやって来ましたが、今となっては夢のような風景です。
不思議なことに、12系の列車は見ませんでした。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月16日(木)18時15分10秒
タイトル よりどりみどり♪
▼ホエ7030様:
思わずヨダレが垂れそうな陣容ですね。もし差し支え無ければ画像掲出を期待したく
存じます。昭和50年というと、東北新幹線の高架建設も未着工だった時期かと思われ、
絵になる構図たるや「よりどりみどり」状態だったと拝察申し上げます。

もっとも、道路自体は、この年の春に東北道の仙台南I.C.以南が漸く全通した段階で、
一般道に至っては、未整備区間も多かったでしょうから、線路際のアクセスには間々
御苦労があったと思います。私が「北斗星」などの撮影の際に定番の足場としている
宝積寺〜氏家の広域農道の陸橋にしても、開通してまだ数年ですからね。

当時の 485系というと「ひばり」「あいづ」「やまばと」はボンネット型でしょうね。
181系DCとは「つばさ」の事と思いますが、同列車は 同年秋、奥羽線の電化完成で
電車化されており、正に「最後の夏」だったのでしょう。

> 不思議なことに、12系の列車は見ませんでした。

その前年でしたか、仙台→宇都宮で利用した臨時昼行「八甲田」は12系でしたけどね。
当時は他に「ばんだい」「ざおう」「津軽」「十和田」などにも使われていた模様で、
関連サイトを調べると、東北線にもかかわらず、なぜか「長ナノ」を動員した編成も
あった様です。画像は最近のものですが、当時に思いを馳せつつ掲出。

これだけ優等列車が雁行すると、普通列車の運転はかなり制約された事と思いますが、
その当時 115系は普及していたのでしょうか。案外、両毛線よろしく「湘南ヅラ」が
運用されていたりして………




投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 2007年 8月16日(木)23時09分57秒
タイトル 運転台内装
割り込み失礼致します。
 ED12様御下問の件ですが、直流機は薄緑、交流機の新しいものや一部内燃機関車は明灰白色の様です。
(但しマスコン等機器は薄緑が多い様です。)
 模型に使われるのであれば、グリーン車帯の薄緑をそのままか、
黒を少し加えてお使いになられるとらしく見えるものです。
(運転台の中を普段除くと案外暗いものです。畜光塗料などもユニークな表情を得られるかも知れません。)
 蒸機も一部は明灰白となっていますので御留意を・・・
投稿者のホームページ



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 8月17日(金)11時24分47秒
タイトル 元鉄道小僧日記(みちのく番外編5)
皆様、お盆休みはいかがお過ごしでしたでしょうか?私は国産クラシックカーにて(「走る化石」でピンと来たら車ツウ)
秋田〜弘前に帰省していました。
今回は嫁の実家の秋田に先に参りましたので、早朝犬の散歩の時に羽越線踏み切りに行って待ち構えていましたが
定刻(AM6:45頃)になってもお目当てのあけぼのは通過せず10分待っても来ないようなので
近くのコンビニにスポーツ新聞を買いに行ったら21分遅れであけぼのが通過していきました。
秋田駅で降りる客も多いし、駅弁を買うのでしょうか?通路にはたくさん客がいました。
地元のニュースによるとあけぼのはお盆期間中はほぼ満席なのに、赤まんと様のご指摘通り通常の短い編成のままでした。
それならばという事で日本海・・・ですが、先の地震の影響で未だに運休中との事。
翌日は小学2年から6年間過ごした能代の港で釣り三昧。
午後からは五能線の米代川鉄橋で撮影しようと思ったのですが、前日の大雨により泥水&かなりの増水で諦めました。
その翌日には出来てもところどころがコマギレで部分開通の秋田自動車道を北上しながら大館以北は国道7号線で
奥羽本線と時より並走しながら弘前に向かいました。
無事、墓参り・岩木山散策も済んで時間もあったので、母方の旧家がある弘南電鉄大鰐線へ行きました。
かつては快速運転もされていたようですが、今では赤字続きで経営そのものも危ういのか、
すれ違い運転もできないほどまばらなダイヤになっているようです。
数少ない有人駅だった最寄の千歳駅も無人化になってかなり経っているようで空虚な感じにつつまれていました。
目新しかった東急車輛製のステンレス車も味気なくしか見えなかったです。
昔、運行に利用していた形式は不明ですが、インターネットで見てみると、
高松琴平電気鉄道株式会社3000形に雰囲気が似ています。
今から22年前の大学生の時に東武線の久喜あたりの側線で同じ車両を見たこともあります。
旧型車両を運行させたりすれば乗降客も増えてくれると思っているのですが・・・




投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年 8月17日(金)12時19分46秒
タイトル Re:よりどりみどり♪
>雑魚様:

 昭和50年前後の東北線の、特に福島・郡山以南の区間は、お盆や年末年始の繁忙期には、
長大編成の客車列車が次々とやって来る全国屈指の線区であったと思います。
しかしながら、「よりどりみどり」と仰られても、私の写真撮影技術は、残念ながら「写ればよい」と言う程度のもので、
これまで撮ってきたものを見返すたびに、撮影の位置や架線柱の処理など
「何でもう少し考えなかったのか」と思うことしきりです。
 画像の添付については、とにかくPC関係全般に弱いので、もう少し勉強してから試みようと思っています。
(スキャナーは無く、ネガもスキャン可能なプリンタはあるのですが、ネガのスキャン未経験の状態です。)

> 当時の485系

 ベタ焼きを見ると、ボンネット型は半分程度でした。
「あいづ」は両端ともにボンネットですが、「ひばり」は片側のみがあったり、
盛アオの運用もかなりあったので、ボンネットは意外と少なくなっていたようです。
181系DCはもちろん「つばさ」です。

> 12系列車

 当時12系は各地に配置されており、常磐線で私が撮ったものでも、
昭和45.8の8213レ・十和田51や47.8の8201レ・十和田52、47.9の季節臨6206レなどは
12系12連で運転されていますが、この50年夏の撮影では見かけませんでした。
私が撮っていた時間帯以外の列車には充当されていたのかも知れません。
 この撮影の時には、列車の走行写真を主目的にしていましたので、
客車の所属区に関してはマニ36など一部の車両しか確認しませんでしたが、
寄せ集めなど、おそらく様々な区所の客車が使用されていたものと思われます。
この年の正月に小山付近で撮った8401レ・ざおう51は水ミトの12両編成で、
オハ353271とオハフ462013のサイドビューを捉えました。

> 115系は普及して・・・

 普通列車の電車は、大部分115系でしたが、宇都宮〜黒磯の区間列車の一部などには、
455系や高シマの165系が運用されていました。
当時の両毛線には70系が、また日光線には40系が運用されていましたが、東北線での運用は見たことがありません。
 この年の3月には由宇〜神代、瀬野〜八本松方面に撮影に行ったのですが、
111系とともに80系の列車も多数健在で、久し振りにあの落ち着きのある車内の雰囲気を味わうことが出来ました。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月17日(金)14時13分24秒
タイトル 懐かしき 70年代
▼ホエ7030様:
> 画像の添付については(中略)もう少し勉強してから試みようと思っています。

プリント版の状態が良ければ、デジカメで「再撮影」したものでも 結構「見られる」
代物ですよ(^^)あまり無理も言えませんので、いずれ気が向かれましたら、という
程度で結構です。

>「ひばり」は片側のみがあったり

そういえば、当時、同様の状態だった「ひたち」も、確か「仙セン」の管轄でしたね。
実際に仙台まで直通する枠は小さく、平以北はむしろ急行主流だった頃、なぜ仙台の
所属だったのか、違和感を覚えたものでした。

> 宇都宮〜黒磯の区間列車の一部などには 455系や高シマの 165系が運用

そう言えば「なすの」「日光」「わたらせ」も「高シマ」編成でしたね。という事は
高崎線系統の「草津」「ゆけむり」等と 共通運用でしょうか。455系運用については、
後年、白河始発で黒磯まで各駅停車の「なすの」が、宇都宮で先行していた黒磯始発
普通列車を増結するという事例もあり、専ら客レだった 黒磯以北(仙台近郊を除く)
普通列車群にあって、貴重な「電車鈍行」でした。同様に 455系急行の格下げ事例は、
白河〜郡山の「あぶくま」や、福島〜仙台の夜行「あづま」でも見られましたね。

年代が少しずれますが、当時の陣容について「55-10改正 上野発着列車編成表」なる
サイトがあり、データを概観するだけで、思わず懐かしさを感じます。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月17日(金)17時28分24秒
タイトル 弘南鉄道
▼ぱわつよ様:
> 先の地震の影響で未だに運休中との事。

御蔭で「北陸」を介した家族旅行の予定が、その気になれば日帰りも可能な温泉一泊
ドライブに化けました(滂沱)災害発生直後の青海川駅の様子に言葉を失いましたが、
復旧時期の目処は立っているのでしょうかね。

> 大館以北は国道7号線で奥羽本線と時より並走しながら弘前に向かいました。

大館〜大鰐は、奥羽線と密着並行する区間が多いので、運転も割と楽しいでしょうね。
かつて「蒸機三重連」の名所として知られた県境の矢立峠では、何か旧線跡の痕跡は
残っているのでしょうか。

> かつては快速運転もされていたようですが、

昨年10月末までありましたね。途中の停車駅数は、下り六箇所、上り四箇所でしたが、
大鰐線の規格にあって、どの程度の速達効果があるか疑問です。そもそも、並行する
奥羽線なら、各駅停車でも途中一駅のみですからね(^^)

元々、大手総合電機メーカーによる地方電鉄のデモ事例として開業した側面が強いと
言われている様ですが、弘前市と大鰐町、併せても人口20万に満たない地方都市圏で
ある程度の棲み分けがあるとは云え、基本的にJRに並行するだけの、全長14km程の
電鉄線が存続しているのは、稀有な事例ですね。

これに近い陣容が静岡鉄道ですが、こちらは何と言っても政令指定都市、人口規模が
格段に違います。地方都市圏で、JRと競合する可能性があるローカル私鉄としては、
富山地鉄宇奈月本線・一畑電車北松江線電鉄・伊予鉄道郡中線も挙げられそうですが、
何れも該当区間における沿線自治体の人口総計は、大鰐線のそれを上回っていますね。

> 目新しかった東急車輛製のステンレス車も味気なくしか見えなかったです。

同じ東急系列でも、オリジナル「青蛙」ですと、結構「萌え」ますが、弘南鉄道では
運用実績がありませんからねぇ(^^)



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年 8月18日(土)09時34分21秒
タイトル Re:水戸駅名物
雑魚様
 これは確かに「茨城っぽい」料理で(^^)。一度行ってみたいですね。
 水戸駅にはもう10年くらい?ご無沙汰しており、記憶も薄れております。
昭和30年代の名作「ある機関助士」にこれでもかと登場する構内入れ換えの活況を、
偲ぶよすがは何か残っているでしょうか…

 余談ですが、昔ながらのデパートの大食堂、21世紀になっても東京日本橋の高島屋にありましたが、
3年くらい前に、今風のテナント方式になってしまいました。
硬券の食券、懐かしいですね。



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 8月18日(土)10時41分0秒
タイトル 元鉄道小僧日記(みちのく番外編6)
盆休みをフライングで取ったため(8/9〜)人気の無いオフィスで仕事をしている元鉄道小僧でございます。
帰省する都度、秋田以北〜弘前市にかけては21世紀になっても発展せず、
国道沿いに何か出来ても翌年には閉鎖・閉館されていたりと
衰退の一途をたどるのを目の当たりにするのはなかなか辛いものです。
>かつて「蒸機三重連」の名所として知られた県境の矢立峠では、何か旧線跡の痕跡は
>残っているのでしょうか。
陣場〜湯ノ沢〜碇ヶ関間は電化の際に随分トンネルをくぐるルートになっておりますので、
旧線後の痕跡はほとんどありませんが、唯一素人でもわかる場所があります。
テレビ東京ぐらいしか紹介してくれなさそうな日陰温泉が矢立峠にありますが、
坂を登る手前に国道7号線の真上を通る跨線橋+単線トンネルが現存しています。
橋の端部には西洋城風のモーターリストホテル(あえて上品に)が建っていますが、
私が物心ついた昭和52年の頃には営業していませんでした。
次回帰省するのは来年のGWですが、廃線跡と小坂鉄道のディーゼル3重連を写真に納められたらと思います。
それと1日がかりで弘南鉄道大鰐線紀行と題しまして沿線の様子を実りあるものに出来たらと思っております。
皆様の琴線に応えられるか自信はありませんが、期待しないでお待ちくださいませ。




投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年 8月18日(土)19時23分0秒
タイトル ひたち
雑魚さま
当時の485系ひたちが仙台もちだったのは、あいづと共通運用のためです。
仙台ー(ひたち)−上野ー(あいづ)−会津若松−(あいづ)−上野-(ひたち)−仙台と運用されていたはずです。
かつてひばりも9連だったころは、すんなり仙台に帰れたとの事ですが・・・。
廃止直前、あいづは再びひたちと共通運用になり、あいづ編成を使った列車のみグリーン車がついたのも
もう思い出になってしまいました。
(添付画像は関係ありません。8月4日の2レです)




投稿者 赤まんと
投稿日 2007年 8月19日(日)22時17分16秒
タイトル 運転再開のメドはいかに...
みなさまこんばんは。
「なつかしき70年代」タイトルの書き込み内容、懐かしいですね。
とは言いましても、私が尾久を走りぬける列車を意識するようになるのは1980年、5歳の夏のことでした。
祖父に買ってもらった双眼鏡がきっかけでした。
クロ先頭の「あいづ」は私にとってもたいへん印象的で、
先頭車にも関わらず小窓がズラリならんだグリーン車というのは、迫力でした。
よくタイフォンならしてかなりのスピードで駆け抜けていき、むしろ怖かった覚えがあります。
急行サロからはもう等級帯が消えかけており、帯つきのを見るとうれしい思いをしました。
反面、当時から本格的に増えはじめたユニット窓サロも好きという変わり者だったのです。
夜行列車はまだまだ健在で、夏の早い朝、祖父に付き添ってもらい、「越前」「天の川」あたりをよく見ました。
5歳にして10系、スハ43系にシビレる渋好みでした。
いま運休措置で尾久で休む「北陸」に組み込まれている車両すべて、このとき既に尾久配置で、
「北陸」「北星」「ゆうづる」に使われていたものです。
あれからさらに27年生き延びたことに感慨を覚えます。
「北陸」再開のメドはまだ立たないようですが、数日前こんどは8号車が差し替えられました。
いつ再開しても良いように、キチンと整備は続けられています。
そんな現場の姿勢にはただ頭が下がる思いです。
あさってからは世間より遅めの夏休み。
明晩の「銀河」にはどれだけの乗客がいることやら...。
お楽しみはいまのうち。しっかりと乗り味を味わっておかなくては、と思います。



投稿者 日野実験線@台湾
投稿日 2007年 8月20日(月)01時23分58秒
タイトル Re:懐かしき70年代
管理人様、皆様、大変ご無沙汰しております。
ここの所バタバタしてしまい,暫くご無沙汰してしまい、ROMばかりになっておりました
が70年代で思わず出てきてしまいました。
私が客車に興味を持ち、駅で特急などには見向きもせずに客車の写真を取り出したのが70年
代中頃でした。
最近、その頃のフィルムの退色が目立ってきたので時間を見つけてデジタル化しています。
その頃はまだ学生で安いフィルムとハーフサイズカメラで撮影しており、拙劣な画像です
が、その頃のことを思い出しながらスキャンをしています。
丁度スキャンした画像をアップします。撮影は1976.12.18上野駅です。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月20日(月)09時12分34秒
タイトル あいづ
▼理左衛門様:
> 廃止直前、あいづは再びひたちと共通運用になり、

それまでは一日一往復のみ運転されていた上野発着の在来線「つばさ」と共通運用を
組んでいた関係上「秋アキ」所属でしたね。奥羽線山形以南が、改軌工事で段階的に
閉鎖された1991〜92年に「つばさ」が仙台発着となった際も、この上野直通枠は残り、
こりゃ貴重だという事で、仙台→宇都宮で利用した事があります。

再び「ひたち」と共通運用を組んだ「あいづ」も、一年程度の命脈でしたね。この間、
時刻表にG無し編成の運転日があり、もしやと思って撮りに行けば案の定、片端のみ
ボンネット編成に遭遇したり、上りの黒磯→宇都宮が特急扱いで各駅に停車したりと、
傍目にも色々ありました(後者の背景事情は今なお不明)

磐越西線の定期特急が廃止された後、快速に一時期 仙台の 485系(現在の「赤べえ」
編成?)が充てられた事があり、HMにも「あいづ」が掲出されましたが、これとて
現在は過去帳入りの様ですね。



投稿者 ED12
投稿日 2007年 8月20日(月)12時09分8秒
タイトル Re 運転室内装
運転台内装について岩崎安房守義将様ご教授有難うございました。
模型「DB10」の運転室は明灰白色で塗装しました。 いい感じです。



 
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