倶楽部メモ(373)
平成19年 7月29日〜 8月 7日



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月29日(日)00時33分31秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 04
いわゆる「回送」運用では、さすがにHMは非掲出でした。画像を見る限り、至って
平穏な田園地帯の印象ですが(鴻野山〜大金)実際は並行道路に三脚の放列が著しく、
いわゆる「追っ駆け組」が直前に車を寄せる度、田圃の畝を幾重にも跨ぐ程の大声で、
構図確保の為の「牽制コール」が木霊する「熱きスポット」なのでした。

※いくら被写体が大事だからと言って、農道規格でのせっかち運転は止めましょうね。
 今日も「御父さんの付き合い」と思しき子供達数名の目前を、ちと無茶な運転にて
 通過する手合が若干見受けられ、傍目にもヒヤヒヤでした。




投稿者 旧保津峡駅
投稿日 2007年 7月29日(日)14時58分18秒
タイトル この夏で廃止?
JR西日本の不定期快速(?)きのくにシーサイド号がこの夏で最後の運転となるそうです。
これで関西圏の客車列車がまたひとつ消えます。もったいないなあ。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月29日(日)23時37分25秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 05
9336レ〜9343レのインターバルは「SLもおか 2号」で口直し。烏山線沿線から車で
30分前後と、丁度良いタイミングなのですが「掛け持ち組」はあまり見かけず、少し
意外でした。世間一般では蒸機の方がインパクトは強いでしょうが、やはり緑野での、
赤い機関車と青い客車の色彩的な組合わせは、より強烈かと感じます。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月30日(月)00時10分58秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 06
♪鉄橋だ、鉄橋だ、楽しいな〜

ちなみにこの歌、元々は出征兵士への壮行的な歌詞だったものを、終戦年の大晦日に
NHKラジオ「紅白歌試合」での使用に合わせ、直前に改詞されたものだそうですね。

ここは、かの「龍門の滝」から少し遡った江川の鉄橋です。あの滝の規模からすると、
本当に「小川」という感じですね。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月30日(月)10時15分28秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 07
二日目は何とか「定石」通りのポジションで構えましたが、通過の2・3分前に見事に
曇りました。定時運転なら晴れていたのですけどね(滂沱)

二日間とも、宝積寺〜下野花岡での撮影を優先しつつ「SLもおか」を掛持ちした為、
水戸→烏山→宝積寺→烏山→宝積寺→益子→宝積寺→烏山→宝積寺→烏山→水戸、と、
何ともセワしい移動となりました。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月30日(月)10時44分3秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 08
思わず「ナンダサカ、コンナサカ!」と形容したくなる様な光景ですが、私としては、
確かハ短調でしたか「♪一度〜限りの〜一度限りの人生を〜」などと、歌うのでした。
出典が判ったそこの貴方は「通」ですね(^^)どっこい、どっこい!




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 7月30日(月)13時26分31秒
タイトル 烏山 山あげ祭り 09
最後の被写体が通過した頃、夕焼け小焼けで日が暮れました。

♪車連ねて、みな帰ろ、烏(山)へ一緒に帰りましょう

………実際は殆どの方が、逆に宇都宮方向へと帰られたのですけどね。被写体を待つ
1〜2時間に及ぶ緊張が解けて、三脚を畳みながら「御疲れ様」と、御互いに労う様な
雰囲気の一時にもまた「鉄撮」の風情を感じるのです。

以上、纏まらない内容ですが、ナマハゲ………もとい(少なからぬ方々が、鬼気迫る
面持ちで、包丁の代わりに三脚を振り翳し「客レはいねが〜!」と顔を赤らめながら、
場所取りに腐心していましたけどね)ヤマアゲ・レポートとさせて頂きます(^^)




投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2007年 7月31日(火)01時35分8秒
タイトル 山上げ
雑魚様 素敵な写真であります(^^) 小川を渡るシーンはレイアウトを作ってみたいなと思わせます。
妖怪雨フラシは自宅待機でよかったような(^^;,<どっこい>はやっぱり蒸気機関車の発車シーンじゃなくちゃ(^^)
ヒューン!(ゆるめ)タータリラリラー!ウィーンウィーンウィーン!(息が切れるまで続く)
京浜急行の電車。父曰くうるせえ電車だな(^^; でも発車シーンはいつでもどこでも萌えるものですね(^^)

妖怪雨フラシの解説
会社のイベントに参加するといつも悪天候に。同業他社でも知られている。私がいないと皆安心するらしい。
茨城とか福島は行っちゃだめかなf(;^^A



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 2007年 8月 2日(木)23時28分39秒
タイトル 川が・・・
管理人様、皆様、御無沙汰しております、岩崎安房でございます。
 この前後2週はレイアウト職人でありますが、雑魚様、これぞ日本の原風景!
 下総守様と同意で、特に小川の鉄橋を行くシーナリーはぐっと心に迫るものが在ります。
 本心を言えば今回のレイアウトに川は欲しかったのですが、あちこちに巡業するレイアウトなもので
「耐久性第一」設計としてしまいまして、川は無しと・・・
 ノーマルDDに12系5箱、当たり前だったのに当たり前では無くなった光景なのですね・・・
 ところで・・・弊連盟では「兵隊(警備ボランティア)さんを乗せて〜♪」で、
「スピード、スピード窓の外〜♪ 畑も飛ぶ飛ぶオレも飛ぶ〜♪」と続きます(笑)
 最近は沿線ファンも二極化しているとか、駅ホーム回りは学生等若いファン、沿線にはシニアが・・・
 罵声&乱闘に血肉踊らせた会津や後志が懐かしいですが、好きなもの同志、仲良くマナーよくはやはり基本なのですね。
 すっかり出番が無くなって150分の1にセコセコの岩崎安房でございました。
投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月 3日(金)08時52分7秒
タイトル 999号
> ノーマルDDに12系 5箱、当たり前だったのに当たり前では無くなった光景

1979年に運転された行先不明列車「999号」の場合は、7〜8両 繋いでいた様子ですね。
手持ちの資料写真を改めると、烏山駅では側線に12系が留置されており、客車自体も
転線した事が判ります。当時は貨物列車用に引上線がかなり奥まで延びていましたが、
そちらの側からの転線だとすれば、これは「萌え」な光景です。

側線留置という事は、定期旅客便とは完全に別のスジを使ったという事ですね。多分、
貨物列車用のそれではないかと思いますが、途中の交換駅が大金のみ(麒麟麦酒工場
専用線の取扱があった仁井田でも、可能だったかも知れませんね)となると、現行の
ダイヤとの比較において、なかなか込み入った運用だったのかも知れません。

上記「999号」の運転時期は やはり七月下旬。つまり、昨年来の「山上げ祭り号」は、
基本構想において「999号」の焼き直しと言えますね。

>「スピード、スピード窓の外〜♪ 畑も飛ぶ飛ぶオレも飛ぶ〜♪」と続きます(笑)

新聞社に勤務する知人は「記者、記者、出奔、出奔……(中略)……ガセネタ飛ぶ飛ぶ、
首も飛ぶ」などと、物騒な改詞で自嘲気味でした(^^)

> 罵声&乱闘に血肉踊らせた会津や後志が懐かしいですが、

今回の盛況を見ると、拡声器を持参する手合がいても、不思議ではないですね(^^)




投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年 8月 4日(土)20時17分38秒
タイトル やはり客車はいい
大井川に行ってきましたが、35系・43系の大活躍、蒸気のみならず、納涼列車を電機牽引で運行など、客車の最後の楽園でした

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投稿者 赤まんと
投稿日 2007年 8月 6日(月)10時01分27秒
タイトル いよいよ増結開始です
みなさまこんにちは。
12系客車も気づけばオリジナルは東日本にわずか6両となり、
熱い視線の対象になっていることにいまさらながら驚かされます。
尾久にも90年代までまとまった両数がおり、居間の窓から一年の半分は留置された12系が見え、
肝心の休息する夜行が見えずにうんざりさせられたものです。
出発収容線の本線よりにずっと止まっていたためです。
いま高崎に残るのは最終増備分とはいえ来年で車齢30年...。
近くで眺めるとやはり疲れが見えますが、退色が少ないのが救いです。
6両のうち1両が昨年8年ぶりに全検受けてピカピカになりました。
残る5両は2001年5〜9月にかけて全検を受けており、あと2年程度でまたピカピカに整備されることと思います。
SL運転にあれだけ人気がある以上、高崎の12系も修繕を重ね今後まだ生き延びそうですね。
かつては12系よりずっと華やかな舞台に立ちながら、近年一気に存在感を薄めた寝台列車。
「14系のクーラーキセが変わった」「青森の24系って形態の差があって面白いね」
などという声が聞こえないのはどうしたことでしょう...寂しいかぎりです。
夜行列車は憧れの対象だったはずなのに...?
というわけで、昨日今日と、夜勤あけに「銀河」「あけぼの」編成記録取って帰ってきました。
肝心の乗客は...少ないですね。半分乗っていたか、どうか...。
でも、目的地についてはしゃぐ子供を見ていると、やっぱり夜行列車もまだまだ存在理由が完全になくなっていないな、
とおもうのです。
昨日の「銀河」はかつて「安芸」「瀬戸」「あさかぜ」置き換えのために生まれた車両中心に
100番台で統一されたきれいな編成。
カニは宮原に1両だけのオリジナルの0番台が入りました。昨年全検でクリーム色の色調を直された1106号機が担当。
今朝は残念ながら8号車のみ0番台、あと一歩で編成美ならず。
「あけぼの」は今年夏は一切増結計画なく、びっくりしました。
先月末から増結あると勘違いしていました。
今朝は廃止「出雲」から奇跡の復活を遂げたカニ24 112が入った編成。
前回全検から5年近くが経ち、近々検査入場では?とにらんでいます。
機関更新を94年に実施済みで、「あけぼの」「日本海」廃止まで使われる可能性大です。
牽引機は「はくつる」下り最終列車を引いた139号機で、先月全検上がりたてでピカピカ。
ヘッドマークも新調してやれないものか、とおもいます。
本数が減ってしまい、「北陸」も運休...なかなか計画に組み入れにくいでしょうが、
上野までお越しの際は夜行にも少し目を向けてやっていただけると、尾久の住民としては大変にうれしいのです。
運がよければ、カシオペア機が先頭の「北斗星」を撮ることもできます。最近また登板回数増えていますので...。



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 8月 6日(月)16時21分58秒
タイトル 元鉄道小僧日記(東京編5)
皆様と同じくらいに(?)鉄道を愛してやみませんが、
犬を連れている為、東北に帰省するときは自家用車を利用しています。
嫁の実家というのは羽越線秋田駅手前の仁井田踏み切り脇にあり早朝にはあけぼの・日本海を確認することが出来ます。
トワイライトEXは深夜なんでしょうね。生で見たことがありません。
お盆は多客期なので、13両編成のあけぼのを見られるとおもっていただけに
赤まんと様の投稿には少なからずショックを受けております。
尾久車両区の王子側には行き先表示が「札幌」となったままの北斗星用24系25型車両が数台余っているようなのですが、
車両のやりくりというのは単純ではないんでしょうか?
あと、自分的に少し違和感というか、不満というか・・・あるのですが、
あけぼのや北陸の車体脇の帯の色ですが、白と金の混合って統一感なくて嫌じゃないですか?
あけぼののごろんとシートのステッカー・・・少し興冷めです。
スーパーひたちの茨城キャンパーンの巨大なステッカーはかなり興冷めです。
未だに旧さを感じさせない車体のデザインにミスマッチな事この上無いと思いますが、皆様はどのようにお感じでしょうか?



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 2007年 8月 7日(火)00時54分55秒
タイトル 地平ホーム連絡通路
 管理人様、皆様、暑中お見舞い申し上げます。
 さて、上野駅地平ホームの尾久方地下通路、これはB幹開業時に出来たものですが、
それ以前は原則として職員も大連絡橋に上がって各ホームへ移動したものです。
 新幹線の無かった頃の東日本はL特急と夜汽車の天下、しかし台風だの集中豪雨だのでダイヤが乱れると
行先表示票を抱えて若衆は大連絡橋を昇降したものでして、それはそれはかなりキツイものでした。
 どんな時でも「意地」で列車運転を遂行し、殊に基幹列車の運休などあり得なかった時代で、
東北スジなら1M・2M「はつかり」、11M・12M「みちのく」、3M・4Mと7・8「ゆうづる」、5M・6M「はくつる」は
「指定列車」でして簡単に運休にはならないものでした。
 が・・・落雷と機関車故障で「1列車運休」なんて簡単に決めたり、信越本線不通で「日本海」全便運休(迂回もせず)
とする等、「列車運行に誇りと責任」が感じられないのでびっくりしています。
 その「在来線軽視」が客車外装の不統一や連絡輸送皆無のダイヤ設定と言う「現実」になっているのでしょうね。
 仕事って責任だと思うのです、あくまで乗車券は「有価証券類」とするならば基本契約である乗車券のみでも
全国行き来できなければならない筈、青春18きっぷどうの、と言う問題の前に、です。
 当時の中曽根政権が「国鉄が民営化しても値上げはしない」と言う拘束を作ったので、確かに値上げはしていませんが、
特急券を併用しなければ日常的一般的に上野から北海道へは行けなくなりました。
 なのにこんなに軽んじている、経営側にそれらの「精神論」が消滅している事が、
小生はとてもとても恐ろしいと思うのです。
 とにかく無事故!
 皆様も是非無事故で楽しい(一部の方はお仕事でしょうか?楽しいとは言えないかもしれませんが・・・)
夏をお過ごし下さいます様、心より御祈念申し上げます。

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