倶楽部メモ(363)
平成19年 5月 5日〜 5月11日




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月 5日(土)17時12分40秒
タイトル 本日の茂木駅
昨夜放映の「特急田中3号」を観て、無性に横軽に行きたくなった雑魚でございます。

> 雑魚様の卵酒 … いや〜美味しそうですね!

使用上の注意として、服用が過ぎると、一部内臓に過分の負担がかかります(^^)

> しかし小生経験で最難関は(中略)「ハイビア」「エリアワカオキ」です。

この感覚からすると、常磐線取手、青梅線御嶽、奥羽本線森岳など、ローマ字表記で
語尾が「e」となる駅名は、要注意ですね(^^)そもそも 日本語のローマ字表記とは、
母音と子音のマトリックスに基づき、機械的に当てはめている面が少なからず見られ、
実際は無声音となるウ段の文字にも、さも 有声音の如く「u」の表記が見られますね。
外国の方がこれを額面通りに発音するから、聞き取り難い事になるのでしょうか。

画像は先刻、城址から俯瞰した栃木県茂木町の様子です。丁度「SLもおか」編成が
側線に停まっていますが、これは、到着した下り便が客車ごと下館側に後退、側線に
転線して、切り離した蒸機を転写台で方向転換した直後の様子です。

以前は、客車をホームに残したまま蒸機を車止側から転線させていましたが、最近は、
直後に一般列車が発着する関係上、この様な事になっています。かつての熱塩駅なら、
この様な、ややこしい事にはならなかったのですけどね(^^)

転写台の作動時は、相変わらず「乙女の祈り」が流れます。安全対策上、音声による
注意喚起が必要なら、ハイケンスのセレナーデ辺りをフル・バージョンで流した方が、
雰囲気が出る様に思えるのですが(^^)

画像右下に少しだけ見える「延長予定線跡」以前は車止め直後から築堤となり、一時、
国道294号線の旧道を跨ぐ橋梁も存在したのですが、現在は築堤自体が崩され 更地に
化けております。もう少し先の街外れにある隧道は「健在」でしょうか………




投稿者 555
投稿日 2007年 5月 6日(日)21時53分7秒
タイトル はじめまして
現在、弘前に住んでいるものです。
生まれれたときから高校時代まで住んでいて、5年ほど前に戻ってきました。
生まれたときからED75700とオハ35型を中心とする客車に育てられ?
母親が昔旅行会社に勤めていたこともあり、時刻表が生まれたときから存在していました。
中でも、好きだったのは、「急行津軽」です。
私が物心ついた時には、スロフ62、オロネ10、オハネフ12、オハ47などの編成でした。
その中でやはり田舎の人間には、「上野行」のサボと「北オク」のサインがまぶしく見えたものでした。
当時奥羽本線にはほとんどが秋田の車両で、言葉は悪いですが煤けた感じの車両が多く見受けられたように思います。
その中で「あけぼの」の20系よりも、「津軽」の車両の方がまぶしく見えたのは私だけでしょうか。
 実際に乗ったのはせいぜい秋田までで、上野まで乗ったのは14系になってからのこと。
今では奥羽本線は、ミニ新幹線の影響で直通が出来ないので復活運転も出来ないのが残念です。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月 7日(月)00時25分1秒
タイトル 弘前と盛岡
> 現在、弘前に住んでいるものです。

茨城は水戸界隈の水辺に棲息する、雑魚と申します。弘前ですか。今頃の季節ですと、
弘前城の桜花に加え、残雪の岩木山を背景に一面水鏡状態の撫牛子の辺りを快走する
寝台特急の雄姿、そして少し足を伸ばし、これまた観桜の名所である芦野公園を行く
津軽鉄道のキハ22(現在は、観桜期のみ運用とか)と私好みの憧憬尽くしですね。

真冬に、下り「あけぼの」で通過した時の車窓風景は、同地を舞台としたNHK大河
ドラマ「いのち」の主題曲そのものといった風情でした。津軽鉄道のストーブ列車も
この様な印象なのでしょうね。

> ミニ新幹線の影響で直通が出来ないので復活運転も出来ないのが残念

根室・室蘭・信越・中央・山陰線と共に、長大幹線が一体性を喪失した典型例ですが、
全線電化が1975年であるのに対して、新潟・新津〜秋田〜青森は、1972年には電化が
完成しており(沿線の都市や人口分布の詮索はさて置き)個人的には、こちらの方が
幹線という印象でした。現在も「あけぼの」のスジが健在である点、感慨を覚えます。

ミニ新幹線といえば、田沢湖線が在来線規格だった頃、新幹線接続の関係で、盛岡の
発車が「はつかり」とほぼ同時だった「たざわ」の青森直通便は、終点到着の時点で
大きく遅れをとっていたのが印象的でした。経路が経路ゆえ当然の結果ですが、確か、
途中から秋田内陸縦貫鉄道に乗り換えると、先回りが効く列車もあったと記憶します。

それもこれも、在来線の優等列車が多元的に運転されていた時代の産物と言えますが、
最近はこうした事例も減り、東北では、宮古→盛岡における「リアス」vs「はまゆり
4号」くらいでしょうか(この二快速、クイズになりそうなネタですね)

一度、弘前の方に伺いたかったのでが、新幹線の八戸延伸に伴う、東北線特急の弘前
直通枠が拡大されて以降、高速バスとの比較において、仙台・東京への移動は、何が
主流になっているのでしょうか。

盛岡駅発着の高速バスというと、以前は猫も杓子も東口発着という事で、国道46号線
前九年交差点(かの歴史的事件ゆかりの地ですね)前後の僅かな区間での渋滞の為に
遅延が発生するという、実にもどかしい状況でしたが「ヨーデル」「とわだこ」等は、
機関区跡地を再開発したと思しき西口の発着となって以降、かなりの「時短効果」が
発生したのではないかと感じます。



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 5月 7日(月)11時38分34秒
タイトル 元鉄道小僧日記(みちのく番外編)
GWに鉄道好きにも関わらず、車で帰省した酔狂でございます(飼い犬と同行なので)。
雑魚様とのやりとりで小坂線跡のハエタタキを確認しようとしましたが、
小坂ICで下車するにも目的地の大鰐弘前ICまであと40km地点だと降りるに降りれず泣く泣く通過しました。
近々秋田内陸縦貫道と東北道が接続しますので、開通したら通行します。
風光明媚な小坂線跡を眺められるものだと思っております。
私の両親は津軽人なので祖母共に弘前市に在住であります。
幼かった頃、母方の実家は弘南鉄道大鰐線の津軽千歳(現千歳駅)間近にあり祖父と飽きるまで弘南電車を見ていました。
何度か乗車したことがありましたが、国鉄と違い軌道は一緒なのですが、路盤が悪いのでしょうか。
乗り心地の悪さは尋常ではありませんでした。
千歳駅はポイントで2番線まででき、快速運転の時にはすれちがいがあったようですが、
経営悪化に伴い快速運転も中止しになり運行本数も減っているようです。
ちなみに弘南電鉄は弘前駅発着の黒石線もありますが、こちらは乗ったことがありません。
4/28〜3日間弘前公園の満開の桜を満喫して車にて国道7号線を秋田方面に向かいました。
大鰐〜大館間は複線化されていますが、一部陣場〜湯ノ沢間は線路間が離れていて
下り線はトンネルから出ると鉄橋が左曲しながら渡る場所は
撮影ポイントで有名なのか何名か三脚を立てて待ち構えているようでした。
バイパス(もうじき大館IC予定)を通過し、7号線を二ツ井あたりを通過していると、
旧奥羽本線のトンネル跡が(富根-鶴形間)日本酒(喜久水)の貯蔵倉に生まれ変わったりして、
朽ち果てていくばかりの廃線跡ではなかった事に安堵していました。
「能代」というネーミングで発売されています。ラベルに「トンネル貯蔵」と書いています。
1升3000円程度で関東エリアでも購入可能です。端麗辛口で飲みやすいです。
秋田で2泊して秋田自動車道を北上方面に向かうと、雑魚様が書いていた通り、
北上線が高速道路と並走したり離れたりしているうちに錦秋湖脇を通っている北上線はいい眺めです。
ここに私が一番好きな20系車両が通過した事実は知りませんでした。
臨時かイベントか不明ですが、最近企画物で「なつかしの〜」シリーズが多いようなので
やはりファンとしては毎月時刻表をこまめにチェックしなければいけないんでしょうね。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月 7日(月)15時13分16秒
タイトル 弘南鉄道
> 近々秋田内陸縦貫道と東北道が接続しますので、開通したら通行します。

小坂JCT.〜大館北の予定線の事でしょうか。御話から察するに、長木川の谷に沿った
経路の様ですね。これが、能代まで北上中の秋田道と繋がると、特急「かもしか」や
急行「よねしろ」崩れの快速に影響が出そうですね。また「あけぼの」「日本海」も、
秋田以北は昼行特急を補完する側面が大きい分、あれこれ考えてしまいます。

> 祖父と飽きるまで弘南電車を見ていました。

弘前と大鰐を結ぶ点で、利用動機がかなり奥羽線と被る印象ですが、途中駅の頻度が
大きく異なるとはいえ、かかる地方で棲み分けが出来ているのは、偏に、東北有数の
城下町にして、短期間ながら県都だった事もある弘前の面目躍如という処でしょうか。

現在の弘前市は人口19万人弱。弘前藩の開港政策で後発的に発展した県都・青森市は、
今や人口30万超で、北東北では秋田市とここだけという中核市の指定も受けています。
やはり、東北・奥羽線が連絡船に接続すべく収束した鉄道体系の産物なのでしょうね。

> 弘南電鉄は弘前駅発着の黒石線もありますが、こちらは乗ったことがありません。

弘前〜黒石は、旧国鉄黒石線の経路もありましたが、こちらは大鰐線の様な棲分けは
定着しなかった様ですね。こちらの方が弘南線より距離は短く済みますが、川部での
乗換えの手間隙や、平賀を度外視した線形が、災いしたのでしょうか。先日言及した
津軽鉄道試乗の際、弘南鉄道も乗り潰しましたが、黒石線の乗客は終始 私一人(^^)

> 旧奥羽本線のトンネル跡が(富根-鶴形間)日本酒(喜久水)の貯蔵倉

「きくすい」という銘柄は、全国に幾つかある様ですね。個人的には、上越新幹線を
利用する際の御約束である「ふなぐち」を連想しますね(^^)トンネル酒があるなら、
廃線跡を転用した田圃で収穫された米で醸す趣向があって良いかも(^^)上田交通の
真田傍陽線跡の場合は、伊勢山隧道が茸の栽培場に化けています。

> 錦秋湖脇を通っている北上線はいい眺めです。

堰堤建設に伴い、1962年に大規模な線路の付替えがありました。わたらせ渓谷鉄道や
会津鉄道と異なり、堰堤湖岸が一律に隧道ではないのが嬉しいですね。さて、八ッ場
堰堤建設に伴い、吾妻線はどう化ける事やら?

………やはり、東北ネタは良いなぁ(^^)



投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 5月 8日(火)11時05分3秒
タイトル 元鉄道小僧日記(山形〜栃木編)
N大学付属高校に通っていたので、てっきりエスカレーターで大学に行けると思っていた高校3年の頃。
昭和60年11月に選抜試験が終わりロクに勉強もしていなく年が明けて職員室に呼ばれた私。
先生からの一言「推薦落ちたぞ」私「・・・」
丙午の次の年に生まれた私たちの学年は生徒数が多く、どの大学も入試倍率が高く
今更一般入試で受かりそうな大学を見つけることから始めました。
親に浪人してもいいか?と相談したら「ソバ屋の出前でもして働け!」との温かいお言葉。
偏差値が低そうな栃木のA工業大学に的を絞り2週間ほど猛勉強。
いざ出陣!山形〜福島まではつばさに乗り福島であおばに乗車。
小山駅に到着。車内アナウンスで「宇都宮線・水戸線・両毛線はお乗換えです」へー結構ターミナル駅?
乗換えでホームを散策するとかなりローカルちっくな雰囲気。
でもホームに停車している電車は濃いグリーンとオレンジが鮮やかな東海道線カラー(すみません形式出てこない)
小山駅を出てすぐに左曲がりして天下の小山ゆうえんち脇を通り田園地帯へ。
生まれ育った秋田や山形と変わらない田舎の景色に緊張感もほぐれはじめました。
足利駅には40分程度で到着。下見に行くには遠すぎるので旅館に入って参考書でも見るかと思いテレビをつけたら、
どのチャンネルも放映中にビックリ!(当時山形は日テレ系とフジ系の民放2局)
とうとう勉強できないまま試験に臨むことになりました。
翌日、試験も終わって帰路はどうしようかと時刻表を見てみたら・・・あらら?
乗換えが面倒なので在来線で小山から帰ろうかとしたら特急が停車しない!新幹線が停まる駅なのになんで???
この時期、駅を通過しまくる485系の特急列車が自分の中ではナンバー1で、
たとえ200km/h超のスピードで走っても各駅に停まるあおばが格下と思っていた18歳の頃。
結局、つばさの魅力には勝てず宇都宮まで各駅停車で行き山形まで到着したのを覚えています。
福島から急に速度が落ちて板谷峠を越えていきますが、
雑魚様の書き込みがあったスイッチバックやスノーシェルター・引込み線など
ディープな鉄道ファンにはたまらない景色もしっかり覚えています。
特急列車の平均速度は奥羽本線が特に遅かったと・・・
新幹線規格になる前でも高速走行できたのは(でも95km/h?)
上山〜山形 大曲〜秋田ぐらいだったような気がします。
僻地で無意味と思える複線エリアと、必要なのでは?という区間が単線だったりと。
それでも奥羽本線をこよなく愛してやまない元鉄道小僧でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月 8日(火)17時48分40秒
タイトル 485系特急の プライド
> N大学付属高校に通っていたので、

かのクラーク博士の名言を謳った校歌が有名ですね(^^)系列の工学系学部というと、
東京への途上、管理人様の地元になりますね。

> 乗換えでホームを散策するとかなりローカルちっくな雰囲気。

当時の小山駅両毛線ホームは、既に新幹線の高架下でしたから、割と重厚な雰囲気が
あったかと思いますよ。なお「東海道線カラー」の 115系ですが、貴重な高崎支社の
四両編成は、今でも両毛線で現役稼働中の様で、時々、宇都宮駅の側線で見掛けます。

> どのチャンネルも放映中にビックリ!

我が茨城県は、独自局こそ無いものの、首都圏と同じ陣容でした。それゆえ、東北に
旅行すると、二局しかない民放と、静止画像によるローカルなCMに、旅情を感じた
ものでした(^^)

> この時期、駅を通過しまくる 485系の特急列車が自分の中ではナンバー1で、

東北新幹線開業後も、90年代前半まで上野直通が続いた「あいづ」「つばさ」は結局、
小山に停車せず終いでしたね。大宮〜宇都宮において、特急は無停車、遠距離急行は
小山のみ停車、近距離急行はこれに久喜・古河を追加と記憶する従前の在来線体系を、
忠実に貫き通したのは、かつての東北線の主役としての自負ゆえでしょうか(^^)

> ディープな鉄道ファンにはたまらない景色

旧大沢駅の引上線終端部は、未だ藪に阻まれ到達出来ません。どうでも良い事ですが、
どうにも気になるんですよねぇ(^^)あの辺りの旧スイッチ・バック各駅を回るのに、
国道13号線とは別に中央分水界を越える山道を何度か往来しましたが、普通車一台が
やっとの山道の頂上から俯瞰する板谷峠の風景は、なかなか印象的でしたね。

厳寒期の旧駅も訪ねた事がありますが、峠駅などは一面の雪野原に電柱だけが林立し、
いわゆる「トワイライト・ゾ〜ン」愛好家の琴線に訴える事、大でした。

残念ながら改軌前に板谷峠を訪ねる機会が無かった為、桜桃の季節に庭坂の大曲線を
驀進する「つばさ」など、御約束の光景は見た事がありません。当時、同峠を越えた
数少ない普通列車は、電機が50系客車二両を牽引するもので、非常に力を持て余した
印象がありました。

当時は「電車客車」などと称され、趣味対象としては今ひとつ亜流気味だった50系も、
昼行客レの淘汰にあって最晩年は注目の的でしたね。白帯を消し近郊型に改造された
12系ともども、東北の風物詩という印象でした。

> 僻地で無意味と思える複線エリアと、必要なのでは?という区間が単線だったりと。

確かに、そうしたジレンマが目立ちましたねぇ。個人的には、沿線人口が比較的多い、
即ち普通列車の輻輳頻度も高い米沢〜新庄、湯沢〜秋田こそ、優先的に複線化されて
然るべきと感じていましたが、見方によっては、とりあえず全線複線化を前提として、
山間部など、用地取得が容易な領域から着手した、という事なのかも知れません。

往年の「つばさ」に敬意を表し(往時の編成に三両足りませんが)東北線を快走する
国鉄色 485系の画像をひとつ(氏家〜蒲須坂にて)




投稿者 555  
投稿日 2007年 5月 8日(火)21時12分36秒
タイトル 弘前から仙台・東京
 2002年12月に、八戸まで新幹線が開通しましたが、
弘前の人間にとっては、それほど意味のある開通とはなりませんでした。
 さて、雑魚様からお話いただきました弘前から仙台・東京への手段ですが、
八戸からの「つがる」が増えたとはいえ、2時間に1本程度ですので、
年末年始やGW,お盆の繁茂期を除けばあまり「つがる」の利用は多くないようです。
また近年の奥羽線は、大釈迦付近で落石や倒木、
冬には降雪によるポイント故障で結構よく止まるので信頼が低いような気がします。
まだ高速道路の方が除雪体制がしっかりしており、
「つがる」運休で高速バスへお客を誘導しているケースがよく見受けられました。
 東京へは航空機の利用が多く、青森市では53対47で鉄道利用のほうが多いようですが、
弘前では7割近くが航空機利用となっています。
意外と利用が多いのが、夜行バスの利用者で、全体の1割に達するのではないでしょうか。
 仙台へは盛岡までバスを利用し、新幹線に乗り継ぐ方が圧倒的に多いと思います。
また仙台直通のバスも人気があります。弘前からですと往復で8000円は魅力的です。
私も仙台への出張の折には前泊してもバスで行きます。
私の父の時代だと、弘前から仙台までは、急行「きたかみ」での直通、
帰りは仙台発0時過ぎの「八甲田」で青森まで行き、弘前行の普通列車というのが定番だったそうです。
 東京へは私はいつも青春18切符で花輪線、IGR経由で15時間ほどかけて行きます。
もう20年以上も通いなれたというのがいいのでしょうか、
かつて高崎にのべ8年ほど住んでいましたので、最寄の井野までも15時間半ほどでした。
この20年もひとつの歴史だと思います。
一ノ関以北は、50系や12系が走り、各支線にも細々と客車列車が走っていました。
昭和の最後の頃でした。



投稿者 ぱわつよ  
投稿日 2007年 5月 9日(水)10時44分34秒
タイトル 元鉄道小僧日記(山形完結編)
記憶の整理がつかないまま書き込みしているので、時代が飛んでしまって申し訳なく思う元鉄道小僧でございます。
雑魚様の行動履歴・知識の深さは私のような半端者は足元にも遠く及ばず
鉄道を愛する気持ちだけで一杯一杯ながら書き込みさせていただいております。
このような場を提供していただいている管理人様にも感謝です。
山形市内に住んでいながら仙山線には数回しか乗ったことがありません。
県都である山形市にいると、よほどの事が無ければ仙台に行く事もなかったからだろうと思います。
仙山線にはいい思い出が1つしかありませんでした。
それは中学2年の時に山寺に行った事だけです。石段を700段登ったでしょうか。
眼下に広がる山寺駅付近は箱庭の様相でした。あといい思い出はありません。
高校受験でS台電波という高専を受験した時には愛子(あやし)駅という山の中まで試験しに行き見事玉砕!
一般試験で望んだT北工業大学もサクラチル・・・仙台という街には縁が無かった・・・そうに違いない(笑)
管理人様のお膝元(?)のN大学工学部も一般入試でチャレンジし、
このときは郡山までつばさで乗り込み、駅西口のシティホテルで勉強もせず観光気分に浸っていたと思います。
翌朝、安積永盛駅に向かうに当たって東北線ではなく水郡線を利用しました。
理由は特に無く、ただ1駅でも水郡線に乗った事実を作りたかっただけでして・・・
考えてみると左沢線も北山形まで1駅乗ったことがありました。
郡山からも色よい返事は来なく(推薦で落ちて一般で受かるわけが無い)
いよいよ蕎麦屋に就職かと思っていましたら栃木からサクラサクの頼りが届きました。
その時には両親は湯沢に転勤しており、下宿していましたが、
父に報告するために山形から50系のレッドトレインに乗り湯沢に向かいました。
大好きなつばさなら2時間で行けるところを3時間はかかったでしょうか?
表向きは今後各駅に乗る機会がいつになるかわからないので目に焼き付けておこうという事でしたが、
実際は私大に通うと両親の負担も大きくなるので少しでも節約しようと思っていたのかもしれません。
新庄を越えて山中に入っていくと、渓流と並走する美しい景色が続くのと
及位(のぞき)というビックリする名前の駅に停車したり、
院内というひなびた駅に停車したりと各駅停車もいいものだと再認識させられました。
これからはしばらく足利〜湯沢というルートで実家に帰ることになりますが果たしてどの列車を利用したのでしょうか?
多分やっと栃木編へ続く



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月 9日(水)17時58分43秒
タイトル 東北 ・昼行客レ の 晩年
> 繁茂期を除けばあまり「つがる」の利用は多くないようです。

新幹線の八戸延伸は、競合する高速バスにも、少なからぬ影響を与えたと聞きますが、
盛岡〜弘前の移動距離の比較において、バスを選択する動機は依然、根強いのですね。
もっとも、新幹線が新青森まで延伸すれば、事情は多少、変わって来るでしょう。

それにしても、新幹線延伸後は、津軽海峡線列車が折返す事になるであろう新青森駅、
一面一線構造の現況を見ると、これをどう改良すれば拠点駅たり得るのか……などと、
余計な心配をしてしまいます。デルタ線を活用して、青森駅に寄らず、奥羽線ないし
津軽海峡線にスルー進入が可能な、東青森駅寄りの操車場(青森市浦町)に新幹線の
駅が設置されると、永らく確信していた事から、良くも悪くも、新青森駅は気になる
存在ですね。

新青森から津軽海峡線に進入する場合は、青森駅または滝内信号所にてエンド交換を
要する事になる為、客車運用がいつまで残るか、取り沙汰されていた「はまなす」は、
これを期に、何らかの置換またはスジ自体の見直しが成されるのでは、と想像します。

> 一ノ関以北は、50系や12系が走り、各支線にも細々と客車列車が走っていました。

1993年に発行された、RJ誌別冊「JR・民鉄/客車列車大追跡」によると、当時の
12系運用は盛岡〜青森および、弘前〜青森(快速「岩木」運用を含む)で、その他は
八戸線の鮫以西に一往復、男鹿線に二往復残っていた運用を含め、50系でした。また、
快速「海峡」は、八往復中、六往復が改造型50系、二往復が「はまなす」間合運用の
14系となっています。あの「ドラえもん」ペイントも、今では、懐かしい限りですね。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月 9日(水)18時19分50秒
タイトル 仙山線
> 県都である山形市にいると、よほどの事が無ければ仙台に行く事もなかったから

現在、仙台〜山形の都市間移動の主流は概ね、10〜20分間隔で運転される高速バスに
移行しており、通学に利用する事例も見られます。かかる傾向を受け、快速運転枠が
縮小傾向にある仙山線では、主に愛子以東の仙台都市圏輸送に特化しつつある様です。
北仙台〜陸前落合には途中駅が無く、普通列車といえば旧客のみ、という時代を知る
世代としては、隔世の感も著しいですね(ついでに 仙台の市電も記憶しております)

> 考えてみると左沢線も北山形まで1駅乗ったことがありました。

北山形駅は1927年まで、左沢線の専用駅だったのですね。つまり、八高線の北藤岡や
小海線の東小諸・乙女の様な感覚だったのでしょう。

> 父に報告するために山形から50系のレッドトレインに乗り湯沢に向かいました。

山形・秋田県境(雄勝峠)を越える普通列車は、かなり少ないので、選択肢はかなり
限られた事と拝察します。横手から山形に移動した知人の場合、特急料金負担を極力
抑える為、普通列車で、行ける所まで行こうと、終点の院内まで乗り通したのですが、
後続の特急が見事に通過し、思い切り旅程が狂うという珍事があったそうです(^^)



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月10日(木)13時53分2秒
タイトル 1993年当時の補足
> 1993年に発行された、RJ誌別冊「JR・民鉄/客車列車大追跡」

東北では、磐越西線で郡山〜会津若松に 2往復、会津若松〜越後石山に 1往復という
設定もありました(新津〜越後石山は回送)また、青森口の奥羽線50系が、土崎工場
回送のカニ24形を最後尾に連結した編成が掲載されており、山陰線客レの名物だった
後藤工場の回送併結と同様の趣旨が、奥羽線でも行われていた事が窺えますね。なお、
当時、東北地方以外で稼動していた定期普通客レは以下の通りです。

【函館線】小樽〜岩見沢(50系)
【山陰線】豊岡〜出雲市(12系/急行「だいせん」崩れは12+14系)
【芸備線】広島〜三次(50系)
【筑豊線】門司港・若松〜鳥栖(50系/原田〜鳥栖は回送扱い)
【日豊線】日豊線門司港〜宇佐(50系)宮崎〜西鹿児島(12系)
【九大線】鳥栖〜大分(12系)

宮崎〜西鹿児島の12系は、夜行急行「日南」のスジを継承したものです。寝台車こそ
外されましたが、JR四国・九州における急行の風物詩だった、ボックス・シートを
特急型に置換したアコモ改造編成が、引き続き充てられるという豪華版でした。なお、
同年師走改正で、奥羽線山形〜青森(山形以南は既に改軌済)に残る客レが 701系に
全面置換されています。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2007年 5月10日(木)17時13分54秒
タイトル (無題)
雑魚様がお待ち頂いたのに遅参した那珂川橋梁(^^)
その前にもドラマがありました。仙台から東北線に乗り換え。
座席にありつけてよかった。と思いきや後ろ二両は小牛田行きですの案内(^^; んじゃ石越までいかないじゃないか(^^;
小牛田の手前で前の車輌に引越しして座れた。すると隣のご婦人が二の腕をツンツン。
何ですかと問うと<これ一関いきますよね>大丈夫ですよと応えると安心したのかおねんねタイムであります。
でも東北はやっぱり楽しい。仙台では○部の笹かまと○の月をゲット(^^)売り娘さんの東北なまりもなんとも。
酒も買い込んで水戸観梅。車内でかまぼこつまみに一杯(^^)
勝田まで来てそういえば雑魚様がいらっしゃるだーと思い車窓に目をこらすと河川敷には車が止まっているだけ。
小田原の北条攻めに遅参した政宗公その後大変だったような(^^)



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 5月11日(金)15時18分35秒
タイトル くりはら 田園鉄道
> 雑魚様がお待ち頂いたのに遅参した那珂川橋梁(^^)

以前申し上げた様に、氷雨に負けて「車中」からの撮影と、こちらも失礼致しました。

> 後ろ二両は小牛田行きですの案内(^^; んじゃ石越までいかないじゃないか(^^;

区間便の設定状況から窺える様に、仙台都市圏は松島で一段落後、行政上は大崎圏の
小牛田にて概ね終焉しますからね。ここから先は、栗原市の中心の築館や、登米市の
中心の佐沼の何れも度外視した経路で(築館を通る国道四号線の経路は、丘陵越えが
間々ある為、元々は貨物輸送を第一義としたであろう東北線は、輸送力確保の観点上、
これを避けた、と見る向きもあるそうです)一面田圃が広がる宮城野を直線的に貫く
趣向が続きます。

石越にしても、駅西側に多少の市街がある他は(旧石越町役場を擁する中心街一帯は、
東側に少し離れています)くりはら田園鉄道が分岐する辺りで、再び一面の水田風景。
この分岐点の直前にあった渡り線を介し、前身の栗原電鉄の最盛期には、東北線から
旅客便が直通したそうです。客車仕様と思われますが、電鉄内の牽引機を含む車種が
気になりますね。

栗原電鉄時代、細倉まで乗り通した事がありますが、転換後、終着駅を移設する形で、
末端の貨物専用区間が、ほんの少しだけ「旅客化」された事を受けて「乗り潰し」の
履歴をどう処理するか、暫く悩みましたっけ(^^)



               
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