倶楽部メモ(296)
平成17年10月31日〜11月 5日


投稿者 太田拓也
投稿日 10月31日(月)13時29分12秒
タイトル 優等車両やーい
阪急西宮北口のダイヤモンドクロスを知る最後の世代、太田拓也です。

鉄道文化財の実情に嘆く人様 スハ32様

ホームというものは年とともに少しずつ変わっていて、現存するホームでも昔の写真と印象が違うことがよくあります。
今の大阪駅ホームに昭和初期の雰囲気が残っているとは思えないのですが、保存車両については同感です。

それでも旧客の3等車は探せば今でもかなりありますし、
クモハ40は備品が尽きて現役で走れなくなりましたが保存はするようです
(阪急正雀工場で動態保存されているP−6&900系の手前解体はできないでしょう)。
むしろ私としてはイネやロザといった優等車両がほとんど残っていないことのほうが気になります。
昔の並ロや特ロがどのようなものだったか知るすべがないですし、
イネで残っているのは弁天町の皇族専用車か事業用に改造されて生き残ったものだけ。
SLホテルも経営やメンテがうまくいかずに壊滅状態ですし、狩勝のナロネ20は解体されたとか。
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投稿者 はじめまして
投稿日 10月31日(月)22時32分4秒
タイトル 特急時代のスロ54について
「かもめ」用にブドウ1号のスロ54やスハ44の模型を買う予定なのですが、
いずれはEF58に牽引させて展望車も繋げてみたくなりそうなので、
どんな編成が存在したのか調べてみました。
EF58+展望車となると「つばめ」「はと」に限られるのですね。

ぶどう1号時代の「つばめ」「はと」の特ロは主にスロ60ですが、
青大将への変更時にスロ54に替わったという記事を良く目にします。
しかし、一度に全てスロ54に入れ替わったのでしょうか?
一時期は数両のスロ53が組み込まれたこともあったようですが、
もしかしたらブドウ1号時代にもスロ54が全面的に使用されていた
こともあるのではないでしょうか?

先輩諸氏の御知恵を拝借したく、何卒アドバイスお願い申し上げます。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 10月31日(月)23時01分30秒
タイトル 大阪駅
大阪駅のホームでそんなに古いものがあるのは知りませんでしたm(_ _)m
東京駅だと柱がいくつかあるのを知っているのですが。
それにしても今年戦後60年でドラマが多いけどロケは皆大井川鉄道(- -;
いかに昔の鉄道車両が無いかわかりますね。
他の人が感動的な所でも私は苦笑しています。
近代を支えてきた文化を残すことは大事ですね。
P.S大阪駅で食べたうどんおいしかった。
○じさい完敗しているぞ!


投稿者 EF5841
投稿日 11月 1日(火)00時45分40秒
タイトル >スロ54
スロ60からスロ54への変更は、青大将塗装に関する限り一斉です。
ぶどう1号色の編成にはスロ60を充当しておりました。
スロ53については、スロ60編製に予備車として充当されたこともあります。


投稿者 太田拓也
投稿日 11月 1日(火)12時05分55秒
タイトル 次は牽引定数
なるほど、青大将化と同時に変更されたのですか。
それならシークレットのままの色変更も納得がいきます。
(現在なら工場マンの誰かがネットに流してる)
ただ食堂車はオシ17が新製されているからよいとして、
3等車と展望車を営業しながら一斉塗り替えできるのでしょうか?
改正直後にぶどう色が隔日で走ったんじゃないかと推測されるのですが。

ところで、当時の「つばめ」「はと」はときどき増結があったようですが
特急ダイヤでのゴハチとロクニの限界は何両だったのでしょうか?
(客車最終日は15両でしたが、あれは大半がナロですから・・・)
投稿者のホームページ




投稿者 EF5841
投稿日 11月 1日(火)13時25分40秒
タイトル >塗装換え
11月19日 に間に合ったのは、
機関車にあっては 89号機と57号機の2両です。
それ以外については、翌年3月までの工場入りのときに順次塗り替えました。
客車の塗り替えについては、記録がないのですが 上下の2編成くらいで、逐次塗り替えられたようです。
機関車よりは予備車が多いので、塗り替えは早かったようです。

増結については、ナ級、ス級関係なく、15両までは可としていたようです。



投稿者 青列車
投稿日 11月 1日(火)13時39分8秒
タイトル 【牽引定数】EF58は600トン
お邪魔しますm(_ _)m
>>太田拓也様
タイトルだけで済んでしまいますが、EF58の最大牽引トン数は600トンとのことです。スハ車15両
ですね。
因みに、客車時代の急行なにわは通客甲C速度で換算60両(600トン)だった由。
つばめ・はとだと牽引定数は550トンだったのでは?(速度はおそらく通客甲B)。
マシ・スロ時代でマシ・マイテ各1両の12両編成とすると、40×10+45×2=490トン、あと1両
増結できる余裕がありますね。青大将になってマシ35がオシ17になると480トン、スロ54がナロ10
に置き換わると(スロ54×5→ナロ10×5、△50トン)430トンですから、スハ車で3両、ナロ車で
4両分の余裕ができます。
スハ+ナロ+マイだの、スハ+ナロ+ナロだの、ナロ+オシ+ナロだのの臨時増結もできるわけです。
流石にナロ4両増結の例は寡聞にして存じませんが、現車16両ではさしもの東海道本線の特急停車駅と雖も、
ホーム有効長に収まらなくなりそうで非現実的ですね。
(待避線有効長は?現車50両換算120両の貨物列車もあるのでそちらの方は支障ないでしょう)

さて、牽引可能トン数は当然速度によっても変わってきます。
EF65も貨物列車牽引なら、75キロ以下なら1200トンの列車を牽引できるものの、
ブルトレの特通客C2速度で走ろうとすると、510トンが精一杯
(丁度14系寝台車で14両編成=かつての「さくら」「みずほ」のフル編成)とのこと。

さて、現在の速度種別は、特通客C2、通客D4、停貨F8、特通電A8、停電B5などの呼び方で表現しますが、
かつては通客甲B、通客乙Aなどと呼ばれていました。
同じ速度種別でも新旧の呼び方があると思うのでうが、どれとどれが対応するのでしょう?
(かつて旧国鉄で動力車乗務員として永年勤続され、
今は定年退職された方に以前メールで問い合わせたことがあったのですが、
氏が乗務員になられた頃には既に現行方式の呼び方になっていて、
生憎氏のお手元にも新旧の対比・換算に関する資料がないとのことでした。
EF58の最大牽引トン数が600トンであるというのはその方に教えていただいたものです)。
諸賢のご教授を賜りたく便乗質問させていただきますm(_ _)m


投稿者 太田拓也
投稿日 11月 1日(火)15時20分53秒
タイトル じゃあC62は・・・
青列車様ありがとうございます。
さすがにナロじゃないと特急で15両はきついですか。

ところで蒸気機関車は非力というイメージが強く、「小海線でC56160を借りても旧客3両が限度(過去のカキコより)」
「C57でスハ10両はきつい、ナハ10かオハ47を混ぜないと」ということを聞いたことがあるのですが、
鉄ピクのバックナンバーではC62つばめが増結で13両、九州行きの急行がスハ、マロネ、マニで15両という記録があります。
いくら平坦線区とはいえシロクニがどれだけスピードを出せるのでしょうか?
投稿者のホームページ


投稿者 EF6480
投稿日 11月 1日(火)23時41分39秒
タイトル 牽引定数について
 こん**は。

 同じEF58でもかつての東海道で特急「さくら」「あさかぜ」などではツ甲A(定数46)、
九州急行でツ甲C(定数60)、関西方面の夜行急行でツ丙A(定数70)と大きく分かれます。
昭和36年10月時点では特急「さくら」「あさかぜ」でツD7(定数46)となっています。
この話となると奥が深いので手前味噌ではありますが
当HPの過去の優等列車を牽いた機関車たちのコンテンツをご覧になってみて下さい。
新旧の対比ですが昭和35年7月と36年10月を比較して参考になれば幸いです。
投稿者のホームページ


投稿者 はじめまして
投稿日 11月 2日(水)01時00分1秒
タイトル Re:>スロ54
EF5841様

情報ありがとうございます。
これですっきりしました。
スロ60を購入するか、いっそのこと青大将を揃えるか悩んでみます。
安い買い物ではないので、非常に悩んでいました。
悩むための材料が揃い、方針を決めることができるかもしれません。

重ね重ね有難うございました。


投稿者 鉄道文化財の実情に嘆く人
投稿日 11月 3日(木)09時57分44秒
タイトル 大阪駅改装工事に思う2
昭和8年(昭和9年6月部分開業)の大阪駅高架工事当時の
面影がどの程度ホームに残っているかですが、
強く残っているのは、大きなリベットだらけの重厚なホーム上屋の柱
西と東の端の詰所,西のテルハ(ホーム間荷物搬送ロープウエイ)跡
西の道路上橋梁部分の重厚さです。
逆に当時の雰囲気を壊しているのは、
客車ホームから電車ホームへのかさ上げ
キヨスク・エスカレータ・電行表示等は勿論ですが
端から端まで増設されている蛍光灯が大きい事が分かります
蛍光灯が無ければ、小物変更で当時の雰囲気がよみがえります
後は、煤煙から顔を洗う洗面台が撤去されている事ですね
その点、数年前まで米原駅は戦前の雰囲気がありました。
改装工事のおかげで一部ホームが削りとられて、蛍光灯撤去して
あるのが面白いので、通りかかった人は気にしてみてください。
ゴサン(C53)が3シリンダのブラストを響かせながら10両以上の客車
を引き、シゴイチ(C51)の列車が続き、8800やC12の福知山線木造客車
キハ41000・42000の西成線列車。客車入換えに忙しい6700
や1850etc その当時のほとんどの車両が現存していない事がわかります
その意味ではダブルルーフのスエ302。ニス塗木の椅子オハフ3333。
3軸ボギーマイテ492。が非常に貴重な鉄道文化遺産であること。
編成的に6両ほしい事から現存する旧客を1両も解体して欲しくない事
を強く思います。少なくとも朽ち果てたので1両づつ解体という
鉄道文化財的にまったく理解の無い動きだけはさけていただきたいと強く思います
その時代を知らない人が増えるとあまり共感がえられないかなぁ(涙)


投稿者 ED12
投稿日 11月 4日(金)17時04分5秒
タイトル 車両保存
「鉄道文化財の実情に嘆く人」様の鉄道車両も文化遺産とのご意見強く賛同する方も多いと存じます。
素人の質問で申しわけありませんが 車両を保存すると営業に使わなくても
固定資産税などの“税金”が発生するのでしょうか。
また この方面の公の支援などの制度はないのでしょうか。


投稿者 鉄道文化財の実情に嘆く人
投稿日 11月 4日(金)23時52分29秒
タイトル 部分的なお答え
正式な回答を私も期待しますが・・・
鉄道事業者が所有する車籍を有する鉄道車両で無くなった時点で
法的には、備品=くず鉄 レベルのはずです
梅小路の機関車も車籍の無い物は備品です。(備品シール貼ってます)
税金がどの程度かかるかどうかは知りませんが、かかっても微々たる額のはずです
支援に関しては、国もしくは地方自治体の文化財に認めてもらわねば
関係ないでしょうし、鉄道車両では、その可能性は低いですね
また日本ナショナルトラスト様などでも苦労されていると思いますが
日本でも、不動産(=建築物)の補助金制度は定着したものの、動産については
??です。掛け軸など美術品は文化財の場合、個人で持つと負担が大きいので
私設美術館などに寄付するのではないでしょうか?
幸い仏像は宗教団体が所有する事が基本ですので税金の心配ありません
この手の法律に詳しい方はこの掲示板に書き込みする可能性は低いでしょう
唯、日本では鉄道文化財の良心的な保存は、小さな地方私鉄の大井川鉄道1社しか
できないの?(怒)という気持ちを私は持ってます。


投稿者 青列車
投稿日 11月 5日(土)02時06分4秒
タイトル 【保存】理想と現実…
お邪魔しますm(_ _)m
鉄道に限らず近代遺産の保存・維持管理は並大抵ではありません。
古のもので重文指定でもされていれば一般にもそれが貴重なものであると認識してもらえますが、
近代の技術的産業遺産となると、一般には単なる古い機械・旧式の道具としか映らないのが実情です。
「鉄道文化財の実情に嘆く人」さまご指摘の、大阪駅の施設にしても、古きよき時代の面影、
先人達の汗と努力の結晶は確かに貴重な遺産である事は論を待ちません。
然しながら、21世紀の今日、毎日の鉄道利用者を受け入れる現役の施設として見た場合、
不具合や不都合が無いわけではありません。
当時と今とでは関連法規制も変わりますし、平均身長も歩幅も変わってます。
当時は存在しなかったもので、現在では当たり前にあるべき代物、
逆に当時は必需品だったのに現在では無意味なものもあろます。
JR大阪駅も、阪急梅田駅も、心情的には諸賢の仰せの通り、旧来の施設を残して欲しい気持ちは同じですが、
時代に合わせた施設の更新もまた、避けて通れない以上ある程度は仕方ないものと解釈します。
法制度上の細かい事に着いては浅学非才な私如きの手に負えるものでもなく、
無教養な私には高度な知識も持ち合わせていませんので、言及できる立場にはありませんが、
鉄道車両においても、ことに、実際に乗客を受け入れ本線路上を列車として走行する場合は、
クリアすべき事柄が多岐に渡ります。
法整備される以前から在籍した車輌なら、新法規の元では基準未満(違反)の事項があっても
特認扱いできる場合がありますが、その旧型車輌と同じ構造、同じ工程で新規に車輌を製造すると、
法規上認可が下りない事例もあります。
一旦車籍を失ったものを復旧させる場合も、同じ理由で認可が下りない事もある由。
保安装置などは技術革新も進み、旧世代の特に動力車などは、新製時にはなかった各種の装備が搭載され、
車輌の雰囲気すら変わってしまったものもあります。
それらの諸問題を一番簡単に解決できる方法は?「札びらで頬っぺたを叩く」事ですが、
叩かれた相手が納得できるだけ「福沢諭吉」を集めるとなるとこれまた大騒動です。
良き時代の貴重な遺産、残してやりたいのはやまやまですが、現状ではかなり困難でしょう。
ではどうするのか?口だけ出しても誰も同意してくれません。そこで
「金のあるものは、金を出せ」
「金の無いものは、知恵を出せ」
「知恵の無いものは、汗を出せ」
「汗も出せないものは、静かに去れ」
ということで、広く周知を集めるなら、或いは何か解決策が見えて来るかも知れません。
「継続は力なり」そして、
「流した汗は歴史に残る」(財団法人日本ナショナルトラストのポスターにあった言葉です)

こんな私にできる事は、たまに新金谷駅の構内側線で発車を待つ、オハニ367+スハフ432+スハフ433の車内掃除や、
そしてC12164のプレート磨き程度です。
生憎今年は7月の運転日までは参加できましたが、諸般の事情により8月以降は参加できずにいます。

尚、良心的な鉄道文化財の保存を行っている鉄道会社は多々ありますよ。
全国の保存鉄道同士の連絡協議会があり、多くの鉄道事業者や保存団体がお互い意見交換や技術協力に勤しんでいます。
ナショナルトラストの本部(上層部)の事情は、末端の一会員に過ぎない私には知る由もありませんので
何とも申し上げようの無いのが実情です
(仮に内部事情を知り得る立場であったとしてもココに記述するのはご法度です)。



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