倶楽部メモ(289)
平成17年 9月 7日〜 9月13日


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 7日(水)21時43分37秒
タイトル Re:マシ35の色
>EF5841様
 東シナ時代の[はと]の食堂車の予備としては、同じ東シナにマシ3512がいました。
 各種の文献から総合的に判断して、31-11改正時の特急用食堂車の配置は、
・東シナ:オシ173 174 マシ3512 (青大将色・[はと]用3両)
     マシ351 352 353 (ぶどう色・[あさかぜ]用3両)
・大ミハソ:オシ171 172 マシ3511 (青大将色・[つばめ]用3両)
 …となっていたと考えられます。この時点で、オシ17は4両しか存在しませんでした。

 「あさかぜ用にオシ17が東シナにも配置された」のは、翌昭和32年からの話ですね。オシ17増備車の配置年月日は、
 オシ175:S32.5.18
 オシ176:S32.6.7
 オシ177:S32.12.26
 オシ178:S33.1.31
 オシ179:S33.2.27
 オシ1710:S33.5.7
 …となっており、32年初夏に配置された175と176が[あさかぜ]に充当されたと考えられます。

 なお、これまたケチをつけるばかりで誠に心苦しいのですが、[あさかぜ]の客車運用は登場時からずっと2組で、
予備を入れても3両で足ります。
「予備車を含めると5両必要」とおっしゃるのは、33-10改正で登場した[はやぶさ]が[平和]と共通運用を組み、
合計5組で廻した話ではないでしょうか?



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月 8日(木)00時47分20秒
タイトル 肝心な事を忘れておりました!
 急曰
 青列車様への御返答を・・・と思っておりましたら模型にシフトして忘れておりました!大変失礼致しました。
 「細々と・・・」とは正に取るに足らない、しかし運転事故扱いになるお話でして、
ファン団体が専用臨として使用した際に、扉警が甘かったのですね、
発車時刻を過ぎても参加者が乗車せず、遅延した「事案」があり、
それだけならまだしも遅延が大幅になりまして参加者の一部が
「帰宅する為に取った指定券列車に間に合わないから接続を取れ」
と乗務員に迫った?らしいのです。
 出発早々に機関車故障だかで遅延していたので、それを問詰めた話では無かろうかと存知ますが、
その回復運転中に「撮影の為」に発車遅延ではJRさんだって面白くはありません。
 いわゆる「フォトランバイ」列車だったそうですが、言い換えれば途中駅の停車時分は「契約」では無く「目安」です。
目的地となる駅へ着いて、目的地の施設なり史跡なりへ往復する・・・
その所要時間分は「保証」しなければならないのですが、撮影の為に1時間ぴったりね!と言うのも馴染まない・・・
と感覚される訳です。
 この外、扉警要員自体が居なかったとか、全員酔っていて乱痴気したとか、
別の企画でもそんな事が重なって、とどめに「さよならタブレット号」「八高線SL」での
乗客鉄道マニアの「無法」が問題とされ
(デッキの走行中開扉を乗務員が止めさせようとしたら「昔は開けっ放しだったろう!」と凄まれた・・・とか、
やはり撮影で列車の外に出て遅延させた・・・とか)「一切鉄道マニアには貸すな!」となったそうです。
 さて、青列車様は扉警の経験者でしたか・・・
NTの米山事業課長とは某鉄道誌で対談させて頂いた事があるのですが、
実際スタイルが固まる迄は「胃が痛かった」そうです。
 白井さんと米山さんの情熱があの在来型一般車3両に凝縮されていて、
やはりJRのものや大井川鉄道直轄車とは違う暖かさと柔らかさを感じます。
 それと・・・換算66現車ではC623機単機では無理・・・のエピソードで、
編成最後部に重連DD51機で押す・・・当時は笑い話にしたのですが、
後日小樽築港機関区・山下元検査長(神様)とC11207機の「ニセコ」に乗ったら、
確かに「押して」いたので2人で大笑いしました。
技術的には問題無いそうですが、「頭の機関士の決断力と経験が左右する」作業なのだそうです。
ちなみにC623機もかの在来車5両+スハフ14でスッカスカ走ったので、牽引定数ぎりぎりでも案外OKらしいですね。
 下総守様、秋葉原で運転出来る場なんてあるのですか?
弊連盟レールフェステにお出で頂ければちょいと1本本線御譲りしますのに・・・
(これは本気ですよ!ただ軌道状態が悪いのでキングス客車15両+ブラスC62機はちょっと厳しいです)
投稿者のホームページ


投稿者 青列車
投稿日 9月 8日(木)10時40分49秒
タイトル 【御礼】ご回答有難う御座います
>>岩崎安房守義将様
不躾な愚問にもかかわらずかくもご丁寧なご回答を賜り厚く御礼申し上げます。それにしても…
ご発言を拝読して暗澹たる思いです。折角の鉄道会社様のご好意に対しなんと無礼な!…まさか
マナーも節度もわきまえたこちらの常連様方の中にはこんなことする人はいないと信じています
が、同じ「鉄」として悲しくなりました。

デッキのドア、確かに昔は開けっ放しでも平気で走っていましたし、デッキで涼むのは心地よく、
私も当時体験していますので、ドアを開けたい気持ちも理解はできます。しかし、係員の制止が
あるなら開けてはいけません(子供でもわかる常識ですよね)。何より転落事故(98%以上の確率
でそれは死亡事故になります)の危険があります。デッキからの転落事故が落ちた側の非(自己責任)
で済まされた時代ならともかく、今そんなことがあったら直ちに鉄道会社の責任問題にされ、
それこそ首脳陣や部署長の「首が飛ぶ」事態になりかねませんから、走行中のドア開扉が許諾され
るはずもないですね。

牽引定数は特に蒸機の場合、乗務員の力量次第ではカタログスペック以上の性能を発揮すると聞
いた事があります。鉄道ファン誌の2001年01月〜2003年12月号に連載された、宇田賢吉氏の、
「870,000キロの軌跡」の中にも、定数一杯の貨物列車を上り勾配上から「裏技」使って牽きだすく
だりがあり、感心したものです。また、「旅と鉄道」誌だったかとは思いますが、戦災の痛手もま
だ癒えてない頃、東海道線にC62牽引の現車17両の旅客列車があったとのことです。オールスハ
級だと換算68両。オールオハ級だと59.5両。あれ?案外なんとかなる?(^^);


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月 8日(木)21時45分46秒
タイトル 運転場
秋葉原でポポンテッタというお店に貸しレイアウトがあります。
ただ五月だかに引越ししてベニヤ板に線路でした。これからに期待。
買い物ついでだったので準急色キハ26を4連で走ってきました。(客車じゃなくてすみません)
買ったばっかりの試運転にはいいかも。
安房殿お誘いありがとうございます。
昔作った平和もあるのですがぶどう色2号なんです(汗)青大将か24系ブルトレ連れていくしか(涙)
当方千葉が好きなのですが183、ビュー、かき集め長大編成気動車が走るのは禁じ手かな(^^;
機関車はハチロクとかあるのでオハ61系は増産しなくちゃ。


投稿者 400系なすの
投稿日 9月11日(日)01時04分37秒
タイトル 夜行急行について
こんにちは。
早速ですが、ある日母が東京〜和歌山方面を結ぶ夜行急行を僕のNゲージの線路に走らせてほしいいってきました。
理由を聞くと、どうやら母は幼いころに和歌山に住んでいたらしく、そこから実家のある栃木に行く際、
母が中学生のころ亡くした母の母、つまり私から見れば祖母と一緒に乗った思い出の急行みたいです。
普段母に反抗してばかりいる親不孝者の僕ですが、さすがにこれはかなえてやりたいと思いましたが
なかなか資料が手に入らなくまた、手に入ったとしても編成などの詳細が書いてなくなかなか情報が手に入りません。
母によると急行那智らしいのですが本当にそうなのかわかりません。
ただ、王寺という駅は通ったそうです。ご存知の方是非教えてください。



投稿者 青列車
投稿日 9月11日(日)02時24分12秒
タイトル 【夜行急行】大和でしょうか?
お邪魔しますm(_ _)m
>>400系なすの様
お尋ねの列車ですが王寺駅ということは関西線経由の列車ですよね。
お話から察しますと急行「大和」あたりかと推測します。
ただこの列車、時代によって単独運転したり併結運転があったりですので、
ご母堂がご乗車になった年代がいつ頃なのか?(例えば昭和30年代なのか40年代なのか?)
によって編成が変わってくると思います。
30年代前半でしたら基本的にぶどう色ですし、40年代になると青塗り主体の編成になるはずです。
カマは東海道線上はまずEF58で間違いないでしょうが、関西線内はC57だったかDD51だったか?
これもたぶん昭和40年頃が境目になりそうです。
生憎小生も只今引っ越し準備中で、資料となりそうな文献は只今箱詰めしてしまい、確認が取れませんが、
昭和40年代の鉄道ジャーナルに、紀伊半島方面からの東京行き多層建て急行列車の「列車追跡シリーズ」がありますので、
もし首都圏在住で日曜日お時間が取れるようでしたら、交通博物館の図書室のご利用をお奨めします。
当該雑誌のバックナンバーの閲覧ができます。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月11日(日)05時21分14秒
タイトル 和歌山行き急行
たしか昭和43年頃ならば湊町行きに併結されていました。
この頃の時刻表が家のどこかにタイムカプセル状態なのですが。
曖昧ですが和歌山行きは寝台車が1、2両で奈良から他の座席車と連結して和歌山に行きました。
おそらく10系寝台車だと思います。
母上様の記憶も大事です。色、SLだったか寝台車だったかとか。
ちなみにうちの親父(他界)は素人?だけど結構覚えていて参考になりました。
おふくろさん大事にしてください。


投稿者 C58221
投稿日 9月11日(日)15時08分7秒
タイトル 急行大和
こんにちは。
その列車については下記URL広瀬和彦さんの「思い出の箱」というホームページの中の、
「幼き頃」というページにかなり詳しく書いておられます。
和歌山線の鈍行に併結されて行くハネの写真とともに、和歌山までの時刻表まで添えられています。
http://www.geocities.jp/okazu1945/
投稿者のホームページ


投稿者 クモイ103
投稿日 9月11日(日)20時12分47秒
タイトル 急行「大和」の和歌山直通車
>400系なすの様、皆様
 「東京〜和歌山方面を結ぶ夜行急行」は、皆様が言われるように、東京−湊町間の急行「大和」の2等寝台車1両を、
王寺から和歌山線普通列車に継送したものでした。
昭和37(1962)年3月10日に登場し、昭和43(1968)年10月1日の白紙ダイヤ改正、いわゆるヨンサントオ改正で廃止されました。
和歌山線内はあくまで「和歌山線普通列車」であり、その一部の車両が急行「大和」に直通する、という扱いでした。
 急行「大和」の編成は、時期によっては本HPのリンク先「ARC資料館」に掲載されています。
それ以上の情報をご所望でしたら、私も若干資料の手持ちがありますので、おっしゃって下さい。
 和歌山線普通列車の方は、資料が少なくなかなか難しいかもしれません。
たしか、昭和40年あたりの天王寺鉄道管理局の客車運用表が、交博図書室にあったと思いますが…。

(以下勝手にうんちく)
 和歌山直通寝台車の初代使用車両は、改造落成したてのピカピカのスハネフ30でした。
当時それ以外に「ハネフ」という車種は、約1ヶ月後に登場する「九州観光号」のナハネフ11 600番台しか存在せず、
わずか3両の小世帯であるスハネフ30という形式は、まさにこの「大和」の和歌山直通車のために登場したように
見受けられます。
 その後間もなくナハネフ10が登場すると、和歌山直通車はそれに置き換えられました。
関西本線の難所・加太越えに挑むC57の負担を、少しでも軽減するためだったのでしょう。
スハネフ30は、東京−大阪間の東海道夜行急行に転用されたようです。
全線電化の東海道線では、バリバリ全盛時代のEF58がガンガンに牽きまくって(笑)いましたし、
スハネ30もたくさん使われていましたから、スハネフが入ってきても痛くも痒くもなかったと思われます。
 その後昭和42年頃(?)には2等寝台車の冷房化が推進され、
和歌山市行きのナハネフ10も、冷房車オハネフ12に化けました。
しかしヨンサントオ白紙改正で、この変則的な直通運転は6年半の短い歴史を閉じたのでした。

 高速道路はまだ存在せず、飛行機は高嶺の花だった昭和30年代、国鉄が長距離の移動を支えていました。
そして、本州・九州のほとんど全ての府県庁所在地には、東京(または上野・新宿)から直通列車が走っていました。
ところがその中で、唯一の「穴」が和歌山だったのです。
涙ぐましい変則運転の蔭には、「おらが町から東京行き列車を」という地元の情熱があったに違いありません。
鉄道ピクトリアル第659号(1998-10<特集>寝台車と設備)所載「思い出の寝台列車」(寺本光照氏筆)では、
この列車についても言及されるとともに、運転初日の和歌山市駅で、
おそらく華やかな出発式を行ったと思われる大勢の人垣に見送られ、
スハネフ30をしんがりに発車してゆく一番列車の写真が掲載されています(P.52)。

投稿者 クモイ103
投稿日 9月11日(日)22時44分53秒
タイトル 訂正:もう一つありました
 前書き込みで、本州・九州府県庁所在地のうち
唯一東京(上野・新宿)直通列車のなかったのが和歌山と書きましたが、山口もそうでした!
たいへん失礼いたしましたm(_ _)m。


投稿者 青列車
投稿日 9月11日(日)23時06分18秒
タイトル 直通列車
>>クモイ103さま
その件でしたらお気になさらずとも大丈夫です。当の山口県出身者も気がつきませんでしたので(爆)。
あ?山陽線の四辻駅と嘉川駅は山口市内にあるんだった!
特急も急行も定期列車で停まるものは当時も今もありませんが、その昔、東京〜門司間の直通普通列車がありましたから、
その時には一応、山口市の駅に停まる東京直通列車は存在したことになりますね(こじつけもいいところ)(^^);
今は何故か旧小郡駅は新山口駅になってしまいましたが、まだ行政区分は吉敷郡小郡町のはずです。
あの界隈は古くから地方自治体同士でくっつくのくっつかないので喧喧諤諤
そのため人口10万に満たない程度の市が連続する形になってしまいました。
最近になって周南市(旧徳山市・新南陽市・熊毛郡の一部の合併)や山陽小野田市などというものができてきましたが…
ということで横レス失礼致しましたm(_ _)m


投稿者 太田拓也
投稿日 9月13日(火)08時23分34秒
タイトル 「大和」について
「大和」が話題になっていますが・・・

手元にある昭和42年10月号で調べたところ、新幹線の始発から南海電鉄に乗り換えたほうが和歌山市に早く着きます。
地元のメンツ重視の設定だったようですね。近くに関空ができた今ならその必要もないでしょうが。

>山口県
「茨城県をかすめる東北新幹線」「"静岡市内"にターミナルがある大井川鉄道」と同レベルのオチですね。
投稿者のホームページ


投稿者 ビジネスマン
投稿日 9月13日(火)12時47分27秒
タイトル 客車数
突然ですみません。
必要あって日本の電車、列車(とくに長距離用)の客車数が知りたいです。
韓国の客車数がhttp://www.jttk.zaq.ne.jp/korail/data/data012.htmにあって1998年で1854と出ています。
これが全てなのか長距離列車のみなのかもわかりません。どこをみればよいのでしょうか?


投稿者 青列車
投稿日 9月13日(火)18時37分26秒
タイトル 【車輌数】雑誌に出てます
お邪魔しますm(_ _)m
>>ビジネスマンさま
お尋ねの件ですが、確か交友社から出ている月刊雑誌「鉄道ファン」誌の8月号あたりに
その辺の集計が出ていたかと思います。
直接出版社に問い合わせていただくか、首都圏なら書泉グランデなどでしたら店頭在庫もあるかと存じますので
お問い合わせになるとよろしいかと思います。
ただ、「客車」に限定すれば今の日本、JR所属のものは実質的に長距離用車種しか存在しないのも同然ではありますが…



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