倶楽部メモ(102)
平成13年 8月18日〜 8月24日


投稿者 クモイ103
投稿日 8月18日(土)09時44分16秒
タイトル 「出雲」の編成有りマス
本文

資料屋(謎)のクモイ103です。(キサハ34さん、おかえりなさい(^^)/~)

 急行「出雲」の編成です。(出典:主要客車列車編成順序表)

S.42.10.1改正
 車掌@仙コリさんご紹介の編成にほぼ近いです。
相違点は、まず基本編成では1号車がスハフ43なのが目立ちます。
また2・3号車のナハに型式番号の指定はありません。
附属編成は大きく異なり、8号車オシ17、9号車スハネ16(当分の間オハネ17)、10号車オハネフ12
(当分の間ナハネフ10)で、11号車に鳥取回転のオハネフ(ナハネフ)が1両ついています。
牽引機は東京−京都EF58、京都−浜田DF50。

S.43.10.1改正
 車掌@仙コリさんご紹介の編成は、この時点のものの様です。
但し、所定編成としては、冷房化できる車両は冷房化されています。
ナハフとナハの形式番号は指定されていません。
また、「当分の間」ということで、2号車ナハが欠、京都−福知山間の牽引機がDF50となっています。

S.45.10.1改正
 変更ありません。「当分の間」とされていた部分は、全て解消されています。

 なお、10系ハネや、オロフ61(→スロフ62)の冷房化は、一部に43-10大改正以後となったものも
ありましたが、RP誌各特集の記述によると、昭和43年度中に全て終了しており、
昭和44年の冷房シーズンには、全車冷房化されていました。
中でもナハネ11→オハネ12は、北海道用を除いて昭和42年度中に終了したと、
RP誌667号('99-7)に記述があります。


投稿者 キサハ34
投稿日 8月19日(日)08時41分52秒
タイトル 「出雲」の写真・補足
本文

クモイ103様、どうも、ありがとうございます。

さて、ジャーナル別冊の写真の件ですが1両目にスハネ30?と思しき写真が写っております。

私の見解としては、所定のナハネ11と定員が同じスハネ30が入ったものと思っております。
こういった例はまだ他にもあると思います。例えば、スハネフ30とナハネフ11とか。
この辺り、またみなさんの知識をお借りしたく、よろしくお願いします。

また、先の「編成美」と言う言葉、普通は整った系列で組成された時などに使いますね。
私はいろんな系列が同じ青色で統一された姿に「美」を感じました。
ちょっと言葉の使い方が間違っていたかな?と思ったのでフォローしておきます。


投稿者 菊之介@急行八甲田
投稿日 8月19日(日)23時49分22秒
タイトル 懐かしい音を聞きながら。
本文

御乗車の皆様、如何お過ごしでしょうか。暑中お見舞いを申し上げます。菊之介です。
何時ぞや話題になった急行八甲田の音を聞きながら今日は掲示板に入れています。
いまでは貴重な代物となってしまいました。
皆さんの中で、列車の音に興味をお持ちの方がいらっしゃれば、
なにか情報をメイル頂ければ幸です。

>客車列車[出雲]
今でも客車列車として残っているのがすごく奇跡的に思えます。
あの列車に乗車できるのもいつまででしょう。


投稿者 菊之介@急行八甲田
投稿日 8月19日(日)23時52分32秒
タイトル 車掌さんへ。
本文

あ、そうだ。言い忘れてしまったのですが。

>急行ちくま。
昭和61年に[583系化される]とありました。
それが本当だったらさぞかしファンを喜ばせたのでしょうが、383系ですよね。
それに昼行列車が無くなっていたとは知りませんでした。
それって、昭和61年でしたっけ?
確か長野発はその後もしばらく昼行列車だったと思いましたが?


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月20日(月)17時37分46秒
タイトル 急行「ちくま」について
本文

菊之介@急行八甲田様
急行「ちくま」についてですが、当ホームページの夜行列車資料館についてですよね。
昭和61年に[583系化される]とありました。という事ですが???
確認してみたのですが、そのように記載はしていないはずなのですが??
昼行列車の廃止については、私の書き方がまずかったようです、申し訳ありませんでした。
正確には、昭和61年まで季節列車であった電車編成が臨時列車に格下げされたようです。
菊之介@急行八甲田さんのご記憶の列車は、この臨時列車ではないでしょうか。
「ちくま」に関して、これを機に調べ直してみましたが、かなり複雑な遍歴でしたので、
資料館の歴史の記述を書き直してみました。
昼行・夜行に関しても記載してみましたが、ちなみに昭和55年3月号の時刻表によると

下り列車
 定期列車 4803レ 「ちくま 5号」 大阪22:20→ 6:49長野
 季節列車 7801レ 「ちくま 1号」 大阪21:04→ 5:56長野
      7811M 「ちくま 3号」 大阪21:43→ 6:17長野
 臨時列車 9803レ 「ちくま51号」 大阪22:33→10:35直江津

上り列車
 定期列車 4802レ 「ちくま 4号」 長野20:31→ 5:49大阪
 季節列車 7812M 「ちくま 2号」 長野 8:58→17:10大阪
      7804レ 「ちくま 6号」 長野22:02→ 6:59大阪
 臨時列車 9808レ 「ちくま52号」 関山19:13→ 6:54大阪

となっています。実は「ちくま」に関しては実見したこともないので、
詳しい歴史等ご存知の方がいらっしゃいましたら、補足いただければ幸いです。
急行列車に関しては、特急列車に対して資料が少ないのが現状ですので、
皆様からのご指摘・ご意見を頂けるとたいへん助かりますので、よろしくお願いいたします。


投稿者 クモイ103
投稿日 8月21日(火)12時25分52秒
タイトル 今ごろ日中線
本文

 終わった話題の蒸し返しですみません。
実家で日中線の編成記録を引っ張り出しましたのでご報告します。

昭和49年9月23日 621レ・623レ
C11 204
オハフ61 3044
オハ61 (車号不明)

 当日はこの編成が全列車(!)を担当したようです(私は624レまでしか確認していませんが)。
なお、カマの向きは、朝方の621レ〜622レでは熱塩向き、
夕方の623レ〜624レでは喜多方向きと逆転していました。
622レから623レまでの間、客車は喜多方駅4番線に留置されていましたが、
カマは622レ到着後すぐに3番線に転線し、別編成の会津若松行き列車を牽引して
一旦帰区しています。

昭和53年12月19日 623レ
DE10 47 〔郡〕
オハフ61 3035 〔仙ワカ〕
オハ61 2926 〔仙ワカ〕
ワム124712 (形式ワム90000)

 前にも書きましたが、最後尾のワムは熱塩までついて来て、
折り返し624レの会津村松で解放、側線に押し込まれました。
側線には往きに通った時からワラ1がひとりぼっちでたたずんでいましたが、
これで仲間ができて、624レの走り去る駅構内には、2両の貨車が仲良く並んでいました。


投稿者 急行ときわ
投稿日 8月21日(火)13時30分55秒
タイトル 岩見沢のオハフ51
本文

久々に書きこみします。

車両配置表などに、岩見沢に1両オハフ51が、保留車で配属されているようですが、
この車両は、まだ現存するのでしょうか?救援車代用なのでしょうか?
ご存知の方いらっしゃったら教えてください。


投稿者 横山@車両名鑑
投稿日 8月21日(火)20時25分57秒
タイトル Re:岩見沢のオハフ51
本文 今晩は、ご無沙汰しております。
夏の休暇を利用して北海道へ行ってきました。
岩見沢に8/5に立ち寄り旧機関区の方にも行ってきましたが、残念ながらオハフ51はいませんでした。
もしかしたら車両庫の中にいた可能性はありますが...。
岩見沢では散水車と留置中のキハ182-901を撮影してきました。ご参考まで。
では、失礼します。
投稿者のホームページ


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月21日(火)21時36分39秒
タイトル RE2:岩見沢のオハフ51
本文 岩見沢のオハフ51ですが、運用がなくなった後、ほとんどが気動車化(キハ143等)
改造されましたが、最後まで残った4両(56・57・58・59)のその後をみますと
56  オハテフ510 1 (平成10年6月改造)
57  オハ510   1 (平成10年6月改造)
58  オクハテ510 2 (平成11年5月改造)
59  保留車(現存?)
となっています。
4両中3両がノロッコ号用車両に改造されている事を考えますと、残る1両も
次期ノロッコ号改造用?として保管されている可能性が高いのではないでしょうか?
あくまでも私の推測ですので、詳しい状況を知っている方がいましたら書き込み頂けると幸いです。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月22日(水)09時02分59秒
タイトル RE3:岩見沢のオハフ51
本文 岩見沢のオハフ51についての補足ですが、約1年程前のパソコン修理職人さんの書き込み
(倶楽部メモ52)によると、苗穂工場に原型をとどめているオハフ51が1両いたとの事です。
北海道に車歴があるオハフ51のオリジナル車(快速海峡号用以外)は、岩見沢配置の1両のみ
となっていますので、横山さんの岩見沢で見かけなかったとの情報とあわせると、この苗穂工場
に留置されているオハフ51が岩見沢配置となっている車両で間違いないと思います。


投稿者 急行ときわ
投稿日 8月22日(水)11時25分15秒
タイトル オハフ51情報有難うございます
本文

皆様、オハフ51情報をご教示有難うございます。
最後の原型1両の59号が、苗穂にいるのですね。
工場公開の時まで残っていたら是非見たいものです。

海峡用のオハ51・オハフ51もまだ現役ですが、いまはドラえもん塗装になってしまい
本来の交流電気+PCという渋い編成が見られなくて残念です。
ドラえもん列車は否定しませんが、せめて原色の編成も1本は残してほしかったです。


投稿者 横山@車両名鑑
投稿日 8月22日(水)21時26分10秒
タイトル RE4:岩見沢のオハフ51
本文 今晩は。
その後、管理人さんの書き込みを見てネガを確認したところ、
8/6に苗穂駅から撮影した苗穂工場のコマからオハフ51が写っているのを確認しました。
もっと早く気がつけばよかったのですがオリジナル車が1両しか残っていないことを
知りませんでしたのでご容赦下さい。
苗穂工には他に711系900番代、キハ59を確認しています。では、失礼します。
投稿者のホームページ


投稿者 急行ときわ
投稿日 8月23日(木)09時14分08秒
タイトル 再度有難うございます
本文

横山様、オハフ51続報有難うございます。
実は明日札幌方面に出かけるので、是非苗穂には立ち寄ろうと思います。
改造予定の保管かも知れませんが1両くらい原型の51系も保存して貰えたら良いです。

「客車倶楽部」の主旨から反れるのですが・・・
711系900番代やキハ59も苗穂にまだ残っているのですね。
キハ56-200なども有るのでしょうか?
工場には思いがけない車両があったり興味深いです。


投稿者 Sonic
投稿日 8月24日(金)01時24分34秒
タイトル オハフ51
本文

こんばんは。

だいぶ前に書き込みしましたSonicといいます。
よろしくお願いします。

オハフ51の話題がありましたので,おお,と思いました。

急行ときわ様>>

余談ですが,かつて函館運転所所属で,海峡線救援車として
木古内・津軽今別駅に配置されていた,オハフ51-28,29がいました。
この2両は
28:オハテフ510-2(釧路湿原ノロッコ号)
29:オハテフ510-3(富良野美瑛ノロッコ号)
となって今も活躍してます。

救援車だったものを再度旅客転用したと言う点に興味がありますね。

キハ56-200番台は,現在五稜郭車両所(函館)に3両います。
うち2両は保存予定とのことです。


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