倶楽部メモ(85)
平成13年 5月12日〜 5月20日


投稿者 BIN
投稿日 5月12日(土)18時32分48秒
タイトル Re:熊クマ配置の12系
本文 こんにちは。
>塗装は現在はどうなっているのでしょうか?(「シュプール大山」用は、帯が追加され、アルフ
>ァベットのレタリングもありました。)
外見は至って普通に見えました。2本帯で、特殊なレタリングもなかったと思います。
あ、でも塗り潰しの跡とかは気にしなかったので、ちょっとわかりませんが…
(塗装はそれなりにヤレが出てました。サビ消しと思われるタッチアップが
あちこちにありました。)
なんかさすがにここは色々勉強になりますね。ありがとうございます。


投稿者 キサハ34
投稿日 5月12日(土)21時30分32秒
タイトル Re:熊クマ配置の12系
本文

私も以前に久大本線に乗りに行った際、鳥栖駅にて団臨に入っているのを目撃しました。
('97年5月1日のことで、ED76 69が全車この特別車の7連を引いていました。)

>アルファベットのレタリングもありました。

幕板に「PASSENGER CAR 12 SPECIAL」と書いてあり、スハフの貫通扉には「PC12」、
そして形式番号は「オハ12 214s」と小さくsの文字が入っており、キハ125並みのメイクでした。

以上、遅ればせながら、私の熊クマ12系情報です。
一度乗りたかったんですが、「シュプールだいせん」てもう設定無かったですよね?


投稿者 EF5829
投稿日 5月15日(火)08時52分53秒
タイトル EF61の話題
本文

 ▼キサハ34 様
 >EF61銀河
  えっ「銀河」って宮原の58じゃなかったっけ?う〜むその本捜してみます。
  ガイドブック的な本はイレギュラーのものを出してほしくないのですが。

  マイクロ/有井のEF61の広告見ていたら、「スポーク車輪が抜けている」
 との内容。とすると、初期型のクイル式? とすると青色は晩年の片リンク式
 じゃないのかも。あまり目立つ所じゃないけどやっぱり作り分けてほしいなー。

  さて、16番の「阿蘇」の話
  「阿蘇」にも歴史はあれど私の組成対象はEF61けん引の名古屋発着編成。
  新幹線博多開業までのもので基本編成は「天草」と共通運用になっていました。
 受持ちは名古屋区で付属編成が竹下区。61のけん引は名古屋ー広島間。名古屋停
 泊中の間合い仕業はありませんでした。
  編成は機関車+オユ12(又はスユ43)+スハフ43+スロ54+オロネ10+
 オハネ12+スハネ16×3+オハ(又はスハ)×3+オハフ(又はスハフ)(以上
 基本・名ナコ)+スハ+スハフ(以上付属・門タケ)となります。
  客車急行はやたらイレギュラーが多く、この「阿蘇」でも例外ではないのですが、
 その点を利用して模型化してみたいと考えています。(例えばスロは62にしてみる
 とか、オハネはスハネで統一するとか、スハフ43は42かオハフ33にしてみると
 か)そうすれば大部分プラ製客車で納まるんじゃないかなと。
  ちなみに「天草」は郵便車を外して付属編成をハ×2+ハフの3両(門モシ)にす
 ると組成できます。
  ところでカマは61だけど天賞堂しかないのがきつい。実はこれが一番の問題でして。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月16日(水)13時10分35秒
タイトル Re:EF61の話題と急行「阿蘇」
本文

 東海道筋のEF61は、EF58と混運用されていたという話を聞いたことがあります。
もしかして「銀河」のEF61もイレギュラーでなかった可能性もあるのではないでしょうか?
(時代や使用列車によって違うのかも知れませんが)

 私は昭和36年3月改正の「阿蘇」をNで模型化しようと企んでいます。
36−10改正で名古屋発着になる直前の、東京直通時代最後の編成です。
でも現在Nゲージで製品化されていない形式を含んでいるので、今はどうやって作ろうかと
考える方で楽しんでいる状況です。

オユ11・・・所定は「マユ」(形式不明)だったようですが、現在残されている編成記録に
オユ11が入っています。
「筑紫」用の予備車だろうと思います。模型ではGMのオユ10を2両分切り継げばできるかな?

オハ36・・・スハ42の近代化改造車。この時代のハザでは珍しいアルミサッシが特徴。
模型ではkitceNのスハ42の窓サッシを加工するか?


投稿者 キサハ34
投稿日 5月16日(水)19時49分44秒
タイトル Re:急行「阿蘇」
本文

▼クモイ103様

「阿蘇」の編成、良いですね!EF58牽引客車14両ですね!
私の手許の資料では郵便車はオユ11で、オユ11 4を連結しています。
でも、この編成、オールプラにするには難しいですね。
(私は塗装がはげやすいため、アンチブラス派です)
ナロ10はもうじきKATOから発売ですが!
ちなみに、オハ36ですが屋根が鋼板/カンバス張り、窓枠は木枠/アルミサッシの2種が
あった様ですが、実際どういう区分だったのでしょうか?
なお、富山客車区に最後まで在籍したスハ40 2093はカンバス屋根に木枠窓で、
デッキのドアが10系客車のような2段アルミサッシでした。
そして、これを私はGMスハ43キットを改造(妻板・ドアをプラ板で新製)で製作しました。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月16日(水)23時24分45秒
タイトル S.36.3急行「阿蘇」
本文

キサハ34さん、こんにちは。

> 私の手許の資料では郵便車はオユ11で、オユ11 4を連結しています。
 市販の本に載っている、昭和36(1961)年3月1日の上り列車のものでしょうか?
EF58 47+スハフ42 147+オハ36 4+ナハフ11 28+オハ36 32+ナハ10 18+ナハ11 94+オシ17 23
+スハネ30 30+ナハネ11 67+ナハネ11 71+ナロ10 8+スロ51 24+マロネ29 111+オユ11 4
 私もこれを参考に模型化を計画しています(^^)。
ところで、オハ36に木枠窓車がいたというのは初めて知りました。ご教示ありがとうございます。
車番が特定できるといいですね・・・(悩)

> この編成、オールプラにするには難しいですね。(私は塗装がはげやすいため、アンチブラス派です)
 下地処理をきちんと施せば、かなり剥がれにくくはなりますが、やはりプラに比べれば
剥げやすいのは事実です。
私も塗装に関してはやや苦手意識があるのですが、欲しい編成を手にするため頑張ってます。
(でもご多分にもれず、手つかずのキットの山・・・f(- -;)

 さて、ここから実車関係の少々ディープな話題になる事をご容赦下さい。
 上記の編成記録には、いくつか興味ある点があります。
当時の「阿蘇」の編成は、基本編成(熊1)が全区間を走破、
東京方2両の付属編成(門附1)と郵便車(東郵3)は東京−門司間のみの連結ですが、

1.所定では最後尾にマニ車(熊1の編成に含まれる)がついている筈ですが見あたりません。
郵便車は門司から連結なので、熊本→門司間はマロネを最後尾にして走ったのか?
という疑問が湧きます。私の模型では、マニ74あたりを組み込んで15連(!)にしようと
思っています。
なお、下り列車では連結順序が異なり、郵便車が機次位でした。

2.郵便車は「マユ」または「スユ」所定と思われます(文献によって異なる)。
少なくとも3月改正でオユに変更されたという資料は見あたりません。
当時東シナ区にはオユ11が6両おり、「筑紫」の東京−門司間に連結される「東郵1」に
定期運用されていた模様ですが、単純に東京−門司間の往復であれば3両で運用でき、
残り3両の予備車が「阿蘇」の「東郵3」にアルバイトしに来たことは十分考えられます。
但し「東郵3」は門司から別列車で鹿児島まで足を延ばす運用で、少なくとも4両以上は必要
だったことから、オユ11の他に旧型のマユまたはスユ(41?)が必ず運用されていたはずです。
ちなみに「東郵2」は東京−佐世保間「西海」併結のスユ車の運用で、4両使用(推定)に対して
スユ42が5両配置で、実際の編成記録にもスユ42が登場することから、専らそれのみ
だったのではないかと思われます。

3.ナロ10のところは、所定はスロ51ではないかという気がします(自信は無し)。
当時ナロ10の1〜18は鹿カコ配置で「霧島」「高千穂」に運用され、使用16両・予備2両という状況
でした。他局の所定運用まで受け持つ余裕など無かったはずです(当時の「阿蘇」は3組運用)。
ただ、門タケの「かもめ」用予備車(19〜27の8両配置、使用6両・予備2両)や、東鉄で運用不明
(?)だった28、29の2両を合わせれば、何とかなっていたのかも知れません。
なお、ナロ10の残る30〜33は大ミハで「日本海」に運用されていました(使用3両・予備1両)。

 大キトさん、どう思われます?(って、これだけ喋ってから人に振るか?)


投稿者 スハニ3511
投稿日 5月17日(木)03時33分53秒
タイトル Re:EF61の話題
本文

以前スユ42の件でこちらにおじゃましたものです。その節はありがとうございました。

私も銀河は宮原のEF58だと思いますが、昭和41.10改正時点のEF61限定の運用は7両で、
宮原区では余ったEF61をEF58運用に混入した由の記述がRFの390号(1993年10月号)に
ありますので、EF61の銀河牽引は多分その頃の話なのではないでしょうか。
この記述のあるページには昭和39.10.1時点でのEF61の運用表も出ており、それによると
糸崎→東京   24レ 安芸
東京→宇野   27レ 瀬戸
宇野→岡山   26レ さぬき
大阪→下関  209レ 平戸
下関→東京   36レ 高千穂
東京→大阪   15レ 月光
京都→下関  205レ 玄海
糸崎→新大阪 302レ 音戸
を定期で牽引していたようですね。正直思っていたより多かったのでびっくりしました。


投稿者 まるさん
投稿日 5月19日(土)02時25分31秒
タイトル 宣伝に参りました
本文

車掌様 今晩は
こんな夜中にレスしています。
とりあえず、ゴールデンウイークの大井川鉄道をアップしてみました。
足を引き摺りながらの撮影行でしたので気合抜けしていますが、
お時間の許す時にでも、御笑覧下さい。

今回は一往復、大井川鉄道の1001レに乗車しまして
旧客の雰囲気を肌で感じてきました、やっぱ良いですよね、最高です。

投稿者のホームページ


投稿者 SMRC横浜
投稿日 5月19日(土)23時33分02秒
タイトル 急行阿蘇編成記録
本文 T→Rになりましたが、2度目の投稿です。急行阿蘇の話がいろいろ出ていましたので、
不完全ながらたまたまとっていた編成記録を出してみます。
1968年9月25日 博多駅 上り急行阿蘇 1206列車 (所属確認していません)
ED731006+スハフ42214+スハフ42298+オハ36113+オハ36115+オハ3683+スハネ16186+
スハネ16158+スハネ16205+オロネ1070+スロ622024+スハフ4319+オハニ3613
先頭のスハフは博多増結車、最後部のオハニは当時の時刻表では増1号車で一つ前のスハフともども
指定席になっています。博多駅での記録ですので、上りでは門司から付くユとニはありません。
16番で模型化しようと思うとオハ36が3両入っているのをどうするかというところです。
私も客車編成はいろいろ模型化してみたいと思っていますが、牽引機は蒸機を基本としています
ので、この編成は対象外です。でも魅力的な編成ですね。


投稿者 103列車機関士
投稿日 5月20日(日)08時37分49秒
タイトル はじめまして
本文 こんにちは、私も旧客大好きです。
最近いろいろなサイトで勉強出きるようになり、模型の参考になります。
さて、いつも悩んでいることなんですが、いくつかあるのでどなたか聞いてください。
>35系、43系など、トイレの窓のカタチや、ブドウ色か、青15色か、など、車番から見破ることは出きるのでしょうか?
>スハフ42などの向きはやはり、偶数、奇数なんですか?
>高崎線125レや、35系などで編成された昭和40年代の「津軽51号」、どなたか記録ありませんか?
宜しく御教授をおねがいいたします。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月20日(日)16時33分08秒
タイトル Re:旧客の各車形態と向きの話
本文

 103列車機関士さん、はじめまして。
同じ「103」同士と言うことで(関係あるのか?^^;)よろしくお願いします。

>35系、43系など、トイレの窓のカタチや、ブドウ色か、青15色か、など、車番から
 見破ることは出きるのでしょうか?

 これはもう法則性も何もないです。
各車の様々な経歴の中で、いつどこでどの様な改造や更新を受けたかという事であり、
「スハ43の何番台はトイレ窓がHゴム」などといった事は、全く言えません。
ある程度、地域や担当工場による傾向はあったと思いますが、たとえ同一工場で
近代化改造を受けても、その時によって改造内容が違う(アルミサッシになったりならなかったり)
事もあったそうなので、あくまで「実車調査」のみが意味を持つ、いわば完全現場主義の世界です。
 で、現実には、そうした実車調査を系統だって実施したという話は(少なくとも私は)聞かず、
各車両の細かい形態の記録は、きわめて断片的に残っているに過ぎません。
従って、残念ながら、データベース的なものは存在せず、実車が既に存在しない以上、
今後も世に出る可能性は限りなくゼロに近いと言えます。

>スハフ42などの向きはやはり、偶数、奇数なんですか?

 電車と違い、偶数、奇数の区別はありません。
 あらゆる車両には設計上の「前位」「後位」があって、いちおうそれを揃えるのが原則だろうとは
思います。
しかし客車においては、受け持ち区所や列車種別にもよるのでしょうが、概して「いいかげん」で、
きれいに揃っていたのは「つばめ」「はと」など、片デッキの優等車両を連ねたものくらいだと思います
(それすら、臨時増結のマイ38が逆を向いている写真が残されています)。
現実に必ず一定方向を向いていたのは、展望車、食堂車、そして各種の合造車くらいでは
ないでしょうか。
 もっとも、昔の列車写真を見ると、緩急車、特にスハフ42のように車掌室に後方監視窓が
ついているものでは、意識して車掌室側を編成端部に持ってきていた様にも見えます。
しかし、これとて絶対の法則ではなかったと思います。
ちなみに貨物列車でも、最後尾のワフが有蓋室側を後ろにして走り去る光景は日常茶飯事でした。
(詳しい方、フォローをお願いします・・・)


投稿者 キサハ34
投稿日 5月20日(日)18時49分27秒
タイトル みんなでがんばりませんか?
本文

▼クモイ103様、103列車機関士様

>今後も世に出る可能性は限りなくゼロに近いと言えます。

確かにそうかも知れませんが、こういう時代ですから、みなさんの写真や持っている本・資料を
持ち寄ればかなり詳しいものもできるのではないかとも思います。
私がカメラを持ち始めた頃、既に最寄の北陸本線からは旧客は消えていましたが、
富山駅に解体待ちで留置されていた9両はいろんな角度から写真を撮りました。
そして、過去の資料を見ますと、意外にも晩年の「能登」に使われていた連中だったりするのです。
私のような当時のそこらへんにいた中学生が撮っているんですから、もっと撮っている人はいると
思うのです。
国鉄末期〜JR初期の頃の中規模の駅には概して旧客が留置されており、
乗り換え待ちや特急退避などで写真を撮った人も意外と隠れているんじゃ無いでしょうか?
こういったものを全国から少しづつ集めればかなり詳しいデータベースができると思います。
まぁ、管理する側の人は大変となりそうですが例えば、ある人が「オハ35 2879について知りたい!」とし、
みなさんが過去のネガを探せば少なくとも全く見つからないということは無いのでは無いでしょうか?
理想論ですけど、こういう時こそインターネットを活用したいと思うのです。
長文失礼しました。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月20日(日)20時59分59秒
タイトル Re:みんなでがんばりませんか?
本文

キサハ34さん

 お説、新鮮な感覚で読ませていただきました。
どなたか、そういったデータベース作成のとりまとめを引き受けて下さる方がおられれば、
私も数少ない手持ちのデータを提供するにやぶさかではありません。
ただ私の場合、形式写真をあまり撮っていないので、そういう情報の読みとれる写真を
過去のアルバムから探し出すのは、ちと骨が折れるとは思いますが。f(--;



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