倶楽部メモ(43)
平成12年 4月16日〜 4月29日


投稿者 多度津の住民
投稿日 04月16日(日)20時59分33秒
タイトル 春の瀬戸内
本文 予讃線の高松ー松山間はほぼ海岸線通りに走る。
特に香川県の海岸寺ー詫間間、愛媛県の浅海付近は、波打ち際を走り、列車撮影のメッカともなっている。
そんな予讃線の20年前の春を懐かしんでみたい。
高松を出た列車は間もなく高徳線と別れ、上下線が大きく離れ、その間に列車の基地がある。
郷東川を渡ってしまうと、もう郊外といった景色が現れる。
車両は高松区又は高知区の35系、61系、43系とオハ41の混成だ。
たまにスハフ43がいるのでバカにしてはいけない。
迫っていた山が開ければそこは坂出。
何れは四国の玄関になるのかと思いつつ、団扇の街・丸亀に到着。
一走りして多度津だ。土讃線との分岐駅でもありここで大休止。
鉄道好きが嵩じて私はここの住民となってしまった。(笑)。
土讃線と別れ完全に単線になった線路は初めて間近に海と出会う。
目の前に高見島や瀬戸内の島々を望む。
海岸から離れたら詫間に着いた。ここは浦島太郎伝説の地。
のどかな三豊平野を暫く走り財田川を渡れば観音寺だ。
冷凍食品の本社がある所だが、駅前にはみかんの集積場がある。
またまた海が近づいてきていつのまにか愛媛県に。
製紙工場の煙突が見えてきたら川之江だ。
隣の三島とともに一大工場地帯となっている。
列車は小高い所を走るので、瀬戸内の海を遠望できる。
暫く山あいに入った後、大きな街が見えてきた。新居浜である。
別子の銅で発展したこの街の中心部は駅からかなり遠い。
ここから一走りで西条である。ここで大休止。左手に石鎚が見える。
のれより列車はやや北向きに走り、今治を目指す。
昨年のしまなみ海道全通で一躍脚光を浴びたが、造船とタオルの街である。
又海が近づいてきた。北条である。
ここから渡船で3分のところに鹿島が浮かんでいる。1度だけ行ったことがある。
続いて仁堀航路が間もなく廃止の港町・堀江。ここはもう松山市である。
伊予鉄の線路とオーバークロスして終着・松山に着いた。
7時間の旅。しかし満喫できた。


投稿者 急行<さぬき>
投稿日 04月17日(月)22時58分39秒
タイトル 車庫にむなしく・・
本文 初めて投稿します。なお、ペンネームは仮のものです。
瀬戸内地区に住んでいるので、よく車窓から岡山電車区を見るのですが、
12・14系が休んでいるのをみかけます。
ところで、岡山の客車のうち、「ゆうゆうサロン」は時々、
12系も地元の宗教団体の臨時や甲子園臨に使用されていますが、
14系はほとんど稼動したのを見たことがありません。
ある情報通によると、
「同じ宗教団体と、年に1回くらい別府へのツアーに使われている」
という話を聞きましたが、本当か否かわかりません。
どなたか岡山配置の14系の稼動状況ご存知でしょうか・・?
いずれにしてももったいない使われ方をしているのは間違いなく、
<ムーンライト九州>の増結にでも・・と思うのは私だけでしょうか・・。


投稿者 9823レ
投稿日 04月17日(月)23時20分25秒
タイトル 由布院で最終列車見送った
本文 もう4ヶ月も前の話になって恐縮ですが、JR九州久大本線由布院駅で
大分行きのDE10が牽引する最後の客レを見送ってきました。
詳しくはVICOMのビデオに収録されているのでそちらを見てください。
 「さようなら久大本線の客車列車」4 客車旅情編
これでまた、というか、もう私が求めている理想の風景がなくなってしまい、
最近では、ほかの列車を追っかける気持ちが湧いてこなくなり、
おとなしく家の中に閉じこもっています。
どこかでまた、DE10が、客車を牽いて走る日を夢に見て・・・
といっても120パーセントかなわないのは分かりきっているのですが・・・・
私の時計は1999年12月4日6:55で止まってしまいました。
また、動きはじめる日がくることを祈っております。
追伸
非常に個人的な内容で申し訳ございません。



投稿者 もりおか
投稿日 04月19日(水)11時47分43秒
タイトル 片上鉄道の旧客運転
本文 5/3はホハフ2000を使用して展示運転が行なわれます。
そのため4/16にDD13を使用して大規模な入換が行なわれました。


投稿者 もりおか
投稿日 04月19日(水)12時07分05秒
タイトル 片上鉄道の旧客運転〜その2〜
本文 始発の使用車両はDD13+トラ814+2004
僅か400mの展示運転線ですが再び混合列車。
3002+2003も2番線に留置中。


投稿者 あおぞら
投稿日 04月20日(木)00時54分16秒
タイトル そういわれてみれば
本文

急行さぬきさんはじめまして。
私も地元は宇野線沿線なのですが、確かにあの14系は動いているのを見たことないですねえ。
地元の友達もあれはほんとに眠ったままだって言ってましたが、
密かに動いてるのかもしれませんね(^^;)。

多度津の住民さんの書き込みは当時の景色が思い出されるようですね。
予讃本線は私もよく利用した路線でした。
客車での予讃線は瀬戸大橋開通前に1度きりでしたが、あの頃は坂出も宇多津も地上駅で、
宇多津駅のあたりから塩田の構造物がみえていたのを覚えています。
今は予讃線の高架が貫いている辺りですね。
多度津より西は瀬戸大橋開通後にしか行ったことがないのですが、
学生時代を松山で過ごしたので、実家との往復に何度も利用し、
ほとんどの景色を覚えてしまいました(笑)。


投稿者 多度津の住民
投稿日 04月20日(木)08時48分58秒
タイトル '98年のSL海走号について
本文 丁度2年前の春、C56+12系でSL海走号が運転された。
予讃線の線路沿いに住む私も、朝から興奮していた。
カメラを持った人が家の周りでウロウロしている。
汽笛が聞こえた。来るぞ!来るぞ!ドラフト音が聞こえてきた。
家の窓を全開にして写真を撮った。甘い煙の匂いが残る。
家に居ながらSLを撮る。贅沢な話。その為にここに家を建てたのだが。(笑)
自転車で瀬戸大橋のタモト迄出掛けた。防波堤の上に座り、汽車が来るのを待った。
来た来た。しかし60mも上を通られたらはっきり見えない。ポイント変更。
丸亀市の金倉川の踏切へ移動。電車を練習台に撮影、本番を待つ。
塩屋駅通過の時、汽笛が聞こえる。河原の菜の花と絶妙の取り合わせ。
夢中でシャッターを切る。数日後、プリントされた写真を見て。
家の窓から撮った分が一番キレイに撮れとるな!


投稿者 静シス
投稿日 04月23日(日)02時25分54秒
タイトル 遠い思いで(続1)
本文

前回書き込んだ「425レ」の思い出についてです。

高校生になり、比較的行動が自由になってからは、たびたび425レに乗るようになった。
昭和50年あたりになると思う。425レは当時週末登山客でよく込んでいた。
新宿駅東口のコンコースが、乗車待ちの整列場所になっていて、発車2時間前から
すでに行列はできて登山客グループを中心に乗車前から盛り上がっていた。
23時55分出発で、高校生の私としては、夜中の車窓が持つ独特なふいんきが
たまらなく好きだった。
当時は、窓を開ける機会が多く、相模湖をすぎてからは顔を外に出すと、
夏でも涼しい風と草の香りが鼻をくすぐった。
夜明けの情景のすばらしいことを知ったのも夜行列車だった。
夜ではなく、朝にもなっていない微妙な瞬間は、風景や季節によってさまざまな
印象を深く私の心に刻み込み、自分なりの「旅」の形を形成していった。
さらに、加えて様々な人との刹那的な出会いの印象も加わることによって、
ますます、見知らぬ土地への列車での「旅」をその後重ねていくことになった。
ちなみに、425レでは、一度偶然に牽引機関車であったEF64(だったと思う)の
運転台に添乗(?)できたことがあった。その話は次回に。


投稿者 take
投稿日 04月23日(日)18時22分58秒
タイトル 古い時刻表
本文 昭和54年前後の国鉄時刻表を探しています。入手方法ご存じの方いませんでしょうか。
あのころは高校生でテント担いで、北陸線から新潟、秋田、青森方面へ鈍行の客車列車で出かけたものです。
酒田で1時間も停車したりして。


投稿者 多度津の住民
投稿日 04月24日(月)01時13分32秒
タイトル 1979.4の時刻表持ってますヨ
本文

takeさん、'79頃の時刻表は比較的、沢山持ってますのでお譲りします。
親父が九州に行ったとき使ったらしく九州の線区にいっぱい書き込みがありますが
それでもよろしければ書籍小包にてお送りします。とりあえず私宛メール下さい。

あおぞらさん、返答が遅くなって済みません。
この季節、予讃線をのんびりと旅するのが大好きでした。
勿論、客車列車でないと話は始まりません。スハフ43は人気でしたね。’上等な客車や’と。
一方、ロングシートのオハ41は大概ガラ空きでした。
 
今、私の家の前をEF65が入換え作業しています。
旧客が健在な時に予讃線が電化されていたらと思います。
なぜなら1両目の客車に乗ればその走行音とEF65の’釣掛け音’を同時に楽しめるからです。

車掌@仙コリさんへ、北の国のHPに西日本勢が進出して来て申し訳ありません。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 04月26日(水)16時09分57秒
タイトル 北の国から(笑)
本文

多度津の住民さん、こん**は。
いつも書き込みありがとうございます。

>北の国のHPに西日本勢が進出して来て申し訳ありません。
そんなことは全然ありませんよ。
私自身北の国というより東の国(笑)に住んでいますが、ホームページを見ていただくとわかると
思うのですが、どちらかというと西指向でして、学生時代はよく関西・山陰方面に旅していました。
それを反映してか(そんなわけはありませんが)この掲示板への書き込みはもともと西高東低?
でして、特に関西方面の方にたいへんお世話になっています。

旧客晩年の頃の四国は、かなりバラエティにとんだ客車が多かったようで、すぐ近くまでいって
いながら、四国に行かなかったことをいまさらながら後悔しています。
これからも多度津の住民さんの思い出などを書き込んでいただけるとうれしく思います。
また、鉄道がいつでも見られる環境にお住いとのこと、うらやましい限りです。
現在の四国の鉄道の様子なども、どんどん書き込んで下さい。

それでは、これからもよろしくお願いいたします。


投稿者 客車好き人間
投稿日 04月27日(木)19時41分41秒
タイトル DBの紹介
本文 日本の皆さん、ご無沙汰しています。3月からドイツに出張中です。
ドイツの鉄道はDB(ドイツ鉄道)という会社が全線を経営しています。
一部のローカル線に2両くらいのDCがあるだけで、あとはすべて客車という、うらやましい編成です。
連結器は鎖式なので前後動がまったくありません。
運転は電流計を見ながらノッチを一段ずつ入れていきますが、ジョイスティックみたいな棒を
前に1回倒すと電光掲示の数字が1つ増えます(最大が31くらい)。
つまり31回、棒を前に倒します。速度が充分出ると、棒を後に倒し、ノッチが10くらいで走ったり、
また少し増やしたりします。
日本のように、OnとOffしかないのとは異なり、連結器と相まって、前後動がまったくありません。
運転士ではなく機関士なのだなあ、と感じました。
一度DBに乗ったら、日本の客車は、はっきり言って貨物車に座席や寝台を付けたようで
乗るのがばかばかしくなるくらいです。


投稿者 大キト
投稿日 04月28日(金)06時11分03秒
タイトル DBの紹介有難う
本文 まいど〜車掌さん、そして乗車中の皆様。
日本の客車列車を知る上で、やはり海外の客車事情も貴重ですね、
客車好き人間さんの記事で、ドイツはそうなんだと感心しました、
海外の客車列車で一つ質問があるのですが
インドなど宗教的理由で一両が4つのコンパートに分かれて、夫々の宗教毎に乗る場所が
指定されていたのにビックリしましたが、ヨーロッパなどで人種宗教で乗車指定のある列車
などはあるのでしょうか、
多人種の環境に馴れない日本とは違って、日本の客車列車と海外の客車列車の相違点を、
またお聞かせ頂ければ幸いです。
車掌さん大キトは本業で手一杯で、大和路環状線さんも書き込みが見当たりませんが、
近畿圏異常無しです、GWも仕事です、では車掌さん、皆さん、お疲れ様です・・・Zz。


投稿者 はいぱーさる〜ん
投稿日 04月29日(土)00時32分34秒
タイトル 9823レさんへ
本文 由布院で客車の最後の発車見送ったんですか〜
実は私あれに乗ったんですよ〜、でも、高校生とかは「いつもと変わらない電車」
(こういう言い方は心外です。きちんと汽車っていってほしい)といってました。
そりゃそうでしょう。我々が勝手に特別扱いしているだけなんだから。
だから、9823レさんも「時計が止まった」なんていわないで、
また新たな対象物さがして頑張ってください。



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