倶楽部メモ(727)
平成25年 4月28日〜 5月 5日


投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 4月28日(日)10時31分1秒
タイトル さらに尾灯円板
スハユ様

国鉄の「ユルい」面については他にもいろいろ触れる機会があるかもしれません。
とりわけ塗色規程については私の得意分野?ですので、話題が出れば食いつきますよ(笑)。

ただ南海キハの尾灯円板については、「ユルい」という話とは別だったと思います。
昭和40年(?)に尾灯円板の使用が停止された際のことを想像すると、
国鉄から南海に対して「こんどから円板表示を不要とする」という通知があったとしても、
「円板を撤去しなさい」なんてことは余計なお世話で、そこまでは言わなかったでしょう。
南海としては撤去にも手間が掛かりますから、せいぜい「壊れても直さなくていいんだ」
くらいの認識だったのではないでしょうか。
一方国鉄の部内では、工作局あたりから工場などの現場サイドへ「現車が入場の都度外しなさい」
といった指示が出たのではないかと想像できます。
それで数年後には国鉄車からすっかり姿を消した円板が、南海車には残っているという珍現象が発生したと思われます。

****************

そういえば南海のキハを写した覚えがあるので写真を捜索したら、
御坊駅で紀州鉄道のキハ603と並んだ場面が出てきました。
キハ603は大分交通耶馬渓線から来たそうですが、よく見るとこれにも尾灯円板がついています。
御坊駅でのスナップは遠いので、今は廃止された終点日高川で撮ったアップも添付します。
この車が国鉄線上を走ったことがあるのか存じませんが、
当時の地方私鉄ではいろいろな面で国鉄に準じた規準を運用していたかもしれません。
撮影日はいずれも1983年3月14日です。

最後の写真は、現在間近に観察することの出来る尾灯円板です。
2009年8月14日鉄博にてマイテ39 11。




投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月28日(日)14時42分11秒
タイトル Re:さらに尾灯円板
クモイ103様
ありがとうございます。そうだったかも分かりませんね。

ED76109様宛に昭和44年3月時点での中央西線の客車暖房について書き込みさせていただきました。
・・対向ホームの列車はEF64+暖房車による蒸気暖房、
私たちが乗車した列車はEF64単独の電気暖房であり暖房方法が異なっていたが理由は不明・・と。

不経済なことだと思っていましたが、その後に調べてみると瑞浪〜中津川間の電化開業は昭和43年8月16日であり
私たちが乗車したのはその7ヶ月後だったのです。
大量の客車への電気暖房装置の付加工事が電化開業に間に合わず、電気暖房列車と蒸気暖房列車に分けて運用したのではないか。
対向列車は蒸気暖房列車ですがEF64は蒸気暖房を積んでいないので暖房車を連結していたのではないか。
全ての切替に1年くらいの猶予(移行期間)を設けていたのではないか・・とも考えられます。

国鉄の工場・客車区でこんな状態であり、通常業務で手いっぱいの私鉄では「安全のための設備新設」は即実施し、
安全と無関係な「不要設備の撤去」は後回し?にしていたかも分かりませんね。

私としては紀州鉄道よりも御坊臨港鉄道の社名が好きです。
貴重な写真ありがとうございました。



投稿者 太田拓也
投稿日 2013年 4月28日(日)14時42分54秒
タイトル EF65一般型の性能
お久しぶりの太田拓也です。
失礼ながら質問と参ります。

WikipediaなどではEF65の最高速度が110km/hとなっておりますが、
ブルトレ用はともかく一般型(0番台)でも110km/hを出すことができるのでしょうか?
そもそもMR菅などが無い一般型では製造当時に110km/hを出せても牽引できる車両がないのですが。

後年登場した14系や24系であればMR菅など500番台の装備が無くても牽引可能ですが、
一般型がブルトレを牽引したという話は聞いた事ございません。
「ゆうゆうサロン岡山」の牽引機は一般型でしたが、臨時列車のスジで110km/hを出せたかは未確認であります。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 4月28日(日)21時08分2秒
タイトル 背摺りが木のスハフ
ED76109教頭先生:
>>最後尾の背ずりが木製の「名ナコのスハフ」にバックを置いて、「鉄」親父と肌寒い車内でただぼーとしていました

背摺りが木のスハフとはW屋根のスハフ32ですか?中央本線名古屋口には、スハネ30改造の
オハ34等が居ましたが、これはまた悪い車に当たりましたね?ファンならわざと乗車
するかもですが----。
円屋根のスハ32で背摺りが板なのが四カマに居ましたが、ここの写真集に提供しております
ので御覧下さい。御丁寧に車内灯のガラスまで透明でした。
こんな悪戯をするのは、当時多度津工場長だった故西尾源太郎さんがやりそうな改造なので
小松島港駅前のポストから「えらいのに乗せられた」と葉書をだしたら、「悪い奴に乗られた」と-----。
以前阪和線の天王寺発着普通列車は、天王寺駅ではホームから延びる蒸気管で暖房をしておいて発車時に外すので、
山中渓辺りまでに冷えてしまって東和歌山でC58が付くまで寒かったものでした。

(教頭先生の新任地は3階建校舎で、修学旅行を見学旅行と称するのでは?)



投稿者 太田拓也
投稿日 2013年 4月29日(月)06時56分12秒
タイトル 寒い話
秒単位でスハユ様とかぶってしまった太田拓也です。

暖房の話って奥が深いですね。
戦前に東海道線東京口で使われた直流電機から供給される暖房
(個人的に「湘南電暖」と呼称している)を搭載した客車は
マークによる識別や運用の区別をしていたのか研究の余地があるようですし。
あと東北線の帰省臨時はローカル線の車両をかき集めたため電気暖房が無く
SGの無い東北本線の機関車では暖房が使えなかったという遜色急行どころではない話も。

ところでかつての奥羽本線の牽引機は福島―山形間がED78(SG有)、
山形以北がED75(SG無)とあべこべな仕様でした。
これは電化が山形までだった頃は非電化区間への直通を配慮して蒸気暖房でしたが
全線電化時に客車に電気暖房を取り付けたということでしょうか?
あれ? ということは板谷峠直流時代は中央線みたいにロクヨン+暖房車?



投稿者 ED76109
投稿日 2013年 4月29日(月)09時04分0秒
タイトル 狭窓のスハフ
 おはようございます。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様

 ご無沙汰しております。
「鉄」親父が若かりし頃(小生は7、8歳ころ)は、大抵最後尾の「ハフ」に乗せられて、
「鈍行紀行の薫陶」を受けていたように思います(最後尾のデッキからの眺めにこだわっていたようです)。
どうせ乗るならと「背ずりが木製」であるとか、「白熱灯」でぼんやりとした車内であるとか、
拘りがあったのかもしれません・・・。
よく記させていただきますが、初渡道の昭和48年春の際には、「利尻のオロハネ」・「122レや321レのスハフ32」など、
今にして思えば「贅沢な旅」をさせてもらったのだとの思いがあります。


 長々と失礼いたしました。
以上、「教頭先生」と呼ばれても、まだピンとこない「デモシカ教頭」である「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月29日(月)12時33分50秒
タイトル Re:寒い話
 太田拓也様はじめまして。
 秒差で太田様とかぶりましたスハユでございます。

大幹線でしかも寒冷地を走る東北本線や奥羽本線で暖房が使えなかったとは驚きです。
中央西線客レの暖房について書き込みましたように、乗車された頃は電気暖房や電車化への移行時期だったかも分かりませんね。

年代が不明で確かではないですが、その頃の一般家庭に暖房は無くて案外寒さに耐えれたかも・・。
ちなみに昭和40年頃の田舎の実家には炭火の堀コタツしかありませんでした(笑)。
扇風機も昭和45年頃に初めて買った記憶です。

冬に遠方始発のよく暖房が効いた旧客に乗ると暑すぎてメガネは曇るしひどい汗もかきましたね。
貨車と貨車の中間に旧客2両を連結した高山線準混合867レについて先月書き込みました。
当然C58から蒸気が来るはずもなく暖房はどうだったか疑問に思っていましたが、
大幹線でそんな状況ならローカル線高山線の混合列車では暖房無だったでしょうね。
乗車時間も最長で2時間くらいでしたし乗客もほとんどが若く熱気にあふれた私たち高校生で影響なし・・ということでしょうか。

ただ準混合867レとなるオハ61+オハフ61の2両が洗車台に留置されていた時、
湯気が立ち上る地上のホースが近くに見えたが洗車に使うのか?それとも?何の設備だったのか気になっています。



投稿者 スハネ30生
投稿日 2013年 4月30日(火)22時29分40秒
タイトル 最後の1等寝台車
1969年12月30日撮影のスロネ302006大ムコ(1等寝台)です。
場所は隅田川駅の側線です。同駅の周囲を歩いていて偶然発見したものです。
同年5月10日のモノクラス制実施でロネはA寝台の呼称となり等級帯も消されたはずですが、
半年後の12月の時点で何と改制前の姿で生き残っていました。(デッキドア上部に1等寝台の表示あり)
現役の営業用ではなく年末繁忙期の簡易宿泊所
(当時は旧型寝台車を利用する例が見られました・・・夏季繁忙期の横須賀駅等知られています)
として留置されていたものと思われます。(上段寝台用のハシゴと網戸が写っています) 
車歴表を調べたところ、スロネ302006はその後マニ36334に改造されるのですが、
この車番だけ具体的年月日が記録されておりません。
翌年1月中旬ごろまで留置された後にマニに改造されたと推察されます。
おそらく等級帯を締めた最後のロネであったと思われます。因みに車体の塗色はぶどう色2号です。
隣のWルーフ車はオル3138千サクです。




投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 5月 1日(水)09時29分32秒
タイトル Re: 最後の1等寝台車
スハネ30様

これは貴重な過渡期の写真をありがとうございます。
実はこの時期のスロネ30の状態に興味があり、かねて知りたいと思っていました。最後まで旧標記のままだったのですね。

スロネ30は、モノクラス制移行の時点で残存していた唯一の「Cロネ」でしたが、当時すでに荷物車への改造が進んでいました。
他のロネ車に比べ冷房がないなど明らかに設備の劣るスロネ30はおそらく団臨にすら使用されず、
改造前提の保留車であったろうと思います。

****************

スハネ30様も書かれた通り、昭和44年5月10日に国鉄の等級制が廃止され、モノクラス制に移行しました。
それまでの1等車(ロ)はグリーン車に、1等寝台車(ロネ)はA寝台車に位置づけられました。
この時、旧1等車に巻かれていた淡緑6号の等級帯は、寝台車を含めてそのまま存置されました。
現車の標記類はステッカーを使用して迅速に変更された模様で、鉄道ファン第96号(1969年6月号)P.70に
「グリーン車登場」として国鉄工作局の方が書かれた記事に、ステッカーの略図などが紹介されています。
これを見ると、ロネ車に貼るためと思われる「A」という文字の入ったステッカーがあり、
地が淡緑6号で文字が青15号と指定されていることから、
既存の淡緑等級帯に書かれた「寝台」の文字の前に貼ったものと思われます。

一方、等級制廃止を受けて国鉄内規の「車両塗色及び標記基準規程」が改定されたのは、
少し遅れて4ヶ月後の同年9月20日でした(工達第19号)。
この時、改めて「座席車(特別車)には、車体外部の両側に黄緑7号の特別車の表示及び淡緑6号の帯をつける」と規定されました。
特別車とはグリーン車の正式名称で、ここで言う「黄緑7号の特別車の表示」とは四つ葉のグリーン車マークのことです。
A寝台車についてはこれらの表示が規定されなかったため、この時点で規程上はロネ車から淡緑の帯が消えたことになります。

但しご多分に漏れず、「この達の施行により、標記の書替えを必要とするものについては、次回の全般検査を実施するまでの間、
なお従前の例によることができる。」
との附則がつきましたので、実際の現車の淡緑帯は順次少しずつ消えていくことになりました。
鉄道ピクトリアル1971年6月号のTOPIC PHOTOSによれば、
北海道内のオロネ10、オロハネ10は規程の改定から1年半経ったこの年の3月現在でまだ11両全車に帯が残っていた様で、
これなどもしかしたら改定後も「帯をつけて出場させちゃった」というユルいのがあったかもしれませんね。
一方急行「銀河」で最後の活躍をしていた戦後の名車マロネ40は、ぶどう色2号塗色のままA寝台車として帯を消されたため、
遠目には一見優等車とわからなくなってしまいました。
なお最後のマロネ40の塗色については、この掲示板でも過去に話題になっています(倶楽部メモ159に収録)。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 5月 2日(木)16時41分5秒
タイトル スロネ30
スハネ30様:
これは良いものをみせて戴きました。
戦後製なのでもう少し居るだろうと想って撮影機会を逸しましたが、これが完成後すぐに
吹田操車場にずらずら並んで居るのを602レ車窓から見ています。
Cロネ乍ら4人区分室で、扇風機が天井に付いていたロネですね?確か「銀河」?に乗車した
時に連結されていて後部へ見に行きましたが、夏だったので非冷房は暑そうでした。

本当に一度乗車してみたいロネでした。



投稿者 スハネ30生
投稿日 2013年 5月 3日(金)19時55分58秒
タイトル 客車の網戸について質問
当方の投稿写真のスロネ302006で右側2室の窓に網戸が降りているのが確認できます。
他の形式の客車(日よけがカーテンの形式)でも昭和40年代前半までは網戸が設置されていたと思うのですが
(オハネ17等外部から眺めた記憶があります)、
当方が実際に客車に乗車し始めた1972年以降では実物の網戸にお目に掛かった事がありません。
いつから撤去されたのでしょうか。
SLの廃止で煤煙の心配がなくなったからですか。ハネ、ロザは冷房化で不要になったからでしょうか。
設備規定等に詳しい方、教えてください。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2013年 5月 4日(土)19時33分0秒
タイトル 尾灯円板の写っている写真
マロネロ38様から尾灯円板の写っている写真を送っていただきましたので掲載させていただきます。



1枚目は昭和33年6月に広島駅で撮影された「さちかぜ」のナハフ11です。
尾灯円板は「赤」で上下式



2枚目は昭和33年8月5日に撮影された907レ準急「ひかり」を準急506レから撮影されたそうです。
撮影場所は日豊本線宇島駅と思われます。
こちらの尾灯円板は上下式で、前部なので車体色です。

マロネロ38様、貴重な写真を提供していただき、ありがとうございました。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 5月 5日(日)06時04分27秒
タイトル 尾灯円板の写っている写真:お礼
マロネロ38様 貴重なお写真ありがとうございました。
管理人様公開ありがとうございます。

10系座席車はHOゲージの模型を持っていますのでうれしくて、さっそくピクトリアル誌「客車の記録」で調べてみました。
ナハフ11は昭和32年5月に新製配置を開始したばかりのピカピカの新車で、「さちかぜ」もこの後すぐに「平和」に改称し、
数年後には20系「さくら」に変身した珍しい列車ですね。

気動車準急「ひかり」に使われたと思われるキハ55系は、昭和31年9月から全国へ新製配置が始まったばかりですので
これも新車でしょうか。
私の地元の高山線でも昭和33年3月1日に準急「ひだ」が客車からキハ55系に置換わっています。
以前に書き込みましたが、マロネロ38様撮影の「ひかり」の写真のように
『気動車写真は前方から撮影するのがセオリー』と勝手に思っていました。
ところが私が調べた写真には尾灯円板付き気動車の後追いや最後部を撮ったものが案外多く、
当然円板は折畳まずに円形表示していたため惑わされました。
私の自分勝手で単純な思い込みが間違いの始まりでした。



               
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