倶楽部メモ(728)
平成25年 5月 8日〜 6月23日


投稿者 スハユ
投稿日 2013年 5月 8日(水)19時54分51秒
タイトル 客車の最高速度
『客車の最高速度』は牽引機関車の性能・走行線区・客貨車の走行性能などにより決まる場合が多いと思います。
牽引機関車はともかく、国鉄時代の客車の走行性能に大きな影響を与える台車についても
最高速度が設定されていると思いますが資料が見つかりません。
改造されてますが木造客車時代から使われたTR11、オハ35系に使われたTR23、スハ43系に使われたTR47や
軽量客車10系に使われたTR50台車などの最高設計速度はどれくらいだったのでしょうか?
どなたかご教示をお願いいたします。

ちなみに『貨車の最高速度』の一部は以下のようです。
・100形式雪かき車(単線用ラッセル車)・・・TR42(前)+TR41(後) 最高速度65km/h
・ヨ 8000形式車掌車・・・・・・・・     2段リンク式       最高速度85km/h
・ワ12000形式10t積有がい車・・・・     2段リンク式          最高速度75km/h



投稿者 ED76109
投稿日 2013年 5月11日(土)16時47分7秒
タイトル 少々出遅れましたが・・・
 単身赴任先から月1〜2ペースで戻ってくる「ED76109」であります。

 「スハネ30」のことが話題となり、後追い以前のレベルになってしまいましたが、
一応北海道でも運用されておりましたので、一言触れさせていただきます。
昭和50年代に、「小樽・釧路」を結んでいた「からまつ」については多弁は不要であると思われます。
この前身レであった「423レ・424レ」にも「ハネ」に連結されておりましたが、
昭和40年代に「小樽区所属」だった「スハネ3049」及び「スハネ3050」であります。
前述させていただきましたが、当時は当該レの「ハネ」は全国発売ではなく、「主要停車駅」及び
「道内の旅行代理店」のみでしか販売されていなかったことも、先達の皆様方には既知のことでありましょう。


 長々と失礼いたしました。以上、「デモシカ教頭情報」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 5月14日(火)10時45分10秒
タイトル スハネ3049,3050
ED76109教頭先生:
1966年版「客車形式図集」に北海道用として注記されていますね。
本州用と違うのは給仕室部分と寝台室の間に仕切扉(590mm)が付いている違いでしょうか?
北海道用のハネは寒気防止の為に全部仕切り扉が付いて居ましたが、本州でも厳冬期に
扉が必要だなと感じた日がありました。
(時に江差線の廃止申請が出たのですか?先生には悪いけれど瀬棚線よりも需要が多い
路線だと想いますが)



投稿者 仙コリ
投稿日 2013年 5月14日(火)23時00分9秒
タイトル Re:客車の最高速度
台車の最高速度についてですが、私も手持ちの資料を探してみましたが、記載されている資料は
見つかりませんでしたので、私なりの推測を書かせていただきます。

客車列車の場合、最高速度を決める1番重要な点はブレーキ性能であり、特別なブレーキ装置を
搭載した20系客車を除くと、初めて100km/hを超えた性能を持った車両は12系客車のはずなので
10系軽量客車以前の客車の最高速度は95km/hとされていたと思われます。

ではいつから最高速度が95km/hかというと昭和5年登場の特急「燕」の最高速度が95km/hとされて
いるので、当時使用されたスハ32系客車以降が該当します。

という事で、スハ32系客車から10系軽量客車までは列車としての最高速度が95km/hでしたので、
設計上の最高速度はわかりませんが、実用最高速度は95km/hであったといいますか、それ以上は
考慮する必要がなっかたのではないかと思われます。

したがって、TR23からTR50までの台車の実用最高速度は95km/hであったといえるのではないで
しょうか。

もっとも昭和30年12月に行われたEH10牽引による高速運転試験においてナハ10などが使用され
120km/hの速度でも問題なかったようなので、性能的な余裕はあったようです。

以上、あくまでも私の推測であり、またTR11についてはわかりませんでしたので、どなたか
詳しい事情をお知りの方がいらっしゃいましたらフォローしていただければ幸いです。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 5月15日(水)07時00分15秒
タイトル 客車の最高速度:お礼
仙コリ様ありがとうございました。
スハ32系が昭和5年から東海道線を95km/hで走行していたのですか。
昭和45年夏に東海道線名古屋〜岐阜〜高山線美濃太田までキハ55の急行列車に乗ったことがあります。
後部運転台の速度計を見ていると東海道線内は最高速度の95km/hで必死に走り、
高山線内は駅間を惰行運転無しの85KM/hくらいで走行しました。
TR23台車でキハ55と同じあの速度により走行していたとは驚きです(気動車の最高速度は機関の制限があると思いますが)。
安全を見込んだ最高設計速度はもっと高いかも分かりませんね。
ちなみにC58牽引の高山線各駅停車列車(旧型客車)の走行速度は感覚的に70km/h以下だった気がします。
木造客車に端を発するイコライザー式のTR11と、優等客車列車にも使われたTR23の設計速度が同じとはどうしても思われず
投稿しました。
ありがとうございました。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 5月18日(土)10時13分4秒
タイトル 関西線の寝台車
アルバム写真をスキャンしていて、
1969.8関西線名古屋口の蟹江で撮影した写真に写っていた寝台車について疑問を持ちました。
C5767(名)牽引の下り225列車(1968.10.1改正時刻表によると名古屋10:10始発・亀山12:13終着)
最前部に1両の寝台車が連結されています。
亀山から関西線奈良方面へ客車列車は運転されていません。
紀勢線方面へは141列車(亀山15:22始発・串本22:30終着)がありますが寝台は不要時間帯です。
その後に有名な長距離鈍行921列車(名古屋15:15始発・亀山17:10発・天王寺5:00終着)が運転されており、
途中の新宮〜天王寺間に1等座席車と2等寝台車を連結している旨の表示があります。
225列車に連結された寝台車についてご存知の方ご教示ください。




投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 5月18日(土)20時42分50秒
タイトル Re: 関西線の寝台車
スハユ様

お写真の寝台車の車号は、「スハネ16 205」ではないかと思います。同車は終始名古屋の配置だったようです。
これはもしかして、名古屋工場で全般検査を実施した後の試運転ではないでしょうか?
だとしたら珍しいシーンに遭遇されましたね。



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 5月19日(日)06時07分38秒
タイトル 関西線の寝台車:お礼
クモイ103様
拙い写真をご覧いただいての「スハネ16 205」とのご教示ありがとうございます。
さっそく検索したところ当掲示板過去ログ085に書込みがありました。
SMRC横浜様がH13.5.19書込みされた「1968.9.25付の『急行阿蘇編成記録』」に載っています。
名古屋始発の阿蘇に使われていたのですね。
写真のスハネ16は回送に付き物のブラインドが降ろされていないのですが、よく見ると行先表示板が入っていません。
昼間の関西線旅客列車はガラガラに空いていましたので、乗るのに不便な最前部に連結された試運転客車に
わざわざブラインドを下ろさなくても問題なかったかも分かりませんね。
当時の関西線名古屋口には貨車の試運転列車が運転されていましたが、
試運転客車は少なくて定期列車に連結して試運転していたかも分かりませんね。
さっそくこの写真データに形式番号を追加します。ありがとうございました。

写真は下り貨車試運転列車を牽くC57139(名)です。ご存知のようにこのC57はJR東海リニア館に保存されています。




投稿者 顔文字
投稿日 2013年 5月20日(月)20時05分29秒
タイトル 過去ログ669室木線について
はじめまして たまたま室木線で検索していて たまたま669の過去ログにたどり着きました。
私は当時遠賀に住んでいまして室木線も毎日見てまし、
時々乗って室木までの車中、車掌さんと将棋をしてたこともありました。
ここから本題ですが、室木線の末期ですが 廃止前半年ぐらいは 
編成はわすれましたが気動車に変わり、以後廃線まで気動車のままでした。



投稿者 顔文字
投稿日 2013年 5月20日(月)21時16分33秒
タイトル 過去ログ700芦屋線・折尾駅について
連投すみません。過去ログを逆に見てました汗。
もう一度読み返すと上から下に読んでいって最後に気動車に変わり、以後廃線まで気動車。が出てましたね。
しかも半年でなく1年も前にかわっていたんですね。あいまいな記憶で申し訳ありません。
あいまいついでで大変申し訳ないのですが、小学生時代は芦屋に住んでまして、
町の歴史の授業で、鹿児島線を通す時、はじめは遠賀でなく、芦屋に鹿児島線を通す計画でした。
でも芦屋町が鉄道は要らないと反対したため、遠賀に鹿児島線を通したそうです。
話しは変わって、黒崎駅から筑豊線に乗り込む列車は以前は折尾駅に止まらなかった件ですが。
本来 鹿児島本線と筑豊本線は折尾駅構内で立体交差してまして、鹿児島本線から筑豊本線に乗り込むのは無理でした。
黒崎駅を過ぎて筑豊本線への分岐は折尾駅で無く、折尾駅からちょっと離れた場所を通って次が中間駅だったと思います。
折尾駅にとまるようになったのは、折尾駅の近くの分岐のところに同じ折尾駅という名前で駅を作ったので
黒崎の次に折尾にも停車するようになりました。
出来た当時はテレビでも駅を間違わないようにと放送してた記憶があります。
又、折尾と中間の間に東水巻が出来たのは もう一つの折尾駅(短絡線--折尾駅 6・7番線ホーム)の設置と同じ
昭和63/03/13でした。



投稿者 ED76109
投稿日 2013年 5月25日(土)10時08分18秒
タイトル 江差線カウントダウン
 ご無沙汰しています。「ED76109」であります。

 マロネロ38様

 当地の厳冬期の寒さは言わずもがなであります。
当該レは、「幾寅」や「落合」の「吹き溜まり」で「富良野」に折り返すことが、毎年数度あったとのことであります。
冬に「−25℃」になることもある北海道。
夜行便はすべて「通年暖房」であったことは、先達の皆様方には「釈迦に説法」でありましょう。
「PC利尻」や「PC大雪」も「旧客時代」「14系」、そして「DC化」されても
「8月の一時期」以外はスチームが暖かったのは、有名であります。


 「江差線」について

 マロネロ38様が仰るように、来年5月までの命となりました。
小生は現在「道南」に在しておりますので、「道新の道南版」から様々な情報が入るとともに特集記事が組まれております。
連休中には通常「2、3人程度の利用客」であるところ、「90人」が乗車して「中央線と変わらない」
とぼやかれた御仁もいらっしゃったとか・・・。
先達の皆様方、お別れ乗車はお早目のほうがよいようであります。
小生、出張で「道教委の出先」がある「檜山振興局(江差町)」に何度が出向き、
帰りがけに「江差駅」に立ち寄りましたが、必ず先達の方々が何人か・・・。
 「キハ40のボックスシート」で「日本海」を眺めながら江差名物「御勝手屋羊羹」を齧る・・・。
これぞ、「江差線を看取るベターなスタイル(?)」であります。

 長々と失礼いたしました。
以上、「宿泊研修」で「大沼公園駅から発車したスーパー北斗」に生徒たちと一緒に手を振った
「デモシカ教頭鉄ちゃん」でありました。



投稿者 客車
投稿日 2013年 6月 8日(土)03時22分20秒
タイトル マイテ39の喫茶室化騒動顛末
鉄博では確か6月10日迄ですが、マイテ3911展望室の室内立ち入りを
一組毎に制限時間を設けて実施していますので行ってきましたが、この時に関係者から聞いた話は以下の通りです。

マイテ3911の展望室を喫茶室にする為に一等室を厨房にする工事を行った。
機器は後部のデッキより搬入したが狭いので製品を分解して搬入し、一等室内で再組み立てした。
工事が完了したので所轄消防所の消防検査を受けたところ「二方向避難」が出来る構造にするよう指導があった。
「二方向避難」とは消防用語で有って、
建物の出入り口が1箇所だと火災が発生した時に火災発生場所と建物出入り口の間にいる方は室外に避難出来るが、
建物出入り口の反対側にいる方は避難出来ないので、建物の出入り口とは反対側に非常用の出入り口を設ける事を指します。
今回の消防署の指導は具体的には「展望室の窓を1箇所つぶしてそこに非常用の扉を設ける」ことになります。
マイテの側面に扉を設けることは出来ないので消防検査は不合格となり、
喫茶営業の許可が下りず喫茶室化は断念したそうです。

よってマイテの喫茶室化は永久に不可となります。博物館が鉄道遺産使って金儲けとは神経を疑います。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2013年 6月23日(日)09時12分17秒
タイトル マイテ3911
設計段階で消防署に相談する方法もあったと想いますが。

親戚の一軒が地方で飲食業を営んでいましたが、店や調理場改造とかはお客に来る消防署員に聞いて居ました。
飲食業は消防、保健所との関係を忘れては成り立ちませんので。


 
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから