倶楽部メモ(712)
平成24年10月 7日〜10月22日


投稿者 クモイ103
投稿日 2012年10月 7日(日)07時44分30秒
タイトル 再び国鉄のCM
こちらへご紹介するのを忘れてました(^^;。

来週10/14までの期間、東京汐留「シオサイト」の一角にある「アド・ミュージアム東京」にて、
 特別企画展
 「日本のCMのぜんぶ1953−2012
    ―たった15秒なのに、何十年もおぼえている。」
というのが開催中です。
会期も終わりに近づいた先日ようやく見に行ったところ、国鉄のキャンペーン「DISCOVER JAPAN」や、
山陽新幹線岡山開業時のテレビCMを見ることが出来、思わぬ収穫でした。

後者については以前2008年 8月16日に話題にさせて頂きましたが(倶楽部メモ(448)に収録)、
「ツーットットット」と記憶していたのが実は「ヒューットットット」だったことが判り、
子供の頃の記憶ってあやふやなんだなあと感じたり。

【参考】
倶楽部メモSP
→客車の音や音楽・映画の話題
 →鉄道関係CMネタ

広告とマーケティングの資料館 ADMT「アド・ミュージアム東京」
東京都港区東新橋 1-8-2 カレッタ汐留
シオサイトの銀座寄りの一角にあるビル「カレッタ汐留」の地下1階です。
鉄の聖地の一つ「旧新橋停車場」も近いですから、合わせて見物など如何でしょうか。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2012年10月 7日(日)10時18分18秒
タイトル 一寸面白い本
客車には縁遠いですが、富山西部で出版された珍しい本です。
「加越線終末の記」(富山県呉西地区公共交通再生研究会出版)
販売価格@¥1,300-+送料(地域別なので問い合わせの事)
取り扱い:ひたちなか海浜鉄道
311-1225茨城県ひたちなか市釈迦町22番2号
電話:029-262-2361、fax 029-262-5866
メールは同社HPから。

現金書留送金の場合は吉田千秋社長宛

昭和47年9月15日限りで廃止された、加越線=北陸本線石動→庄川町間の思い出でと
廃止直前と当日の状況ルポと写真。
(昭和15年に客車のナハフ101-102が阪急の96+97に化けたのが有名な鉄道)
当時の高岡高校の生徒2人の手書きルポと写真が、福野図書館にあるのが発見されて
出版されました。
鉄道ファンから見たら、初歩的な間違いがありすが、高校生の純粋な目で見た
感想が面白いです。

吉田社長は鉄道ファン界では有名人ですが、富山地方鉄道→加越能鉄道→万葉線総務
次長時代に、優れたアイデアマンで万葉線再生を図り、ひたちなか海浜鉄道社長に
スカウトされた方です。
以上お知らせまで。



投稿者 赤まんと
投稿日 2012年10月 9日(火)21時42分48秒
タイトル 流転の生涯〜向日町の24系
少し前に「つるぎ」が一時的に向日町受持ちになった話題が出ていました。
当時向日町に所属していた24系は、国鉄最後の改正で宮原、鹿児島、熊本に転属します。
2009年3月に九州ブルトレは終焉を迎えましたが、
14系化改造を受け最後まで活躍を続けたオハネ15 1201、1202、1204、1246は「つるぎ」に使用実績がある車両たちです。
さらに遡れば、1978年10月まで下関にあって「安芸」「あさかぜ」「瀬戸」にも使われた経歴を持ちます。
オリジナルの24系も登場当初の短期間で転属を繰り返しましたが、
向日町配置の24系は流転の生涯を歩んだ車両揃いで、極めて興味深い存在です。

24系24形が「あさかぜ」に使われたのは臨時「あさかぜ51号」としての実績のはずです。
1976年夏季には25形100番台の早期落成車を使っていますし、1978年には宮原の25形0番台を使った例もあります。
時代は一気に下り、1995年以降は熊本の予備の14系15形を使用しましたし、
2000年、2001年には宮原の14系15形を使うなど、臨時「あさかぜ」も心くすぐる存在だったりします。
カマだけではなく、客車にももう少し注目が集まれば、俄然楽しくなるのですが。



投稿者 ひがさん
投稿日 2012年10月10日(水)00時21分3秒
タイトル 東京駅の思い出
またお邪魔して撮影の思い出を一つ。

東京駅が空襲で焼失して復元されるまでの間に、誕生して姿を消したブルトレ。
復元された東京駅に、あさかぜに使われた盛アオの24系が何らかのかたちで
開業時東京駅に初入線できたらいいのだけれど..





投稿者 ひがさん
投稿日 2012年10月13日(土)01時50分57秒
タイトル カシオペア新潟入り
再び投稿をお許しください。

12日。カシオペアが私の住む地元に入線したので貼らせていただきました。
三条、東三条間の鉄橋です。
東三条通過時刻に待機していたところ、
その時刻に64単機が来たので間違った情報だったと諦めかけたところ、
すぐにカシオペアが入って来ました。
64単機は東三条でバックして、長岡方向に戻り、何の為の運用なのか不思議でした。

レインボー塗装はまだ健在だったのですね。検査表記はいくつなのでしょうか?
久しぶりの白昼の巨大客車編成に感激しました。




投稿者 ED76109
投稿日 2012年10月14日(日)00時16分8秒
タイトル 「カレチ」から3題
 おばんでございます。「ED76109」であります。


 先達の皆様方はご存知でありましょうが、明日は「鉄道の日(旧称鉄道記念日)であります。
明治5年に「新橋・横浜」間を、初めて鉄道が開通してから、140年の歳月が流れました。
今日は、以前御紹介した「カレチ」の中から、小生が印象に残ったストーリーを「戯言」調で御披露いたします。
皆様方の話題の一つにでもしていただければ、幸甚のかぎりでございます
(なお、エピソードは全て昭和40年代後半のものです)。


 1 厳冬の「新大阪」から、一人の老婦人が「ハネの寝台券」を持って、「20系の下り彗星1号」に乗車されてきました。
  しかし、1日違いの寝台券で、満席の車内に空き寝台は一つとして無し。
  そこで、「荻野カレチ」は「新大阪のみどりの窓口」に掛け合って、
  「大分」までのキャンセルされた「ハネ」を手に入れようとするのですが、
  足が悪く乗り換えが困難な老婦人には無意味な寝台券しか手に入りません。
  後続の「彗星2号」には空き寝台があるものの、「真冬の岡山の待合室」に3時間も待たなければならない・・・。
  そこで、「新大阪のマルス氏」が、キャンセルされた寝台を時間に追われながら、ピンをマルスに差し込んで
  停車する「大阪」、「姫路」と必死になって確保しよう・・・とするストーリーです。
  最後は「岡山」でキャンセルされた「ハネ」が確保されて、
  マルス氏が成就感を感じながら無人の「みどりの窓口」を後にする・・・といったラストが印象的であります。
  小生も幼いころ、ピンを操つりながら「絶対に獲ってやる」と呟いていた職人気質の窓口氏が、想い出に残ります。


 2 「EF58」に牽引された「下りあかつき3号」は、広島地区向けの朝刊早刷りを
  「新大阪」から「広島」まで運搬する役割を担っておりました。
  しかし、とある日、朝刊を運搬するトラックが事故に遭ってしまい、「新大阪」で積み込むことが不可能に・・・。
  「大阪鉄道管理局の列車指令」氏はスジと睨めっこしながら、積込駅を指示していきます。
  当時、数多くの夜行レが走行する「山陽本線下り」は過密ダイヤであり、滅多に遅れを出すわけにも行かず、
  「神戸」、「姫路」と停車駅での積込はできずに、諦めるしかないのではという敗北感に「運転指令」氏は苛まれます・・・。
  そこで、「荻野カレチ」は秘策を「運転指令」氏に上奏します。
  それは、「姫路」郊外の「無人踏切」で3分間停車して、「新聞」を積み込むというもの。
  「トラックの運転手」も「運転指令」氏も難色を示すのですが、「荻野カレチ」の「現場の声」に心を動かされて・・・
  というストーリーです。
  多少脚色されているのでしょうが、「新聞の輸送」が「ブルートレイン」に支えられていたという事実は、
  夜行レの黄金時代の象徴の一つであったことにちがいありません。


 3 「荻野カレチ」の後輩に荷扱い車掌がおりました。
  彼は、本心では「カレチ」に憧れており、荷扱い車掌の仕事には身が入らない始末。
  しかし、「大阪」から「だいせん2号」に積み込まれた小荷物が彼の運命を変えていきます。
  その荷物は「新井駅」宛だったことから、安易に「北陸方面」の荷物に混ぜてしまいます。
  実はその荷物は、「新井(アライ・信越本線)」ではなく、「新井(ニイ・播但線)」行だったのでありました。
  先輩の「ニレチ」氏から、荷扱い車掌の責任の大きさを聞かされた彼は、
  「臨時急行越後51号」に乗務していた「荻野カレチ」にひと肌脱いでもらい・・・というストーリーであります。
  小生の鈍行紀行の度に、「ニ」で働く「ニレチ」氏の姿に出会いましたが、
  「荷物を待つ人に心を贈る」責任を全うしていた姿が思わず脳裏に蘇りました。


 昭和40年後半、国鉄の鉄路には1日に「3万本の列車」が日本全国を走り回り、
1500万人の乗客の夢を紡いでおりました。
その旅を支えていたのは、25万人の国鉄職員たち。
「労使問題」に翻弄されていたのも事実でしょうが、また一方では数々の「ドラマ」もあったことも事実でありましょう。


 長々と失礼致しました。
以上、「鉄道黄金時代のエピソード」に爽やかな感動を覚えた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2012年10月14日(日)19時49分53秒
タイトル 鉄道記念日らしからぬ日
鉄道記念日---この方がしっくり来ます。
ところでもう隠居の身で年金生活では出歩けませんから、CDで「新鉄道唱歌」
(東京-名古屋)とHoneggerの ”Pacific231”を聴いて終わり。
補聴器では音がおかしな具合ですが、随分前に見たモノクロ映画の綺麗な画面を
思い出しながらの6分間---短い化粧煙突のずんぐりした2-C-1機関車が出てきた記憶が----。
客車は牽いて居なかった?



投稿者 ひがさん
投稿日 2012年10月16日(火)23時57分37秒
タイトル 本日の出荷
度々、お邪魔をして申し訳ありません。

16日、新津所製作のE233系配給列車を撮る機会ができたので貼ります。

新津では「鉄道の日」に合せて新津車両製作所の一般公開を毎年行っていますが、
私は行けませんでしたが、E233系の試乗体験もあったようです。
その試乗に使われた車両かと思います。
東京付近にお住いの方々には何の珍しさもない情報かもしれません。




投稿者 赤まんと
投稿日 2012年10月19日(金)23時06分3秒
タイトル 盛アオ24系、東京駅入線
当日は仕事で、東京駅でジカに見たわけではありませんが、前夜尾久で待機している姿を押さえました。
ひがさん様の願いは早速叶ったわけです。


Lot No.5371 10/13 9823レ「ブルトレ親子体験号」(になるはずの編成)

 EF65 1115(23-2秋田総合車セ)
オハネフ24 8(24-8秋田総合車セ・白帯・白文字)
オハネ25 215(21-9秋田総合車セ)
オハネ25 218(21-5秋田総合車セ・保留車)
オハネ25 216(22-8秋田総合車セ)
オハネ24 44(23-12秋田総合車セ・引戸)
オハネフ25 202(24-9秋田総合車セ)
カニ24 116(21-6秋田総合車セ・白帯)
 EF65 501(20-4秋田総合車セ)

懐かしい「出羽」のテールマークは非常に良い演出なのですが、
東海道を往復させる企画であれば、金帯24系25形で揃えてほしかったところです。
13日夜からは横浜〜秋田を「出羽」として運転する計画で、
金帯と「出羽」テールマークの組み合わせはどうかと問われれば、アンバランスと言えるのですが。
しからば当日、白帯車で統一された編成を組めたのかというと、可能だったのです。
青森にはオハネ24 7、オハネ24 19、オハネ24 20、オハネ24 49と、
オハネフ24 7、オハネフ24 19、オハネフ24 23、オハネフ24 25の計8両が当日予備として残っていました。
オハネ24 20は前回全検時期から見て、秋田に全検入場中の可能性があるのですが、
オハネフを1両増やせば、定員と編成美に難があれど、帯色は揃います。
眺めている気楽な立場からはいくらでも要求はできます。
現場の苦労を考えると、今回もよくぞ企画してくれたものだと思います。
JR東日本がまとまった両数の24系を確保しているのは、ブルトレファンとしては大変心強く思います。



投稿者 立山
投稿日 2012年10月22日(月)23時02分28秒
タイトル C58 239とオハ35 2001
岩手県盛岡市の岩手県営交通公園にはオハ35の記念すべきトップナンバーオハ35 2001が保存されていますが、
そこにつながれているC58 239をJR東日本が復活するみたいです

そうなると高崎の12系と旧型客車だけでは客車編成が足りませんが、
補充する客車は今度北海道で廃車になるキハ141系気動車を購入改造して使うそうです…

キハ141は元客車ですが…

なんかしっくりこない気がするのは私だけでしょうか?

気になるのは、残されたオハ35 2001がどうなるのかが気がかりです

貴重なオハ35のトップナンバー、高崎の旧型客車の仲間に加えてもらえるとうれしいんですけど、
主役の蒸気がいなくなったあと忘れ去られて荒廃し解体だけは避けたいですね


 
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