倶楽部メモ(697)
平成24年 2月26日〜 3月 1日


投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 2月26日(日)21時49分8秒
タイトル 客車列車の編成について
先日50系客車の編成について話題になりましたが、客車編成の組成方法についてまとまった資料が意外と見当たらないので、
解説したページを作成したいと考えております。
といっても私自身あまり詳しいわけではないので、ぜひ皆様のお力をお借りしたいと思いますので、ご協力のほどよろしく
お願いいたします。
とりあえずここで私なりにまとめた文章を提示させていただきますので、皆様からだめだしをしていただく方法でご協力
いただけると助かります。

まず、ページタイトルですが「客車編成の組成方法」でよろしいかどうか?
もっとわかりやすいタイトルがあるようでしたらご提案ください。

内容的には、まずは基本的なルールからはいりまして、各形式別の特殊ルール(実績を含む)を書いていきたいと考えて
おりますので、初回の今回は基本ルールから。


編成とは列車が運行する際に車両を複数連結して(1両の場合もあり)運用にあわせた車両数の列車としたものである。

客車編成の組成方法のもっとも基本的な点としては、列車の最後尾に緩急車、もしくは同等の設備を持つ車両を配置する。

緩急車とは車掌の乗務する場所(車掌室)があり、車掌弁(非常ブレーキ弁)と尾灯(テールライト:正式には後部標識)
を有する車両で、形式名のカタカナの最後がフとなっている(オハフ・オハネフ等:ブレーキのブが由来)車両である。

同等の設備(車掌弁・尾灯)を持つ車両として、荷物車や郵便車(ニ・ユ・ユニ)や、荷物室や郵便室と客室の合造車
(ハニ・ハユ等)、展望車(テ)、電源車があり、これらの車両は最後尾の車両となることがある。

これらの車両には尾灯および尾灯掛が各2つ以上装備されており、本来は自ら発光する赤色灯(テールライト)を2つ
以上点灯させる事になっていますが、最近は赤色円板(直径20cm程度の円形をした赤色反射板)で代用しているケース
も多くみられる。

基本的には車掌室のある側が最後尾となるが(車掌が後方監視をしやすくするため)、車掌が改札をする場合など運用の
都合により逆側が最後尾となる場合もある。
このような運用にも備えて、ほとんどの緩急車は両端に尾灯を備えている。(一部片側のみの車両もあります。)

列車の運用上、往復で運転することがほとんどなので、編成の両端が緩急車、もしくは同等の設備を持つ車両となる。

運用によっては複数の編成が連結してひとつの列車となる場合もある。(基本編成+付属編成)


基本的にはこのような感じだと思うのですが、説明が足りない点、説明が少し間違っている点などあると思いますので、
詳しい皆様の意見・つっこみをいただければ幸いです。



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 2月27日(月)21時11分23秒
タイトル 北の大地の51系
 おばんでございます。「ED76109」でございます。


 まずは「雪だるま」様の後追いでありますが、本日道南方面の豪雪のために、
ついに「1レ・2レ」がウヤとなってしまいました(なお、函館は観測史上タイ記録の81cmの積雪)。
明日のトホホセ筋の車番確認及び撮り鉄の先達の皆様方、ご注意ください。



 さて、「レッドトレイン」の話題で賑わっておりますが、「マロネロ38」様の仰いますように、
当地では「51系」が国鉄末期に至る所で活躍しておりました。簡単に以下に記してみますと・・・。

 「旭アサ」・・・オハフ51・オハ51 合計19両 宗谷本線(旭川・稚内)及び石北本線(旭川・網走)で運行され、
        「ニ」、「ユ」との「3連編成」は有名でありました。

 「札サウ」・・・オハフ51・オハ51 合計26両 函館本線(仁木・滝川)

 「札イワ」・・・オハフ51・オハ51 合計61両 函館本線(長万部・滝川)及び室蘭本線(長万部・岩見沢)

 どちらも「通勤レ」を中心に活躍していたものであります。

 「函ハコ」・・・オハフ51・オハ51 合計24両 函館本線(函館・長万部)及び江差線(函館・木古内)であり、
        昭和61年9月〜は121レ・128レ(函館・札幌)にも運用されました。

 ※ 平成11年度「鉄道ジャーナル9月号別冊・懐かしの国鉄客車列車・客車配置及び運用図」より

 これらは全て「DD51」及び「ED76500番台」が牽いていたことは、
先達の皆様方には「釈迦に説法」でありましょう。


 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2012年 2月27日(月)21時56分46秒
タイトル Re: 客車列車の編成について
仙コリ(管理人)様

これまた基本的、それでいて突っ込みだしたらキリがない禁断の泥沼テーマに足を踏み入れられましたね(笑)

国鉄時代、こういうことには必ず内規があったもので、しかも時代によって多少なりとも変化してきたと思われます。
(私は残念ながらその内規を存じませんが…)
そして話がややこしくなる要因は、実際の編成は列車個別の事情によってかなり融通無碍に構成されていたことです。
おそらく内規の条文で全てのケースを網羅することは事実上不可能でしょうから、
例の塗色規程と同様「規定破り」が横行していたんじゃないかな?と勝手に想像しています。

【緩急車について】
列車の最後尾に原則として緩急車を連結するようになったのは戦後のことで、
戦前は例えばスハネ31が急行列車の最後尾に連結されることが多かったと聞きます。
当時の客車の尾灯は車両に固定されたものではありませんでしたから、
サボと同じように客車自体とは別に運用されていたと思われます。
尾灯が客車の車体に部品として固定されるようになったのは、戦後もしばらく経ってからと思いますが、
正確な年代は存じません。
当該の時期、多くの緩急車に尾灯が取り付けられていく中で、
逆らって?最後まで尾灯を設けなかった少数派として、マロネフ59とマイフ97があります。

> 基本的には車掌室のある側が最後尾となるが(車掌が後方監視をしやすくするため)、車掌が改札をする場合など運用の
> 都合により逆側が最後尾となる場合もある。

積極的な「運用の都合」で逆向きにしていたのは、
おそらく先般話題に上った東北本線北部のローカル用12系客車くらいではないでしょうか。
かつての旧客全盛時代の逆向きの多くは、たぶん車両の向きを特に管理していなかったか、
せいぜい「予備車に差し替えたら逆だった」くらいの偶発的なもののような気がします。

> 列車の運用上、往復で運転することがほとんどなので、編成の両端が緩急車、もしくは同等の設備を持つ車両となる。

短い編成では片側のみ緩急車というのがありましたね。
仙コリ様ゆかりの日中線がオハ61+オハフ61の2連でした。
この場合、オハの編成端部には外付けの尾灯が設けられたと思いますが、残念ながら確認していません。

ともあれこのテーマ、深追いすればするほど大変なことになりますよ(わくわく)。



投稿者 マサマサ
投稿日 2012年 2月28日(火)01時20分53秒
タイトル 50系と北斗星色EF81の組み合わせ
はじまして。マサマサと申します。初投稿になります。
どうぞよろしくお願いいたします。


先日よりの”東北客レ”のお話を拝見し、懐かしさを感じております。
EF81+50系のお話の参考になればと、手持ちのアルバムを漁ってみました。


撮影は1995年12月18日、好摩〜岩手川口での撮影です。
お話の解決に役立てれば幸いです。

EF81牽引の50系は1日1往復(昼ごろ)と記憶してますが、
記憶違いの場合はご容赦ください。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 2月28日(火)21時30分53秒
タイトル Re2: 客車列車の編成について
クモイ103様
コメントありがとうございます。

正直なところ、基本的な事項はけっこう単純に考えていたのですが、思っていたより複雑で
特に時代をさかのぼると、とんでもなく難しくなりそうですね…
言い出した以上ページを作成したいと考えていますが、当面はあくまでも基本事項として・
戦後(およそ昭和25年以降)のルールであって例外もあり、というちょっとあいまいな形
となってしまいそうです。
それでも何事も始めなければ完成はない(道のりは遠そうですが)と思いますので、近日中
にテスト的なページを作成しまして、正式公開前にここにアドレスを公開して皆様のご意見
をお聞かせ願えればと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

また、出来るだけ写真や図解をいれたいと考えているのですが、固定式でない尾灯の写真が
手持ちの写真では見当たらなかったので、ご提供いただける方がいらっしゃいましたら、
ぜひご投稿、またはご連絡いただければ幸いです。



投稿者 スイロハ35
投稿日 2012年 2月28日(火)22時38分3秒
タイトル 尾灯ではないですが…
仙コリ(管理人)様へ
>固定式でない尾灯の写真が
手持ちの写真では見当たらなかったので、ご提供いただける方がいらっしゃいましたら、
ぜひご投稿、またはご連絡いただければ幸いです。
尾灯ではないですが、北斗星の上野駅の推進回送では合図灯を前照灯代わりに使用している様子を
動画サイトなどでよく見ます。
カシオペアや夢空間の車両はよく前照灯がついていたので印象深いところですが、
合図灯を使用したものがおそらくかつてはあったのではないかと思われます。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2012年 2月29日(水)10時00分49秒
タイトル 可搬式の尾灯
固定式ではない尾灯は客車区で係員がぶら下げて来て、ガチャンと嵌め込んでコード
のプラグをコンセントにつなぐ方式ですね?
昭和29年9月3日に加古川線で写したナハニ15813の端面に写っています。ここの
写真館に以前提供しなかったでしょうか?無ければ再送しますが------。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 2月29日(水)18時49分57秒
タイトル Re:可搬式の尾灯
マロネロ38様

客車列車写真館に提供いただいた写真は、昨日真っ先に確認させていただいたのですが見当たらず…
書き込みを拝見して再度確認したところ、こちらへ代理写真投稿させていただいた中から探し出すことが出来ました。
(倶楽部メモ418に掲載)
編成のページを作成する際に、ぜひ使用させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。



投稿者 滉淬
投稿日 2012年 2月29日(水)20時54分6秒
タイトル 20系日本海
如月の晦日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
こんばんは。以前当掲示板にて質問させて頂いた滉淬と申します。

当時質問させて頂いた、倶楽部メモ496にまとめられている「20系日本海の最後尾」
(定期三本帯時代)についてです。
当時は雑魚様、きむたお様、管理人様から「ナハネフ22が使用されていた」
との事実をご教示頂きました。改めて御礼申し上げます。

さて、その後「ナハネフ23はどうだったのか」という疑問が漠然と残っていたのですが、
この度、画像を発見致しましたので該当写真を紹介させて頂きます。
既にご存知の方がいらっしゃれば、「何を今更」と笑ってお見過ごしください。

一枚は「南田裕介監修“撮り鉄”投稿写真館」というサイトで
「日本海」とサイト内検索をして頂くと出ます。

もう一枚は【鉄道ネガ】ナハネフ23『日本海』と検索して頂くとトップに出てくる
ページで見ることができます。ヤフーオークションに出品されていたもののようです。

ただいずれの画像も側面が見づらくなっておりますので、
皆様の御鑑定も併せてお願い申し上げたいところです。

長文失礼致しました。



投稿者 マシュマー
投稿日 2012年 2月29日(水)22時12分40秒
タイトル オリエントエクスプレス88
1988年にオリエント急行が来日し、日本列島を縦断したという日本鉄道史上忘れられない出来事です。
私は1988年12月末に品川駅の展示会でオリエント急行を生で見ることができ、客車内もチェックできました。
あの素晴らしい装備は今でも忘れられません。

車掌のダニエル・グフェラーさんのサインをゲットし、あのホーンも生で聞きました。
オリエント急行で何か思い出はありませんでしょうか。

NゲージでKATOからリリースされ基本セットと増結セットを揃えることができ、フル編成で楽しんでいます。
しかし…、TOMIXの機関車とKATOのオリエント急行客車の連結がうまくいかず、
すぐに機関車が客車から離れてしまう事態で苦しんでいます...(T_T)。
カプラーの相性が悪いのでしょうか。何か解決方法はないのかと…。
牽引機関車はEF65(1000番台)、北斗星色DD51重連、ED75(1000番台)、全てTOMIX製ですが楽しんでいます。
標準色DD51もいいのでは。

しかし、あのオリエント急行はもう二度と来日することはないでしょうね…。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2012年 3月 1日(木)10時22分31秒
タイトル 可搬式の尾灯写真
管理人様、スイロハ35様:
だいぶ以前の投稿だったのですね。
撮影場所は加古川線野村駅(現西脇市駅)です。スイロハ35様お解りになりましたでしょうか?


 
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから