倶楽部メモ(582)
平成22年 2月19日〜 2月23日



投稿者 青列車
投稿日 2010年 2月19日(金)22時06分38秒
タイトル 【関門隧道】客貨列車は電機牽引
>>ユーラシア鉄道様
>>3.山陰本線長門市〜門司に1往復のDD51客車列車の存在

山陰本線系の九州方面直通客レはご指摘の列車以外にもかつて多々ありました。
有名どころでは824レ・831レ、或いは夜行さんべ等
(同列車はカマ運用の関係からか鹿児島本線もDD51のお世話になっていたとか)
も含め、関門トンネル内はEF30またはEF81-300にエスコートされていました。
DLの自力走行は故障車救援時以外では寡聞にして存じません。

もっとも、その昔=1974(昭和49)年=に乗車していた下関行421系列車がトンネル内で立ち往生した時には、
EF30に救援されました。
そのまま下関側に出してくれれば良いものを再び門司側に引っ張り出されてしまい、
大急ぎで隣のホームの山陰本線方面の列車=EF30牽引の客レ=に乗換え再び関門トンネルを抜けました。
なおその列車、下関からはDD51よりDの一つ少ない真っ黒な機関車(笑)にエスコートされ発車して行きました。
今にして思えば幡生までの一駅だけでも乗れば良かったと後悔しています(^^);

添付画像は門司発山陰本線方面列車です。
関門トンネルを抜けて来たところで、エスコートするのはEF308、1985(昭和60)年頃の撮影です。





投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 2月20日(土)00時15分57秒
タイトル 「鉄」雑感あれこれ
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >「まつかぜ」が米子で系統分割されて間も無い博多始発当時の上り「いそかぜ」

  小生も、平成7年の盛夏に「下りいそかぜ」に完全な逆コースで「米子・下関」を楽しみました。
 一昔の「旧客」の味わいはありませんでしたが、「ガラガラのDC」はまた別の味わいがあり、
 座席を引っ繰り返してワンボックスに仕立て、美しい「白砂青松」を堪能しました。
 何度眺めても、日本海に沈む夕日は美しき哉・・・。

 マロネロ38様
 >一部長距離夜行鈍行が、大阪‐岐阜-高山‐富山経由で運転された時もありました

  本当に今は亡き、迂回運転でありますね。
 昭和20年代に「トカホセ」の根府川鉄橋(?)の補修のため、貨物列車を「D52牽引で御殿場線経由」で運転させたように、
 国鉄時代は様々な迂回例がございました。
 以前に記述させていただいたように、小生は昭和46年の盛夏に「DCなは・日向」が
 「伯備・芸備線経由」で運転された際に経験しました。
 また、平成8年厳冬には、「まりも」が「石勝線不通」のために「石北・釧網本線経由」で運転されたことがございました。
 しかし、現在では「北斗星」や「カシオペア」の「奥羽・羽越・上越線経由」の運転もほとんど見られませんですねぇ・・・。
 (ただし、最近当地では踏切事故で「スーパー北斗」が「渡島砂原経由」で運転されました)

 青列車様
 >エスコートするのはEF308

  懐かしい思いでいっぱいであります。
 小生にとっては「関門隧道」は「EF30のステンレス車体」でなければというイメージがございます。
 昭和47年の春に、「下関」での「桜島・高千穂」に連結されていた「EF30」が「EF58」に交換される「儀式」が、
 今でも脳裏にございます。お写真、ありがとうございました。

 長々と失礼申し上げました。
 以上、「ユーラシア大陸」様のお写真に、「沼津」で「東京発大阪行123レ」と「EC急行いこま」が出会った
「昭和30年代のトカホセ」のイメージを幻影している「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 2月21日(日)09時49分51秒
タイトル 「はりま」
ED76109先生:
「いこま」は153系だったでしょう?
それより夏の臨時急行に「はりま」(夜行)がありましたが、これが何と86300番代の湘南
型でした。
ロが1両だったから、多分「比叡」の予備車使用かと−−−−大阪駅で上りを見たら
流石にガラガラでした。(86300代は居住性が割に良かったが夜行には一寸でした)
それから「東京オリンピック」の年に熊本−東京の「聖火」が運転されましたが、これが
オール43系座席車でロがスロ60x1両。全くの輸送力列車でした。EF58も茶色車。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2010年 2月21日(日)10時35分49秒
タイトル はりま2
>>マロネロ38様
はりまは当初、関東と関西の80系ローカル編成の夜間滞泊を相互利用して編成を捻出した、とどこかで聞いた気がします。
後に153系化、大型ヘッドマークもついて東海道電車急行の一角を形成しましたが、以前から謎だったのが当時の東海道の
電車急行、準急の大型ヘッドマークの色についてです。
東海道・山陽筋では縁の色が、水色・黄色・赤色と3種類確認してますがこの違いはなんなのでしょうか?
受け持ち区によるものなのか、作成時期によるものなのか・・
スレ違いで申し訳ありませんが、ご存知の方がいらっしゃればご教示願いたく存じます。



投稿者 クモイ103
投稿日 2010年 2月21日(日)10時53分44秒
タイトル はりま3
 モハ80系急行「はりま」は、ヒゲ無し雷鳥様の言われる通り、
「関東と関西の80系ローカル編成の夜間滞泊を相互利用して編成を捻出」して設定されたものです。
ひたすら輸送力増強に追われていた高度成長時代の国鉄の車両事情を象徴する列車と言えましょう。

 東京−姫路間不定期急行列車1013T・1014T「はりま」のデビューは、
青大将「つばめ」「はと」が電車化で姿を消した昭和35(1960)年6月1日ダイヤ改正です。
車両は田町と宮原の80系電車です。
 東京と大阪でそれぞれ夕ラッシュ輸送を終えた80系10両編成は、急行「はりま」に仕立てられ、
休む間もなく夜通し走り続けます。
翌朝それぞれ姫路と東京に到着した編成は、そのまま互いの運用に1日充当され、
その夜の返しの「はりま」で3日目に帰区するという運用だったようです。
「24時間働くジャパニーズビジネスマン」の見本が、この頃既に国鉄電車にあったのですね。
 登場後1年あまりの昭和36(1961)年7月1日、
3ヶ月後に控えた白紙大改正用に増備された153系電車の早期落成車を使用して「はりま」は置き換えられ、
80系はハード運用から解放されました。
(参考文献:鉄道ピクトリアル第358号(1979-2)「国鉄急行列車愛称変遷史[13]」三宅俊彦・曽田英夫)



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 2月21日(日)11時51分27秒
タイトル 乗りたかった「80系鈍行」
 おはようございます。「ED76109」でございます。

 小生、「はりま」は小学生の時に「RP」か「RF」のどちらかの「旧電特集」で眺めた記憶がございます。
前述させていただきましたが、確か「はりま」は「80系の最長距離列車」だったのではありませんか。
 当時、「80系鈍行」を上手に使えば、旧客鈍行よりも早く移動できることを
「種村直樹氏」が「遥かなる汽車旅(JTB版・平成8年刊)」で、次のように記述されております。

 京都7:42------------------(124レ)--------------------------東京20:38

 京都9:21-(820電)-米原11:02-(520電)-豊橋13:50-(854電)--東京20:41

 「PC」と「EC」の差とはいえ、「EF58」と「モハ80」の追いかけっこは興味深いものがございますね。
小生は、「昭和47年3月改正」で姿を消した「米原発の東京行80系鈍行」の制覇を「鉄」親父と画策しておりましたが、
すんでのところで・・・。
「中央西線D51旧客鈍行」を制覇した後にと考えておりましたが、残念でありました・・・(滂沱)。

 長々と失礼致しました。
 以上、北の大地の「道新」に再び掲載された、まだまだ懲りていない「一部の馬鹿者ども」の愚行に、
言葉が出てこない「中年客車鉄ちゃん」でございました。



投稿者 やまはn
投稿日 2010年 2月22日(月)13時42分56秒
タイトル 松本清張の映画にみる旧国鉄の姿
2月13日(土)付け「PC能登」の姿を意外なドラマで・・・ 投稿者:ED76109 を見て

松本清張といえば、鉄道がよく出てくるのは皆様ご承知のとおりです。
そこで最近では、当時制作の映画をみれば懐かしい鉄道風景が見られるのではないかと思い、いくつか借りてみてみました。
ご紹介の「ゼロの焦点」では、禎子やその夫が金沢に向かった急行「北陸」の上野21:15発車風景が2回、
北陸線親不知付近と思われる走行シーン、富山付近と思われる車内風景がでますね。
それから、北陸鉄道金沢市内線の車内および走行風景、禎子が富来に向かう能登線のDC、
それになんと北陸鉄道のデッキつき気動車の羽咋到着および車内風景まで出るのは、もう感動しました。
それから、乗り継ぐバス(当然ながら車掌常務の手動ドア)もいいですねえ。
また、「張り込み」では、急行「さつま」の横浜駅発車から京都〜明石付近の車内(一貫してナハ10系の軽量客車)
EF58を先頭にした走行風景、それになんとなんと山陽線西部だろうと思われる海辺のC62疾走風景、
広島や小郡、博多、鳥栖の駅風景など、マニアには垂涎ものです。
そのほかに、鉄道シーンがよく出てくる映画をご存知の方、教えてください。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 2月22日(月)16時08分42秒
タイトル 稚内駅
▼ED76 109様:
> 何度眺めても、日本海に沈む夕日は美しき哉…

御意。確か下り「いそかぜ」より遅い時間帯のスジと記憶しますが、20数年前の早春、
米子→益田の移動に下り最終「おき」を利用しました。日本海の眺めは格別でしたが、
この日はよほど縁起が宜しかったのか、出雲市・大田市・江津・浜田と停車する度に、
爆竹音と万歳三唱で見送られた新婚カップルが乗り込む(当時は彼女いない歴を鋭意
更新中だった私にとっては)異様な光景に遭遇、日本海の水面も妙に紅色気味でした。

当時「ハウステンボス」は未開業でした。1960年代よろしく日南海岸でもあるまいし、
彼らのハネムーン先が何処だったのか、未だに謎ですね(^^)

さて、RJ誌の最新号特集「北海道2010冬」は、そちらにとって時宜を得た内容では
なかったかと拝察しますが、宗谷線関連の項では、稚内駅が観光拠点として再開発の
途上にある旨の記事を一瞥しました。同日発売のRF誌によると、関連して、特急が
発着する二番線と、隣の側線(かつての機回し用と思われますが、引上区間が大幅に
縮小された時点で、機能喪失しています)が撤去され、完全に棒線化されたのですね。
車両基地は南稚内駅併設ですから、不都合もありませんが、特急が発着する最果駅が
棒線仕様というのも(類例として、万座鹿沢口駅が挙げられますが)妙な感覚ですね。

南稚内〜稚内は元々、航路連絡の為に延長された区間であり、市役所の立地を除けば、
周辺の市街展開がより大きい南稚内の方が、拠点駅としての性格が強い様に感じます。
1939年以前の様に「南稚内→稚内」「稚内→稚内港」と改めた方が、駅の位置づけが
判り易く、尚かつ稚内駅の再開発の動機である観光振興にも与する様にも感じますが、
混同の危険性を考えると、少々無理があるでしょうか。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 2月22日(月)20時37分48秒
タイトル 80系鈍行
ED76109先生:
確か広島17.20の岡山行に乗車(86100代)岡山から「鷲羽」の最終、三宮から阪急の最終
梅田行で帰宅した事がありました。帰宅したら0.05ぐらいで。
この広島→岡山間が86系普通の最長乗車区間でした。



投稿者 元ウエレクレチ
投稿日 2010年 2月22日(月)20時40分44秒
タイトル 鉄道シーンがよく出てくる映画
みなさま始めまして、若輩者の元ウエレクレチと申します。
よろしくお願いいたします。

当方が知っている鉄道シーンがよく出てくる映画は、山田洋次監督の映画・家族です。
舞台は大阪万博が開催された昭和45年で、
主人公が家族を連れて長崎から北海道・中標津まで国鉄で移動する様子が描写されています。
当時の新幹線の営業区間は東海道のみで、その他の区間において主人公一家は当然のごとく在来線を利用しています。
なお、作品中には青函連絡船の姿も見られます。

EF58・10系客車・月光形・キハ58系、映画(ビデオ)を見るたびに懐かしさひとしをで、
もう一度ゆったりした国鉄・在来線の旅を楽しみたいと思う国鉄OBでした。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 2月22日(月)21時45分57秒
タイトル 紀勢本線フォトアルバム
 旧国鉄の話題に搭乗させていただきます。

 紀勢本線電化前の1978年頃?の写真が、出てまいりましたので、ご案内申し上げます。

 急行きのくには、最長10連があり、最盛期は約10往復以上のダイヤ設定で、
架線下の阪和線を豪快に走り去っていたのが、今や、うそのようです。

<DF50牽引・臨時急行きのくに・白浜行き>
<急行きのくに・先頭のキハユニ16は和歌山まで> < 同  阪和線で疾走中>



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 2月22日(月)22時01分27秒
タイトル 紀勢本線フォトアルバム2
 続投で失礼致します。

 紀勢本線・DD51+旧型客車+マイテ49
の写真です。

 マイテ49には、旧型客車以外は似合いません。

<白浜駅機回し線のDD51+マイテ49> < 同 JR西日本のマイテ+旧客3両セット>

*雑魚様*
<宗谷海峡トンネルから出てきた、札幌行きロシア国際客車牽引 を牽引するJR北海道のDD51(妄想・・笑)



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 2月22日(月)23時14分40秒
タイトル 愉しき哉、「鉄」話・・・
 失礼申し上げます。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >稚内駅が観光拠点として再開発の途上にある旨の記事を一瞥しました。

  小生が昨年の夏に訪問した時は、「稚内全日空ホテル」前が整備途中であり、駅前を含めて「駅前市場(?)」でも作るのかと思いました。
しかし、「稚内」の「棒駅化」は・・・。
「スーパー宗谷1号」到着後、「サロベツ」は、どうやって発車するのでございましょう?
雑魚様の仰るように、「南稚内」が市内の中心であることが「再開発」の足枷にならないようにと思うのですが・・・。
しばらく経ちましたら、「乗り鉄」で再訪すると思われますので、その折(?!)に報告させていただきます。

 マロネロ38様
 >広島→岡山間が86系普通の最長乗車区間でした

  小生、「岡山→広島」のEC鈍行に何度かお世話になりました。
前述いたしましたが、「三原」を過ぎてから「セノハチ」を越えてのコースは、「山陽本線」のポイントであります。
「鉄」親父は、件の「集金旅行」で「東京発着の長距離旧客鈍行」で「補機」とともに、幾度か「セノハチ」を越える経験をしたとのこと。
「かもめ」の「自動解放」を「BS2」で見ましたが、一度経験したかったものであります。

  やまはn様及び元ウエレクレチ様

    初めまして。「ED76109」でございます。「産」は東京なのですが、縁あって「札幌市内の高校」に勤務しております。
「中年客車鉄ちゃん」であります。よろしく御願い致します。
  以下に、小生の好きな「鉄」映画を記させていただきます。
先達の皆様方も、御覧になったものがあれば、是非お知らせ頂きたいものでございます。

 ○「砂の器」・・・昭和49年制作の「邦画の名作」の一つであります。
「羽越本線の旧客鈍行」、「PC急行鳥海」、「80系まつかぜ」、「キハ58だいせん」、「木次線キハ22」が登場致します。
TBS版では、物議を醸した「C57」と「やまぐち号のPC」が登場。
 しかし、いつも「秀夫」親子の子別れシーンでは、小生号泣してしまうのでありました。

 ○「飢餓海峡」・・・「水上勉」の名作。「洞爺丸台風と岩内大火」をモチーフにしたサスペンス映画であります。
「岩内線の混合レ」、「函館本線のオハフ60」、「下北半島の軽便」、「70系の旧国」そして「PC急行日本海(?)」等が登場致します。
昭和39年制作であり、モノクロの画像が時代を感じさせて秀逸であります。
なお、主演の「三国連太郎」さんは、「大いなる旅路」でも主役の「機関士」役の名演が光ります。

 ○「約束」・・・昭和47年制作。「萩原健一」さんのチンピラと「岸恵子」さんの女囚の一度限りの「悲恋」が、
「北陸本線」と「羽越本線」を走る「DCしらゆき」らしき車内ロケを中心に哀愁を帯びて描かれております。
「厳冬の日本海」という舞台設定もさることながら、車販嬢や様々な乗客の姿等、往年の「長距離列車の旅」が存分に味わえます。

 ○「遙かなる山の呼び声」・・・昭和54年制作。「元ウエレクレチ様」がご案内頂いた「家族」の続編的名作であります。
「ラストシーン」の「DC急行大雪」。「遠軽のフォームでの買い物」からの名シーン。
「ハナ肇」さんと「倍賞千恵子」さんが演じる「乗客」が、「高倉健」さん演じる主人公に、「網走の出所」を待っていることを涙ながらに告げる場面。
これも小生、感動して号泣してしまうのであります。

 ○「約三十の嘘」・・・平成16年の制作。「トワイライトEXP」の走行シーンと車内ロケを中心とした、「詐欺師を巡る人間ドラマ」。
「北陸本線」や「湖西線」の車窓風景もふんだんに描かれており、「椎名桔平」さんと「中谷美紀」さんの演技が光ります。

 これら以外でも、「渥美清」さん主演の「喜劇急行列車」シリーズや「フランキー堺」さん主演の「喜劇大安列車」シリーズ、
「小林桂樹」さん主演の「父ちゃんのポーが聞こえる」等々。
洋画では、「カサンドラクロス」や「大列車作戦」、「脱走特急」等々・・・。
挙げれば、まだまだ「名作」はあると思われます。
 それでは、最後に「家族」の風見一家が辿ったであろう「経路」を「昭和48年6月度JTB版時刻表(新幹線は岡山まで来てしまっていますが)」
で再現(映画のようにはまいりませんが)させていただきます。

 1日目 長崎10:42-(いなさ4号)--小倉14:46--(玄海3号)--福山19:53(弟宅で一泊)

 2日目 福山7:54-(山陽1号)-岡山8:48 (昭和45年当時は「新大阪行」で大阪11:00頃) 万博見物の後
 新大阪15:40--(ひかり6号)--東京18:50--(山手線のラッシュで通勤客から叱責)---上野 (旅館で長女逝去)

  3日目 都内にて長女の葬儀等

  4日目 8:00頃に上野から「昼行のPC急行」に乗車。適当な列車は皆無。
(臨時「十和田」若しくは臨時「八甲田」に乗車と仮定)--青森20:00頃(?)/0:10-(11便)若しくは(1便)--

  5日目 (映画では「函館」で朝食を食べていますが、それでは今日中に「中標津」には到着不可ですので・・・) 
函館5:05--(ニセコ1号)--札幌12:15--(狩勝2号)-釧路20:30--(628D)--標茶21:29
 (標津線は接続無く、標茶止まり? 「中標津」から車で迎えが・・・)〜〜中標津23:00頃

 本当に長々と失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 2月23日(火)15時30分57秒
タイトル きのくに
▼ユーラシア鉄道様:
> 札幌行きロシア国際客車を牽引するJR北海道のDD51

この配色、意外とイケますね(^^)図らずも、そちらのネタをフォローした形ですが、
RJ誌最新号の特集記事「北海道の鉄道〜これからの10年、そしてその先の夢」では、
大陸〜サハリンが海底隧道で結ばれる前提の下、貨物輸送本位との観点から、稚内〜
サハリンの海底隧道構想が、必ずしも「夢物語」ではないという論調です。

その一方、新幹線の道内延伸を、物流の大動脈である青函隧道を保全する為の有力な
手段と捉えている事から、以前、ED76様より御話があった、江差線の動向如何では、
新在のダイヤ調整上の課題はさて置くも、新函館までの三線化も、十分あり得ますね。
ただし、札幌延伸が実現した場合、やはり「山線」存続は悲観的と踏んでいる様です。

イケる配色といえば、御掲出のキハユニ連結「きのくに」も「非電化国鉄線における
正統的な混色パターン」という雰囲気ですね。一般的には、キハユニではなく南海線
直通編成(A・B号車)の印象が強い「きのくに」ですが、並行ルート同士でこうした
多層建が行われたのは、南海線が旧来の市街を貫くのに対し、阪和線は戦前の一時期、
南海電鉄の速達線(山手線)として位置づけられた程に、大阪〜和歌山の都市連絡に
特化して只管に郊外を貫くという、ある種の並存性が機能したればこその現象ですね。

迂闊にも、RF誌最新号を読むまで気付かなかったのですが、この「正統的」な配色、
キハ2005を「茨交色」から国鉄急行色に改めた事で、地元・ひたちなか海浜鉄道にて、
今後も(特にGW)見られる可能性が出て来ました。新津の国鉄色キハ28+58編成が
事実上の廃回扱いで郡山に送られた矢先であるだけに、救われた思いがします。

その様な訳で、当面の「生き甲斐」が見つかりましたが、こうなると、島原鉄道風に
正面に「赤髭」を加えて欲しいと、切に感じる雑魚でした(^^)



               
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