倶楽部メモ(195)
平成15年 4月21日〜 4月28日

投稿者 ミキスト
投稿日 4月21日(月)12時47分05秒
タイトル 赤い反射板
臨時列車などで最後尾車両に尾燈があるにも拘らず,反射板が付いていることがあります.
格好悪いし解せません.どなたか理由を教えていただけないでしょうか.


投稿者 通行人
投稿日 4月21日(月)16時38分18秒
タイトル RE赤い反射板
某鉄道模型誌からの引用になりますが、
臨時列車などに使われる客車は、通常の運用の車両と違い、長時間回送されることが多く、
その場合客車の電源(ディーゼル発電機)を切っていることもあり、
テールライトが点灯できない場合があります。
そのため、仕方なく貨物列車についているような反射板が使用されるそうです。
そして、営業中も取り付けたままの場合があるのは、脱着の手間を省くためだそうです。


投稿者 Naos
投稿日 4月22日(火)21時25分53秒
タイトル 青色のスユニ60ご存知ですか。
昭和29年の名古屋、日本車輌の楕円銘板を持っていまして、
裏に非常に古い文字で、スユニNo.1と書かれています。
この銘板の色は青色です。汚れや錆の具合から、この青色は現役最後のままのものです。
スユニ60は、昭和29年に日本車輌で作られていますので、多分スユニ60だと思うのですが、
やはり、スユニ60は茶色と言う印象しかありませんで、非常に大きな謎です。
どなたか青色のスユニ60が実在したことをご存じでしたら教えて下さい。お願いします。
スユニ61だと年代的に最初から青色で登場したものもある可能性もあるのではと思っていますが、
種車のスロ53あたりが日本車輌で昭和29年頃に作られた可能性も考えてみました。
しかし、スユニ61も茶色ですよね。どなたかこの難問の答えを教えて下さい。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 4月22日(火)22時32分43秒
タイトル Re:青色のスユニ60ご存知ですか。

Naos様
先程はメールで答えを見つけられずに失礼致しました。
詳しいお話をお聞きした事で、私なりの解答を見つけました。

昭和29年、日本車輌の楕円銘板、スユニ、青色という事で難題となってしまいましたが、
やはりスユニ60及びスユニ61は全車が茶色であった可能性が非常に高いと思います。
そこで問題の銘板なのですが、スユニ50のものではないかと思われます。
スユニ50は一見新車ではありますが(実際に車体は新製であり、ほとんど新車なのですが)
台車、連結装置、ブレーキ装置等の足回りをスハ43等から流用した車両です。
種車となったスハ43等には昭和29年製造の車両も多数あり、
新製車体とはいえ改造名義で製造した車両なので、種車の銘板もつけていたものと考えられます。
私は残念ながら実際のスユニ50の銘板は見たことがないので、
実見した方のフォローをいただければ幸いです。


投稿者 オハ47 2006
投稿日 4月23日(水)01時33分40秒
タイトル スユニ50の楕円銘板について
スユニ50の銘板の写真を探していますが、仙フクのスユニ50 2034は日本国有鉄道の銘板の他に
小さく不明瞭ですが改造名義の他と、もう1つ銘板がついているのがみえます。。
北海道用の500番台は改造銘板のみのもありました。ますます奥深いですね。
スユニ60の銘板は、オハ61みたいに、鋼体化改造と記されているんでしょうか?調べてみたいものです。
はっきりとした見解でなくすみませんでした。では。


投稿者 まろねふ
投稿日 4月23日(水)23時05分25秒
タイトル スユニ50の楕円銘版

みなさま、こんばんわ。

今話題になっているスユニ50の銘版ですが、ピクトリアルの50系特集の写真を見る限りでは
日本国有鉄道と製造銘版の2枚しか見れません。
私が撮った写真で偶然1位側の銘版がぼんやりと写っていますが、立て位置に2枚です。
2位側には銘版はありません。
とりあえずご参考まで。


投稿者 Naos
投稿日 4月24日(木)00時07分28秒
タイトル スユニ50銘板
スユニ50は昭和50年代に作られて、外観がまっさらでしたので、
当時は種車の古い銘板が新しい車体に着いている可能性など考えてもみませんでした。
そのため私はスユニ50の銘板を気にして見たことがありませんが、
種車の昭和20年代や30年代の銘板が着いていた可能性もあるのですね。
非常に興味深いですね。どなたが実例をご存じでしたら是非教えて下さい。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 4月24日(木)21時12分36秒
タイトル Re:スユニ50銘板

オハ47 2006様、まろねふ様、スユニ50の銘板についての情報ありがとうございました。
スユニ50には銘板が2枚の車両と3枚の車両があったようですね。
少なくとも2枚の車両には種車の銘板は無いと考えられますので、
先の私の考えは間違っていたのかと思ったのですが、いろいろと資料を探しているうちに、
灯台下暗しで保存車両ながら自分で撮影したスユニ50の写真に銘板がしっかりと写っていました。
当サイトの保存客車資料館・保存客車リストにも掲載している香川県高松市の
高畠小児科医院にて利用されている「スユニ50 2058」には3枚の銘板があり、
日本国有鉄道・改造名義の他に日本車両の銘板がついていました。
この車両の種車はスハ43 207で昭和27年日本車両製ですので、
やはりNaos様所有の謎の銘板もスハニ50のものである可能性が高いものと考えられます。

ちなみに昭和29年(念のため年度の可能性も加味して昭和29年1月1日〜昭和30年3月31日)
日本車両製造のスハ43・スハフ42でスユニ50になった車両は

スユニ50 2037 元スハフ42 312 昭和30年 3月15日製造
スユニ50 2039 元スハフ42 275 昭和29年 8月13日製造
スユニ50 2041 元スハフ42 264 昭和29年 7月23日製造
スユニ50 2042 元スハ 43 490 昭和29年11月12日製造
スユニ50 2045 元スハフ42 236 昭和29年 4月21日製造
スユニ50  512 元スハフ42 308 昭和30年 3月15日製造

以上の6両ですので、Naos様所有の銘板はこの6両、特に昭和29年製造の4両の内の
いずれかの車両についていたものの可能性が高いと考えられます。

以上が私の見解ですが、スユニ60及びスユニ61が絶対に青色になっていなかった
という確信もないので、引き続きその方面も皆様でご検討いただければ幸いです。


投稿者 C58221
投稿日 4月25日(金)06時45分16秒
タイトル スユニ60・61
1983年のジェーアールアール社の「国鉄気動車客車配置表」を見てみますと、
当時在籍していたスユニ60、61とも外部塗色は全車「ぶどう色2号」ということになっています。
しかし、その時点でスユニ60は竜華と釧路に合わせて5両のみ、スユニ61は各地合わせて20両
になっていますから、それ以前に廃車になった仲間に「青」の車両があった可能性はありますが・・。
投稿者のホームページ


投稿者 急行 音戸  
投稿日 4月26日(土)00時36分47秒
タイトル スユニ60.61
みなさんこんばんわ。急行 音戸です。
C58221様所有のJRR「国鉄気動車客車配置表」より2年前の81年度版を見ましたが、全車茶色でした。
ちなみにその時点での在籍車はスユニ60が20両、スユニ61が39両です。
スユニ61は青色が似合うような気がします・・・・


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 4月27日(日)23時12分14秒
タイトル Re2:スユニ50銘板

Naos様
例の昭和29年・日本車輌・スユニ・青色の楕円銘板について、スユニ60及びスユニ61の可能性を
いろいろと調べてみましたが、スユニ60・61ともに昭和29年日本車輌製造に該当する車両は
ありませんでした(日本車輌製のスユニ60は昭和30年10月〜11月製造のようです)ので、
やはりスユニ50のものだと断定してよいのではと思います。
残る疑問はNo.1の文字ですが、何でしょう?・・・なにか違う文字には見えないでしょうか?

参考までに、保存車両のスユニ50についている日本車輌の楕円銘板の画像を
保存客車資料館・保存客車リストに追加掲載しましたので、お手元の楕円銘板と見比べて下さい。


投稿者 やまだ
投稿日 4月28日(月)01時20分33秒
タイトル 変な北陸線のオハ35・・・

皆様こん**は。

磐越東線の『新緑あぶくま号』へ出撃された皆様はお疲れ様でした。
今日は良いお天気になったようでよかったですね。
久々の旧客の運転でしたから、私も出掛けたかったのですが・・・
連休前後は仕事が忙しいのと、よりによって親知らず(親不知?どっち?)
が痛み出してしまい鎮痛剤と化膿止めを飲みのみ痛みをごまかしています。

前置きが長くなってしまい申し訳ありません・・・
本題なのですが、この土日に地元の古書店協会の古書市が開催されまして
1982年5月号のRP誌・No.403を購入しました。
この頃のRP誌の特徴で巻頭には写真展の入賞者の作品が掲載されているの
ですが、その中で北陸本線滑川付近の立山をバックにチュ−リップ畑を行く
247レの写真に一瞬で目が止まりました。それは編成中2両目のオハ35
と思しき車輌(窓枠から判断して)が茶塗りでありながら窓枠はアルミサッシ、
洗面所窓が大窓Hゴムの様なのです!?写真は風景写真の様な綺麗な写真
でして車輌がそれほど大きく写っていない事や列車が少々ブレている為に
形式・車番等の表記類や台車の軸受け部がTR23Hに改造されているかは
判別出来ないのですが、側窓は全てサッシ・側扉は35系用の原型扉・茶塗り・
丸屋根・Hゴム大窓で白色ガラスの洗面所窓(他の窓枠との大きさの違いから判断して)
の5点が判別出来ます。

ここまで近代化改造をやっていたら普通は青15号塗装になる筈なのですが・・・
私は北陸の客車には知識が無いもので該当車輌は何か皆目見当が付かないのですが、
御存知の方がいらっしゃいましたら御教示下さい。それでは・・・


投稿者 クモイ103
投稿日 4月28日(月)09時49分49秒
タイトル Re:変な北陸線のオハ35・・・

 ご乗車の皆様、車掌様、ずいぶんご無沙汰してしまいましたm(_ _)m。
しばらくROM状態のクモイ103でございます。

>やまだ様
 ご指摘のオハ35の写真、私は手元にないのですが、可能性として、
「近代化改造工事」を受けておらず「体質改善工事」のみ受けたものではないでしょうか。
 塗色規程では、オハ35は「近代化改造工事を施行」したら青15号とすることになっています。
従って、「近代化改造…×」→「体質改善…○」という車両なら、
規程上はぶどう色2号が正しいことになります。

 当掲示板の過去ログにもありますが、昭和30年代から40年代前半にかけて行われた
「近代化改造工事」は内装の更新が主体で、アルミサッシ化改造は必須項目ではありませんでした。
例えば、スハフ43 1〜3は、昭和35年の「はつかり」気動車化で特急運用を離脱後に
近代化改造を受けましたが、窓枠は改造されず、
昭和40年代に急行「夕月」→「日南1−3号」や「銀河」で活躍した頃もずっと木枠でした。
アルミサッシとなったのは、「銀河」20系化で四国ローカルに転じた昭和50年頃に行われた
「体質改善工事」であったと言われています。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 4月28日(月)11時51分56秒
タイトル Re2:変な北陸線のオハ35・・・

やまだ様
「近代化改造工事」・「体質改善工事」・「アルミサッシ化改造」については、なかなか明確な関係は
つかめませんが、ご質問のオハ35の写真については、クモイ103様のご解答が正しいものと考えられます。

ちなみにジェー・アール・アールの国鉄気動車客車編成表の83年版以前には各車輌の外部塗色や
体質改善工事施車かどうか等が記載されており、体質改善工事施車ながらぶどう色2号の車輌も
そこそこ見受けられます。
該当する1982年のオハ35を調べると8両が該当し、
そのうち北陸本線に使用されていた車輌と配置区をあげると

2040 金トヤ
2046 新ナオ
2601 新ナオ
2957 金トヤ

の4両が該当しますので、問題の写真に写っている車輌は
上記の4両のうちのいずれかである可能性が高いものと考えられます。

話は変わりますが、磐越東線の『あぶくま新緑号』、乗車してきました。
いわき行きはスハフ32、郡山行きはオハニ36に乗車しましたが、やはり旧型客車はいいですね。
スハフ32の近代化されていないニス塗りの車内、オハニ36の白熱灯の雰囲気を存分に堪能してきました。
大井川鉄道以外での旧型客車への乗車は東北本線での現役引退後初めてでしたので約20年ぶりでした。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 4月28日(月)12時33分34秒
タイトル Re3:変な北陸線のオハ35・・・
自己レスです。
問題のオハ35ですが、丸屋根との事ですので「2957」はなしですね。
さらに、当時の運用表は持っていないのですが、1980年の時刻表をみると247レは福井発直江津行き
となっていて、運用上「金トヤ」の車輌が使われていた可能性が高いものと考えられますので、
「2040」である可能性が一番高いものと考えられます。



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