倶楽部メモ(77)
平成13年 2月18日〜 3月 2日

投稿者 やまだ
投稿日 2月18日(日)01時36分08秒
タイトル 荷1048レについても有り難うございました
本文

皆様こんばんは。

泉 様、荷1048レについても情報を有り難うございます。
北陸本線の221レに併結していたのですね。わかりました。
今後も、荷レの資料を楽しみに拝見させていただきます。

皆様へ、スユ37,40,42の電暖改造タイプの情報をお待ちしています。
「この列車で見た、写真を撮った、この駅で見た、所属は**区だ」等なんでも
お寄せ下さい!! お待ちしております。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月18日(日)14時29分16秒
タイトル スユ37,40,42の電暖改造タイプ
本文

やまださん、こんにちは。

スユ37,40,42の電暖改造タイプについてですが、とりあえず所属だけですが
わかっているだけ列記してみます。

スユ37
 2001 '62〜'69 大ミハ '70 北オク '71〜'77 仙フク
 2002 '62〜'68 東オク '69〜'72 北オク
 2003 '62〜'68 東オク '69〜'71 北オク '72〜'77 秋アキ
 2004 '62〜'68 東オク '69〜'70 北オク
 2005 '62〜'64 東オク '65〜'66 仙フク '67〜'69 秋アキ '70 北オク '71〜'76 仙フク

スユ40
 2001 '62 東オク
 2002 '62〜'68 東オク '69 北オク
 2003 '62〜'68 東オク '69 北オク
 2011 '62〜'68 東オク '69〜'73 北オク

スユ42
 2012 '72〜'78 秋アキ
 2013 '72〜'80 秋アキ
 2014 '72〜'78 秋アキ
 2015 '72〜'76 新ニイ '77〜'80 秋アキ
 2016 '72〜'78 秋アキ
  (スユ42の'71年以前(電暖化前)の配置は主に門モシ・熊クマ)

となっていたようで、全車とも主に'72年までは尾久に、'72年以降は秋田・福島に
所属していたようです。

また、写真ですが、レイルロード社発行のサイドビュー国鉄一般形客車に
スユ37-2003とスユ42-2015の写真が掲載されています。
この写真集は東海道本線で撮影されているようで、上記の写真の撮影日は
'72年となっていますので、'70年代前半の時点では、東海道本線でも運用
されていたようです。

参考文献 客車データベースキット
     サイドビュー国鉄一般形客車


投稿者 やまだ
投稿日 2月18日(日)21時29分36秒
タイトル 車掌@仙コリ様、有り難うございました!
本文

皆様こんばんは。

車掌@仙コリ様、電暖改造のスユ37,40,42の時代ごとの配置区を教えて頂きまして
有り難うございました。
そう言えば、スユ40−2001は62年の常磐線東海駅構内での脱線転覆事故で即日廃車
になった郵便車でしたね?
スユ37よりも車齢の若いスユ40が先に廃車になっていたのが意外でした。
設備面や製造時の施工もスユ40の方が上だと思うのですが・・・
貴重な資料を有り難うございました。
重ねてお礼申し上げます。


投稿者 キサハ34
投稿日 2月22日(木)21時56分36秒
タイトル ニセコの郵荷車ほか
本文

▼おおぞらさん
以下、手許にある資料より。

1.’68.10 3号・1号
 マニ36+オユ10+マニ60+旅客車(旧型)
2.’71.9 1号
 オユ102036+スユ132013+旅客車(旧型)
3.’71.9 3号
 旅客車(旧型)+マニ602639+オユ102031+マニ602635+マニ362211
4.’80.4 2号
 オユ102524+スユ132015+旅客車(旧型)
5.’80.4 3号
 オユ10+マニ502538+マニ502139+旅客車(旧型)
6.’81.2 
 オユ+マニ+マニ+旅客車(14系ハザ)
以上、参考まで。

 さて、今週出張があり九州で3泊4日してきました。
宿泊先が直方駅前と聞いていましたので、よっしゃ!と思い、
こっそり、カメラと三脚を持っていきました。幸い、業務が午後から深夜にかけてだったため、
3日とも業務に支障を来たすことなく朝の客レに乗車&撮影する事ができました!
 本来の業務が客先トラブル対応の嫌な内容で大変でしたが、私としては大変有益な出張でした。
筑豊の客レって毎日組換えをしてるんですね!
同じスジでも、3日とも編成が替わっており、なかなか興味深かったです。


投稿者 牟田口信宏
投稿日 2月22日(木)23時58分12秒
タイトル 運輸省銘板御礼!
本文

水ミトさん、瑞貴さん。ありがとうございました。御礼が遅くなり誠に申し訳ありませんでした。
長期出張でこの数ヶ月、パソコンのない生活でしたのでとても気になっていたのです。が、
どうすることも出来ませんでした。(とても辛かったです!!)
ところで運輸省銘板が付いていたのは2624ではないかと思われる記述を当時の資料を見ていて
発見しました。私の記憶違いかも?当時からずっと2625だと思っていたので今
現在もショックを受けております。皆さんお騒がせしました!2624かも知れません。

水ミトさんへ
いろいろありがとうございました。水ミトの車は上野には顔を出していなかったのですね。
ところで旧客上野乗り入れ末期頃、仙センあたりのオハフ33は上野口に現れたのでしょうか?
私が目撃、記録した編成にはいませんでした。雑誌等を見てもオハフ33が組み込まれている
記述を見た記憶がないのですが・・。
お尋ねの鉄道省銘板の付いたままの車ですが オハ35 2182 茶 仙コリ 55−11 TZ
が居たようです。端梁に付いていたのか妻に付いていたのかは残念ながら判りません。

瑞貴さんへ
2625の水ミト時代を撮影されていたそうで、情報ありがとうございました。
でも運輸省銘板は2624についていたのかも知れ無いと言うことで、お騒がせしました。
因みに水ミト時代の2625ですが扉はどんな物だったのでしょうか?
もしよければ教えて頂けないでしょうかどうか宜しくお願い致します。


投稿者 クモイ103
投稿日 2月24日(土)21時44分13秒
タイトル スロ54 4は今?
本文  質問があります。
鉄道ピクトリアル449(’85-6)のスハ43系客車特集号で紹介されている、
広島鉄道学園グラウンド更衣室のスロ54 4は、今はもうないのでしょうか?
ご存知の方ご教示お願いします。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月25日(日)09時43分38秒
タイトル RE:スロ54 4
本文 クモイ103さん、こんにちは。
広島のスロ54 4ですが、少なくても昨年の6月の時点では存在していました。
残念ながら私本人が確認したのではないので、詳しい状況はわからないのですが、
塗装が変更された状態で、野球グランド横で物置として利用されているようです。
写真がありますので、当ページ保存客車資料館内の保存客車リストをご覧下さい。


投稿者 クモイ103
投稿日 2月25日(日)10時44分48秒
タイトル スロ54(冷)の妻面
本文  車掌さま、レスありがとうございます。
このページ内に写真があったのですね。見落としていたようで、大変失礼しました。
 実は、妻面の様子(GMキットが正確なのかどうか)を自分の目で確かめに行きたかったのですが、
この写真を見ると、妻面の造作は原形を留めていないようですね(無念)。
 そこで重ねて質問ですが、GMキットのスロ54冷房改造車の妻面にある機器箱のような
四角い突起物は、正確なものなのでしょうか?あるいは、それが判る写真はありますか?
よろしくお願いします。


投稿者 クモイ103
投稿日 2月26日(月)09時04分33秒
タイトル 自己レス:スロ54(冷)の妻面
本文  下の書き込み「スロ54(冷)の妻面」について、大キトさんより情報を頂きました。
有り難うございます。
 改造担当工場によって異なり、妻面の箱があるもの(小倉工場)とないもの(高砂工場)が
あるとのことで、写真の方は今後私も気をつけて探そうと思います。
 広島の4番(野球の話ではない(^^))は高砂かな?改造工場と車番の対応は
P誌の「スハ43系特集」で判るので、昨夜は見るのを忘れたけど、今夜帰ったら調べましょう。


投稿者 クモイ103
投稿日 2月28日(水)12時03分55秒
タイトル さらに自己レス:スロ54
本文

> 改造工場と車番の対応はP誌の「スハ43系特集」で判る

というのは冷房改造の話でした。
妻面の箱は蛍光灯電源のMGで、冷改よりもっと前に蛍光灯電源改造の際に
取り付けられたとの事ですので、冷改とは関係ありません。
よって、妻面の箱の車番特定は今のところできませんね。(T_T)


投稿者 メロン
投稿日 3月 1日(木)12時54分46秒
タイトル 「郵便差入口」とは?
本文

こんにちは。

スユ30から(?)スユ42までの郵便車に、「郵便差入口」という郵便ポストのようなものが
あると思うのですが、これの役割について、ご存じの方、お教え下さい。

詳しくは知りませんが、古い車種だと、製造当初はなかったのに、
ある時期以降に窓一つ分を埋められてこれが設けられたいたり、
比較的新しい車種だと、ウィンドウシルの下に最初から開けられていたものあるようです。

まさか、ホームに停車中、旅行者が郵便ポスト代わりに使っていたなどということは
ないと思いますが。
わざわざ荷物扉を開けるほどでもない、少量の郵便物の受け渡しに使ったのでしょうか。

これと関連していますが、なぜ、オユ10以降の郵便車には
この「郵便差入口」が無いのでしょうか? 
必要が無くなったと考えるのが自然だと思いますが、もしそうだとすると、
なぜ、必要が無くなったのでしょうか?

変な質問ですが、よろしくお願いします。


投稿者 水ミト
投稿日 3月 1日(木)19時55分24秒
タイトル ポスト
本文

>ホームに停車中、旅行者が郵便ポスト代わりに
>使っていたなどということはないと思いますが。

上記のように移動郵便局的な用途だったと思います。
たしかGHQあたりの指導だったかと...?
オユ10にも付いていたような記憶が...

曖昧モードですみません。
詳しい方のフォローお待ちしています。


投稿者 C63
投稿日 3月 1日(木)20時50分08秒
タイトル 郵便差入口
本文 鉄道ジャーナル1986年12月号73ページに郵便差入口についての記述があります。
「昭和24年オユ36から取り付けられ、車内にはこれを受ける郵便箱が置かれ、
停車中にホームから郵便物を投函できる・・・」とあります。
また、「軽量構造車から廃止され」「護送車には当然ない」と記載されています。


投稿者 メロン
投稿日 3月 2日(金)06時32分02秒
タイトル
本文

>水ミトさん&C63さん

どうもご回答ありがとうございます。
「郵便ポスト」ずばりそのものだったとは・・(驚き)

なるほど言われてみれば、窓の特大「〒」マークも
それなりの意義があるもののように思えてきます。
私は郵便局です、どうぞご利用下さい、と主張していると。

> 昭和24年オユ36から取り付けられ、

大キトさんのページにある、オユ36 5 の画像を改めて拝見しました。
シルとヘッダの間(だけれども窓を埋めた形跡はない)にあるのが興味深いところです。
その後のスユ40になるとシルの下側ですか。

ちなみに、形式を問わず、どれも大小(長短)の二つの口が開いているように
写真からは見えるのですが、これは何なのでしょうね。
ハガキ・手紙用と、定形外郵便用・・か?
でも、その種の注意書きが書いてあるようには見えない・・。

それにこのポスト、果たしてどれだけの人が利用したんでしょうか。
停車中にしか投函できない。
それも、オハユニ61とかスユニ61とかには付いていないようなので、
幹線の荷物列車か、急行列車のようなケースが多そうですが。

しかも、あの差入口自体、写真で見る限りもの凄く地味で、分かりづらいような気もします。
当時、駅のキオスクでは郵便切手を売っていたのでしょうか。
そうでなくして、果たして誰が投函するのか・・?

そもそも、郵便車全盛時代に、停車中の郵便車にハガキ・手紙を
投函したことある方はおられますか?


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