倶楽部メモ(22)
平成11年 9月24日〜 9月27日

投稿者 ほくほく
投稿日 09月24日(金)23時53分39秒
タイトル 常磐線客車情報ありがとうございます
大和路環状線さん
 情報ありがとうございます。

>去年発刊された『懐かしの国鉄列車PARTI・1980〜83』(鉄道ジャーナル別冊)なんてどうでしょう。
>上野発仙台行客車列車(常磐線)の追跡ルポが載っています。
>私もそれを読み、客車10両に郵便車が付く威容、大都会を走る姿に圧倒されました。
>すごいの一言。
>(他に「鳥海」(旧客急行)や「津軽」「おが」などの客車追跡も載っています。)

とても興味深い追跡ルポですね!本当にすごそうです。
他の普通電車に混じって当時は異彩を放っていたんでしょうね。
普通客車が姿を消したのも残念ですが「急行列車」もすっかり姿を消してしまって非常に残念です。
さっそく本屋で探してみますね!


投稿者 客貨区
投稿日 09月25日(土)00時51分03秒
タイトル 旧客ばなし2
大和路環状線さま
ご返答ありがとうございます。
ここを見てると懐かしさのあまり涙が出そうです。

近代化改造ですが、誠文堂新光社・昭和40年発行の「客車・貨車ガイドブック」によると昭和34,35年にスハ42が皮切りで、
38年からスハ43,45,オハ35,46,47,スハフ42,44、オハフ33,45についても近代化を進めているとなっており、その内容は、

昭和50年度以降も使用する2等車約5000両中2000両程度を整備し、車内を明るい色に塗り替え、照明を蛍光灯にし、
各窓下に小型テーブルと灰皿を取り付け、外部色はブルーにするとありました。
いまさらとは思いますが、改造工事初期の頃の本なので参考までと思い・・。

61−20ですが、一番乗りたくないオハフ61と言う贅沢な?車両でした。
四国では同じ茶色でもオハフ33より61の方が扇風機がよく整備されてました。

スハフ43が大井川に行く直前、多度津ではオハフ61と2両ずつ交互に留置してあり客車好きにはたまらない光景でした。

実は貧乏だったので四国以外の旧客はほとんど乗ったことがありませんので四国話ばかりで恐縮です。
長くなりましたので今回はここで失礼します。


投稿者 水ミト
投稿日 09月25日(土)03時22分58秒
タイトル 一般型客車の塗装変更 等々
こんにちは。

手元に、1964-12の雑誌(ファン?)のコピーがありまして、一般型客車の塗装変更の話題が触れられていました。

客車塗装変更 青15号
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1等寝台車 オロネ10 マロネ41
1・2寝台車 オロハネ10
2等寝台車 (特急型をのぞく全形式)ナハネ10 ナハネ11 オハネ17 ナハネフ10 ナハネフ11 スハネ30 スハネフ30
1等車 ナロ10 スロ50 スロ51 スロ52 スロ54 スロ60
食堂車 オシ16 オシ17 マシ35
2等車 ナハ11 オハ36 スハ40 スハ44 ナハフ11 スハフ43
近代化改造施工車
1等寝台車 マロネ40
2等車 ナハ10 ナハフ10 オハ35 オハフ33 スハ42 スハ43 スハ45 オハ46 オハ47 スハフ42 スハフ44 オハフ45
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
と、いうものです。オハフ46が書いていませんが、この変更対象車に入っていたと思われます。
従って基本的に31系・32系・61系・ロ格下車等は塗装変更対象外という事なのでしょう。

客車・貨車ガイドブックのスハ42の件ですが、スハ42の34・35年度の近代化は、
オハ36へ形式変更が伴った「近代化をはかるとともに各部品を軽量化した」ものですね。
この近代化は、「軽量化」が目的の改装なのでは? と自分は思っています。
真相はどうでしょう?
従っていわゆる、38年以降の近代化(車両設備向上)とは、意が異なるのではと思っています。

ところで、雑誌などで度々出てくる「体質改善」とは、「近代化改装」と同意語なのでしょうか?
私の勝手な想像ですが、近代化は「車内サービス設備」の改装。体質改善は「車両」の更新なのかなぁと思います。
<FRPタンク化・発電器交換・窓アルミサッシ化 等

もちろん、例外などは存在するのでしょうが。

ところで、四国といえば、トイレ窓修繕・小型化の時、トイレ部分のウインドヘッダーが、きれいになくなるというのが特徴だったと思います。

では、長々と失礼いたしました。


投稿者 水ミト
投稿日 09月25日(土)03時41分07秒
タイトル 訂正
度々、ご迷惑おかけいたします。

1964-12時点で、オハフ46は存在していませんでした。

またピクトリアルの43系特集によると、38年〜42年にかけての近代化として
「白熱灯の蛍光灯化・内張りのポリエステル化(または塗りつぶし)・テーブル設置・タンツボの撤去」があげられていました。

二等車(ロ)の近代化は、32年〜34年、特急用三等車(スハ44 スハフ43 スハニ35)は35年〜36年に行われています。

ところで、図面を見ているとタンツボというのが目立ちます。
昔の人は車内でもタンを吐いていたのですね。

ということで、度々失礼いたしました。


投稿者 二十世紀
投稿日 09月25日(土)19時13分24秒
タイトル 盗難事件について
初めて書き込みします。
美濃太田運輸区に勤めている友人に聞いた話ですが、
かなり前に基地内の14系客車にどろぼうが入り、愛称字幕などがそっくり盗まれたそうです。
放送用アンプの盗難防止用のチェーンが切られるなど極めて悪質な犯行だったそうです。
また、オハフ46では、中に入ろうとしたのか、木製の側戸が破損してたそうです。(思いっきり蹴られた跡があったとのこと)
いずれも警察に届け、内偵しているらしいとのこと。


投稿者 客貨区
投稿日 09月26日(日)00時34分11秒
タイトル 素朴な質問ですが・・・
スハ32さま、ご指摘ありがとうございます。

確かにスハ42の軽量化と言えばオハ36ですよね。忘れてました。
そういえば、昭和52年頃スハ40がなぜか高松にいました。
なんかもったいない使い方のような・・・。

そうそう、四国の便所窓修繕車は、郵便車の明かり窓のような形になって、ヘッダーが無くなったのをよく見かけました。

どなたか、教えて下さい。

なぜマニ36や60のようにオハから荷物車に改造すると2ランクも自重がアップするのでしょうか?
床にものすごい補強をするのか、それとも両開き戸をつける時、車体補強がものすごいのか。疑問です。

こんなことも知らんのか!と怒らないで下さい。


投稿者 水ミト
投稿日 09月26日(日)01時47分07秒
タイトル Re:素朴な質問ですが・・・
こんにちは。
自重って、積載重量も含めるのではないでしょうか?<曖昧モード
従って、定員重量から荷重に変更になったため、増えるのでは?


投稿者 大和路環状線
投稿日 09月26日(日)17時51分46秒
タイトル 旧客の茶塗装(近代化?)にお礼(その4)
皆さんこんにちは。
客貨区さん、水ミトさん、近代化工事施工開始当時の貴重な資料を紹介して頂き、深く感謝しております。m(..)m

●ほくほくさん
>とても興味深い追跡ルポですね!
そう仰って頂くと光栄です。(^^)

●客貨区さん
>昭和50年度以降も使用する2等車約5000両中2000両程度
末期まで残ったのは、この2000両に含まれる車両がほとんどだったのでしょう。

>四国では同じ茶色でもオハフ33より61の方が扇風機がよく整備されてました。
こちらも通説とのズレがあって、興味深く思います。
オハフ61は最後は東北だけに固まっていましたが、そのちょっと前までは各地で見られたのでしょうね。

>四国の便所窓修繕車は、郵便車の明かり窓のような形になって、ヘッダーが無くなったのをよく見かけました。
これって、もしかして窓の上部だけを撤去していませんか?(写真でしか見たことないのですが、面白いですね。)

>スハ40
少し思ったのですが、スハ40は「スハ42→(軽量化)オハ36→(電暖取り付け・重量増)スハ40」という経緯を辿っています。
一方で、他系列の「オハ」は電暖取り付けで重量的にス級化することはなかったんでしょうか?
基本的に「製造番号+2000」の形にしか反映されていないようですが・・・。
面白いのはスハ40にも2000番台が付与されている点です。

●水ミトさん
>従って基本的に31系・32系・61系・ロ格下車等は塗装変更対象外という事なのでしょう。
「急行に使えるやつは一応対象車」と言えそうですね。

>図面を見ているとタンツボというのが目立ちます。
>昔の人は車内でもタンを吐いていたのですね。
今からでは想像できません。
あと「栓抜き」が昭和40年前後の車には当然のように付いていました。
いずれも時代を物語っていそうです。
それから43系三等車ですが、スハ43 151及びスハフ42 80以前の車には座布団下に「引出し式くず物入れ」があったそうで・・・。

>自重の自重って、積載重量も含めるのではないでしょうか?<曖昧モード
>従って、定員重量から荷重に変更になったため、増えるのでは?
おそらくそうなのでしょうね。
先頭に立つ機関車にとっては、後ろに「人間様」が乗っているのか「荷物」が乗っているのかの違いは大きいでしょう。

基本的に全うな荷物車は「マニ」で、他はあまり聞きません。
車体が貨車ベースとなっているパレット積載荷物車スニ40・スニ41がありますが、
独特の車体構造や、車長17m(40形)・18m(41形)ということが関係していそうです。
一方、郵便車はやはり「オユ」「スユ」に収まっていますね。


投稿者 車掌
投稿日 09月26日(日)20時34分00秒
タイトル RE:素朴な質問ですが・・・
客車の重量についてですが、自重と重量(積車重量)の2通りの標記?があり
自重の方は、空車(乗客や荷物、水や備品等を含まない状態)での重量の事で
重量(積車重量)は定員分の乗客を乗せた場合等の重量をいいます。

実際に客車に標記してあるのは自重の方ですが、形式名の標記(オ・ス・マ等)には積車重量の方が使われています。
これは換算両数と同じように、運行時の編成全体の重量を把握しやすくする為なのですが、
客貨区さんの質問の内容は、自重ではなく積車重量の事だろうと思われます。
当時の車両の自重を調べると、
座席車 オハ35→29.65〜33.20トン オハ60→27.87〜30.35トン
荷物車 マニ36→29.20〜31.70トン マニ60→28.40〜30.10トン
と、自重自体は座席車も荷物車もほとんど同じです。
ところが、積車重量になるとこれに乗客や荷物の重量が加算されます。
座席車 乗客20人で1トン換算なので、定員を80人とすると+4トン
荷物車 マニ36・マニ60とも荷重(荷物の制限重量)は14トン
となり、重量(積車重量)は10トンの差が出来ます。
ご承知の通り、客車の形式名の重量標記は5トンごとに区切られているので、
10トンの差であると、ちょうど2ランクの違いとなるわけです。


投稿者 大和路環状線
投稿日 09月26日(日)22時41分48秒
タイトル お詫び(自重とタイトル)
先程ほどの私の投稿で、「自重」に関して基本的な部分での思い違いがありました。
この場をお借りしてお詫び申し上げます。(車掌さん、補足ありがとうございます。)
また「茶塗装」云々の投稿タイトルですが、私の当初の疑問はお蔭様でかなりの程度解決し、
掲示板の議論が発展的な方向で深まっているようですので、この点も次回から改めさせて頂きます。
ご迷惑をおかけし、申し訳ありません。
皆様の毎回のご丁寧なレスに深く感謝しております。今後もどうぞよろしくお願いします。


投稿者 客貨区
投稿日 09月27日(月)00時55分16秒
タイトル みなさま感謝です。
勉強不足の私に多くのご回答をいただき感謝、感謝です。

早速、客車関係の資料を片っ端から開きました。
みなさまのおっしゃるとおり、形式表記は積車重量を使用していたことが分かりました。
勉強不足でご迷惑をおかけしたことをお詫びするとともに、勉強になったことを深謝いたします。

これに懲りずまた、投稿させて下さい。

ありがとうございました。


投稿者 tatekawa1
投稿日 09月27日(月)16時20分04秒
タイトル さくら編成
昭和37年頃に10系と20系との併結列車が運転された事を知りました。
詳しく知りたいのですがどの本に載っているか全然わかりません。
どなたかご存知の方、ご教示願います。


投稿者 水ミト
投稿日 09月27日(月)17時10分00秒
タイトル Re:さくら編成
こんにちは。

>詳しく知りたいのですがどの本に載っているか全然わかりません。

ファン391号 1993/11 P25
ビク 444号 1985/3 P47

に、短いながら触れられています。写真無し。

ビク 130には、編成表があるようですが、私は未見です。

他にも詳細文献があると思いますが、私の知っている範囲を取り急ぎお知らせしました。


投稿者 大和路環状線
投稿日 09月27日(月)17時13分56秒
タイトル Re:さくら編成
tatekawa1さん、こんにちは。

今年3月に発刊された『デジタル版国鉄特急編成史・機関車客車編』(弘済出版社)に詳しく記されています。
昭和36年12月29日、山陽本線内で発生した準急「あきよし」と下り「さくら」の衝突事故により、20系客車12両が破損。
「さくら」用代替車が不足となったために、翌年1月中旬までこのような措置がとられたそうです。
2等寝台車7両中5両に一般型客車(スハネ30・オハネ17・ナハネ10)が充当されています。

かなり書いちゃいましたが、ぜひ参照して下さい。



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