倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

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夜行普通列車「ながさき」の客車の車体の色について


倶楽部メモ(748) 平成28年 1月 1日〜 1月16日


投稿者

急行ゆのか457

投稿日

2016年 1月 9日(土)22時30分22秒

タイトル

ながさきについて

お初にお目にかかります 急行ゆのか457と申します 
夜行普通列車ながさき号についてお聞きしたいのですが? 
現在Nゲージでながさき編成を集めていますが、
客車の車体の色はマニ36以外は青色だったのでしょうか?
それとも茶色塗装の客車も連結されていたのでしょうか?
もしよろしければ御回答のほど御検討下さいますようよろしくお願いいたします




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 1月10日(日)11時16分53秒

タイトル

Re: ながさきについて

急行ゆのか457様、はじめまして。

昭和50年代に有名だった寝台付き・愛称名付き普通列車のうち、
門司港−長崎間を大村線経由で結ぶ「ながさき」ですが、
昭和58(1983)年12月に九州旅行で3回利用しました。
旅客車両はほとんど青色でしたが、
1回だけ乗車した佐世保行きの附属編成に
ぶどう色のスハフ42が1両入っていました。

1983年12月26日 1421レ編成(調査駅:門司港)
   ED76 10[門]
   マニ36 83[門モシ]
   マニ36 79[門モシ]
   オユ11 1006[門モシ]
(1)オハネ12 58[門サキ]
(2)スハフ42 279[門サキ]
(3)オハ46 551[門サキ]
(4)オハ47 139[門サキ]
(5)スハフ42 43[門サキ]
(6)スハ43 289[門モシ]【佐世保行き】
(7)スハフ42 302[門モシ]【佐世保行き・ぶどう色】

過去にどこかで、「ながさき」に充当される客車の中で
このスハフ42 302だけなぜかぶどう色で異彩を放っていた、
といった話を聞いた様な気がしますが、記憶が定かでありません…

ご参考までに他の日の記録もご紹介します。

1983年12月28日 1420レ編成(調査駅:長崎・早岐)
   DD51 736[早]【早岐まで】
   ED76 5[門]【早岐から】
(7)スハフ42 301[門モシ]【佐世保発】
(6)オハフ45 22[門モシ]【佐世保発】
(5)ナハフ10 2003[門サキ]
(4)オハ47 37[門サキ]
(3)オハ46 618[門サキ]
(2)ナハフ11 17[門サキ]
(1)オハネ12 29[門サキ]
   オユ10 1002[門モシ]
   マニ36 62[門モシ]

この日は当時のメモに塗色に関する特記が無いので、
おそらくマニ以外は青色だったのだと思います。
6号車のオハフ45は、
翌日の折り返し運用ではスハ43 102に代わっていましたので、
おそらくスハが所定で、オハフは何らかのイレギュラーだったと思われます。

写真1・2枚目は12/26門司港にて。
1枚目の左側は急行「かいもん」、右が「ながさき」の茶色いスハフです。
3枚目は12/29未明(午前1時台)早岐にて。
前2両が佐世保編成ですが、
スハフとオハフの車掌室が向き合っているのが面白いです。








投稿者

仙コリ

投稿日

2016年 1月11日(月)22時27分39秒

タイトル

Re2:ながさきについて

大変遅くなりましたが、皆様明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、急行ゆのか457様からご質問の
夜行普通列車ながさき号の車両についてですが、
すでにクモイ103様から実編成記録という、
これ以上ない貴重な回答がよせられていますが、
資料的に補足させていただきます。

「ながさき」の使用車両は長崎行き基本編成(1〜5号車)が[門サキ]、
荷物車・郵便車と佐世保行き付属編成(6〜7号車)が
[門モシ]の車両が充当されていたようで、
当時の配置を調べると、昭和58年時点で

[門サキ](長崎客貨車区)
オハネ12   29
スハネ16   62
オハネフ12  58
オハ46   551 618 670
オハ47    37  90 139
ナハフ10  2002 2003
ナハフ11   17
スハフ42   43 279

[門モシ](門司客貨車区)
スハ43   102 289
スハフ42  301 302
オハフ45   22

となっており、クモイ103様からもありますが、
この中で スハフ42 302 だけがぶどう色で
残りの車両はすべて青色となっています。

Nゲージで再現との事なので、発売されている車両で組成すると

マニ36 
オユ10 
オハネフ12 
スハフ42
オハ47 
オハ47 
スハフ42 
スハ43 
スハフ42

といった編成で再現する事が出来ますし、
3両目のオハネフ12をスハネ16とする、
4両目もしくは7両目のスハフ42をナハフ11とすることもありです。
問題のぶどう色のスハフ42ですが、基本的には上り・下り2編成のうち、
どちらかの編成の最後尾のスハフ42はぶどう色であった事になるので、
ぶどう色にしたほうが、「ながさき」の編成らしい
とも言えるのではないかと思います。

なお、ご存知かとは思いますが、
「ながさき」については季刊jtrain49号(2013年春号)
特集「夜行列車の時代1」にて詳しく書かれていますので、
もしお持ちでないようでしたら、入手されることをお勧めします。

急行ゆのか457様にとって、少しでも参考になりましたら幸いです。

参考資料 
国鉄客車編成表80年版〜国鉄気動車客車編成表83年版(ジェー・アール・アール)
季刊jtrain49号(2013年春号)特集「夜行列車の時代1」(イカロス出版)




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年 1月12日(火)19時43分30秒

タイトル

Re3: ながさきについて

仙コリ様、詳細な資料の補足をありがとうございます。

10日の私の書き込みで、1点訂正があります。

1983年12月26日の1421レの編成で、
(1)オハネ12 58[門サキ]は、「オハネ」でなく「オハネフ」が正当でした。
申し訳ありません。
旅行当時のメモではちゃんと「フ」が入っていましたが、
転記の際に慌てて書き落とした様です。
仙コリ様の資料を拝見して、改めて見直し誤りに気づきました。

当時の写真をもう一枚、26日・門司港発車前のくだんのスハフ42 302です。
ニス塗りの内装材や本物の“網棚”など、
ほぼ原形?と思われる車内の様子がわかります。
これに乗って佐世保へ行き、松浦線の乗りつぶしに向かいました。




投稿者

鈴木昌生

投稿日

2016年 1月13日(水)21時33分7秒

タイトル

あさかぜと新聞輸送

皆さん,遅くなりましたが新年おめでとうございます。
昨年は色々教えて頂きましてありがとうございました。
大田拓也様の投稿で思い出しましたが,
平成16年に「あさかぜ」廃止が報じられた際,
書店で「週刊新潮」を見ていたら,
「あさかぜ廃止で困る新聞社」という趣旨の小さな記事が
掲載されていた覚えがあります。
これは業界紙・専門紙に分類される新聞だったと記憶していますが,
その時点では他の輸送手段も無く,
「あさかぜ廃止」で配送が不可能になるので困ったという記事でした。
昭和50年代になっても,1年も続かなかったとはいえ
「北星」に荷物車を1両増結するなど,
地域や新聞の種類によっては,
まだ夜行列車による新聞輸送は重要だったようですが,
10年少し前まで「そういう新聞」もあったわけです




倶楽部メモ(749) 平成28年 1月23日〜 4月10日



投稿者

ED76109

投稿日

2016年 1月23日(土)21時50分19秒

タイトル

今年初めての投稿です

 今年もよろしくお願いいたします。「ED76109」でございます。

 いつもの通りの後追いですが、
「昭和48年6月発行のJTB時刻表」から話題になっています「ながさき」
(昭和48年当時は、ただの1421レで、
B寝台は始終着及び沿線の主要駅のみの販売)ですが、時刻は下記のとおりです。

 門司港22:38→門司22:45→小倉23:02→博多0:45
→鳥栖1:35→肥前山口2:51→早岐4:10
→(佐世保4:46)→諫早5:37→長崎6:41

 長崎着を有効時間とするために、「大村線経由」で運転しています。
 なお蛇足ですが、当時は「1421レ」以外に、
「101レ(かいもん3号 西鹿児島(博多経由)行」が
21:39発(西鹿児島着5:50)。
そして、「501レ(みやざき号 西鹿児島(大分経由)行」が
22:24発(宮崎から普通レ 西鹿児島着9:39)の
2本の急行レが運転されておりました。
さらに、「47年3月改正」以前は、
「鹿児島本線・肥薩線・吉都線経由」の「都城行」鈍行レも
運転されていたはずであります。

 長々と失礼いたしました。
 以上、「カレチ」のストーリーに爽やかな感動を覚えた
「中年教頭客車鉄ちゃん」でありました。



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