倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
24系「つるぎ」の回送について(向日町の24系)


倶楽部メモ(711) 平成24年 9月29日〜10月 6日


投稿者

在京神鉄ファン

投稿日

2012年 9月29日(土)12時11分30秒

タイトル

24系「つるぎ」の回送につきまして

1983年頃、24系「つるぎ」の回送というのがありました。
大阪に到着した上りを向日町まで回送していたというもので、
EF58最後のブルトレ牽引とファンの注目を集めていたと聞きました。
そこで疑問なのですが、「つるぎ」は宮原の受持だったと思います。
では何故、向日町に回送されていたのでしょうか?
「日本海」についても同様の措置が行われていたのでしょうか?
同じで24系でも「明星」と「彗星」は向日町、
「なは」もブルトレ化された当初は向日町だったのですね。




投稿者

仙コリ

投稿日

2012年 9月29日(土)15時45分15秒

タイトル

Re:24系「つるぎ」の回送につきまして

在京神鉄ファン様

24系「つるぎ」の受持ちについてですが、ほとんどの期間で宮原なのですが、
ちょうどご質問の1983年頃のみ向日町の受持ちとなっていたようです。
調べてみると、1982年11月15日から1984年1月31日までの間だけ
向日町の受持ちとなっていたようなのですが、
なぜ短期間のみ受持ちが変更になっていたのかは
調べがつかなっかたので、事情をお知りの方がいらっしゃいましたら
フォローしていただければ幸いです。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2012年 9月30日(日)10時53分32秒

タイトル

つるぎ

皆様にご心配かけましたが、PCの仮復旧が出来ましたので、
また宜しくご指導の程お願いします。
特急「つるぎ」は時間的、区間的に利用困難でしたので、
準急時代に3-4回乗っただけです。
大ミハ→大ムコについては想像だけですが、
京都、大阪発九州方面行きのブルトレと共通運用していたのではないかと???
間違って居たらご免なさい。




投稿者

仙コリ

投稿日

2012年 9月30日(日)13時53分23秒

タイトル

Re2:24系「つるぎ」の回送につきまして

24系「つるぎ」の受持ちについて、さらに調査してみましたが、
宮原と向日町だけでなく青森も関係した受持ちと配置の変遷があったようです。

1982年11月15日ダイヤ改正にて、向日町受持ちの「明星」が1往復削減となり、
青森受持ちだった24形の「日本海」1往復を宮原に移管して25形化、
その関係で「つるぎ」が宮原から向日町に移管となったようです。

その状態で1年ほど運用しましたが、
やはり「つるぎ」は宮原のほうが良いとなったのか?
1984年2月1日ダイヤ改正にて向日町の1往復分を青森に転属させて
「日本海」1往復を青森に戻し、
宮原の空いた1往復分を「つるぎ」での使用に戻したようです。

流れを整理しますと、

1982年11月15日ダイヤ改正前

 向日町:25形3往復(明星2往復・彗星1往復)
 宮原 :25形2往復(日本海1往復・つるぎ1往復)
 青森 :25形2往復(ゆうづる2往復)
    :24形2往復(ゆうづる1往復・日本海1往復)

1982年11月15日ダイヤ改正にて

 向日町:「明星」1往復削減 → 車両は「つるぎ」1往復分として使用
 宮原 :「つるぎ」1往復分を使用して「日本海」1往復分を25形化
      (青森から移管)
 青森 :「日本海」1往復分を宮原に移管・「ゆうづる」2往復削減
      ・「あけぼの」1往復増発

1982年11月15日ダイヤ改正後

 向日町:25形3往復(明星1往復・彗星1往復・つるぎ1往復)
 宮原 :25形2往復(日本海2往復)
 青森 :25形2往復(ゆうづる1往復・あけぼの1往復)

1984年2月1日ダイヤ改正にて

 向日町:25形1往復分の車両を青森に転属:「つるぎ」を宮原に移管:
      「明星」を「なは」に改称
 宮原 :「つるぎ」を向日町から移管:「日本海」1往復分を青森へ移管
 青森 :25形1往復分の車両を向日町から転属・「日本海」1往復を宮原から移管

1984年2月1日ダイヤ改正後

 向日町:25形2往復(なは1往復・彗星1往復)
 宮原 :25形2往復(日本海1往復・つるぎ1往復)
 青森 :25形3往復(ゆうづる1往復・日本海1往復・あけぼの1往復

となっていたようです。

※管理者注
 使用した文言に誤りがあったため、一部訂正させていただきました。
(編成→往復など)




投稿者

在京神鉄ファン

投稿日

2012年 9月30日(日)18時49分15秒

タイトル

ありがとうございました

仙コリ様、マロネ38様、ありがとうございました。
「つるぎ」が短期間ながら向日町だった時期があったわけですね。
九州ブルトレとの共通運用も興味深いです。
57年11月と59年2月、長距離列車を中心に大激震のあった改正の合間に起きた、
幻のような出来事。しかもゴハチのブルトレ牽引復活というオマケ付きで。
この当時の国鉄の試行錯誤ぶり(というか迷走ぶり?)が伝わってきます。




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2012年 9月30日(日)21時42分52秒

タイトル

RE:「つるぎ」の回送

蛇足ながら、新幹線と接続をとり新大阪始発で西へ向かう列車は向日町持ち、
大阪始発は宮原持ちが原則ですね。
大阪始発の「つるぎ」が向日町持ちというのは異例ですし、
不便なので戻したのでしょうね。




投稿者

クモイ103

投稿日

2012年 9月30日(日)22時44分31秒

タイトル

さらに蛇足:「つるぎ」の回送

1982(昭和57)年11月改正から1984(昭和59)年2月改正にかけての
宮原、向日町、青森のブルトレ受け持ちの変遷史、興味深く拝見しました。

57-11改正で「ゆうづる」が削減されたのは
同年6月の東北新幹線開業を受けた措置ですが、
その分負担が減ったはずの青森で、
さらに「日本海」1往復をも宮原へ移管したのは、
客車の受け持ちだけ見たのでは不自然にも思えます。
しかし同改正で電車特急「はつかり」が盛岡−青森間に立て替えられ
大増発されたことを考えると、
青森運転所はそちらで手一杯になったのかもしれませんね。
そのしわ寄せが宮原に来て「つるぎ」が向日町へ押し出された、
という流れなのでしょうか。

しかし竹中@ノーブルジョーカー様のご指摘の通り、
大阪発着の「つるぎ」を向日町で受け持つのは回送距離が長く非効率です。
それが理由なのか、あるいは他に理由があって
結果としてそうなったのかはわかりませんが、
59-2改正では「日本海」1往復を青森に戻し、
「つるぎ」を宮原へ里帰りさせたのでしょう。
もしかしたら、大阪鉄道管理局と盛岡鉄道管理局のブルトレ受け持ちのバランスを
重視した施策だったのかもしれませんね。


なお、列車の受け持ちというのは、列車ダイヤと検修時間の兼ね合いや、
各車両基地の量的・質的両面にわたる能力のバランス、
さらには上記のような鉄道管理局間のバランスなど、
その時々で変化する多くの要因を総合的に判断して決められることです。
ここで見られるような複数の列車を巻き込んだ受け持ちの変遷は、
長い国鉄の歴史上珍しいことではありません。
試行錯誤とか迷走などと無責任に揶揄される筋合いのものでは無いと思います。

あと、たいへん分かり易く整理された仙コリ様の記事ですが、
夜行列車1往復分の客車を「1編成」と表現されていることには
違和感を覚えました。

文句ばかりになって申し訳ありません…m(_ _)m




投稿者

仙コリ

投稿日

2012年 9月30日(日)23時23分27秒

タイトル

Re:「つるぎ」の回送

竹中@ノーブルジョーカー様

フォローありがとうございます。

宮原と新大阪駅は近いのですが、線形から直接入線することは出来ないので、
新大阪と九州を結ぶ列車は必然的に向日町持ちとなりますよね。

逆に大阪駅から東へ向かう列車においては、
向日町から直接大阪駅へ入ると逆向きとなってしまうので、
北方貨物線を経由していったん宮原に入り、
宮原回送線(西)経由で大阪駅に入線していたものと思われます。
この向日町−宮原間の回送にEF58が使用されていたという事でしょうね。
当然このような運用は非効率的なわけであり、
「つるぎ」の受持ちは短期間で宮原に戻されたという事だと思います。


クモイ103様

列車の受持ちについての詳しい解説ありがとうございます。
実際の変遷から24系客車の分だけ取り出して推測してしまったのですが、
もっと全体を見て考えなければいけませんでしたね。

また、「編成」という言葉についてですが、わかりやすくしたつもりでしたが
「往復分」や「列車分」といったほうが正しかったですね。
そもそも「編成」とした場合は往復分で倍になるので数量を間違えていました。
確かに、この場合「編成」という言葉を使用したのは間違いでした。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

今後とも、ご指摘・フォローしていただければ幸いです。




投稿者

クモイ103

投稿日

2012年10月 1日(月)23時10分14秒

タイトル

Re: つるぎ

反応が1日ずれてしまいましたが、
マロネロ38様、おかえりなさいませ。
PCの不調でしたか。またよろしくお願いします。

「つるぎ」の準急時代といいますと、大阪−富山間の運転だったころでしょうか。
かつて同区間を夜行で運転していた急行「日本海」が
36−10白紙改正で大幅に運転時間帯を変更したため、
その補完として設定されたのでしたね。
考えてみれば、比較的短い年数で準急→急行→特急と格上げされた出世列車でした。
列車番号を見ると、急行時代は「日本海」改め「きたぐに」の
501-502レに対して503-504レ、
特急になってからはやはり「日本海」に続く番号を割り振られていて、
まさに日本海縦貫線長距離列車の系譜の一員であることを示しています。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2012年10月 2日(火)10時58分22秒

タイトル

つるぎ

クモイ103様
ご心配をかけましたが、がたがたながら仮復旧状態です。
「つるぎ」は36-10改正で509-510レの筈ですが---。501-502(戦前からの番号)
日本海、503-504立山、505-506ゆのくに、507-508加賀、509-510つるぎ。
乗車したのは勿論大阪-富山間の時代です。
特ロがスロ50だったので、以前の日本海の富山回転車使用で、
ハはどうやら立山のを回していた様でした。ハネが殆どスハネ30
でこればかり乗車でした。




投稿者

在京神鉄ファン

投稿日

2012年10月 3日(水)00時35分5秒

タイトル

ありがとうございました

皆さま、いろいろな情報をありがとうございました。
もはやブルトレも、考古学研究のジャンルに仲間入りですね。
70年代後半のブームが、つい最近のように感じる私にとっては、
感慨深いものがあります。
あるサイトを見ていたら、
今度は24系24形の「あさかぜ」の写真を発見(1975年撮影)。
わずか1年ほど「はやぶさ」「富士」「出雲」に同形式が使われていたことは
広く知られていますが、何かの都合で「あさかぜ」の運用にも入ったのか?
こちらも研究の余地がありそうです。




投稿者

クモイ103

投稿日

2012年10月 4日(木)20時34分28秒

タイトル

Re3:つるぎ

マロネロ38様のご乗車になった時代は準急でしたね。
たしか準急の列車番号は末尾が「9」「10」だったと
どこかで読んだ覚えがあります。

小生の場合、「時刻表デビュー」した小学生時代には
準急という列車種別は国鉄に存在せず、
「つるぎ」は501-502レ「きたぐに」を補完する急行として
続番の503-504レだったことが強く印象に残っています。

せっかくの機会なので、リンク先の「ARC資料館」から「つるぎ」の歴史を
ちょっと書き出してみます。

S36(1961).10.1 準急列車として登場
準急509-510 大阪−富山(高岡−富山間は普通列車519、520)

S37(1962).10.1
準急509-510 大阪−富山(金沢−富山間普通列車519、520)

S38(1963).4.20 急行に格上げ
急行505-506 大阪−富山(金沢−富山間普通列車515、516)

S40(1965).10.1 「金星」に改称
急行503-504 大阪−富山

S43(1968).10.1 「つるぎ」に再改称
急行503-504 大阪−富山

S47(1972).3.15 新潟延長
急行503-504 大阪−新潟

S47(1972).10.2 特急に格上げ
特急4005-4006 大阪−新潟

H6(1994).12.3 列車廃止

ヨンサントオの前の3年間は「金星」を名乗っていたのですね。
スハネ30をずらりと連ねた迫力ある(?)編成だったようです。
新潟行き急行の時代は意外と短かったことに今さら気付きました。



倶楽部メモ(712) 平成24年10月 7日〜10月22日



投稿者

赤まんと

投稿日

2012年10月 9日(火)21時42分48秒

タイトル

流転の生涯〜向日町の24系

少し前に「つるぎ」が一時的に向日町受持ちになった話題が出ていました。
当時向日町に所属していた24系は、
国鉄最後の改正で宮原、鹿児島、熊本に転属します。
2009年3月に九州ブルトレは終焉を迎えましたが、
14系化改造を受け最後まで活躍を続けたオハネ15 1201、1202、1204、1246は
「つるぎ」に使用実績がある車両たちです。
さらに遡れば、1978年10月まで下関にあって
「安芸」「あさかぜ」「瀬戸」にも使われた経歴を持ちます。
オリジナルの24系も登場当初の短期間で転属を繰り返しましたが、
向日町配置の24系は流転の生涯を歩んだ車両揃いで、極めて興味深い存在です。

24系24形が「あさかぜ」に使われたのは
臨時「あさかぜ51号」としての実績のはずです。
1976年夏季には25形100番台の早期落成車を使っていますし、
1978年には宮原の25形0番台を使った例もあります。
時代は一気に下り、1995年以降は熊本の予備の14系15形を使用しましたし、
2000年、2001年には宮原の14系15形を使うなど、
臨時「あさかぜ」も心くすぐる存在だったりします。
カマだけではなく、客車にももう少し注目が集まれば、俄然楽しくなるのですが。



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