倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
水戸駅回想
水戸駅発着の列車・水戸駅界隈の思い出


倶楽部メモ(470) 平成20年11月15日〜11月17日


投稿者

急行越前

投稿日

2008年11月16日(日)23時56分25秒

タイトル

上野5時55分発常磐線経由仙台行221レ

連投失礼します。
今度は常磐線です。82年11月まで残っていた5時55分発の仙台行きです。
水戸でEF80からED75に機関車を交換したところです。
このときは勝田まで乗車、そのあと水戸線の客レにも乗っています。

常磐線221レ上野5時55分発発仙台行

EF8043(田)(水戸まで)
ED751002(青)(水戸から)
スハフ422070
オハ 462539
オハ 462542
オハ 462032
オハ 472245
オハ 472269
オハ 472272
オハフ452004
オユ 102020
(全車北オク)

1982年9月18日水戸駅にて


投稿者

雑魚

投稿日

2008年11月17日(月)13時43分41秒

タイトル

水戸駅回想

▼急行越前様
> 水戸でEF80からED75に機関車を交換したところです。

懐かしい映像ですね。機関車上方に見える「高島屋」では、放課後に度々、ゲーセン
三昧でしたが、在京勤務を終え、地元に戻ったら撤退した後でした。左側「丸井」は、
現在「マイム」として、駅前広場の反対側で営業。両者の間にある化粧品の広告塔は、
青と緑の電飾が明滅するもので、通学先からも良く見えた事が、印象に残っています。

上野発 5:55という事は、水戸は八時頃になるでしょうか。だとすれば私の同窓生も、
通学に利用していた便と思われます。これに少し先立つ七時半頃は、水戸線や水郡線、
そして(うろ覚えながら)常磐線上りの客レが一堂に会し、各方面に向けて、一斉に
発車する18時台と併せて、ちょっとした「見せ場」の観がありました。

なお、上記客レで通学していた水郡線沿線の知人は、急行「ときわ 2号」が一分差で
接続せず、水戸線経由の「つくばね」も一分接続では事実上、乗継ぎが効かない事を
嘆いていました。反面、上菅谷まで多層建だった水戸発13時台の常陸太田・郡山行は、
隣のホームに到着する下り「ひたち」の停止直前に発車するという、常磐線に対する
水郡線の立場を弁えない「無謀振り」を発揮していましたっけ(^^)


倶楽部メモ(471) 平成20年11月17日〜11月19日


投稿者

急行越前

投稿日

2008年11月17日(月)23時20分20秒

タイトル

Re:水戸駅

▼雑魚様
 コメントありがとうございます。
 そういえば「オッペン化粧品」看板はいろいろなところにあったような...
 このころの水戸駅は駅ビルの影もカタチもありませんが、
 駅ビルができ、大洗鹿島線ができ、駅裏が開発されと変貌が著しいですね。

 水郡線の客レは午前中大学の授業に出てから、
 夕方の便に常陸大子まで乗った後、とんぼ返りしたり、
 夜中に何人かで車を走らせて上りを那珂川橋梁で撮影したりと
 結構思い出があります。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年11月18日(火)17時15分29秒

タイトル

那珂川橋梁

▼急行越前様:
> 駅ビルができ、大洗鹿島線ができ、駅裏が開発されと変貌が著しいですね。

1985年の大洗鹿島線の開業日は「筑波科学博」開幕日でもあり、東北・上越新幹線の
上野始発化に伴い「ときわ」「奥久慈」を含む急行が、全国規模で大幅に淘汰された
ダイヤ改正も行われるなど、一時代を画した感がありました。駅の橋上化と一体的に
行われた駅ビル「エクセル」の開業時期も、この頃でしたね。

> 水郡線の客レは午前中大学の授業に出てから、夕方の便に常陸大子まで乗った後、

大学は都内ですか? とすると水戸発 16時半の便に合わせて、青森行「みちのく」を
利用された事もあるとか? 両者は水戸駅入線がほぼ同時刻で、583系と旧客の並びは、
なかなか感動的な構図でした。

> 夜中に何人かで車を走らせて上りを那珂川橋梁で撮影したり

朝の常陸大子発は、前日の下り二便を纏めて回送する長編成でしたから、撮り甲斐も
ありましたね。当時は常陸太田支線でも旧客便が一往復設定されていました。ホーム
有効長の関係上、途中停車駅は確か、常陸青柳・下菅谷・上菅谷・額田・河合のみで、
水戸の街を遠望する場所にありながら、通勤・通学時間帯の通過が多い常陸津田駅の
利用者の中は、一旦、下菅谷まで戻り「快速」に乗換える事例もあったそうな(^^)

その那珂川橋梁、現在は水害対策と、橋梁南側袂の踏切解消の為、高架橋に移行中で、
これに伴い、橋梁の北側で水郡線を跨ぐ県道のアンダー・パスへの移行と、連続する
水府橋の架替工事も、併せて進捗中です。この辺りから分岐していた那珂川貨物線が
健在だった頃、すぐ近所に通学しており、もしかすると、そちらとの「ニアミス」が
あったかも知れませんね(^^)

当時の水郡線の様子が「昔訪ねた気動車ローカル線」というサイトで紹介されており、
旧客の紹介事例はありませんが、あまりの懐かしさに感涙モノでした………


投稿者

急行越前

投稿日

2008年11月18日(火)18時38分51秒

タイトル

Re:水郡線

長距離鈍行から外れてしまいますが水戸ネタが盛り上がってきたので、
失礼して投稿します。
客レネタですのでご容赦ください。

▼雑魚様
 大学生は水戸まで特急に乗るなんてことはしませんでした...
というかお金がなくて...

 まず水戸16時39分発常陸大子着18時22分の2341レ

 DE101136(水)
 オハ 462539
 オハ 472266
 オハ 472206
 オハフ452003
 (全車水ミト)

 1983.5.12水戸にて


投稿者

急行越前

投稿日

2008年11月18日(火)18時47分52秒

タイトル

Re:那珂川橋梁

連投失礼します。

雑魚様ご指摘の上り通学列車です。

水郡線2342レ常陸青柳〜水戸間

1983.5.21


投稿者

急行越前

投稿日

2008年11月18日(火)18時56分22秒

タイトル

那珂川貨物駅といえば

那珂川貨物駅といえば、ナヤ11ですか...

客レが来るまで、鉄橋の周辺をウロウロしていたら
こんな車両を見つけてしまいました。

1983.5.21 那珂川貨物駅?水戸鉄道学園?


投稿者

雑魚

投稿日

2008年11月19日(水)07時41分40秒

タイトル

更に水戸ネタ

▼急行越前様:

懐かしい画像を次から次へと、有難うございます。那珂川橋梁の写真を見ると、当時
河畔に「水戸プラザ・ホテル」が既に存在していた事が判り、感慨深いですね。なお、
同ホテルはその後、市街南部に移転し、同地は現在、更地になっています。

水戸鉄道学園の「ナヤ11」の画像も感涙モノです。これらの施設を俯瞰気味に見渡す
河川敷の堤防道が、当時のマラソン・コースで、そのまま常磐線の那珂川橋梁袂まで
東進してから、常磐線に密着並行して水戸の街に戻るという「鉄な鍛錬」の径でした。

那珂川貨物線は水戸城址の掘割が開けた処で水郡線から離れており、河川敷の道路は
水郡線と貨物線の踏切を相次いで渡る格好でしたが、警報機があったのは水郡線のみ。
しかし貨物線側にも、恐らくは警手が対応していたと思しき遮断機が設置されており、
独特の雰囲気がありました。両者の分岐点を俯瞰する陸橋が通学路で、日々観察して
いましたが、貨物線の列車運行は、日に二〜三回程度という印象でした。

やはり「鉄」な親父によれば「俺が通っていた当時は、茨城交通水浜線や、貨物車を
水浜線との間で受渡していた水郡線の側線も絡んで、良い味を出していたぞ」との事。
実に羨ましい限りです(^^)


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