倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
長距離客車普通列車(1)
長距離普通客レの写真・思い出


倶楽部メモ(465) 平成20年10月22日〜10月25日


投稿者

ED76109

投稿日

2008年10月25日(土)00時18分28秒

タイトル

「レ」に乗りたいですなぁ・・・

おばんでございます。「ED76109」であります。
bell様
小生の場合は、829レからの余韻を楽しみたく、
「下関」や「門司」のホームの端で、港の灯りをボーと眺めていましたね。
特に、海を渡って「門司」から「みずほ」や「さくら」に乗るときは
必ず「1号車のハネ」を予約して、
関門トンネルを挟んでの海峡の風情を堪能しておりました。
この「829レ」、47.3.15のダイヤ改正以前は
「京都・下関間」を完走していた長距離鈍行で「京都・出雲市間」が「山陰」へ、
「出雲市・下関間」が「829レ」となった「強者」。
改正前に一度全区間制覇したかったですねぇ・・・。
前置きが長くなりましたが、今回は「旧客鈍行の戯言」を再々度記します。
先達の皆様方の話題にしていただければ、幸甚の限りであります。

1 昭和48年の春休み、
 「鉄」親父と宗谷本線の「321レ(旭川・稚内間)」を乗り鉄。
 「
スハ32+スハフ32+マニ+マニ」の4両の旧客を
 「C55」が牽引していました。
 3月の道北はまだまだ吹雪が荒れ、
 乗り込んでくる乗客はあたかも「雪だるま」の形相でした。
 しかも、次第に乗客は減っていき、
 「抜海」を出て闇の中を走るガラガラの客車はまるで「回送列車」の様相。
 当時小学4年生の小生に、「まもなく、南稚内です。」
 の放送とともに見えた稚内の街灯りは、
 強烈な印象として今でも心に残ります。

2 昭和58年の黄金週間、
 「新津」から「郡山」まで「磐越西線の旧客鈍行」を完乗。
 阿賀野川沿いの山間の風景を堪能しながら、「会津若松」へ到着。
 機関車もDLからELに変わり、逆編成になるのに合わせて
 最後尾の「
オハフ33」へ移動しました。
 お目当ては今は無き「中山宿のスイッチバック」。
 新緑の峠駅はのんびりとした旅情に溢れ、デッキから後ろに流れる鉄路の眺めは、
 汽車旅の楽しさを小生に味わわせてくれました。

 3 昭和60年の1月、就職関係の書類を道庁へ持参するための札幌行。
 せっかくの機会と東北新幹線を「仙台」で捨て、「青森行」の長距離鈍行に乗車。
 しかし、「オハ50のレッドトレイン仕立て」に正直がっかりしてしまいました。
 しかし、それを補って余りあったのが厳冬の「トホホセ」の車窓風景。
 「一ノ関」から雪が降り始めて、「奥中山」では完全な猛吹雪。
 全力で「青森」まで走り抜けた「ED75」は、
 「白い」ELに変身していました・・・。

 長々と失礼しました。また、投稿いたします。
 以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。

 
※赤字は後日訂正


倶楽部メモ(466) 平成20年10月25日〜10月30日


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年10月25日(土)11時47分26秒

タイトル

123レ 一ノ関行き(1)

ED76109様
 「最果て鈍行」こと宗谷本線321レには私もたいへん興味がありましたが、
 時刻表で眺めるだけの遠い存在でした。
 いわゆる「長距離鈍行」には何度か乗車しましたが、
 中でも一番の思い出は、高校時代の昭和53(1978)年2月、
 上野発一ノ関行き123レに仲間と3人で乗り通したことです。
 鉄研の文化祭発表用に向けた取材でした。

 今改めて写真を見返すと、当日上野−黒磯間の牽引機はEF5889、
 現在鉄道博物館に保存展示されているあの「パック」でした。
 機次位の客車1両目はオハフ61、車内は木目ニス塗り。
 この車両を含む前3両は仙台止まりです。



投稿者

クモイ103

投稿日

2008年10月25日(土)11時48分51秒

タイトル

123レ 一ノ関行き(2)

 大宮停車中のスナップと、雀宮駅での特急「ひばり」待避シーン。
 当時の東北本線は、上野と東北各地を結ぶ特急・急行が
 次々に駆け抜ける優等列車街道でした。
 昼前に上野を発車した123レは、その間を縫って待避を繰り返しながら、
 半日かけて丁寧に道のりを辿ります。



投稿者

クモイ103

投稿日

2008年10月25日(土)11時50分32秒

タイトル

123レ 一ノ関行き(3)

 終着一ノ関には深夜23時の到着。
その昔、その先夜行列車として青森まで運転されていた名残のダイヤです。
 実は、「20系客車誕生50周年記念写真館」に採用頂いている
上野駅20番線の「十和田」は、この取材行の帰路に乗ったものでした。


 さて、以下蛇足を致します。
 ED76109様の宗谷本線321レのお話しで、
「スハ33+スハフ33+マニ+マニ」と書かれていますが、
当時北海道にはスハ33の配置は無かった筈で、
おそらく2両目のスハフと共に「33」でなく「32」ではないでしょうか。
 また、磐越西線のところで「オハフ35」というのは、「オハフ33」でしょうね。

※元書き込みは管理人にて訂正済み

 711系電車の時は黙っていましたが(クモハ711は試作車2両のみの希少種)、
本HPの趣旨である客車のことですので、
初心者の方がご覧になって誤解されないよう、
無粋を承知で書かせていただきました。何卒ご容赦をm(_ _)m。


投稿者

ED76109

投稿日

2008年10月25日(土)23時24分47秒

タイトル

御教示ありがとうございます。

 「ED76109」であります。
 クモイ103様
 様々な御教示と御指摘に対しまして、心からお礼申し上げます。
他の先達の方からも御指摘をいただき、恥の上塗りのような話しで恐縮です。
「形式」等の細部に渡る部分は、小生の苦手とするところであります。
逆にクモイ103様等、先達の皆様方の「知識」で確認しているところです。
今後も今回のようなことがあれば(ないように心がけますが)、
訂正等いただければ幸いです。よろしくお願い致します。
 「上野発着の東北本線旧客鈍行」は疎遠だったのか、
「123レ」には乗車経験はなく、
昭和48年の夏休みに「121レ」(上野・郡山間)で「矢吹」まで乗車し、
折り返しの「124レ」(仙台・上野間)で「上野」に戻った
「チビ乗り鉄」経験しかありません。
一度「挑戦」したかった「旧客鈍行」でした・・・。

 失礼致しました。「中年客車鉄ちゃん」でした。


倶楽部メモ(467) 平成20年11月 1日〜11月 7日


投稿者

ED76109

投稿日

2008年11月 1日(土)00時30分50秒

タイトル

本当に戯言ですが・・・

 失礼致します。「ED76109」であります。
 当地は今週、初雪の便りもあり、いよいよ「冬」の到来間近です。
 冬の汽車旅の想い出は、客車の床下からたち上がるスチーム暖房の蒸気。
 独特の風情がありました・・・。
 今回は、小生が乗り損ねた列車の「戯言」を記してみます。
 いつものように先達の皆様方の話題にしていただければ、幸甚の限りであります。

1 九州の大動脈の一つである「鹿児島本線」。
 「はやぶさ」、「桜島」等でお世話になった鉄路ですが、
 どういうわけか「鳥栖・西鹿児島間」を走っていた「長距離鈍行」には
 乗ることができませんでした。
 おそらく「ED76」がのんびりと旧客のお伴をしながら、
 古戦場の「田原坂」や天草の島影が望めた「有明海」を眺めながらの
 汽車旅だったのでしょうね。
 約8時間の鈍行紀行は、小生にとってはちょうど「手頃」な旅だったのですが、
 山陰や東北に目が行っているうちに、鬼籍入りしてしまいました・・・。

2 上野発着の旧客鈍行が姿を消して、もう25年以上経過しています。
 昭和45年頃、小学生だった小生が乗りたかったのは、
 「上野・青森間」を結んでいた「長距離鈍行」。
 「上野」を22時頃発車して、「青森」に翌日の22時前に到着した
 「奥羽本線経由」の「青森行」と、
 「青森」を10時前後に発車して「上野」に翌日の6時前に到着した
 「常磐線経由」の「上野行」。
 往年の夜汽車体験ができたこれらの列車、「EF57」や「DD51」、
 「ED75」などの汽笛を聞きながら 是非一度乗りたかったですね・・・。

3 「EF58」が牽引する鈍行が、美しい海岸線を走っていた「紀勢本線」。
 夜行鈍行の「はやたま」が走っていたことでも有名でした。
 昭和51年の夏休み、「鉄」親父と「乗り鉄」したのですが、
 「高校野球」観戦の帰路のため「DC仕立ての紀州」で「天王寺・名古屋間」を完乗。
 その「紀州」の車中から、「名古屋」や「亀山」から
 「和歌山市行」の「長距離鈍行」を途中駅の列車交換で見るたび、
 「あっちに乗りたかったのに・・」と溜息をついておりました・・・。

 上記列車に「乗り鉄」した先達の方々の想い出等、是非伺いたいものです。
 長々と失礼しました。
 以上、昭和の鉄路を懐かしく思い返している「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年11月 1日(土)09時48分51秒

タイトル

はやたま

▼ED76 109様:
> 夜行鈍行の「はやたま」が走っていたことでも有名でした。

愛称の由来は、新宮にある「熊野速玉大社」なのですね。いわゆる「太公望列車」の
印象が強いこの便、私が周遊券貧乏旅行に勤しんだ頃、既に寝台車連結が廃止された、
12系仕様「名無し列車」でした。夜行としては天王寺→新宮の「一方通行」となった
時点で 165系化されましたが、一時期は新大阪にも直通したこの列車、これはこれで、
貴重な存在でしたね。

なお「はやたま」の運用については「倶楽部メモ 317」で、少しだけ言及しています。


倶楽部メモ(469) 平成20年11月11日〜11月15日


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2008年11月11日(火)22時47分32秒

タイトル

長距離客車普通列車のデータを追加掲載

この「客車倶楽部」でもたびたび話題になり、またメール等でも要望がありました、
かつて旧型客車が全盛だった時代に、日本全国に多数存在した長距離客車普通列車の
データを「客車資料館」に追加掲載いたしました。
内容的には昭和40・50年代の時刻表と編成表となりますが、
まずは主要線区の下り列車のデータから掲載いたしましたが、
今後上り列車のデータを追加するとともに、掲載線区の拡充も図りたいと思いますので
ご要望等がありましたら書き込みをお願いいたします。
また、当時の長距離客車普通列車の写真がございましたら、
ぜひ掲載させていただきたいと考えていますので、ご提供いただければ幸いです。

投稿者のホームページ


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年11月12日(水)19時39分34秒

タイトル

長距離客車普通列車

仙コリ(管理人)様
 長距離客車普通列車のデータ、懐かしいですね。
当時の時刻表では、幹線のページにはたいてい上から下まで1本つながった
細字の列があったものです。
 写真は前出の123レ一ノ関行き。
赤羽を発車し、新河岸川橋梁へ向かって築堤を駆け上るシーンを、
客車最前部から後ろ向きに撮ったものです。
背景に見える星美学園のある高台は現在も変わっていませんが、
後方へ伸びる線路は、赤羽駅の高架化で様子が一変しています。
 なお、前出の画像もご使用いただいて結構です。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2008年11月12日(水)22時46分40秒

タイトル

長距離客車普通列車画像御礼

クモイ103様
早速の画像提供ありがとうございました。
本当に当時の時刻表には通過マーク無しの
縦長の数字の羅列が多数存在していましたよね。
私自身が鉄に目覚めた頃には、すでに一ノ関行き123レ等の
上野駅発着長距離客車普通列車は存在せず、地元の東北本線では
南は黒磯、北は仙台程度までの乗車で、長距離普通列車への乗車といえば
「山陰」をはじめほとんどが山陰本線の列車で、そんな思い出から現在構想中の
Nゲージレイアウトも当時の山陰本線を想定していたりします。

さらに皆様にお願いですが、他線区のデータページにも画像を掲載したいと
考えていますので、長距離客車普通列車の画像をお持ちの方がいらっしゃいましたら、
ぜひ画像を提供いただければ
幸いです。

投稿者のホームページ


投稿者

ED76109

投稿日

2008年11月13日(木)22時00分1秒

タイトル

確かに14時間立ちっぱなしは辛そうです!!

  たびたび失礼しております。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様
 >511-512レに修学旅行が多かったみたいでした
 「512レ」は「青森」を14時40分に発車する2、3等仕立ての「鈍行列車」。
 奥羽・羽越・信越・北陸・東海道とひたすら西下し、
 終着「大阪」は2日目の20時56分に到着しています。
 先輩教師(15年に前に退職された方)が着席できた「新津」着は2時31分(!)・・・。
 出張旅費は安く、ぎりぎり。
 間違っても「2等」には乗れないでしょうから、本当に「難行苦行」だったのですね。
  ちなみに「511レ」は、
 「大阪」発7時08分→「青森」着12時58分(2日目)という、
 上下ともに「超強者」であります。
 もう乗車は叶いませんが、「旧北陸線」のルートをゆっくり眺められた
 汽車旅だったのでしょうね。
 それはそれとして、小生は羨ましく思いました。
  なお、勤務校の生徒達は昨日無事に帰札いたしました。

 仙コリ(管理人)様
 いつも、勝手な「戯言」にお付き合い下さり、心から感謝申し上げます。
 「長距離客車普通列車のデータ」はすばらしいの一言です。小生の想い出が甦ります。
 もう一度、時刻表とバッグをお伴に「旅」に出たくなりました・・・。

 長々と失礼しました。また、投稿致します。
 以上、往年の夢復活のため、「東京・博多」、「東京・八戸」に
 「新幹線の各駅停車直通便(!!)」の運転を願う 「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

蜂屋

投稿日

2008年11月14日(金)21時25分38秒

タイトル

普通客レ

管理人様 皆様 はじめまして。いつも楽しく拝見いたしております。
鉄に目覚め上野駅でウロウロし始めた頃、各方面の旧客に間に合った世代です。
EF57の長いデッキにシビレ、デッキ付きの旧型電気と旧国を追いかけました。
添付は上野口で最初に消えた東北線客レです。
ダイヤ改正前日の1978.10.1 上野行き124レ 場所は栗橋あたり?


投稿者

スイロフ

投稿日

2008年11月14日(金)23時46分18秒

タイトル

客レの写真です

管理人様、こんばんは。
弊ホームページから、列車というには微妙ですが、これでもよろしいでしょうか?
1976.9.4 長門市駅 右が824レ、左がたぶん823レです。
このあと824レに乗り、終着の福知山まで客レを堪能しました。
しかし、フォトショはすごいですね。
赤っぽく変色した写真が、あっという間に当時?の色に...


投稿者

スイロフ

投稿日

2008年11月15日(土)00時01分17秒

タイトル

客レの写真です2

こんばんは、もう一枚です。
1977.6.24 小沢駅 122レ。
駅の風景として撮ったので、対象が少し小さくてすみません。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2008年11月15日(土)10時58分20秒

タイトル

Re:普通客レの写真

蜂屋様、スイロフ様
普通客レの写真ありがとうございました。
どの写真も味わい深い写真で、とても感謝しております。
早速「長距離客車普通列車」のコーナーに掲載させていただきました。
今後もよろしくお願いいたします。


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