倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
旧型客車終末期の頃の暖房方式は?


倶楽部メモ(453) 平成20年 9月11日〜 9月16日


投稿者

らん丸

投稿日

2008年 9月14日(日)22時09分15秒

タイトル

旧型客車終末期の頃の暖房

57.11の改正の頃の鉄道ジャーナルの「列車追跡・津軽 オハネフ13との別れ」で、
ダイヤ改正のちょっと前から上野−黒磯を牽引していた
EF58がEF65に置き換えられ、
それにともない10系寝台車の電気暖房を自車の発電機
(元来は冷房電源用)で賄える様にした
という記事を覚えていますが、他の列車
(電気暖房付きのEF62が牽引していた「越前」「妙高」以外の
通常はEF58牽引だった「能登」「鳥海」、そして「きたぐに」)についても
この様な「暫定的な改造」を行ったのでしょうか?

高崎線の客車普通列車(
早朝にあった高崎から長野行き、長野から新潟行きに変わる列車)
に運用されていたナハ11にも電暖用発電機があったみたいです。

55.10と57.11で北海道に転属した14系を北海道用改造を行った時に
蒸気暖房引きとおし管を設置しましたが、
これをフルに使ったのは10系との混結の暫定運用時の
「利尻」「大雪」「まりも」、
荷物・郵便車を繋いでいる時の「ニセコ」だけでしょう
(スハ45との混結のSL列車はどうでしょうか?)。


倶楽部メモ(454) 平成20年 9月17日〜 9月18日


投稿者

急行越前

投稿日

2008年 9月17日(水)22時15分2秒

タイトル

Re:旧型客車終末期の頃の暖房

遅レス失礼いたします。

>アーノルドカプラー様

「きたぐに」の件、フォローいただきましてありがとうございます。
米原まわりだったことをすっかり失念しておりました。
東海道線は荷物列車のEF62置き換え(1984年2月)までSGでした。

らん丸様

>57.11の改正の頃の鉄道ジャーナルの
「列車追跡・津軽 オハネフ13との別れ」で、
ダイヤ改正のちょっと前から
上野−黒磯を牽引していたEF58がEF65に置き換えられ、
それにともない10系寝台車の電気暖房を自車の発電機(元来は冷房電源用)で
賄える様にしたという記事を覚えていますが、

この記事の表題は確かに記憶しておりますが、暖房の件は覚えていません。
しかし、「津軽」20系化の1982年11月の段階では
宇都宮にまだ多く電気暖房装備のEF58が在籍していたので、
基本的にはEF65が牽くことはなかったはずですので
改造云々の話は疑わしいです。

>他の列車(電気暖房付きのEF62が牽引していた「越前」「妙高」以外の
通常はEF58牽引だった「能登」「鳥海」、
そして「きたぐに」)についても
この様な「暫定的な改造」を行ったのでしょうか?

「能登」「鳥海」は最後はEF641000に置き換えられましたから
通常の電気暖房でした。
「きたぐに」は前述のとおり、米原まではEF58でSG、
米原からはEF81(EF70?)で電気暖房です。

>高崎線の客車普通列車(早朝にあった高崎から長野行き、
長野から新潟行きに変わる列車)に運用されていた
ナハ11にも電暖用発電機があったみたいです。

原番号+2000の番号がついた客車は、客席の下にヒーターと
床下には機関車からの電源を変圧するトランスがついていました。
赤まんと様はこのことをおしゃられているのでしょうか?
だとしたら、上野口の旧型客車はすべてついていたはずです。

もしかしたら、最晩年に品川〜大宮工場間の
配給列車の控車として使われたナハフ11に
気動車についていた温気暖房機が車掌用についていましたから
こちらのことをおっしゃっているのかも知れません。

画像は1983年12月に品川で撮影したナハフ112022です。
わかりにくいですが、デッキに箱のようなものが見えると思いますが、
客室の床上に設置した暖房機から
車掌室にダクトが伸びているのではないかと思われます。
この暖房機は石油が燃料だったのでしょうか?


投稿者

赤まんと

投稿日

2008年 9月18日(木)17時51分59秒

タイトル

わざわざご丁寧に

急行越前さま初めまして。
私は6月末まで尾久に住んでおり、小学2年のときに57・11改正を迎えましたから、
10系+43系の急行「越前」「能登」といったあたりはリアルタイムで見ています。
また、この改正直前に旧客から12系に変わった客レも、
推進回送シーンを目にしています。
ふだん見慣れない、オハ12 78などという車番を見て、びっくりたまげたものです。
道理で、高崎所属だったわけです。当時は知りませんでしたが。
ブルトレが大好きな一方で、10系客車にも大いに惹かれていて、
オハネフ13がなぜ、2600番台なのか、不思議でたまらなかったものです。
その11年後、大学で友達に「鉄道ジャーナル」1982年12月号を借りてから、
ようやく謎が解けるわけですが。
そんなわけですから、ここ数日の投稿記事、興味深く拝見していました。
勉強になりました。


投稿者

急行越前

投稿日

2008年 9月18日(木)23時06分20秒

タイトル

Re:オハネフ13

赤まんと様、はじめまして。
このたびは申し訳ございませんでした。

尾久にお住まいだったとは羨ましい限りです。
私はグリーンマックスの旧型客車キットの組み立てのための資料として
1971年版の「客車貨車ガイドブック」を手に入れてから
ますます旧型客車にハマってしまった人間です。
みんなが東京駅でブルートレインを撮っているころ、
私は上野駅で夜行急行の到着に合わせ
高架ホーム〜地上ホームへと走り回っていました。

オハネフ13の話が出ましたので、
「越前」で上野に着いた福井車(2607)の写真を添付します。
「越前」が着く17番線はこのようにきれいに写真が撮れました。

1981年12月24日上野


倶楽部メモ(455) 平成20年 9月20日〜 9月23日


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年 9月23日(火)07時47分12秒

タイトル

Re2:旧型客車終末期の頃の暖房

>らん丸様

 大幅遅レスで恐縮ですm(_ _)m。
 元文献を当たってからと思い、ぐずぐずしているうちに
元発言が過去帳(倶楽部メモSP 主な話題)入りしてしまいましたので、
慌てて手元の資料だけでレスさせていただきます。

9/14のらん丸様の発言で、

> 57.11の改正の頃の鉄道ジャーナルの
「列車追跡・津軽 オハネフ13との別れ」で、
ダイヤ改正のちょっと前から上野−黒磯を牽引していた
EF58がEF65に置き換えられ、
それにともない10系寝台車の電気暖房を自車の発電機
(元来は冷房電源用)で賄える様にしたという記事を覚えていますが、

 …すでに急行越前様もレスされていますが、
その様な改造があったという話は、私も聞いたことがありません。
 ご指摘の鉄道ジャーナルの記事ですが、1982年12月号に掲載され、
その後「別冊No.27 JR・民鉄 客車列車大追跡」に、
「オハネフ13の別れの朝」として再録されています。
初出の号は持っていません
(これを探しに神保町へ行こうとして行きそびれた(^^;)が、
再録の別冊がありますので、隅から隅まで読み返しましたが、
らん丸様がお書きになった電気暖房に関する改造の話は載っていませんでした。
 初出の号には載っていたのでしょうか?

 また、

> 高崎線の客車普通列車(早朝にあった高崎から長野行き、
長野から新潟行きに変わる列車)に運用されていたナハ11にも
電暖用発電機があったみたいです。

 …とのお話しも、今までいろいろ文献に接してきましたが心当たりがありません。
これまた急行越前様が指摘されているように、

> 最晩年に品川〜大宮工場間の配給列車の
控車として使われたナハフ11に気動車についていた温気暖房機が
車掌用についていましたからこちらのことをおっしゃっているのかも知れません。

 …と私も思ったのですが、らん丸様の情報源をご教示頂けませんか?


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