倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
映画の中に出てくる鉄道


倶楽部メモ(430) 平成20年 6月13日〜 6月16日


投稿者

ED76109

投稿日

2008年 6月13日(金)18時47分57秒

タイトル

様々な話題で楽しいです

 また、飽きずに失礼いたします。
多くの先達の皆様方の書き込みを読むだけで時間を忘れてしまいます。
今回は特に、自分としては思い入れのある客車急行「桜島・高千穂」に関する資料や
想像すらつかなかった戦前の「セレブ(!)」な食堂車事情、
そして、食堂車の体験談等で、またまた賢くなったように思います。
 さて、今回は、小生が印象に残っている鉄道が関わる「映画」について
戯言を記させていただきます。
先達の皆様方の話題にして頂ければ、眼福の極みであります。

 1 昭和33年に公開された「張込み」のラストは、刑事(大木実さん)が
  殺人犯(田村高広さん)を逃亡先の佐賀から東京まで護送するために乗車する
  急行「西海」(だと思うのですが)が佐賀駅に到着し発車するシーンです。
  迫力あるC59(?)が牽引する旧客の姿はともかく、佐賀駅の案内放送が
  「西海号の停車駅は、鳥栖・・門司、下関、厚狭、小郡・・大阪、京都、
  大津、彦根・・名古屋、蒲郡、豊橋・・横浜、品川、東京です。」
  と独特のイントネーションで停車駅を告げ、九州からの遙かなる旅路を
  想像させるくだりは印象に残っています。
  まさしく、昭和30年代は東京から九州へ移動は
  ある種「大旅行」であったのでしょう。
  (冒頭で横浜から急行「さつま」で九州へ向かうシーンも、
  当時の夜行急行列車の様子がうかがえます)

  2 昭和45年に公開された「家族」は、長崎の炭坑に勤める主人公(井川比佐志さん)が、
  妻(倍賞千恵子さん)や老いた父親(笠智衆さん)らとともに、
  北海道の中標津町のパイロットファームまで移住するというストーリーです。
  この中では、桜が咲き誇る九州から残雪深き北海道の美しい風景とともに、
  様々な「急行列車」が登場してきます。
  その中で最も強い印象があるのは、強行軍のなかで急死してしまった幼子の遺骨を抱いて
  「トホホセ」を一路北に向かう昼行の客車急行列車(昼行の「八甲田」号でしょうか?)
  に  乗車しているシーンです。
  曇天の車窓風景は、東北独特の「愁い」に満ちており、
  幼子を亡くした悲嘆にくれる倍賞さんの名演技と重なって
  筆舌に尽くしがたい汽車旅を描いていました。
  (また、青函連絡船に同乗する「渥美清さん(喜劇「急行列車」の名車掌)」の
  好演が光りますね。)

 3 昭和49年に公開された「砂の器」は、社会派「松本清張」の名作の映画化作品です。
  この中では、今西刑事(丹波哲郎さん)らが犯人和賀英良(加藤剛さん)の
  過去を辿る旅に出るのですが、
  食堂車が連結された急行「鳥海」や羽越本線のローカル旧客鈍行、
  さらには急行型DLによる「まつかぜ」等が
  美しい日本海沿いを走行するシーンが登場する大変「鉄」色の濃い映画です。
  (何度かリメイクされていますが、
  リメイク作品のいずれもが「鉄」分に富んだ内容となっています。)

  他にも、「飢餓海峡」や「点と線」などストーリーのすばらしさは言わずもがな、
数限りなく鉄道の名シーンが登場する映画は少なくないと思います。
いずれは消えゆくであろう「汽車旅」が描かれている映画を大切にしたいと思います。
 また、投稿させて頂きます。失礼致します。


投稿者

てりてり

投稿日

2008年 6月14日(土)00時06分40秒

タイトル

ご無沙汰しております

 皆様こんばんわ。私は九州に住む「てりてり」と申します。
ED76109 様。はじめまして。
私も映画の中で鉄道が出てくるのを楽しみにしているものの一人です。
此処での「映画」は劇・記録・ニュース映画の事であります。
特に列車の登場となると内容そっちのけで観ていました。
最近では昔の作品が比較的手頃な値段で入手出来る様になりましたし、
此処にお集まりの皆様のご協力で色々と拙い記憶が蘇る事があります。
 「張込み」。以前何と無く見始めたのですが、正に夢中になってしまいました。
冒頭の横浜駅の場面から最終部の佐賀駅までと正に鉄道映画、
と言っても過言ではないでしょうか。
また「キューポラのある街」も隠れた鉄道映画なのかもしれません。
 鉄道ピクトリアル538号(91年1月号)に
『日本映画に見る鉄道シーン』と言う項目がありますが、今でも映画を観る時に
重宝しております。それだけ鉄道が身近な存在だったのかもしれません。
 つらつらと駄文を書いた事をお詫び申し上げます。これからも宜しくお願い致します。
それでは。


投稿者

「ED76109」

投稿日

2008年 6月14日(土)06時53分30秒

タイトル

よろしくお願い致します。

 てりてり様
 初めまして。北の大地在住の「ED76109」と申します。
前述しましたが、東京の産にもかかわらず、
縁あって札幌市内の高校に勤務している「中年客車鉄ちゃん」です。
鹿児島の出水に親類がいる関係から、「桜島(霧島)」「はやぶさ」等に親しんだ結果、
「鉄」の道を歩んでおります。
「乗り鉄」専門ですので、
先達の皆様方の専門的な知識には感心かつ敬意を表している次第です。
てりてり様、こちらこそ、よろしくお願い致します。
 以上、6月の中旬だというのに、今日のオホーツク地方の最高気温が
「10℃」と聞いて冷夏にならないように念じる、
「道民球団熱烈応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 6月14日(土)14時35分35秒

タイトル

今夏の 12系運用

今朝は、当地も相応に揺れました。今夕発の「カシオペア」「北斗星」は運休が決定。
それ以前に、被災地の親類や知人が気になりますね。ニュースで案内された「災害用
伝言ダイヤル 171」も、被災地優先モードで、利用出来ない状況です。

▼ED76 109様
> 渥美清さん(喜劇「急行列車」の名車掌)の好演

私が記憶しているのは「富士」車内で女性客が産気づいた場面くらいです。同作品が
公開されたのは、新田原〜幸崎の電化と同じ1967年です。当時、門司以遠の牽引機は、
DF50の牽引(電化翌年から大分以北はED74が牽引)ですが、あの機関車が20系を
牽引する様子は、画一性が高かった当時の国鉄車両群にあって、正に「花形」でした。

さて、昨日発売のDJ誌を改めますと、四月末に門司港〜日田〜豊後森で運転された
DE10+24系(元「なは」用四両)による「九州鉄道記念館」開館五周年記念列車が
紹介されており、筑後川が絡む久大線の風光明媚な沿線風景を背景に、好感度抜群の
構図でした。しかし、掲載写真を見ると、電源車の側面が汚損気味と、少し悲哀気味。

久大線といえば永らく、12系による定期普通が定番でしたね。同様の編成内容による
初夏恒例の常磐〜水郡線の目玉「矢祭町民号」は、どうやら今年の運転が無さそうで、
七月末恒例の「烏山山あげ」運用共々、高崎の12系を巡る動向が、益々気になります。

画像は、昨年運転された「矢祭町民号」です。


投稿者

「ED76109」

投稿日

2008年 6月15日(日)00時32分6秒

タイトル

Re.様々な話題で楽しいです

  まず、岩手・宮城県境付近で発生しました「地震」に係り、
被災者の皆様方に心からお見舞い申し上げます。
また、一日も早い鉄道の復旧を心から祈念申し上げます。(本日2度目の投稿です)

 雑魚様
 「渥美清」さん関係の映画(作品名はハッキリしませんが)では、
 上越線の急行「佐渡」号の車掌役
 及び四国の「予讃線」の「伊予和田(実名かどうか?)」駅の駅員役を演じた作品があります。
 いずれも役どころは、少々ドジではあっても人間味豊かな人情溢れる鉄道員役です。
 (あとは「フランキー堺」さんの演じる人情車掌シリーズがありますよね。)

 himeikanai様
 「ED76109」でございます。贅沢な愚痴を少々記させて頂きます・・。

 「思い出の鈍行紀行」

 1 旭川発函館行の「122レ」(昭和48年春・スハフ32「函ハコ」)
   夜明け前の「旭川」、雪原の石狩平野、寒風すさむ日本海の「張碓」、
  雪に埋もれた山線の峠駅「上目名」そして夕焼けの噴火湾から遠くに駒ヶ岳を望み、
  連絡船待つ「函館」への約13時間半の旅・・。
  「乗り鉄」として小生が目覚めた記念の鈍行紀行でした。

 2 西鹿児島発門司港行(日豊本線回り、列車番号不明・
  昭和53年夏・オハフ61「門モシ」か「鹿カコ」(?))
      早朝5時過ぎに西鹿児島を発車し、21時頃門司港に到着した「酷暑の旅」でした。
  特に宮崎・延岡間では、なぜか停車する度に列車交換もないのにほぼ10分ずつ停車し、
  「川南」では車内温度が「35℃」になったことを記憶しています。
  しかし、「宗太郎」付近の信号所の蜩の大合唱と
  峠越えは抜けるような南九州の青空とともに、
  小生を旅情を誘うセピア色の風景でありました。

 3 出雲市発下関行(列車番号不明・
  昭和56年、57年、59年夏・オハフ35、オハフ50「米イモ」)
  山陰の鈍行紀行のエンディングは、出雲市を9時前後に発車して
  下関に18時半過ぎに到着する、この列車でした。
  左側の車窓は、中国山地を遠くに望むのどかな田園風景。
  そして右側の車窓は、まさしく松林広がるコバルトブルーの日本海・・。
  下関のホームに降り立つ時は、いつも旅の満足感を感じつつも、
  旅の終焉に一抹の寂しさを感じておりました。

 いつも、最後尾の車両の一番後ろのボックスに座席を取り、
デッキから後ろへ流れる風景を眺めるのが好きでした。
 もう二度と味わうことができない寂しさがありますが、
若いファンの方々には経験できない汽車旅を満喫できたという思いは持っております。

 失礼致しました。


倶楽部メモ(431) 平成20年 6月16日〜 6月18日


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 6月16日(月)17時12分37秒

タイトル

喜劇 ・大安旅行

>「フランキー堺」さんの演じる人情車掌シリーズがありますよね

このシリーズは馴染みが無く「喜劇・大安旅行」の資料を改めると、丸眼鏡を掛けた
フランキー堺さんは実にハマリ役ですね。乗務する急行「きのくに」は、大安日には
新婚旅行客で溢れ、独身の車掌は、鼻血タラタラ………と、解説を読んでいるだけで
楽しくなります。当時のキャッチ・コピーは「ウッフ〜ン」………なるほど(^^)

1968年公開のこの映画、当時の国鉄が全面協力と云いますから「きのくに」の愛称は、
天王寺に発着する紀勢線気動車急行に用いられたものと思われますが、同名の列車は、
南海本線直通のキハ55系急行にも用いられており、当時の詳細な状況が気になります。

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画像は田町駅の跨線橋から浜松町方面を眺めた様子です。右端の線路が、築地市場を
起点に旧汐留駅、東京貨物ターミナル……と続いた貨物線ですが、1986年に汐留駅が
廃止され「カー・トレイン」も運行されなくなった現在、架線すら無い単線の線路は、
あとは廃止を待つだけという雰囲気で、東京貨物ターミナル以北は、既に朽廃状態に
あるのではないか、とすら感じます。

この線路、並行する東海道旅客線とは、1964年開業の東海道新幹線により分断状態に
あったと思われ、これが何らかの形で東京駅にスルー可能な線形であれば、まだまだ
活躍していたかも知れません。羽田空港西側の天空橋付近の地下を通過しているので、
ここに駅を設ければ、京急蒲田駅付近の改良事業に大きな影響を与える程の大幹線に
なった可能性もあります。

ちなみにこの貨物線、横浜羽沢の前後では、新設連絡線を介して、東横線と相鉄線の
直通体制を仲介する構想がある様です。横須賀線(品鶴線)にも新駅を設置する事で
更なる拠点化が見込まれる武蔵小杉へは、横浜羽沢から新川崎経由でもスルー可能で、
首都圏の路線網は、設立区分とは無関係に、ますます多様化の一途を辿りそうですね。


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