倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
鹿カコの二等車
昭和33年頃の「霧島」「高千穂」における二等車の運用について


倶楽部メモ(355) 平成19年 1月 8日〜 1月23日


投稿者

丹波

投稿日

1月19日(金)16時10分2秒

タイトル

鹿カコの二等車

昭和33年の客車配置表を見ていてふと疑問に思ったのですが、
鹿児島にはスロ51、スロ53、オロ35、オロ40、
合計14両の急行用二等車が配置されていますが、
この数では霧島と高千穂の運用をこなすことはできそうにありません。
高千穂の二等車は品川担当だったのでしょうか?
ご存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願いします。


投稿者

あさかぜ

投稿日

1月19日(金)16時53分16秒

タイトル

丹波様

こんにちは。あさかぜです。
>丹波様
調べてみましたところ、S33年の高千穂はスロ51・53は鹿児島、
マロネ29は品川の担当だった様です。
ちなみに、霧島の方はスロとオロが鹿児島、マロネ38は品川の担当でした。
どの車両がどれだけの配置かはわかりませんが、仮に2本ずつだったとして、
予備車はほとんどなしのぎりぎりの運用ではなかったんじゃないでしょうか。
どなたか補足をしていただいたら幸いです。


投稿者

丹波

投稿日

1月19日(金)19時02分25秒

タイトル

鹿カコの二等車

あさかぜ様ありがとうございます。

当時のダイヤから推測すると高千穂4組、霧島4組合計8組で
運用していたと思われます。
鹿児島にはスロ51が4両、スロ53が5両しか配置がなく
スロ53が足らないような気がするのですが。


投稿者

クモイ103

投稿日

1月19日(金)20時42分23秒

タイトル

Re3:鹿カコの二等車

丹波様、あさかぜ様

 「高千穂」の2号車スロ53は東京−大分間連結でした(下記参考文献より)。
当時大分に急行用2等車の配置はありませんので、品川持ちだったと考えられます。
 従って、当時の鹿児島持ちの急行用2等車は、
・「霧島」3号車スロ53・4号車オロ(鹿児島−東京間・4組)
・「高千穂」1号車スロ51(西鹿児島−東京間・4組)
ということになります。
 配置車両は、オロ35×4、オロ40×1、スロ51×4、スロ53×5ですから、
スロ51の検査時には53を使用したと考えれば、
特ロ・並ロともに1両ずつの予備車がいることになり、
適正な配置状況だったと言えるでしょう。

参考文献:
・鉄道ピクトリアル第282号(1973年8月号)
  「国鉄急行列車・愛称変遷史[15]」(寺本光照氏筆)
・レイルNo.9「国鉄四半世紀前の急行列車」(1983.10.31)
  東京駅発着主要列車編成順序表(昭和33年10月1日改正)
・時刻表1958年11月号(復刻版)

# あさかぜ様のご質問の方は、手頃な資料がなくよくわかりませんm(_ _)m。


投稿者

丹波

投稿日

1月19日(金)22時45分52秒

タイトル

ありがとうございました

クモイ103様

2号車が大分行きであれば鹿児島の車ではないでしょうから辻褄が合います。
今後はもっとよく調べてから質問します。
ありがとうございました。


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