倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
水戸線のスハニ35
水戸線・川俣線・日中線のスハニ35・青15号のスハニ35



倶楽部メモ(337) 平成18年 8月30日〜 9月 6日

投稿者 コスモス
投稿日 9月 4日(月)22時20分5秒
タイトル 水戸線のスハニ35
昨日、茨城県地区精子いや筑西市の「しもだて美術館」で開催中の
「くろがねの勇者たち」という蒸気機関車の写真展を見てきました。
この企画展に併せて、「私たちの街を走った蒸気機関車」という郷土資料コーナーがありました。
こちらの写真に、昭和40年10月17日に宍戸ー笠間間で撮影された2722レの最後尾にスハニ357が写っていました。
特急運用から格下げされて、水戸線の客車列車に使われていたのですね。
水ミト所属だったのか、小山客貨車区(高ヤマ?)だったのかは?です。

投稿者 クモイ103
投稿日 9月 4日(月)23時38分58秒
タイトル Re:水戸線のスハニ35
スハニ357は、鉄道ファン第181号(1976-5)によれば、昭和39年度以降ずっと高タカ所属だったことになっています。
鉄道ピクトリアル・アーカイブスセレクション(7)に収録された昭和43年3月31日現在の配置表でも高崎です。
おそらく、両毛線と水戸線にまたがる客車運用だったのでしょう。
同車は、客車時代の「はつかり」使用車でした。
水戸−友部間では、かつて最優等列車として疾走したのと同じレールを、普通列車として辿っていたわけですね。

ちなみに、スハニ35の他の車両も、常磐線普通列車や水郡線に絡んでいたようで、
ホエ7030様による貴重な目撃証言が、過去ログ「倶楽部メモ(204)」にあります。

投稿者 コスモス
投稿日 9月 5日(火)19時01分37秒
タイトル 水戸線のスハニ35
クモイ103 様

ご教示いただき、ありがとうございます。
客車「はつかり」の格下車で、配置は高タカだったのですね。
両毛線と水戸線にまたがる運用とは、興味深いです。
ご案内いただいた、倶楽部メモ(204)も拝見させていただきました。
写真のものと同番号車かどうかはわかりませんが、常磐線や水郡線の列車にも運用された
ことがあるのも興味深いですね。

このコーナーの写真には、海水浴客の臨時客車列車の写真もありました。
栃木・群馬など内陸部から茨城の海への利便のための臨時列車でしたが
写真は昭和40年7月24日の海からの戻りの常陸多賀発宇都宮・高崎行3628レ客車列車
でした。牽引機は小山機関区C58400でした。
小山で2方面への分割・併合の入換えをしたのでしょうが、趣味的に興味深いですね。

倶楽部メモ(338) 平成18年 9月 7日〜 9月 9日

投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月 9日(土)04時48分55秒
タイトル スハニ35のミキスト
 管理人様、皆様御無沙汰致しております。
 何かと催事・調整・役場回り、そしてレイアウト製作で目の回る夏でした。
 さて、従前交通公園活性化として鉄道模型を展示する奇妙なボランティア活動をしております弊連盟ですが、
毎度毎度のユニトラック組み上げも辛い・・・
更に「近代的電車」がやはり主役となる大形仮設レイアウト(N6回路・1200×3600mm)では
なかなか「交通文化財」的ローカル機材(蒸機や客車、気動車など)が活躍しない事の不満もあり、
ローカルムード満載の固定式を投入して「設営時間」短縮と附随アトラクションの創造を図った・・・のですが、
12年のブランクは辛く、更に2・3両で済むローカル列車が・・・
 実は「機材」は後回しとしておりました時、
鉄道模型趣味別冊「シーナリーガイド」で川俣線(松川〜岩代川俣間12.2km)の記事があり、
C11機がスハニ35を一つ牽いた画像が・・・
 昭和49年初版のものですが、47年5月13日に廃止となっているのでそれ以前、
しかし元々「東海道系特別急行列車機材」として誕生したものが、まさかローカル線でCタンク機に独りでなんて・・・
 記事は折り返し時にワムを一つ貰って「ミキスト」で折り返すものでしたが、「事実は模型より奇なり」です。
 尚、この路線での塗装はぶどう2号でしたが、未確認の話しでは青15号のローカル用スハニ35もあったらしいです。

投稿者 EF5841
投稿日 9月 9日(土)05時47分27秒
タイトル >スハニ35のミキスト
「さぬき」の運用に入っていたスハニ35は、青15号でしたね。

投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月 9日(土)09時46分3秒
タイトル たしか日中線でも
C11にスハニ35の編成があったような(^^;
通学時間帯はスハ2両で満席状態だったらしいのに。
客車半室に学生達と一緒に押し込められたらと思うとちょっと(^^;
でも暖かくなると皆自転車通学に切り替えてたみたいですけどね。
何年か前日中線記念館に行ってきました。
なかなかきれいになっていて中には展示物が。
鍵は線路の反対側にある民家で管理しているらしいのですが訪ねてみたら留守でした(-.-;
でもここは熱塩加納村、過去を偲びながらゆっくりした時間を過ごしました(^^)

倶楽部メモ(339) 平成18年 9月 9日〜 9月11日

投稿者 クモイ103
投稿日 9月 9日(土)23時01分13秒
タイトル スハニ35のこと
>岩崎安房守義将様
 川俣線のスハニ35については、当時のピクトリアル誌の記事を、以前この掲示板で紹介させていただいたことがあります。
 倶楽部メモ(106)に収録されていますので、よろしければご参照下さい。
 (う〜ん、もう5年も経ってるんだなあ(^^;)

>EF5841様
 「さぬき」のスハニ35が青15号だったとは、不勉強にして初耳です。情報源をご教示願えないでしょうか。
 同列車にスハニ35が連結されたのは、昭和40年10月改正からヨンサントオまでの3年間でした。
 当時の国鉄の塗色規程によれば、客車の塗色はぶどう色2号が原則であり、
 例外として青15号に塗装すべき形式が別表で定められていました。
 いわゆるスハ44系のうち、スハ44とスハフ43はこの別表に記載されていますが、スハニ35は入っていません。
 それが青15号だったとなると、また例の「規程破り塗装」が一つ増えることになりますね。

投稿者 クモイ103
投稿日 9月 9日(土)23時36分29秒
タイトル 日中線のこと
>下総守こみやさん(^^)様

 日中線に関しても、倶楽部メモ(98)〜(109)で話題になっています。
管理人様が手間暇かけて特定の話題の書き込みだけを抜き出して作られた「主な話題」で、
「特定線区の話題」の中に「日中線の客車・編成について」としてまとめられています。

>雑魚様
> 実際に沿線域とはならなかった温泉名を用いる感覚は珍しい

 日中線は、もともと現在の野岩鉄道とともに「野岩羽線」(下野、岩代、羽前の旧国名に由来)として計画され、
飯豊山地を越えて山形県の米沢に至る構想があったようです。
日中温泉は計画上の経由地ですから、全通を夢見た命名だったとも解釈できるのではないでしょうか。


投稿者 EF5841
投稿日 9月10日(日)07時20分41秒
タイトル >青15号のスハニ35
>青15号のスハニ35
掲載誌を思い出せないのですが、場合によっては写真集かも、にカラー写真で掲載されていました。
しかもアルミサッシ化していたと記憶しています。
ただ、それらの資料、実家の納屋にしまっており、機会を見て探して見ます。

スハニ以上に気になるのが、マロネ40やマシ38の方ですね。
O氏は絶対にないと言われておりますが、大鉄の破りはつとに有名ですから現実実があります。

投稿者 突放禁止
投稿日 9月10日(日)10時42分55秒
タイトル 横から失礼します…
スハニ35の塗装についてですが、昭和51年の鉄道ファンに
更新工事後のスハニ35の写真(おそらく東シナ構内)がありました。
モノクロなのではっきりした色が判らないのが残念ですが、
トーンからすると車体はおそらく青15号、裾にクリーム1号のラインと
観光団体用のオハネ17の2600番代やナハネフ11みたいな塗装です。
私自身、現在入院中で件の鉄道ファンが手元にないので何月号が定かでない
(車番も同じ理由で判りません…)のがもどかしいですが、記憶は間違いありません。
ただ観光団体用のスハ44と絡めての運用があったかどうか…
さらに鉄道ジャーナルに(これも鉄道ファンと同じ理由で何号か判りません)
「さぬきに栗色のスハニ35が」と言うくだりがあった記憶があります。
青15号とぶどう2号のスハニ35が混在してた…と言うのが真相ではないでしょうか

投稿者 突放禁止
投稿日 9月10日(日)11時05分40秒
タイトル 連投すみません
私自身、実見した訳ではなく編成表だけでしか判らないのですが、さぬきってすごく面白い編成ですね。
オユ12-スハニ-スロ54-オロネ10-オシ16-スハネ…件のジャーナルにも
パリパリのオロネとリベットだらけのスハネ30との組合せが何とも言えない…とありましたが
先頭のゴハチも客車も塗替え時期なので各車塗装もバラバラだっと思われます。
これぞ客車急行の醍醐味と言えそうですね。あと20年早く生まれたかった…

投稿者 クモイ103
投稿日 9月10日(日)14時48分27秒
タイトル スハニ35と観光団体塗色
 突放禁止様よりご指摘のありましたスハニ35の観光団体塗色、私も存在を確認しております。
下記の2つの写真とも、塗色変更とともに、アルミサッシ化と扉の交換が行われていますね。
(1)スハニ35 6(撮影時期不明)…鉄道ファン第181号(1976-5)P.36
 突放禁止様が挙げられた「昭和51年の鉄道ファン」は、これのことですね。
(2)スハニ35 4(1962-4-15撮影)…鉄道ピクトリアル第718号(2002-6)

 「さぬき」に使用されたスハニ35は、上記の2両を含む4〜6の3両でした。
スハニ35は1〜12の全12両が存在しましたが、そのうち近代化改造を受けたのはこの3両のみです。
 ここで、私のわかる範囲で「観光団体塗色」にまつわる経緯をまとめてみます。

◆昭和35年秋ごろ?:
 「つばめ」「はと」を引退したスハ44系の一部が大ミハから東シナへ転属し、
 東京から伊豆方面へ向かう週末行楽準急「いこい」に運用された。
 この車両には、近代化改造とともに青15号+クリーム裾帯という塗色が施された。
 この中にスハニ35がいた可能性もあるが不明。
◆昭和36年3月1日ダイヤ改正:
 観光団体専用列車の第1号として「南紀観光号」が運転開始。
 東シナのスハ44系6両編成で、使用車両の一部に「いこい」塗色車が入ることになった。
 実際には編成単位で塗色を揃えたのではないか?と思われるが詳細は不明。
 なお、Rail Magazine第264号(2005-9)P.41には、
 昭和36年7月22日、「いこい」塗色のスハ44系が急行「銀河」に組み込まれた写真が載っている。
◆昭和37年4月14日:
 オハネ17 600番台・ナハネフ11 600番台がデビュー、「九州観光号」に使用開始。
 この車両に「いこい」と同じ青15号+クリーム裾帯が施されたため、
 以後この塗色は観光団体塗色として有名になる。
◆昭和37年9月26日:
 「車両塗色及び標記方式規程」の第9条が改定され、観光団体塗色が正式に認定された。
 > 第9条 前条の規定にかかわらず、
 特急型客車及び観光団体専用列車用客車の車体外部の塗色は青15号とし、クリーム色1号の飾帯をつける。
 (「前条」の第8条は、客車の塗色をぶどう色2号とする原則を定めているもの)
◆昭和39年9月26日
 「車両塗色及び標記方式規程」の第9条が再び改定され、
 新設の別表に掲げる形式の客車を青15号とするよう規定した一方、
 観光団体専用列車用客車に関する記述は廃止された。
 以後、該当車両は入場のたびに一般塗色へ塗り替えられたはずだが、
 全車両の塗り替えがいつ終了したかは不明。

 前にも書きました通り、スハニ35は、青15号とすべき形式を定めた別表には載っていません。
従って、規程通りに塗装されればぶどう色2号となり、
もしも「青15号・帯無し」のスハニ35が存在すればそれは「規程違反」です。よくあることですが(爆)。
 急行「さぬき」にスハニ35が組み込まれたのは、それから1年経った昭和40年10月1日ダイヤ改正でした。
たまたま車両の検査回帰が合わなければ、観光団体塗色がそのまま残っていた可能性も否定できませんが、
微妙なところですね。

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