倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
烏山線の謎
非電化線が僅かながら電化されている例のわけ



倶楽部メモ(331) 平成18年 7月17日〜 7月31日

投稿者 雑魚
投稿日 7月23日(日)01時07分38秒
タイトル 烏山 山上げ号
市街地の通行規制に鑑み、祭り本体は一切度外視でしたが、列車撮影の方もなかなか
盛況でした。二往復運転の何れも数分〜数十分の遅延が発生しまして、結構ヤキモキ
させられました。場内放送がある小塙や、駅員を臨時配置した滝では、逐一、状況の
案内がありまして、かなり「鉄」に気を遣って頂いた印象です(^^)

編成が編成ゆえ、ホーム有効長が足りない停留所では踏切を塞いでの数分停車もあり、
何とも騒然とした雰囲気でした。扉開閉の制御は、どうなつていたのでしょうかね?
やはり一番人気は、何と言っても滝駅付近でした。


投稿者 雑魚
投稿日 7月24日(月)09時59分1秒
タイトル 烏山 山上げ号 2
祭り本体に負けず劣らずの人出でしたが、並行する県道のバイパスが整備されたので、
割と機動的にあちこちで撮る事が出来ましたが、望遠つき本格派でなく、ファミリー・
タイプで通していたのは、私くらいのものでしょうか………貧乏なもので(^^)

二日目の最後に烏山駅での機回しを見物しましたが、滅多に使わない引上線を介した
転線の様子は、警報機が無い踏切の管理を含めて、職員が寄って集ってという感じで、
物々しくも印象的でした。車止めに近いスーパーの駐車場は案の定「盛況」でしたね。

………で、結局、肝心の祭りは全く見ず終いでしたが、大学時代に教養課程で齧った
観光事業論では、観光の要諦を「主観的」価値効用の充足にあるとしていましたから、
まぁ、こういうのもありかな(^^)


投稿者 雑魚
投稿日 7月24日(月)13時21分24秒
タイトル 烏山線の謎
三連投にて失礼します。12系撮影序でに立ち寄った宝積寺駅に近い烏山線の様子です。
ここに限らず、電化線から分岐した非電化線は、僅かながら電化されている例が結構
見受けられますが、その目的や使用実績が良く判りません。時節柄「夏休み子供電話
相談室」にでも聞いて見ますかね(^^)

同日、空き時間を利用して、SL撮影に訪れた真岡鉄道では、かつて二宮駅の側線が
電化されていた様に記憶します。電化工事の訓練施設の類でしょうけれど。


投稿者 急行音戸
投稿日 7月24日(月)23時50分31秒
タイトル reさんべ
>余談ですが、急行「さんべ」と言えば、下関−長門市で、山陰線経由と美祢線経由に
編成が分割

当時、昼行2往復、夜行1往復のさんべですが、表記の3.2号は、
長門市の隣駅の私の住む所は、グリーン車無しの3両で、走行してました。
1.4号の4両に対し、最長7両の編成は、迫力ありました。
父より、『あの「さんべ」は熊本着後、三角線の普通列車になる』と当時の広域運用を聞いたことがあります。
5.6号は、深夜に通過するので、自宅の窓から、眺める程度で、
12系には明々と明かりが点いているものの、後続の20系は真っ暗でした。
また美祢線には、『急行あきよし』もあり、
今のキハ130と細々く残った、重安-宇部岬、美祢-岡見間の貨物を見ると、隔世の感があります。
ちなみに、美祢線(厚狭機関区)のデーデーはすべて原色ですが、
更新機が登場しないところをみると、何時なくなっても不思議じゃない気がします。

>かつて二宮駅の側線が電化されていた様に記憶します。電化工事の訓練施設の類でしょうけれど。

確か、岩徳線の、周防高森(間違ってたらすみません)の側線にも、似たような電化された施設を見たことがあります。

投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 7月25日(火)16時57分24秒
タイトル 急行さんべ
もう美祢線への分割はなかったものの米子から下関まで乗り通しました(^^)
長門市あたりで食糧補給を考えていたのですがなんにもな〜いo(><)o 
兵糧攻めに遭い終着で立ち食いそば食べました(^^;
景色はよかったものの空腹に耐えた時間と乗車は長かったな。
よくわかりませんが非電化路線への一部電化。
機回しの都合とかあるのでは。また誤って電車が進入しても対応できるようにしてあるとか(^^;
誤って進入と言えば昔、京○がやってくれました。
成田方面の列車なのに千葉線へ(-.-; 通勤帰りの乗客はいつもと違う景色を見て狼狽大騒ぎしたらしい(^^;

投稿者 雑魚
投稿日 7月25日(火)18時13分2秒
タイトル 水戸駅の謎
> あの「さんべ」は熊本着後、三角線の普通列車になる(急行音戸様)

学生時代、徳島線急行「よしの川」が小松島線に、豊肥線急行「火の山」が三角線に、
それぞれ直通していたのが印象的でしたが(豊肥線の場合は「九州横断特急」という
大技な運用が登場しましたが、熊本を跨いでの直通需要は、どの程度あるものやら?)
御指摘の件は、それすら凌駕していますね(^^)それだけ、航路との連携性における
三角線の地位が高かったという事ではないかと感じます。

> 非電化路線への一部電化。機回しの都合とかあるのでは(下総守こみや様)

宝積寺駅の貨物側線(セメント工場)の機回し線を、烏山線の線路で済ませていると
考えると、もっともらしい印象を受けますが、本線を挟んだ位置関係ですし、実際は
どんなものでしょうね。

> また誤って電車が進入しても対応できるようにしてあるとか(^^;

だとすると、水郡線に「緩衝区間」が全く無い地元・水戸駅の立場が……(^^)なお、
かつて「奥久慈」と多層建を組んだ気動車急行「ときわ」などの例を除けば、常磐線
旅客列車は一切発着しない水郡線用二番線は、一応電化されています。どんな用途が
あるのやら………



投稿者 尼港線
投稿日 7月30日(日)01時04分52秒
タイトル Re: 水戸駅の謎
私はHNの通り関西人で、水戸駅の構造にはまったく詳しくないのですけど。
例えば「リゾートエクスプレス ゆう」が水郡線に入線する時は、
2番線を使って、DL+マニ50の連結解放をやったりはしないのでしょうか?
まあ、電化しておけば、常磐線列車の運用上、何かと便利だろうとは思います。

投稿者 雑魚
投稿日 7月31日(月)09時19分12秒
タイトル 尼崎港支線
> 例えば「リゾートエクスプレス ゆう」が水郡線に入線する時は

そうか、運転頻度が極めて小さいので失念していました。これは盲点でした。御指摘
有難うございます。

> 私はHNの通り関西人で、水戸駅の構造にはまったく詳しくないのですけど。

「尼港」というと、アムール川河口のニコライエフスクの事ではなく(^^)福知山線
尼崎港支線(地元では「金楽寺線」と称していた様ですね)の事でしょうか。廃止後
既に20年以上が経過しますが、東海道線を跨ぐ橋梁は暫く残っており、通過する度に
気になる存在でした。最晩年は確か、客レが一日二往復する程度の閑散路線でしたね。
福知山線は1956年に尼崎−塚口の一駅間のみ電化されています。これは尼崎港支線の
貨物便に関連した措置なのか否かが永らく謎だったりします。

昨年春の大惨事(出身校の大先輩に当たる方も犠牲となりました)の際、脱線現場の
空撮映像が度々紹介されまして、尼崎港支線が分岐していた名残りが良く判りました。
願わくば、この様な事故の報道ではない処で拝見したかったですね。負傷され今なお
復調に至らざる方も、多々いらっしゃると聞きます。犠牲になった方の御冥福と共に、
御快癒を祈念するばかりです。

この週末、失恋の傷心を癒すべく(大嘘)みちのくを旅して参りまして、思わぬ所で
客車列車の基本形を目にする機会がありました(^^)小岩井牧場にて。


倶楽部メモ(332) 平成18年 7月31日〜 8月 4日

投稿者 若松
投稿日 7月31日(月)15時52分3秒
タイトル 尼港線の電化
>1956年に尼崎−塚口の一駅間のみ電化

これは「つばめ」「はと」の方向転換のための電化ですね。

投稿者 雑魚
投稿日 7月31日(月)17時48分56秒
タイトル SLホテル
> これは「つばめ」「はと」の方向転換のための電化ですね(若松様)

御教示、有難うございます。北方貨物線絡みの方転において、線路要領に余裕のある
福知山線、ないし塚口駅を引上線に充てた、という感覚でしょうか。

さて、小岩井牧場では御覧の様なSLホテルもありました。各種案内を拝見しますに、
20系寝台車を個室に改装したものだそうで、何やら学生時代の低予算旅行で重宝した
ユース・ホステルを連想しますね。北海道の「三大○○○○」ユース制覇を競うなど、
周囲のバイタリティーに触発された学生時代が懐かしい処です(^^)


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