倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
マニ30の運用
マニ30を連結した列車の編成は?



倶楽部メモ(327) 平成18年 6月 7日〜 6月19日

投稿者 急行音戸
投稿日 6月18日(日)23時24分56秒
タイトル マニ30
みなさま こんばんわ、急行音戸です。
先日発売された、Nゲージのマニ30のセットを手に入れました。といっても現実はまだ手元に無いのですが・・・
どなたかマニ30の運用、どのような列車に併結されてたとか・・・・
茶色のマニ30は銀河に併結・・と言う文献を読んだことありますが、
青色のマニ30は、RF誌の荷物列車特集の最初の方のページに荷物列車の後部に連結された姿が見れます。
やはり模型のように、高速貨物に併結されてたのでしょうか?JR化後も、JR貨物に属してたようですが・・
RF誌で、保存されたマニ30の小特集を立ち読みで見ましたが、
どのような運用があったのか、どの方面に運用されてたのか?
ご存知の方いらっしゃいませんか?よろしくお願いいたします。
過去ログを見たのですが、見当たりませんでした。

倶楽部メモ(328) 平成18年 6月19日〜 6月25日

投稿者 チカチカブンブン
投稿日 6月20日(火)22時24分49秒
タイトル マニ30について
「急行音頭」様はじめまして。
並びに皆様、大変ご無沙汰しています。

マニ30、何度か実車に出会ったことがあったのですが、
確か記録した編成があったな〜と思って当時のメモをひっくり返してやっと出てきました!
ご参考になるかどうか判りませんが、記載させていただきます。
自分が乗車した列車ですので確かです。
※所属は後で調べればいいや、と思っていたのでメモっていません。

1980年3月4日、秋田発上野行き急行「鳥海」
EF58−120
スニ41−2008 (原型)
スニ40−2039 (原型)
マニ30−2011 (原型)
マニ36−2068 (オロ40改・直屋根)
オハネフ12−2060 (ライトグレー屋根・シルバー縦サン)
スハネ16−2175  (ライトグレー屋根・シルバー縦サン)
オロネ10−2077  (原型)
スロ62−2021  (クーラー付き原型)
オハ46−2001  (↓トイレ向き・青塗装・一段トユ・上昇トイレ窓・Hゴムドア)
スハ43−2304  (↑トイレ向き・青塗装・原型プレスドア)
オハ47−2292  (↓トイレ向き・青塗装・Hゴムドア)
オハ46−2005  (↓トイレ向き・青塗装・一段トユ
・Hゴムドア)←青色部分は後日追加訂正
オハ46−2004  (↑トイレ向き・青塗装・一段トユ・Hゴムドア)
スハフ42−2249  (↓トイレ向き・青塗装・原型プレスドア)

この頃は自身が乗車した列車で特に印象に残った編成を模型化するのに凝っていて割りに細かくデータを残していました。
往路に乗車した「鳥海」のスハ43−2078がブドウ色塗装だったので、塗色までメモっていたようです。
このマニ30も当時はキットなどなく、苦労して窓開けまえの絞り妻板を無理して分販いただき自作した思い出があります。

やはりいくら模型といえども過去に一度は手を繋なぎあった番号の編成でありたいな、
と思ったのがきっかけでいろんな編成を記録し、製作しました。

全てHOなのですが、初めて一人で旅行に出た時に乗車した急行「立山」富山・糸魚川行き12連、
冬の長野で出会ったキハ48の2連、初の夜行寝台・43系「越前」・・・etc

今は43系客車の「利尻」とキハ82系「北斗」、加古川線のキハユニ15+キハ20、
「越前」の牽引機・EF62大改造などが並行仕掛かり中です。
不明な所があるとすぐに製作が停まってしまう安楽マニアですが、
もしお許しいただけるようでしたら模型の仕掛かり画像をUPさせていただき、
皆様のアドバイスをいただければと思っています。

ながくなり申し訳ございませんでした、今後とも宜しくお願いいたします。

投稿者 青列車
投稿日 6月21日(水)23時20分36秒
タイトル 【マニ30】荷33レ。36レ
>>急行音戸様
お尋ねのマニ30ですが、1980年代私が実見したのは上記2列車でした。編成中間に挟まっていました。
また、20系時代の上り銀河のシッポにぶら下がっていたのを実験した事があります>1980年夏。
EF58171エスコートの銀河でした(東京駅到着後下車して振り返るとぶら下がっていました)。
投稿者のホームページ

投稿者 尼港線
投稿日 6月21日(水)23時43分57秒
タイトル 【マニ30】103レ「銀河」
以前、一度、書き込みをしただけで、すっかりご無沙汰になってしまいました。

私、マニ30の実車を初めて見たのは小樽入りしてからのことで、現役時代は巡り会うことがありませんでした。
しかし、「鉄道ジャーナル」の列車追跡の中の編成表で見た覚えがあり、バックナンバーを探してみると、
1979年8月号(No.150)のp.45で見つかりました。
1979(昭和54)年5月21日の下り103レ急行「銀河」の20系編成の前、EF58 171の次位にマニ30 2007連結の記述があります。
東京〜大阪間で運用される確率が、やはり一番高かったのでしょうか。

投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 6月22日(木)06時02分6秒
タイトル すっかり忘れておりました
 割り込み失礼致します!
 マニ30、日銀車ですね、大きな勘違いをしておりました。
 部内では「日銀券輸送」と申しましたが、上野では月1ペースで入りました。
別に珍しいものでは無かったのですが、「特警指定」だったので鉄道公安室のみならず、警視庁の警備も入りました。
 故に写真なんか撮ってますと怒られそうで(それ以前に勤務中でしたし・・・)記録も無いのですが、
日銀券輸送は指定便があり、東北=急101/102「八甲田」、奥羽=急403/402「津軽A」、羽越=急801/804、
北陸=急3605/3604「能登」、信越=急301/302「客妙高」と言う具合です。
(1986年迄日銀券輸送は上野口で残っておりました。)
 基本的に客車急行が長く残り、それも地平発に集中していたのは日銀券輸送の関係だったそうです。
ただごくまれに常磐の203「十和田」や、羽越803「天の川」にも入り
警備の制服さん達で御客様に「何かあったんですか?」と言う御質問をされた事があります。
 話題が逸れますが、日銀券輸送より珍しいのが甲種回送でして、
通常は尾客(尾久)オレ(折返)となるのに上野へ入るモノもございまして、50系の回送は2・3度見ました。
 それも終列車の後ですから、御客様が眼にする事も無いのでしょうが、
22時台の連絡便(尾久〜東大操)のスジに乗せた便でF58機が引いて17番に入った8Bものの新車50、
頭にF65が付いて「回送発車です!」とコールが入り汽笛一声!
 と・・・軽い金属音と共に走り出した・・・のは編成前4つだけ・・・
で、転主(運転主任)慌てて走る走る「機関士」脇へ!
 「待った待った落とし物っ!」
 後年某駅駅長となる構内運転助役氏が勘違いして編成を切ったミスで・・・
やはり後年某駅駅長になる走った転主さんと共に「再併結」して10分程度遅延して今度は無事に出て行きました。
 その新車達も既に無く、ホーム事務室で小生と一緒に大笑いした駅員さんもこの世に無く、
マニ30と共に過去のお話になりました。寂しい限りです。
 さて、雑魚様こちらの写真も素晴らしいものです!
 DEの品欧、何か趣きが違って「特装列車」では無く自然に客車列車です。
キャブサイドのDEと言うのがまたなかなか好印象です。
 高崎〜水戸間の機材連絡に両毛・水戸線を使わないのは面倒なだけでしょう。
単線区間でのモリスジは作業が複雑ですから・・・
それに対して高崎〜常磐線は設定便がありますから、期日・機材の指定を出せばOK!と言う簡単さ、
ただ水戸線を行く客車列車も風情たっぷりなのですが・・・
 最近また東京支社の営業さんが運転層上がりの方になって、随分団臨が入る様になりました。
事務所の脇も週末には183・485・特装列車と賑やかです。
 是非お気を付けてお出かけになって下さいませ!
投稿者のホームページ

投稿者 若松
投稿日 6月22日(木)16時17分50秒
タイトル マニ30
岩崎安房守義将さま

50系客車の新製回送は甲種ではありませんね。確か「客回**」という運用番号だったかと思います。
なお分割したあとなどのオク〜シナなど短距離のものは「小回**」だったと思います。

東海道系統だと103レとのことですが、かつては1101レ(桜島・高千穂)の最前部に連結されていた記憶があります。
中央東線では423レでした。警備の関係でなるべく昼間に走らせたかったのかと推定しています。
もっとも1101レなり423レに連結されていたのは初代?のマニ30でしたね。

投稿者 てりてり
投稿日 6月22日(木)18時27分59秒
タイトル マニ30・私の場合
 失礼します。以前貨物列車に連結されているのを見た事があります。
手元に当時のフィルムが無いので日付は不明ですが
1998年頃、場所は天拝山〜原田間・列車は1083(現在の2091)レだったはずです。
丁度コンテナ車の真中に挟まるような形で連結されていました。
慌てて鳥栖貨(旧)に向かったのですが、後ろを切り離されて発車した後。ただ風が吹いているだけでした。
 少し誇張しておりますが、客車が機関車の次ではなかった事、マニ30であった事を思い出した次第。
しかし、係員の乗り心地は如何なものでしたか?余計な心配をしてしまいました。
 それにしても「満載の積荷を含めて本当の『わたくし』有車だったらなァ」と考えるのはみみっちい事でしょうか。
後にも先にも意識してみたのはこれ一回だけでした。それでは。

投稿者 チカチカブンブン
投稿日 6月24日(土)21時42分43秒
タイトル すみません、入力ミスしてました。
みなさまこんばんわ。

お詫びです。

改めて自分の書き込み(6月20日付け)を読み直して不備を発見したのですが、
下記に記載している「鳥海」編成のオハ46−2005について、「Hゴムドア」の記載が抜けてました。

その後のメモでHゴムドアの窓サイズに二種類あることに気付きましたが、
下記に記している編成は全て小さいほう(標準)のサイズです。
後に、天地寸法が上方にやや大きい“Hゴム大”を知りましたが、
鳥海に繋がっていた客車のほとんどは“Hゴム標準”で、色もライトグレー(かなり白に近い灰色)と記録しています。

逆にニセコ現役時代のオハ45、スハフ44などは“Hゴム大”が主流で、Hゴム自体の色もダークグレーでした。
これは煤煙での汚れかも知れませんが濃いグレーのHゴムは北海道独特の特徴で、
利尻や大雪に繋がったオロハネやオハネなども同様にHゴムはかなり濃い色を使っています。
模型でもそのあたりにまで気を使っている方も居て、
現役時代をよく見ている世代は「オッ、判ってるな!」ってな感じでにんまりしたものでした。

非常にカルトな話題で申し訳ありませんでした。

投稿者 急行音戸
投稿日 6月25日(日)08時02分25秒
タイトル ありがとうございました。
みなさまこんにちは、急行音戸です。
マニ30の書き込み感謝いたします。参考になりました。
手持ちの車両たちで再現するには、『銀河』『荷36レ』あたりを再現し、楽しもうかと思います。
貴重な情報ありがとうございました。
積荷が積荷だけに警備も厳重で、運用も公表されなかったんでしょうね、
しかし、額面にしていくら?くらい積載していたんでしょうね(笑)
こうしてみますと、やはり東日本地区での運用が多かったのですね。
書き込みしてくださった『チカチカブンブン』様『青列車』様『尼港線』様
『てりてり』様『若松』様『岩崎安房守義将』様、ありがとうございました。

「客車倶楽部」へ
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
現在や過去の夜行列車に関する資料を掲載
全盛期の時刻表データ等も掲載しています
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから
 
客車専門サイト「客車列車の旅」