倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
急行西海の荷物車
昭和38年当時の急行西海の編成における米軍専用荷物車について



倶楽部メモ(266) 平成17年 3月12日〜 3月30日

投稿者 準急ながら
投稿日 3月28日(月)23時00分12秒
タイトル 急行西海の荷物車
昭和38年当時の急行西海の編成を調べてます。
曜日によって荷物車が2両連結されてたようですが、増結される1両はマニM−3212だったのでしょうか?
残りの1両はマニ32だったり、マニ60だったりしてたのでしょうか?

どなたかご教授おねがいいたします。

投稿者 クモイ103
投稿日 3月29日(火)22時14分32秒
タイトル Re:急行西海の荷物車
>準急ながら様
 急行「西海」に曜日限定で連結されていた米軍専用荷物車については、
過去ログ「倶楽部メモ−90」〜「91」にありますので、ご参照下さい。
 毎日連結のマニ車は早岐の車両で、昭和36年頃から昭和41年頃までの配置はマニ60のみでした。
この間、あまり変化はなかった模様です。

投稿者 準急ながら
投稿日 3月29日(火)23時58分34秒
タイトル ありがとうございます
>クモイ103殿

ご教授ありがとうございます。米軍専用車じゃないほうはマニ60だったんですね。
米軍専用車はマニ32改造以外にマニ31改造だったこともあるのでしょうか?

倶楽部メモ(267) 平成17年 3月30日〜 4月 9日

投稿者 クモイ103
投稿日 3月30日(水)20時14分8秒
タイトル どこまでお調べでしょうか
>準急ながら様
 今さらですが、改めてお伺いします。
ご質問の昭和38年当時の急行西海の編成について、これまでご自身ではどのような資料をお調べになり、
どのような情報をお持ちでしょうか?
それをお示し頂いた方が、回答し易くなることもありえますので。

投稿者 準急ながら
投稿日 3月31日(木)00時47分42秒
タイトル 急行西海
>クモイ103様

急行西海に米軍関係の荷物車が連結されてた話は、あるNケージのブラス客車メーカーのサイトで知りました。
そのメーカーの製品にマニーM3212があり、その説明文から得た知識です。
米軍荷物車はマニ32からの改造車だけと思ってましたが、倶楽部メモを拝見したところ
マニ31からの改造もあったようでこれらも使用されてたのかなあと思い質問させていただきました。
米軍関係の荷物車は隔日で上り下り交替で西海に連結されたことは、編成表の多く載せてくれているサイトで知りました。
そのサイトでは具体的な荷物車の形式名は不明と書いてあったので
常時連結されている荷物車の形式がわかればなあと思い質問させていただきました。
マイクロエースが昨年彗星セットを発売してくれたので、
カトーの客車を茶色に塗ったりするだけで昭和30年代後半の東海道経由の客車急行が
Nケージでかなり再現できるようになりました。もちろん細かいことにこだわらなければの話ですが。
いろいろ寄せ集めて「霧島」は再現することができました。
「雲仙西海」はスロ51だったようで、プラの製品だけではなかなか再現できないようですが、
いつかは再現したく思ってます。その時のためにお聞きした次第です。

投稿者 クモイ103
投稿日 3月31日(木)22時15分2秒
タイトル 急行西海のMマニ
>準急ながら様
 “あるNゲージのブラス客車メーカー”とは、某埼玉県北東部のK店ですね。
あそこのキットは、車体全体の印象把握から細部に至るまで唸らせる出来映えですよね。
説明書も実車解説が充実していて嬉しいです。私もお値段なりの価値を認め、いくつか買っています
(予算の都合で多くは買えませんが(^^;)。
 “編成表を多く載せてくれているサイト”は、本HPのリンク集の4番目でしょうか。
やはりそのあたりは皆さんチェックなさっているのですね。

 それはともかく(早く本題に入れ(爆))、
交通博物館にある客車運用表で米軍マニの運用「米専荷1」を調べると、
実は一巡するのに一週間近くかかる雄大なものだった事がわかります。
 運用開始は品川客車区から東高島貨物駅への回送です。
おそらく横浜港で荷揚げされる米軍の荷物を積み込んだのでしょう。
積み荷状態で品川へ戻り、ここで初めて「西海」の編成に連結されて東京駅へ据え付けられます。
下り急行「西海」としてまる一昼夜かけて佐世保駅に着くと、荷物を降ろして編成ごと早岐客貨車区まで回送され、
一息入れます。帰りはその逆の行程を辿り、急行「西海」編成が品川へ入庫した後も、
独り東高島まで往復して、ようやく運用が終わります。
運用開始から実に6日目(曜日の関係で早岐で1日つぶし7日目になることもあり)です。
 さて、このような運用を週に3日実施するには、常時3両、検査予備を考えれば4両の車両が必要であることが、
容易に推測できますよね。
つまり、当時在籍した4両の“Mマニ”は、すべてきっちり使用されていた事になります。
 実際、一番古いダブルルーフのマニM−3203(マニ31 18)が
昭和40年代に入っても使われている記録があることなどから、
この4両は、最後まで一緒に仕事をしていたようです。

投稿者 準急ながら
投稿日 4月 1日(金)00時43分16秒
タイトル ありがとうございます
>クモイ103様

ご返答ありがとうございます。米専用荷物車の運用の話、鉄道趣味以外の観点からもなかなか面白いですね。
戦後という言葉を強く認識してしまうお話です。
モデモのマニ31を持ってますので、それを代用しましょうか(笑)

それにしても、出張は全国日帰りが可能、株の取引も時間外で短時間で膨大な取引ができる現在の感覚からすると、
新幹線開業前の交通手段、輸送手段は恐ろしくノンビリしてますね。

しかし、かえって移動にこれだけ時間がかけられること自体、贅沢で豊潤なことに感じてしまいます。

そんなこともあって、当時の客車急行時代は小生にとっては「おとぎの国」、とてもいとおしく思えます。

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