倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
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JR化後の客車急行「能登」の編成


倶楽部メモ(198) 平成15年 5月15日〜 5月20日

投稿者 みねよし
投稿日 5月16日(金)23時01分17秒
タイトル JR化後の客車急行「能登」の編成記録を教えてください。
 はじめまして。10代のくせに客車が好きな者です。いつもこの掲示板を見せていただいてますが、
今回どうしても分からないことがあるので、書き込ませていただきます。
 実は今度NゲージでJR化後の客車急行「能登」(14系客車使用)を再現しようと思うのですが、
以外に最近のことなのに編成記録が分からないのです。
どなたか教えてもらえませんか?よろしくお願いします。

投稿者 こねこ
投稿日 5月17日(土)00時52分27秒
タイトル 客車急行「能登」

みねよし様
はじめまして。
お問い合わせの編成の件ですが鉄道ピクトリアルNo.547によりますと以下のようです。

昭和57年11月15日改正
1号車
スハネフ14+オハネ14×2両+オハフ15+オハ14×3両+スハフ14
オハフ15がどちら向きかは不明です。
平成3年3月16日改正
1号車
スハフ14+オハ14×3両+オハフ15+オハネ14×2両+スハネフ14
オハフ15がどちら向きかは不明です。

初期(昭和57年〜)の頃はマニ50が上野寄(1号車の前)についていました。

googleにて「急行能登」「客車」で検索すると結構ヒットしますのでご参考まで。


投稿者 みねよし
投稿日 5月19日(月)20時18分39秒
タイトル ありがとうございます
こねこ様
教えてくださいましてありがとうございました。おかげで編成が判りました。
後は車番さえ分かればOKですね。ということでご存知の方は教えてください。

投稿者 まろねふ
投稿日 5月19日(月)21時02分45秒
タイトル 能登の14系

みなさま、こんばんわ。

>みねよしさま
はじめまして。“まろねふ”と申します。
昭和57年の急行能登に用いられた14系は下記の通りです。

所属:金沢区(金1・金荷2運用 602レ−601レ)

オハネ14…59・60・62・76・77
スハネフ14…44・45・47
オハ14…49・122・123・124・125・126・127・128
スハフ14…40・45・58・61
オハフ15…32・33

マニ50…2262・2263・2264

参考:JRR国鉄気動車客車編成表83年版

こんな資料でよろしいでしょうか?


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月20日(火)00時21分44秒
タイトル 客車急行「能登」の編成

みねよし様
客車急行「能登」(14系客車使用)の編成についてですが、JRR国鉄気動車客車編成表83年版に
14系客車化された約半年後の昭和58年4月1日の編成が掲載されています。

昭和58年4月1日
上野発金沢行601レ「能登」
  EF62 3(高二)
8 スハフ14  45(金サワ)
7 オハ14  124(金サワ)
6 オハ14  127(金サワ)
5 オハ14  128(金サワ)
4 スハフ14  61(金サワ)
3 オハネ14  59(金サワ)
2 オハネ14  60(金サワ)
1 スハネフ14 44(金サワ)
  マニ50 2262(金サワ)

昭和58年4月1日
金沢発上野行602レ「能登」
  EF62 24(高二)
  マニ50 5563(金サワ)
1 スハネフ14 47(金サワ)
2 オハネ14  77(金サワ)
3 オハネ14  62(金サワ)
4 オハフ15  33(金サワ)
5 オハ14  126(金サワ)
6 オハ14   49(金サワ)
7 オハ14  123(金サワ)
8 スハフ14  40(金サワ)

以上のような編成となっています。
質問はJR化後との事なのですが、JR化後の編成は手持ちの資料では見つけられませんでした。
ちなみに急行「能登」の受け持ちは昭和60年頃に金沢運転所から尾久客車区に移管されています。
「能登」に使用されていた座席車はいっしょに尾久に転属となり引き続き「能登」等に使用されましたが、
寝台車は宮原客車区に転属となり、「能登」にはもともと尾久にいた車両が充当されています。
JR化直後(昭和62年4月時点)の尾久客車区の「能登」用14系寝台車の車両番号をあげると
オハネ14  1,57,101,102,103,104,105,106
スハネフ14 38,39,40,103
となっております。

参考:JRR 国鉄気動車客車編成表83年版
   JRR JR気動車客車情報87年版


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月20日(火)00時55分34秒
タイトル Re:客車急行「能登」の編成
自己レスです。
「能登」の受け持ちが金沢運転所から尾久客車区に変更になったのは、
東北・上越新幹線開業に伴う時刻大改正があった昭和60年3月14日でした。
また、「鉄道ジャーナルNo.26JRブルートレイン」に七尾線の輪島まで延長運転されている写真、
「鉄道ピクトリアルNo.530(90年7月号)12・14系座席車特集」に間合い運用の臨時普通列車の写真
が掲載されており、1号車から4号車(つまり寝台車3両+座席車1両の編成)が使用されていますので、
少なくてもこの時期には4号車のオハフ15(又はスハフ14)の向きは
1〜4号車のみの使用時に車掌室側が両端となる形、つまり8号車と同じ向きとなっていたようです。

倶楽部メモ(200) 平成15年 5月29日〜 5月31日

投稿者 みねよし
投稿日 5月30日(金)18時21分43秒
タイトル ありがとうございました
どうも、皆さんこんばんは。
さて、返事がかなり遅れましたが、車掌@仙コリ様・まろねふ様、教えてくださいましてありがとうございました。
これで完全に再現できると思います。本当にありがとうございました。

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