倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
ある機関助士、スハニ35
急行「みちのく」の編成・スロの配置・「青葉」のスハニ35



倶楽部メモ(105) 平成13年8月31日〜9月2日

投稿者 103列車機関士
投稿日 9月 2日(日)19時42分04秒
タイトル ある機関助手をみて
本文 こんにちは、クモイ103様再度日中線の情報今ごろなんですがありがとうございました。
わたくし、レイルマガジンで「ある機関助手」の記事を見てこのビデオを探していましたが
先日やっと見つけることができました。
蒸気機関車の音といえば、「シュッシュポッポ」が代表なんでしょうが、
現役のSLはあんなにすごかったのですね、「ボボボボボボ!」
イベントのSLしか知らない私にとってカルチャーショックでした、
3人でちからを合わせ定時に戻す姿はなんともいえないものでした。
先日、仕事で水戸に行ってきましたが、変わっていましたね、、、、
さてあのビデオに出てきた「みちのく」なんですが。
鉄道ジャーナル別冊の国鉄最終列車に昭和36年の編成が出ていました。
できたらこの編成で楽しみたいのですが、さてあのスロ54、51が謎なんです。
交博で37年の配置表を見たのですが、盛アオにも盛モカにもスロはいません。
北オクにスロ54はいたようですが51はいなかったようですね
36年にはいたのでしょうか?
それとも秋アキの借り物だったのでしょうか、教えていただきたく思います。
それと私、SLも始めたくなりました。
あのビデオに出てくるC62-38は市販されているものとどんなちがいがあるか教えてください。
パーツ使用法も勉強しなくちゃ。

倶楽部メモ(106) 平成13年 9月 2日〜 9月 5日

投稿者 クモイ103
投稿日 9月 2日(日)22時41分09秒
タイトル 「みちのく」の特ロ
本文

103列車機関士さん、こんにちは。

 「ある機関助士」私も持ってます。迫力!の一語につきる名作ですね。

 さて、昭和37年10月の配置表を見ると、青森にオロ61がたくさんいます。
これがスロ54、51を置き換えたのだと思います。
昭和36〜37年頃、オロ61はたいへんな勢いで増備され、
大挙して東北支社管内に配属されています。
個々の改造落成日は、今年のRP誌5月号の鋼体化客車特集にありましたので、
置き換えの時期もだいたい見当がつくかも知れません。
 スロ54、51は、37−10改正に伴う転配として、東北支社から各地へ多数の転出が
鉄道公報に記載されています。
しかし実際は、オロ61の落成によりどんどん前倒しで捻出されていた可能性があると思います。
 なお、「みちのく」の基本編成は、36−10ダイヤ改正の前後とも盛鉄局持ちです。
但し、改正前は盛岡−青森間が不定期運転なので盛モカ、
改正後は全区間定期運転になり盛アオになっています。


投稿者 オロネ10  
投稿日 9月 3日(月)13時02分20秒
タイトル ある機関助士、スハニ35
本文 昔は旧客や蒸機が現実に走っていたので、余りビデオや映画には興味を持たなかったのですが、
今となっては、俄然ビデオの価値が出て来ましたね。増してや、103列車機関士さんの様に
ビデオで迫力を見直してくれる人がおられるのであれば、その価値は益々重要です。早速私も
「ある機関助士」探してみます。でも、昔のそう言う「迫力」を見ると、余計イベントSLに
足が向かなくなってしまうので、良し悪しかも・・・。私も現役蒸機(SLと言う言葉はいま
だに使いにくいのです)を知っているので、あの、厳しいダイヤを守る為に、フルに力を出し
切って走る使命感の様なものが、そもそもの迫力に更に力動感を与えていました。大井川鉄道
もとても良いと思うのですが、この辺にやや物足りなさを感じてしまいます。ノンビリ・ムード
だけが旧客や蒸機の良さではないですよね。
処で、前置きが長くなってしまったのですが、一つ古い話の質問があります。父が写した写真、
確か昭和28年位だと思うのですが、上野駅で「あおば」のサボを写しています。車種は「ス
ハニ35」です。これは明確にドア横の文字が写っているので間違いありません。この頃は、
「スハニ35」は当然特急「つばめ」「はと」にも使われていた筈ですが、急行にも既に使わ
れ始めていたんですね。「スハニ35」は特急専用車輌として造られた、と思っていたのです
が、ちょっと違っていたのでしょうか??

投稿者 クモイ103  
投稿日 9月 3日(月)18時01分37秒
タイトル Re:スハニ35
本文  スハニ35は、実ははじめから特急用以外にも新製配置されました。
総勢12両の内、ラスト3両の10〜12が、当時特急とは無縁の仙センにいて、
もっぱら東北筋の急行列車に使用されたようです。
結局この3両は、いわゆるスハ44系の一員でありながら、一度も特急用として
(少なくとも定期では)使われなかった、不運の車両ですね。

投稿者 103列車機関士
投稿日 9月 3日(月)19時22分29秒
タイトル いいですね!
本文 こんにちは!クモイ103様ありがとうございます。36年と37年の違いですね。
交博に36年の配置表がないのは残念です。(たしか無かったですよね?)
あの編成が「ある機関助手」の物では無いと思いますが、特ロはスロ51,54で
行こうとおもいます。C62はビデオでゆっくり研究しませう。
オロネ10様、わたしもビデオ探すの大変でした。あれは本当にカッコよかったです。
おっしゃるとおりなんともいえない迫力と力動感でしたね。わたしの想いでは、EF58
やEF15ですが、蒸気機関車の思い出があったらやはりそればかり製作していたでしょう。
「大人の童話」とはよく言ったものですね。イベントの蒸機もそうですね、言われてみますと
現役の迫力はないと思います。でもなにかおじいさんが一生懸命むかしばなしをしているみたいで
それもまたいいのではないでしょうか?でも12系はちょっと残念ですね、発電機の音で
機関車の音が聞こえない、、、12系自体私はおもいでがあって好きなんですが、蒸気機関車
のお供としてはどうかなとおもいます。でも仕方ないですけどね。図面通りいわゆる「旧客」
を新製出来ないものでしょうか?ちょっとゆめを見てみましたすみません、、、
EF58 29様 早速見ました!すばらしいですねとても参考になります。つかぬ事お聞き
しますがあの、北星のワサフが八甲田に付いた事あったのでしょうか?(GMのインレタに
なぜ白文字のワサフがあるのか今ごろ気が付いたわたしです。)まだまだ勉強です。

投稿者 221レ  
投稿日 9月 3日(月)20時01分57秒
タイトル C6238について
本文

皆さんこんにちは!
C6238についてRF誌94−8号に説明がありましたので紹介します。
C6238(S23.9.29)汽車会社製
23.10.20岡山 山陽本線
24.4.9 尾久 東北・常磐線
24.12.17白河 東北線
29.9.22 尾久 常磐線特急・急行
31.10.30ボイラー振替え(丙缶)
37.10.31水戸 常磐線急行
38.6.1 平  常磐線特急・急行
42.11.24廃車 関東支達第168号
となっており
汽車会社製特有の特徴として
前後対称の蒸気ドーム、給水温め器の側面のカバー、ボイラー昇降踏み板が3枚

その他、はつかり用の側板一体の鋼板製増炭囲い
砂まき管は埋め込み
煙室下にフラットなエプロン付
動力逆転機はヘッドカバー無し
が特徴で平区時代に前灯副灯装備とあります。
汽車会社製のC62は全て解体されてしまったのが残念です。
私も見たわけではありませんが(汗)
オハ61改造のオロ61がスロ51などの初期の特ロ車を駆使したとは以外ですね?
それでは。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月 3日(月)22時22分35秒
タイトル RE2:スハニ35&宣伝モード
本文

スハニ35についてですが、クモイ103さんの書き込み通り10〜12は仙センに
配置され、昭和30年前後には急行「青葉」を中心に使用されていたようです。
そこで質問なのですが、ご存知の通り本来スハニ35は特急用として設計されており、
製造当初は一方向固定座席で、昭和35年頃の昼行客車特急の電車・気動車化により
特急運用がなくなり、近代化工事の際にスハ44・スハフ43と同じように転換式
シート?に改造されているはずなのですが、当初から急行運用であった10〜12の
座席はどうなっていたのでしょうか?
当時の急行「青葉」は編成ごと、もしくはスハニ35だけの方向転換をしていたので
しょうか?

EF58 29さんのHP「70年代後半の客車編成」拝見させていただきました。
各車両の車番や色まで詳細に記録された資料はあまり無いのが現状なので、本当に
貴重な資料だと思います。
これからのHPの内容の充実に期待しております。


投稿者 オロネ10
投稿日 9月 4日(火)13時07分44秒
タイトル 皆様、有難うございました。
本文 そんな「スハニ35」があったのですね。私はこの「青葉」(確かに当時は漢字の青葉だっ
たかも)の写真の記憶があったので、当鉄道(9mm)の急行列車には、迷わずつなげて
いたのですが、番号までは合わせられないですね。でも座席は確かにどうしていたのでしょう。
それと当時の「青葉」は、上野と仙台を結ぶ急行と言う事で、特急に継ぐ看板列車的存在だ
ったのではないでしょうか。だからこれらの「スハニ35」は、やや不運、と言う程度だった
かも。歳がバレるので前回は書かなかったのですが、実は幼少(?)の頃の自分も一緒に写っ
ているのです。 (^_^; 残念ながら乗った時の記憶は全然ありません。
先日当鉄道で、暫く運休になっていた「スハ44系」特急を走らせてみたのです。9mmとは
言え、ズラリと並んだ狭窓、重々しい(そうな?)TR47台車の連続、そして最後に展望車
の3軸ボギーが奏でる三連符、もう「EF58」でも「C62」に牽かせても、迫力がありま
すね。103列車機関士さんではないですが、図面はあるでしょうから、「新製」して欲しい
ですよね。
さて時間になってしまったので終りますが、次回は、上越線の客車急行について質問させて戴
けますか。(いつも質問ばかりですみません。記憶以外の資料がないもので・・・)

投稿者 クモイ103  
投稿日 9月 4日(火)20時24分25秒
タイトル 一方向だったようです
本文

 PR誌158号(1964(S.39).6月号)の「読者短信」に、「スハニ35の凋落」と題して、
次のような一文が寄せられています。

〜引用〜
 去る3月29日川俣線に乗ってみた.
この線はDC万能の現代において数少ないSL+ハ1両(朝夕は3両らしい)のローカル線であるが,
この日のハは何とかつての列車”つばめ・はと”につながれていたスハニ3512であった.
昔日の栄光も遠く去って崩れかけた小卓を持つ一方向向き座席のこの車両,
わずかにデッキ上の(2等)標識のみが,ありし日を偲ばせて哀愁に満ちた老らくの姿を発見したので
ご報告申し上げる.
〜引用終わり〜

 スハニ3512は、例の仙セン配置車の1両であり、”つばめ・はと”につながれたというのは
必ずしも正確でありませんが、昭和39年の時点で一方向向き座席だった事が示されています。
 なお、特急以外では終端駅での方転はなかったはずです。
「つばめ」「はと」のスハ44系の予備車が、東海道急行に組み込まれる事がありましたが、
それも方転なしで往復したとの事です。

 ちなみに、客車形式図などの情報を総合すると、スハニ35で近代化改造+転換座席改造を
受けたのは、4〜6の3両のみだったと推定されます。
この3両は、昭和40年代に入っても、東京−宇野間急行「さぬき」に使用され、
同形式中最も最後まで優等列車に活躍した様です。
なお、RF誌181号(1976(S.51).5月号)P.39に、アルミサッシ化され、なぜか観光団体専用列車用
の裾帯入り塗色になったスハニ356の写真が載っています(撮影時期不明)。


倶楽部メモ(107) 平成13年 9月 5日〜 9月 8日

投稿者 車掌@仙コリ  
投稿日 9月 5日(水)21時34分38秒
タイトル RE:一方向・保存旧型客車・はやたま
本文

マルチレスで失礼いたします。

クモイ103様
スハニ35の座席について補足していただきありがとうございます。
あれから私もいろいろ調べてみましたが、確かに座席改造等の近代化改造を受けたのは
4〜6の3両だけだったようですね。
スハニ35自体が、特急列車から撤退?した例の昭和35年から10年以内に、すべて
荷物車等に改造されていますし、ローカル運用にはそのまま使用していたようですね。
もともと客席部分は半室ですし、例えばボックスシートであれば座席の半分は後ろ向き、
最近の例でも、東北新幹線用の200系0番台?の普通車の3列シートは固定シートで
やはり半分が後ろ向きですので、当時の本当に特別であった特別急行列車以外では
座席の向きはあまり気にしていなかったのでしょうね。

らいちゃん様、お久しぶりです。
(らいちゃんさんというお名前では初めてですが、元Sukaさんですよね)
保存旧型客車の情報ありがとうございます。
ちょうど保存客車のページを更新しようと、いろいろ情報を集めていたところでしたので
本当に助かります。
保存客車の情報集めは、本当に皆様の協力あってのものですので、これからもよろしく
お願いいたします。

KIMIJI様
「はやたま」の寝台車についてですが、同列車の寝台車連結廃止(昭和59年2月)
少し前には、オハネフ12が2両連結されていたようですが(廃止直前は1両?)、
前身の「南紀」時代から昭和50年代中盤(57年頃?)までは、オハネフ12と
オハネ12の2両であったようです。
車掌室のない寝台車であったのであれば、キサハ34さんの情報の通りオハネ12で
間違いないと思います。
(当時の受け持ち区 天シク・天リウ には寝台車はオハネ12とオハネフ12の
2形式しか配置されていなかったようですので。)


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