倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
1960年代の客車急行(1)
「1枚の写真から」「霧島」「雲仙」



倶楽部メモ(89) 平成13年 6月10日〜 6月12日

投稿者 EF6113
投稿日 6月10日(日)20時26分34秒
タイトル オハ61臨客
本文 白井良和氏の「サイドビュー国鉄一般客車」の48ページに
東海道では珍しい61系の臨時客車列車の写真があります。
残念ながら臨急ではなさそうですが。

投稿者 キサハ34  
投稿日 6月10日(日)21時18分15秒
タイトル Re:オハ61臨客
本文

▼EF6113様

たしかに。でも時代がえらく違いますし・・・。
あれって、二俣線辺りから直通の列車じゃないんですか?

でも、その右に写ってるEF61の急行の方が惹かれますねぇ!
ナハ10中心に、オシ17、ナロ10*2ってことは、「霧島」でしょうか?
GMのキットなんかをパッパッと組んで来週発売のEF61に牽かせたくなる美しい編成だと思います!


投稿者 EF6113
投稿日 6月11日(月)22時32分51秒
タイトル 急行霧島
本文

▼キサハ34様

>「霧島」でしょうか
「ARC資料室」(http://urawa.cool.ne.jp/beppu/siryou.html)で調べてみましたが、
キサハさんがご指摘の通り、霧島で間違いないと思います。
東京側にスハ43系、その九州側にナハが並び、オシ17,ナロ10が並ぶのが根拠です。
さらに九州側にはマロネ29があったようです。
この本にはキャプションに具体的な列車名が書かれてない急行列車の写真が他にもありますが、
こうやって客車の種類や並びを検討することによって列車名を特定できるものがまだあるようですね。

>二俣線辺りから直通の列車じゃないんですか?

昭和30年代当時二俣線の列車は遠江二俣区所属の客車で運用されていたようです。
この当時、二俣区には61系はオハフ61が1両のみだったようです。
またこの写真が撮られたのが豊橋より西側です。
以上よりこの写真についてはすくなくとも当時よく見られた二俣線から直通で豊橋に向かう列車
ではないと考えられます。

1枚の写真からあれこれ検討してみるのは面白いですね。キサハさんありがとうございます。


投稿者 キサハ34
投稿日 6月12日(火)06時18分20秒
タイトル Re:「霧島」 
本文

▼EF6113様

追記:東京方の43系は熊本回転車とのことです。ただ、所定では3両のようですが・・・。
また、「サイドビュー・・・」の写真2両目はスハ42ですが、こういったちょっとした違いによる
「ごちゃ混ぜ感」が客車の魅力ですね!
要は定員が一緒で同等のアコモを備えていれば良いわけですからね。
昔、富山にいたスハ40 2093の座席にヘッドレストが付いているのを見て、
スハ43系と同じだと思ったものです。

>1枚の写真からあれこれ検討してみるのは面白いですね。

はい。そしてそこからまた新しい話題が開くのも楽しいですね。


投稿者 EF6113
投稿日 6月12日(火)22時54分40秒
タイトル 1枚の写真からあれこれ
本文

白井良和氏の「サイドビュー国鉄一般客車」の47ページの急行列車の写真について考察しました。
(昭和37年9月9日、三河三谷ー三河大塚間で撮影されたEF58牽引の上り急行列車)

1 東京側の4両目にナハネ、5両目に特ロ、九州側の荷物車にもう1両の特ロが隣接していることから、
「雲仙、西海」「つくし」が考えられること。
2 三河三谷ー三河大塚を日中帯通るのは、「雲仙、西海」(「つくし」は深夜)

以上よりこの写真は、「雲仙、西海」と考えられます。

「雲仙、西海」「つくし」の客車は共通運用だったのかな。


倶楽部メモ(90) 平成13年 6月13日〜 6月14日

投稿者 大キト  
投稿日 6月13日(水)00時18分35秒
タイトル 雲仙について
本文 EF6113さん、車掌さんまいどです、手元に資料が無いのでおぼろな記憶が頼りですが、
S36.10の時刻改正でも西海号と筑紫号は早岐区の受持ちで共通運用をしてました、確か
組数は5組だったと思います、西海号が品川で筑紫号となって博多で折返し再び品川で
筑紫号が西海号になって早岐に帰って来ます、ただ雲仙号は当時京都へ移管して京都〜
長崎間で運転する計画でしたが、これが玄海号となった記憶があります、この時期の
雲仙号についての記憶がありませんが、S36.10改正で長崎からマシ49が転出して長崎区
の受持ちが無くなったと記憶しています、時刻表が三度の飯より好きな方が居ましたね
S37.9頃の雲仙号について教えて下さい。
投稿者のホームページ

投稿者 クモイ103
投稿日 6月13日(水)00時35分29秒
タイトル 急行「霧島」のこと
本文

 「サイドビュー国鉄一般型客車」P49上段写真の列車は、私も「霧島」で間違いないと思います。
キサハ34さん、EF6113さんの会話に割り込んで恐縮ですが、私もこの頃の優等列車に大いに興味があり、
黙っていられなくなったのでどうかお許し下さい。
手みやげ(?)として、手元の資料による補足などを若干させていただきます。

 国鉄内部資料の「主要客車列車編成順序表」(交通博物館図書室で公開)によると、
36−10白紙改正時点の所定編成は、鹿児島方からマニ+マロネ29+ナハネ11+ナハネ11+ナロ10
+ナロ10+オシ17+ナハ+ナハ+ナハフ+ナハ+ナハフ+オハ+オハ+スハフです。
このうちマロネ29とナハネ11の1両は博多回転、
東京方のオハ+オハ+スハフは、キサハ34さんの仰る通り熊本回転の付属編成です。
この日はイレギュラーで1両減車だったのですね。
 しかし鉄道ピクトリアル1973年6月号「国鉄急行列車・愛称変遷史[13]」によると、
マロネ29は翌昭和37年4月に外され、その位置に10月からオハネ17が連結されたとの事です。
それ以降39−10改正直前まで目立った変更はなく、くだんの写真は昭和38年12月ですから、
ナロ10×2の後ろに見える3両の10系ハネは、所定通りの編成という事になります。
なお、信号機柱に隠れている最後尾の車輌は、当時の鹿児島区の配置状況から見て、
マニ60の可能性が高いです(39年4月にはマニ72の配置がありますが・・・)。

 当時の「霧島」は東京−鹿児島間を26時間半かけて走破し、その運用には4本の編成が必要でした。
予備を含めて5両必要だったオシ17には、「つばめ」「はと」から転用された元青大将車4両(1〜4)が
すべてつぎ込まれていたという、たいへん贅沢(?)な列車でもありました。
ただ、写真のオシ17は食堂窓に水切りが見えないので、当時鹿児島区にいた同型式5両中ただ1両の
後期型だった14だと思います。
なお、ナロ10も元青大将車です。


投稿者 クモイ103  
投稿日 6月13日(水)01時07分47秒
タイトル Re:雲仙について
本文

大キトさん、まいどです。
 下の「霧島」の話をやっと書き上げて投稿したら、いつの間にか「雲仙」の話が(+_+)・・・
連続投稿ご容赦下さい。

> 時刻表が三度の飯より好きな方が居ましたね

 う〜ん、基本的にそういう方はここには大勢おられるのでは?(笑)

> この時期の雲仙号についての記憶がありませんが、S36.10改正で長崎からマシ49が転出して
長崎区の受持ちが無くなったと記憶しています、

 36−10で「雲仙」は「西海」と併結になり、食堂車がなくなってマシ49は転出しましたが、
運用番号が「門2」である事から、受け持ちは引き続き長崎だったと思われます。
「西海」は「筑紫」と共通でしたが、その「筑紫」には、同改正で新設された大分行き「ぶんご」が
併結されており、「雲仙」の編成がそのまま「ぶんご」になる共通運用でした。
 ちなみに「筑紫+ぶんご」は39−10改正で廃止されましたが、「西海+雲仙」はヨンサントオまで
生き残りました。
なお40−10改正では食堂車が「雲仙」の方に移りました(オシ17が早岐から長崎に転属しています)。


投稿者 大キト
投稿日 6月13日(水)09時36分23秒
タイトル ぶんご
本文 クモイ103さん資料検索ありがとうです、そう言えば「ぶんご」がいましたね〜すっかり忘れて
いました、隣とは言え門鉄以外は知らぬもので失敬。S43.10改正で2代目の雲仙になってから京都
〜長崎になりましたが、急行用の在来形客車はS36.10改正をピークに衰退期に入って行きましたね
そう言えばS48.10の改正で早岐に94両程14系が配置された時には思い切った事をすると感心しまし
たが、青森まで足を伸ばすロングラン運用も今では遠い過去の様です。在来形客車は比較的覚えてい
ますが、今となっては14系や24系などの変遷も調べて置くべきだったと思います。

投稿者 キサハ34  
投稿日 6月13日(水)18時20分36秒
タイトル 1960年代の客車急行
本文

みなさんこんばんは。自分が言い出した様な話ながらついていくのがやっとです!

よく、配置区の話題が出てきますが、みなさん、どこで調べられているのですか?
私は編成表は持っているのですが、配置表が無いため、いつもナンバーや番台区分で困るのです。

▼EF6113様
サイドビュー・・・のP47の写真、私も「雲仙・西海」だと思います。
EF58の後ろに下関止まりのスハフ42が車掌室を後ろ向きに付いているのがいいですね。
ところで、この列車には昭和40年代まで軍用荷物車が付いていたと思いますが、
このあたりの詳細はどうなのでしょうか?

・「霧島」の話
ついでですが、話題よりやや後の写真が鉄道ファン誌366号P95に「黄害」の事例として載っております。
つらら切り+大窓のかっこいいEF5846がマニ60ほかの客車を牽引しております。


投稿者 キサハ34
投稿日 6月13日(水)18時38分00秒
タイトル 追記・1960年代の客車急行 
本文

すいません、「霧島」で追加質問です。

▼クモイ103様、大キト様
先の書き込みで「霧島」の熊本編成の所属について触れられておりますが、
1965年の状況についてもう少しお教え願えないでしょうか?
と言いますのは、鉄道ジャーナル別冊No.23のP117に編成が出ているのですが、
最後尾に電暖装備のオハフ46 2006を連結しているのです。
所属は門トスとなっておりますが、これはイレギュラーでしょうか?
大キトさんは門鉄に詳しいようですのでよろしくお願いします。
また、同編成の東京方にはオユ11 9もついているのですが、
これについても先のRF誌の写真ではつながれておりません。
これもイレギュラーでしょうか?


投稿者 EF6113
投稿日 6月13日(水)21時57分41秒
タイトル 1960年代の客車急行  
本文 キサハ34さん、大キトさん、クモイ103さん、いろいろご教授ありがとうございます。
1枚の写真を検討することで、これだけの詳細で内容のある話題が出てくることに感激しております。
鉄道に限らず、1960年代は非常に関心のある時代です。
住んでいるところが東海道本線沿いであるため、60年代といえば、電車特急、準急、急行列車に
凝っておりましたが、最近はこの時代の客車列車に非常に関心が強くなっております。
客車列車については、バリエーションが豊富な為か、電車列車に比べ、なかなか一般書だけでは
わからないことが多い気がします。
これからも、皆さんいろいろご教授お願いいたします。

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